俺と難問
話題転換を繰り返す女子グループ。陽キャらしき男は、なぜかジャンプしながら騒いでいる。
俺のほうがジャンプ高そう。やらないけど。
大学の中庭のベンチに、俺は腰を下ろした。視線の先に桜の木が見える。葉桜になってしまったが構わない。
俺は春が好きだ。出会いと別れの季節。いい季節。だから、好きだ。
俺の名前は元宮ショウジ。この四月から大学生活をスタートさせ、つい先日、さんざんな誕生日を迎えた十九歳。
漢字で【正直】と書いて【ショウジ】と読む。トリッキーなため、間違えられそうな場ではカタカナ表記にしている。
なぜって十中八九、初見では「ショウジキさん」と呼ばれ、「ショウジですが」と訂正するたび、声が低いからキレてるように思われるのか、それとも俺に愛想がないのか。一瞬だけ空気がピリつく感じが、非常に苦手なのである。
一浪するのではとヒヤヒヤしたが、どうにか合格を勝ち取り。第一志望の理系の学部に進学が決まり、上京。
受験勉強に集中し、気づけば筋肉はどんどん消えて行き……現在、腕立て、腹筋、夜は暇さえあれば地面を蹴るように走ったりと、日々トレーニングに励んでいる。
何事もサクサク決め、感情の起伏がないように思われがちな俺だが、無論、腹が立つことだってある。だが、偏見に酔う人間と張り合ったところで時間の無駄だ。
俺は無駄が嫌いである。
だから、そんな人間は相手にせず、心を無にしてさっさと去る。これが一番の対処法だと考えている。
だがそれは、無礼なことを俺がされた限りの話で。例えば、遊が……俺のイケメンの友達が、暴言を吐かれたとしたならば。ちょっと黙ってはいられない。
腕力で解決しようなんて、ダサい発想は浮かばない。しかし、遊の横から一つや二つ、物申してしまうのは確実だろう。
そんな俺を、遊は「ショウジ優しい!」と褒め慕ってくれる。たまに「ショウジのドSめ!」とも言ってくる。
どこが?言っておくが、俺はドSではない。
一応、バイトにも励んでいる。職場はイタリアンレストラン。というと聞こえはいいが、週末は家族連れで溢れるような、ファミリーレストランである。
忙しくなると店長がテンパって、俺を「ミヤモトくん!」と呼ぶのだが。途中から面倒になり、訂正せずにいたら……。
ホール担当の爽やか男子高校生が「ミヤモトさん!」と、俺を笑顔で呼ぶようになり。
非常に、気になっている。
ネームプレートをこすって【元宮】アピールをしてみても、全く気づいていない。
まあ、いいか。いや、いいんか?
「本社から社員が来るかもしれなくてね。増員の兼ね合いで、シフトは週二日でもいい?」
店長に面接で確認をされ、俺は了承した。授業や課題がどんなものか掴めてなかったし、週末のシフトに長く入られたらいいかなと。
だが、実際のところは『ミヤモトくん! 今日ヘルプに入ってくれない⁉』と、たびたび店長からメッセージが届き、ほぼ週三日になっている。
まあ、全然いい。
…………。
むしろ、ミヤモト呼びのほうが気になる件。
そんな俺は特に意識もしないまま、誕生日も出勤した。
「元宮くん、誕生日おめでとう!」
「え?」
どうやら店長、履歴書で俺の誕生日をチェックしていたらしい。お調子者だが、こういったところがマメである。そして、珍しく俺の名前も合っている(本来それが普通である)。
その後も、キッチンのおっちゃん、陽キャの先輩、パートさんから次々と「おめでとう!」と祝われて。
帰る前には店長から、ちっこいチョコレートケーキまで出してもらい。
甘党な俺は、非常に嬉しく。
なんだかとても、気恥ずかしく。
無論、気分は悪くなく。
そうして、ご機嫌に退勤した俺のもとへやってきたのは、ハッピーバースデーと歌う可愛い恋人……ではなくて。
「……どう見たって大学生だよね?」
ごつい腕時計を俺に見せつけ、赤いネクタイを鬱陶しそうにいじりながら、ツーブロックで俺をギラギラと睨みつけてくる、三十代くらいのスーツ姿の男だったのである。
「え? どなたですか?」
素で聞き返してしまった。それ以外の反応、ほかにあるかよって話で。見ず知らずの男が喧嘩腰で話しかけてきて、そのわりには丁寧に聞き返したのだが。
その男は俺の態度が気に食わなかったのか、道行く人が振り返るくらいの声量で、ド詰めをしてきたのである。
「ぺらぺらな体で、どうせ金もないんだろ⁉ よく俺と張り合えると思ったな!」
ほほう……。なるほどね。
むちゃくちゃキレている。身に覚えはないが、なぜだか俺に怒っていると。
だが、ひとつ言わせて貰おうか。
ひょろひょろがぺらぺらとか言ってんじゃねえ!俺のが胸板あるわっっ!
心を無にしてさっさと去る。それが俺の基本スタイルではあるのだが。
先ほどまで、ご機嫌にケーキ食ってたのになと。今日一応誕生日なんだけどと。なのに、ぺらぺらな体と罵られて(そこ)さすがの俺も黙っちゃいられなかった。
「どう見ても大学生の男に突っかかってきて、恥ずかしくないんですか?」
俺は人差し指で眼鏡を持ち上げ、低い声で問いかけた。
言い返してくるとは思わなかったのか、もしくは自分の行動を恥じたのか。男は徐々に声のボリュームを下げ始めた。
だが、何度も俺に指をさしてくる。指さしの時点で、非常に失礼である。
「俺に言えたクチか⁉ さくらをそそのかしておいて、恥ずかしくないのか⁉」
その名前を聞き、腹の底がムカムカして……。
俺は顔をそむけ、目の端で男を捉えた。目つきは恐らく、悪かっただろう。
またかよ。
俺がどんなに避けても、心を無にしても。
さっさと去っても、なんで関わってくるんだよ。
なんで俺とさくらは繋がってるんだよ。
その時————
どこからともなく、さくらが現れて。俺の腕に、無理やり自分の腕を絡めてきた。
「そんなに怒ってくれるんだあー! 妬いてくれるのか気になってたのー!」
モスキート音みたいなキンキン声で、さくらはそう言った。嫌悪感しか覚えず、俺はさくらの肩に手のひらをつき、そのまま自分の腕を引っこ抜いた。
「おい! さくらが転んだらどうするんだ!」
知らんがな。勝手に腕絡めてきたの、コイツだし。
「ショウジってさあ……」
キンキン声を封印したさくらは、イラついた表情で俺を見上げた。
昔からずっと、変わらない。さくらはずっと、変わらない。
謝らない。自分本位。横柄。
俺とは全く、そりが合わない。
「もっと可愛い弟が欲しかったわ。あんた、目つき悪いし」
男は驚いた表情をしたが、そのあと俺に視線を移しても、へらへらと愛想笑いを浮かべるだけで何も言わず。謝らず。
あろうことか、さくらと共にその場を去ろうとした。
去るのかよ、このまま。
何事もなかったかのように、去るっていうのかよ。
お前……さくらとそっくりだな?
「謝らないんですか?」
俺は声をかけてしまった。猛烈にイライラして、淡々とクールになんて、不可能で。
「さくらったら仕方ないよねえ? 俺を、どうやら妬かせようとしたのかな?」
「謝らないんですか? それとも、謝れないんですか?」
その問いに男は顔を真っ赤にして、俺を睨みつけてきた。
つまり、謝れないと。あんだけ突っかかってきて、あんだけ無礼な物言いをしておきながら、謝れないと。
そうか。
なるほどね。
「つまらないプライド掲げて謝れない姉貴とよくお似合いですどうぞお幸せに」
俺は早口に吐き捨てて、その場を去った。
男が何かを叫び、さくらがそれに同調するのが聞こえた。
だが、俺は振り返らなかった。そこに留まる必要がない。
——無駄だ。
俺は春が一番好きで、桜の花も好きだが、自分の姉貴であるさくらのことは、昔から好きになれなかった。
紛れもなく血は繋がっているのに、同じ屋根の下で過ごした時間など、俺にとっては無駄なものでしかなかった。
——家族と仲が悪い人って冷血そうだよね。ニュースでも事件になってるの、よく見るし——
高校二年の時。とある女子にそう言われて。
歩道で俺の隣を歩き、俺を見上げながら。映画の帰りに、楽しそうな笑顔を見せながら。「映画、面白かったね」と嬉しそうに言いながら。
悪気などなく、その子は言った。
俺はそれを聞き、ポケットに手を突っ込みながら歩いた。俺よりも遥かに小さく、男ならあれこれ妄想するような、綺麗な顔をしたその子の横を歩いた。
なるほどね。
俺は、その子がぶっ放した偏見を無表情に受け止めた。まあ、実際ニュースでは見かけるかもねと。だが、それが全てかと。家族と仲良しじゃなかったとして、そこまで飛躍するのかと。
とんでもねえな。
正直言って、面白くなかった。その子の偏見も、スローテンポなファミリー映画も、コーヒーにミルクとガムシロップを入れたら「クールなのに甘党なの?」と、残念そうな顔をして突っ込んできた言葉も。
俺の感情も、触れたがらない指先も、沸いてこない欲も、何もかも全てが面白くなかった。
つまらない。
すげえつまらない。
なんで俺、ここにいるんだ。何やってんだ、俺。
「へえー……俺、すっげえ家族と仲悪いんだけど?」
俺は目の端でその子を見下ろし、ものすごく感じ悪くそう言った。
途端に、その場が静まり返ったのを覚えている。いま思い出しても、ひどい態度だったと反省している。
だが、ではどうすればよかったのか。どうするのが正解だったのか。
解けない。
「元宮くんって、好きな子いるの……?」
その子が足を止め、俺も止めた。そして、その質問に俺は答えた。
「いない」
その子は隣のクラスだった。だが、俺のクラスでも人気があった。体育祭の委員で一緒になり、下駄箱で帰ろうと言われて帰り。何度か帰ったら「週末に出かけよう」と映画に誘われて。
俺は何の感情もなく、従った。ただ誘われたから、従った。
「元宮くん、好きな子いないんだ……?」
「いないけど」
その子は泣きそうになった。そこでやっと、俺は自分の態度の悪さに気がついた。だから俺なりに、その子をフォローするつもりでこう言った。
「俺のクラスでも、綺麗だって人気あるよ」
茶色く染まった髪の毛を耳にかけて、その子は目に涙を溜めながら、俺に聞いた。
「人気があるって、私がってこと……?」
「そう」
「だから、なに……?」
その子の頬に、涙が流れた。
「私、好きになった人には、好きになってもらえなかったよ?」
泣きながら、そう言われて。
俺は、告白されたわけでもないのに謝った。謝らない人間が俺は嫌いだから、咄嗟に謝った。
「ごめん」
「なんで今日来たの?」
「ごめん」
「私、帰る」
その子は帰って行った。
俺を残して、帰って行った。
偏見にまみれたその子の意見が面白くなく、苛立ったのは確かだった。
だが俺は、たったひとつのその発言が許せなかったわけではなかった。その子を好きになれない原因はほかにあると、どこか自分でもわかっていた。
わかってはいたが、追究しなかった。
そして、こう思い込むことにした。
——なんという難問なのだろうか。俺には永遠と、解けないようだ……。
毎晩、ベッドで強引に目を閉じた。
今日を終わらせよう。明日を迎えよう。
朝起きてシャワーを浴び、眼鏡を掛けて鏡を見るたび、自分の眉間にしわが寄ってることに気がついた。
だがそれも、淡々とクールに処理をした。
しわがあろうが問題ない。
解けないのだから、仕方がない————
背筋を伸ばし、俺は中庭のベンチから立ち上がった。
学食に行こう。遊が待っている。