婚約破棄されたら、顔面が好みすぎるイケメンを見つけました
煌びやかなパーティー。月明かりよりもシャンデリアの明かりの方が眩しい会場。
貴族たちの談笑が聞こえていた中で、それは起こった。
「見つけたぞ! 悪女レティシア・アルフェンヘイド! 僕の愛するシャルルを虐げ、暴漢に襲わせようとしたお前となんて婚約し続けられるか! だから僕は、この場を持ってお前との婚約を破棄する!」
「そうですか。では婚約破棄を承認します」
「ふん、今更泣いて乞いても───って、は? 承認? 承認すると言ったのか?」
「はい。レティシア・アルフェンヘイドはカール第2王子殿下との婚約破棄を承認いたします」
「「!!」」
会場内にざわめきが広がった。
突如として起きた第2王子による婚約破棄。この場において非があるのは第2王子であり、婚約者であったレティシアではないことは、当然のように皆が知っている。
常日頃から素行が悪く、養子となった平民上がりの男爵令嬢にコロッと騙され、婚約者であるレティシアをそっちのけで浮気をしていた第2王子に味方なんて存在しない。
だからこそ、この第2王子の婚約破棄は皆が眉をひそめ、レティシアを擁護しようしたが、当のレティシアは婚約破棄を撤回するように進言することはなく、むしろ淡々と婚約破棄を了承した。
そのことに周りは驚きを隠せない。しかし誰よりもレティシアの言葉を信じられないのは第2王子だった。
「は、は……? 承認だと? ならばお前はシャルルへの行いを認めるということだな!?」
「あ、それはごめんなさい。やってもいないことなので、罪を認めることはできません」
「嘘をつくな! シャルルを見てみろ! こんなに脅えて! お前には心というものがないのか!」
「そうは言われても……」
戸惑いがちにレティシアは言葉を発するが、この場の心の声はみな同じだったであろう。
『お前がそれを言うのか!!』
この言葉に尽きる。
そう思っていると、ふわふわした茶髪の少女がレティシアに声をかけてきた。
「レティシアさん、私、謝ってくれればそれで許します! 幸いなことに、私は無事でしたから。だからこれ以上、カールが怒らないうちに謝ってください!!」
「失礼ですが、あなた誰ですか?」
「えっ……」
「私のことを名前で呼ぶのは私のお父様とお母様、あとは私の友人たちだけです。私とあなたは今日が初対面のはずですよね? いきなり名前を呼ぶなんて失礼じゃありませんか?」
レティシアにはその少女に心当たりがなかった。しかし第2王子の怒りは買ってしまったらしい。
「なっ、シャルルを虐めていたのはお前だろう!? それなのにシャルルが分からないなんて嘘をつくな!」
「……ああ、あなたがシャルルさんですね。なるほど、なるほど」
「ようやく思い出したか!」
「いえ、殿下がお好きそうな大きな胸をしているなと思っただけです。顔はせいぜい中の上。まあ殿下は胸を軽く押し当てられるだけでコロッと落とせたんですから、そのお顔で十分なのでしょう」
レティシアの発言にシャルルは分かりやすく顔を赤らめ、屈辱からか体が震えている。
「っ、いくら殿下が私を好きだからって、そんな嫉妬は醜いんじゃないんですか?」
「まさか。初対面の方に嫉妬するほど、私は性格が悪くありません」
「嘘です! あなたは殿下のことが好きなんでしょ? だから私を虐めて、殿下を振り向かせようとしたんじゃないんですか?」
シャルルの物言いに、いい加減擁護に入りたい周りの貴族たちだったが、レティシアに視線で制され、ぐっと押し留まる。
貴族たちの間ではレティシアは完璧な淑女として有名だった。
アルフェンヘイド公爵家の一人娘として生まれ、努力家で頭脳明晰。淑女の鑑とまで言われるほどの礼儀作法。
そしてコーラルピンクの髪色とアルフェンヘイド公爵家の唯一無二と言われる紅の混じった金眼というあらゆる美を受け継いだ才女。
そんなレティシアが誰かを虐め、しかも婚約者である第2王子を引き止めるためにシャルルを暴漢に襲わせただなんて有り得ない話だった。
「───? なにやら誤解をしているようですね」
「僕たちが何を誤解していると言うんだ。僕たちは何も間違ってない!」
「そもそもの前提が違うんですよ。初めはこの茶番劇も楽しかったんですが、思ったよりも予想通りで飽きましたね」
レティシアはちらりと時計を見る。この茶番劇が始まってわずか3分足らず。しかしレティシアはこれに飽きていた。
(それにもうすぐ───)
レティシアは思わず頬が緩みそうになるのを何とか耐える。そして、第2王子とシャルルの言葉を片耳から片耳へと聞き逃していると、王族専用の扉から慌てた第1王子と国王がやってきた。
ふたりはレティシアたちを見つけると顔を青くし、普段の凛とした振る舞いからは考えられないほどの走りでやってくる。
「あっ、兄上、父上! 僕はレティシアと婚約破棄をして───」
それに気づいた第2王子は能天気にも手を振って声をかけようとするが、第1王子は第2王子の頭を掴むと無理やり地面に頭を擦り付けさせた。
「この愚弟が! よくもまあ、こんな馬鹿みたいなことを仕出かしてくれな!」
「レティシア嬢、どうか第2王子との婚約を───」
「痛いっ、痛いです、兄上っ!」
さらに混沌とした場で、レティシアは悠然と国王たちに近寄り、とびきりの笑顔で告げた。
「陛下、第1王子殿下。私、レティシア・アルフェンヘイドは婚約破棄をしかと承りました」
「そ、そんな! 頼む、レティシア嬢!」
「いくら陛下でも、これだけの貴族を前に、第2王子殿下の言葉を撤回させるのは不可能かと」
「だが……っ」
「ご安心ください。王室の所有するダイヤモンド鉱山のひとつを譲っていただくだけで構いませんから。それを慰謝料とし、それ以上は望みません」
レティシアから告げられた言葉に国王と第1王子は絶望した顔をする。それも当然だろう。
王室の所有するダイヤモンド鉱山は王室の財源の一つだ。それも2割を占めるほどの。
それを慰謝料として貰い受けると聞き、国王たちは青を通り越して顔を白く変化させる。
しかし事の重さを理解していない第2王子は第1王子の手を振りほどき、シャルルを抱きしめながら言う。
「別に鉱山の一つや二つ問題ないでしょう。それよりも僕たちの婚約を認めてください」
「っ、お前は何も分かってない! アルフェンヘイド嬢との婚約破棄による王室の打撃を!」
「あ、兄上?」
「ダイヤモンド鉱山は王室財源の1つであり、その価値は計り知れないものだ。そして、愚弟とアルフェンヘイド嬢の婚約により、私たち王室はアルフェンヘイド公爵家の後ろ盾を得て、影響力を大きくすることができていた」
「そうですね。うちは王室に匹敵するほどの財力と権力を持っていますから。ですが安心してください。反旗を翻すことなんてしませんから。ダイヤモンド鉱山を譲って下さりさえすれば」
「っ……」
第1王子は手を強く握り締め、国王に向き直った。
「……アルフェンヘイド公爵家にダイヤモンド鉱山を譲りましょう」
「───それしか公爵家との対立を回避する方法はないか」
「ええ。それにこの会話もこの国の貴族たちは聞いています。これ以上の騒ぎはさらに私たちに不利になります」
「いくら第2王子がアホだからといって婚約破棄しないと高を括っていた余の落ち度だな」
「陛下だけではありません。いくらこの愚弟が何も考えられない無能だとしても私の弟として、そして第2王子として国の利益になることくらい考えられていると高望みをしていました」
悲壮感たっぷりの二人だったが、自分たちの楽観視と第2王子のアホさ、馬鹿さに、もうどうすることもできないと気づき、レティシアに向き直り告げた。
「レティシア嬢に慰謝料として、王室の所有するダイヤモンド鉱山を譲ろう。そして此度の件、大変申し訳なかった」
「私たちの監督不行届のせいでアルフェンヘイド嬢に不快な思いをさせてしまった。愚弟を止めることができなかったことを謝罪させて欲しい」
ふたりは一臣下であるレティシアに頭を下げる。しかしこのことに貴族たちは驚きはすれど、起きたことの重大さ故に何も言わなかった。それほどまでにアルフェンヘイド公爵家の持つ力は大きいのだ。
「…………頭をお上げください。私は───」
「ちょ、ちょっと待ってください! さっきから一体なんなんですか! 私、レティシアさんに虐められて───」
「! 早く愚弟とその女を連れて行け!!」
「兄上!?」
「そんな、どうしてですか!」
ある程度収束を見せようとしていたとき、シャルルはレティシアの言葉を遮り、大声を上げて主張をする。しかしそれを第1王子が騎士たちに短く命じ、二人を連れて行こうとする。
ふたりは必死に抵抗するが、騎士の前では無意味な抵抗。そして遅まきながらも、ようやくこの場の空気を身に感じたようだ。
「あ、あ……」
国王と第1王子だけでなく、周りの貴族までも第2王子とシャルルを非難する目を向ける。その視線に当然ながら二人は耐えられるはずもなく、意気消沈する。
そして連れて行かれそうになるところを、レティシアは静かに止めた。
「すみません。少し待ってください」
「アルフェンヘイド嬢?」
「すぐに終わらせます。さすがに誤解されたままでは困るので」
首を傾げる第1王子を横目に、レティシアは騎士に腕を捕まれ、身動きの取れない二人を見る。レティシアはそのうちの一人、シャルルに告げた。
「私はあなたを虐めたことなんて一度もありません。それは国王陛下並びに我が公爵家が総力を上げて調べあげてくれるでしょう。ですので、あなたの虚言はすぐに明らかになります」
「……っ」
「それともうひとつ。私が第2王子殿下を好いているからあなたに嫉妬をして、あなたを傷つけようとした。そう言いましたよね?」
レティシアはほんの数分前のシャルルの言葉を思い出す。
「前提が違うんですよ。確かに、第2王子殿下は婚約者である私よりもあなたのことを好きになった。そして堂々と浮気をしていました。しかし───」
レティシアは一呼吸おいて、静かに告げた。
「そもそも私は第2王子殿下を好いておりません」
「!?」
「産まれる前から婚約者となっていて、15年を過ごしてきても、私は1度たりとも殿下を好きなったことはないのです。だから正直、あなたがいくら殿下と浮気しようが、殿下が私を冷たくあしらおうが、一向に構いませんでした」
なんの感情もなく淡々と。本当に第2王子に恋愛感情のひとつも持ち合わせていないとこの場にいる全ての人に理解させる。
「ですので、これだけは訂正を。私はそもそも嫉妬などするはずがないということを」
レティシアはそれだけを告げると、二人を捕まえていた騎士に目配せをし、彼らは会場を去った。
レティシアの最後の言葉に会場にいる全員は言葉をなくし、シンと静まり返る。それに気づき、レティシアは首を傾げる。
「あれ、どうしましたか?」
「れ、レティシア嬢は第2王子を好いてはおらんかったのか……?」
「はい。ですが、公爵家の一員として、この国の臣下として第2王子殿下がこのようなことをなさらなければ、お支えするつもりでいました」
「そうか……」
国王はそれ以上かける言葉が見つからないのか、グッと黙ってしまった。もちろん、隣で聞いていた第1王子も同様だ。
「……どうやら陛下と第1王子殿下を困らせてしまったみたいですね。ですがこの貴族社会において政略結婚は当たり前です。ですので、あまりそのことに対して責任を感じませんよう」
「ありがとう、レティシア嬢。……すぐにダイヤモンド鉱山の権利を譲渡できるように手続きを進めよう」
「ありがとうございます、陛下」
そうして第2王子による婚約破棄事件はわずか10分足らずで終結した。
その後、何事も無かったかのようにパーティーは再開された。先程までは誰も何も話すことができなかったあの場も今では談笑、ダンスの場として活用されている。
(貴族ってやっぱり神経が図太くないとやっていられないものね)
一方レティシアはそれを一瞥し、近くにあった飲み物を手に取ってテラスへと出た。
誰もいないテラスは夜の暗さとその中でも輝く月だけが存在している。夜らしい、ひんやりとした涼しい風は少し熱を持っているレティシアの肌を冷ましてくれる。
テラスに用意されているふたり用のソファーに座り、レティシアはグラスを傾けながら先程のことを思い出していた。
「まさか第2王子がこんなにも早く婚約破棄してくれるなんてね」
あの婚約破棄事件はレティシアが望んだものだった。
レティシアは生まれながら、美しいものを見ることが大好きだった。
宝石や美術品、そして人。
美しいそれら全てはレティシアの心を動かし、心を穏やかにしてくれる。とりわけイケメンが好きだった。
だって生まれてすぐに見た顔が国1番の美貌を持つと言われる両親だったのだ。
当然のようにレティシアは美しい顔は心を穏やかにさせ、世界を救うと思って生きてきた。
それなのに生まれる前から王室によって決められていた婚約者である第2王子はレティシアの目から見てイケメンではなかった。せいぜい上の下。金髪が目立つただの第2王子だった。
おまけに頭も悪く、性格も悪い。世界は自分中心で回っている勘違いしている馬鹿な第2王子だ。
そんなやつとレティシアは死んでも結婚なんてしたくなかった。第2王子と結婚するなら一生独身でいたいくらいだ。
だからレティシアはこの婚約を無かったことにしようとした。
とはいっても公爵家から婚約を解消するように進言することはできない。婚約破棄はしたいが、なにもレティシアも公爵家も王室と対立したい訳では無い。
そして王室は公爵家との婚約を意地でも解消しない。なぜならアルフェンヘイド公爵家という後ろ盾があるだけで、権力は大きく増大し、他国からも一目を置かれるからだ。
しかし幸いにも第2王子はレティシアが何かをしなくとも勝手に好みの体型を持つシャルルを見つけ、人目もはばからず浮気し始めた。
それに気づいたレティシアは当然のようにそれを放置した。わざわざ止める理由もないし、止めてしまっては意味がない。
レティシアはこのまま上手く行けば第2王子のほうから婚約破棄してくれるのではないかと期待していた。
アルフェンヘイド公爵家が持つ権力の大きさも王室の事情もないも知らない無能な王子。世界は自分を中心に回っていると思っている、そんな第2王子だからこそ彼はシャルルを選び、レティシアを捨てると思っていた。
レティシアからすればそれはとても嬉しいことだ。それに最近はダイヤモンドの美しさにも魅入られていたため、ついでに慰謝料として王室のダイヤモンド鉱山も貰おうと思っていた。
そして結果として第2王子はレティシアと婚約破棄をした。
おかげでダイヤモンド鉱山も手に入り、レティシアはウハウハだ。
「お父様もお母様も黙認してくれて良かったわ。まあ、2人とも王室との関係は維持したいけど、私と第2王子の婚約は反対していたから。結果として2人にもいい事づくめってことね」
損害を受けた王室からすればたまったものじゃないだろうが、レティシアと第2王子の婚約を決めた時点で王室の損害は決まったようなものだった。
「なんて素敵な日なのかしら。ついでにお酒にも酔えたらいい気分なのに……」
生憎とレティシアは酒豪一族の生まれだ。パーティー用のアルコールでは酔うことすらできない。
「でも、重い鎖は無事に外れて私は晴れて自由! またイケメンを見つけて投資しちゃお」
飲み物を飲みながらレティシアは今までのイケメンたちを思い出す。
レティシアが見つけるイケメンは大体が孤児または貴族の望まれぬ子だった。そんな彼らをレティシアはイケメンというだけで公爵家の持つ財力を湯水のように注いだ。
天はやはり二物を与えているようで、レティシアが目をかけるイケメンは皆、何かしらの才能を持っていた。芸術に秀でたイケメンや音楽の才に恵まれたイケメンなど。
結果としてレティシアの名声はさらに上がり、ただでさえお金持ちの公爵家にさらにお金が大量に入ってくることとなり、レティシアは構うことなくイケメンに投資し続けた。
「次はどんなイケメンに会えるかな〜」
とっても上機嫌で鼻歌でも歌い出しそうだったレティシアだったが、突然テラスの扉が空く音がして一瞬にして頭が冷静になる。
テラスは基本そこに誰かいればそのテラスには出ないというルールがある。
今このテラスにはレティシアが先客としていた。まあ座っているソファーの位置的に中からは見えずらい位置にあるため気づかれなくても仕方がないと言えば仕方がない。
レティシアは何気なく入ってくる人物を見て、「ここは私が使っています」と声をかけようとした。
しかしできなかった。
代わりにできたのは目を大きく見開き、グラスを持っていない方の手で口元を押え、息を潜めることだけ。
「……っ」
レティシアは極力気配を消してまじまじと入ってきた『イケメン』の顔を見た。
艶やかな黒髪は夜空の下でも月明かりにより存在を示していて、真紅とも言える赤い瞳は鋭く、氷のように冷たい気配を感じる。
耳の辺りで切りそろえられている髪は左耳に僅かにかけられており、とてつもない色気を醸し出していた。
なによりも顔面の一つ一つのパーツの配置に全くの無駄がない。これ以上ないほどに完璧にそこに位置していた。
レティシアが今まで見てきたイケメンの中で1番のイケメンであり、顔面が好みすぎるイケメンだった。
レティシアはその美しさに見蕩れてしまい、声を出すことは愚か、指一本も動かせそうにない。けれど意地でグラスを近くにあるテーブルに音を立てないようにして置く。
そうしていると彼はテラスの端まで移動し、手すりに体重をかけるように前のめりになった。
「……全く、面倒だな。女は」
声までイケメンだった。
「やたらとくっ付いてくるし、気持ち悪い……。盛ったサルの集団か?」
うん。口は思ったよりも悪かったが、イケメンなら仕方ない。それにここに来るまでに随分と令嬢たちに擦り寄られたようだが、あの顔面を見逃す女など存在しない。
「大体このパーティーもいい加減、婚約者を見つけろといううるさい老害たちのせいで仕方なく来ただけだ。なのについさっき来たばかりだというのに女どもは煩いし、香水の匂いがキツいし……」
随分と鬱憤が溜まっていたようで彼の口からは罵詈雑言が止まらない。
(イケメンだからこの口の悪さも全然容認できるけど、イケメンじゃなかったら馬糞でも投げつけられてそうな口の悪さだわ。まあ、イケメンに生まれたからこそ、こうしてストレスも溜まって口も悪いんでしょうけど)
レティシアは声をかけるタイミングもすっかり失い、とにかく今はひたすら気配を消すことに集中していた。
(それにしても、こんなに私の好みどタイプすぎるイケメンなんて国内にいたかしら。黒髪に赤い目なんて特徴すぎて一目見た瞬間に忘れないと思うんだけど……)
これでもレティシアは国内の有数な貴族の顔と名前は覚えている。本当はイケメンだけを覚えていたいが、公爵家として生まれたため仕事の関係上、イケメンじゃない人間も覚えなければいけなかった。
(それとも国内の人じゃないのかしら)
このパーティーは元々王室が主催したものだ。だから国外からの有力貴族も来ることは来る。
「何が婚約者を見つけるまで帰国できないだ。国に盛ったサルしかいないのが問題だろ」
どうやら彼は国外から来たお客さまのようだった。そして目的は婚約者探し。
(なーるほど。好みの令嬢が居なかったから国外にまで来たのね)
「もうこの際、誰でもいいか? いや、だが下手に婚約者にして騒ぎ立てられるのも面倒だな」
口元を手で押えながら彼のつぶやきを聞いていると、ふいに彼は後ろを向き、背中を手すりに向けるように姿勢を直した。
さて、レティシアは今、テラスに用意された2人用のソファーに身を小さくしながら座っている。いくら入口からソファーの場所が見えずらい所にあっても、テラスに入り、振り向かれてしまえば当然レティシアの姿は見つかる。
そして彼もまた、このテラスには誰もいないと思い、ひとり楽しく愚痴大会を開いていた。少し体勢を変え、手すりに背中を向けてしまえば、今まで視界にも入らなかったレティシアの姿が嫌でも目に入る。
「───あ」
「はっ!?」
そしてお互いはお互いを認識してしまった。
「お、お前いつから……」
完全に見つかってしまってはレティシアも流石に黙ったままではいられない。レティシアとしても彼の罵詈雑言を聞いてしまっていた後ろめたさがあるため、ソファーから立ち上がり素直に挨拶をした。
「こんばんは。私はレティシアと言います。ここで一人涼んでいました。ちなみに先にこのテラスを使っていたのは私です」
「…………ということは、俺がそれに気づずにマナーを破ってしまったということか」
「私もあなたが入ってきた時に言えばよかったんですが、その、ちょっとタイミングを見失いまして」
「聞いてたんだろ。俺のひとりごと」
こうして向かい合ってみるとさらに顔面が好みすぎることに気づく。しかしそれよりもこの場をどう切り抜けるかが大事だ。
いくら目の前に好みのイケメンがいたとしても、このなんとも言えない気まずい空間の中に居続けるのは少し心苦しい。
「えーっと、はい。でも、このことは───」
「おいお前。確かレティシアとか言ったな」
「あ、はい」
「ふむ。顔は……今までに会った女の中で一番だな」
(あなたも私の今まで会ったイケメンの中で一番のイケメンよ)
彼はレティシアの顔をじっくりと観察するといくつかの質問をした。
「婚約者はいるか?」
「え?」
「質問に答えろ」
「……いませんけど」
「好きなやつは?」
「いません」
「一人でここに来たのか?」
「まあ、そうですけど」
一体なんなんだろう。レティシアは上から目線の態度の彼に辟易してしまいそうになる。顔が好みのイケメンじゃなかったら即刻さよならしている所だ。
「───最後に、俺がもしお前に求婚したらどうする?」
「は?」
「答えろ」
そんなの一発OKに決まっている。けれど、顔が好みと言うだけでなんの確認もせずに婚約するわけにはいかない。
レティシアは優秀な頭脳で高速に頭を回転させる。
そうしていると彼はふいに笑った。
「!!」
その笑みは間違いなく国をも傾かせる笑みだった。多くのイケメンを見てきたレティシアでなければぶっ倒れているレベルだ。
「思った通り、お前は今までの盛ったサルたちとは違うみたいだな」
「……それはどうも」
「話の通じそうな女は久しぶりだ。そこでだ。是非ともお前に頼みがある」
彼はそう言い、レティシアへと歩いていく。あとわずか一歩の距離というところで止まり、そのあまりある美貌を持ってレティシアに頼みをした。
「どうか俺と婚約してほしい」
「……え?」
「ああ、もちろん。期限は設けるさ。あくまで見かけだけの婚約をお願いしている」
すぐさま頷きたくなるのをこらえて、レティシアは必死に自分自身を止める。
「…………突然そのようなことを言われても返事はできません。そもそも、私はあなたのことを知りませんし、あなたの願いを聞いても私に利益は何もありません」
「では何が望みだ? お前の望みを叶えてやる」
「なおさら理解ができません。そこまで私の望みを叶えられると自信満々に告げるのならば、ご自身の願いくらい叶えられるでしょうに」
いくら相手がイケメンでも、レティシアはこの国の筆頭公爵家の娘。国外にも名を轟かせる貴族の一員だ。
ホイホイと着いていくようなマヌケじゃない。
「……ふむ。確かにお前の言う通り、俺は力を持っている。が、さすがにできないこともある」
「私の願いは叶えられると?」
「ああ。不老不死とかいう形のないものでなければな」
それはつまり、形のあるもの、お金で買えるもので手に入らないものはないと告げているようなものだ。
「随分と下に見られているようですが、私の家門にもそれなりの力はあります。お金で買えるものなら私にも買える」
「金で買えるものねえ? それを言われてはこちらとしても強く出られないな」
「なら───」
「だが、明らかにこちらの方が上だという確認は持てる」
彼はそう言い、胸元のポケットからひとつのブローチを取り出した。それを見た途端、レティシアは目を見張った。
「!?」
そのブローチは彼の瞳のように赤い宝石が埋め込まれていた。しかし、あれほどまでに純度の高い澄んだ赤い色の宝石は滅多にお目にかかれない。
しかも、隣国の、アビアゲイル帝国でしか採れないされる幻の宝石ならばなおさらだ。
「その反応を見る限り、この宝石については知っているようだな」
「……『皇帝の雫』と言われる宝石ですね」
「そうだ。そこまで知っているなら、俺がこれを持っている意味が分かるだろう?」
「…………っ」
あの赤い宝石は『皇帝の雫』と呼ばれる宝石で、隣国アビアゲイル帝国で採れる幻の宝石で、皇族のみが持つことを許されるもの。
つまり、レティシアの目の前にいる彼はアビアゲイル帝国の皇族ということになる。
「……まさか、皇族の方とは知らず、無礼な態度をとってしまい申し訳ありません」
いくらレティシアが筆頭公爵家だとしても、大国であるアビアゲイル帝国の皇族に無礼な真似などできるはずもない。
「そうだな。それに加えて言えば、俺は第1皇子。皇太子立位が決まっている人間だ」
「! なぜそのような方がここに」
「俺の話を聞いていたなら分かるだろ? そろそろ周りが婚約者を作れとうるさくてな。かと言って国内の女たちは盛ったサルのように付きまとい、挙句の果てに寝室にまで忍び込もうとする始末だ」
「それは、なんともご愁傷さまな話ですね」
寝室にまで入られそうになったことがよっぽど堪えているような表情だ。おもわず同情してしまいそうになる。
「周りはうるさいし、女は盛ったサルで話にならない。だから国外で探すことにした」
「それでこのパーティーに?」
「ああ。隣国と言えど俺が第1皇子だと知っているのは数える程度しかいない。皇子だと知ると擦り寄ってくる女ばかりだったからな、皇子でなければと思ったんだが」
「予想を裏切り、追いかけ回されたと」
「そういうことだ」
憂いたような表情すらもイケメンの彼には悪いが、令嬢たちは身分関係なしに彼を追いかけ回すだろう。なんなら、自分よりも身分が高ければ玉の輿に、低ければ囲い込めると思って追いかけ回している。
「……令嬢たちはあなたの身分を知らなくとも、あなたの美貌を狙って追いかけ回します。それこそ、皇子なんて関係なく」
「そういうものなのか?」
「そういうものですね」
「なら、お前も俺の顔に見惚れたのか?」
「…………さあ、どうでしょう」
はぐらかそうとしたが、恐らく彼に誤魔化しは効かない。だってレティシアの答えを聞いて面白そうに笑みを浮かべているのだから。
「そうかそうか! ならこうしよう」
彼は名案とばかりに指をパチンと鳴らし、レティシアに告げた。
「俺の期間限定の婚約者となってくれるのなら、その間、好きなだけ俺を見ていられる。もちろん婚約者としてお茶会にも参加してやるし、パーティーでも婚約者としてお前の望む服で参加してやろう」
「……!」
どうだ? と聞いてきた彼はレティシアの答えなんてもう分かっているようだ。
しかし実際彼の言うとおり、レティシアは重度のイケメン好き。そして目の前の彼は好みのイケメンだ。
そんな彼を好きなだけ見ていられて、好きなように着せ替えができる。なんなら婚約者である間なら好きなだけ独占できる。
傍から見ればなんの利益もなさそうに見える提案だが、レティシアからすれば利益しかない話だった。
「……わかり、ました。あなたの提案を受けいれます」
「賢明な判断だ。それとひとつ言っておくが、そんなに簡単に頷くのは危機感が足りていないのでないか?」
「生憎と、危機感なら足りています。それにあなたが私の婚約者となるならば、あなたも私に対して危機感を持った方がいいかと」
「……? どういうことだ」
彼も身分を隠していたが、レティシアだって身分を明かしていない。彼はレティシアをこの国の伯爵令嬢程度だと思っているようだが、生憎とこの国の筆頭公爵家の娘。他国にも影響力のある公爵家の一人娘だ。
いくら彼が皇太子立位が決まっている第1皇子だとしても、レティシアを敵に回すことは賢明な判断ではない。
「では改めまして。私はレティシア。アルフェンヘイド公爵家の一人娘であり、つい先程、婚約破棄されたばかりの公爵令嬢です」
「アルフェンヘイド! お前があの間抜けな第2王子の婚約者か! 」
「違います。『元』婚約者です」
「ふーん、なるほどな。確かに、アルフェンヘイドを敵に回すのは厄介だが……」
何を思ったのか、彼はレティシアとの距離を詰め、腰に手を回して抱き寄せた。
「え、ちょっ……!」
「レティシア嬢」
「ひゃ……っ」
彼はレティシアの耳元で優しく囁いた。
「どうか婚約者となり、俺の力になってくれ」
「こ、声が……っ」
「頼む、レティシア」
「〜〜〜っ」
視界への耐性があっても耳への耐性は流石のレティシアにもなく、呆気なく陥落してしまった。
「わ、わかりました〜〜っ」
「ふ、ほらやっぱりチョロい」
(くっ、このイケメンめ!)
己の武器を最大限まで使ってレティシアを攻撃するとはなんて卑怯なイケメンなんだろう。あんな攻撃、耐えられる方がおかしい。
しかし頷いてしまった以上、それに隣国の第1皇子からの求婚ということもあり、レティシアにはこれ以上為す術はない。
「……はあ、テラスに出たのが失敗でした」
「そうか? こちらは当たりだと思ったが」
「確かに顔は私の好みです。でも、あまりに大きな魚は身を滅ぼしかねないというか……」
「謙虚だな。お前は婚約期間、好きなように過ごすだけでいい。もちろん金も好きなように使え。女避けの報酬だ」
金ならレティシアにだってある。
「イケメンはやっぱり見ているだけにするべきですね。下手に介入するのは良くないです」
ため息をついてしまうが仕方がない。しかし、結局こうなったのはレティシアの選択の末だ。今更どうこう言うものじゃない。
「けれど、あなたの求婚に頷いてしまったのですから、アルフェンヘイド公爵家のレティシアとしてあなたの婚約者になります。そして───」
レティシアは未だに腰を掴んでいる彼を見上げ、彼の胸元を掴みあげた。
「しっかりと私の着せ替え人形になってください。イケメンはイケメンらしく、ね」
「他国の皇子に対して随分と強気な発言だな」
「あら、婚約者となったからには私とあなたは対等な関係のはずです。それと、私は既に一度婚約を解消している身。二度目の婚約解消は構いませんが、できればその時に結婚相手を探して貰えると嬉しいです」
「……まあ、そのくらいはしてやるつもりだったさ」
彼の発言を聞き、レティシアはパッと手を離した。
「ならいいです。それで、いつ頃この婚約を告げに行くんですか?」
「今だ。婚約者がいれば寄ってくる女も減るだろうし、周りも静かになる。けれど、お前の方は問題ないのか?」
「問題と言うと?」
「今日婚約破棄されたばかりで、また今日新しい男と婚約をする。淑女としてはどうなのかと思ってな」
「ああ、そのことですか」
レティシアはクスリと笑う。
「あれは私に非はありません。それにアルフェンヘイド公爵家が隣国の、それも第1皇子と婚約するとなると、誰も反対なんて出来ないでしょう。あと、お父様とお母様は私がイケメン好きなことを知っているので大丈夫です」
「なら、さっさと周知させるか」
「あ、そういえばあなたの名前は?」
「……お前、第1皇子の名前を知らないのか?」
呆れたように呟かれたそれにレティシアは堂々と頷く。それにさらに呆れたような表情をするが、彼はため息をついて、自身の名を告げた。
「俺の名前はアルシオンだ」
「アルシオン……。では、これからはアルシオンさまと呼ぶことにします」
「……好きしろ」
「はい」
* * *
レティシアはあの後、国王にアルシオンに求婚され、婚約者となったことを告げた。国王たちはレティシアが国外に行くことを渋っていたが、第2王子の件もあり、思ったよりもスムーズに承認してくれた。
そしてレティシアは家族にこのことを告げたが、アルシオンの顔を見た途端にすぐに承認してくれた。やはり、レティシアのイケメン好きを知って承認してくれたようだ。
まあ単純に第2王子よりも優良物件だと思い、婚約を承認したと思うけど。
あと、レティシアの元婚約者である第2王子は王位継承権を剥奪され、今は塔に幽閉されているようだ。まああれだけのことをしてしまったのだから仕方ない。
第2王子に取り入ったシャルルは国一番と言われるほどの厳しい修道院に入ることなった。平民に戻されることも案として出されたようだが、修道院で一度教育され直した方がいいと意見が上がり、修道院行きになったようだ。
そしてレティシアは───
「ああ! また私の選んだ服じゃない!」
「服なんてどれも同じだ」
「違います! アルシオンさまの色に合わせた特注品なんです!」
「またそんなことに金を使って……。お前のパーティードレスは用意したのか?」
「クローゼットに入っているのから適当に選びます。それよりも───」
「そんなことよりもお前のドレスを作りに行くぞ」
「あ、ちょっと待ってください!」
何だかんだアルシオンと仲良くやってるようだ。
帝国に来たばかりのレティシアはよそ者の自分は受け入れられるのに時間がかかるだろうと思っていたが、案外すんなりと受け入れてもらえた。
アルシオンがようやく結んだ婚約の相手ということと、アルフェンヘイド公爵家の人間ということであっさりと認められたのだ。
「アルシオンさまが言ったんですよ。好きに金を使えって」
「だからといって自分のドレスを後回しにしてまで俺につぎ込むやつがあるか。程々にしろとあれほど言っただろう」
「無理です。イケメンに貢ぐのが私の生き方です」
「……はあ、なら次のパーティーにはお前が選んだ服で参加してやる。どんなのでも着てやる。だからお前も次のパーティーのためのドレスを作れ」
アルシオンは頭が痛いと言わんばかりに頭を押える。そんな姿もイケメンだと思いつつ、レティシアはアルシオンの言葉に目をきらきらさせた。
「えっ、じゃあドレス作ります! ちょうど着て頂きたいデザインの服があるので!」
レティシアは楽しみを見つけたと言わんばかりに楽しそうに話をする。
「お揃いにしましょうね!」
「! そうだな、レティシア」
「はい!」
皇宮内は今日も明るいレティシアの声と、それを見守るアルシオンの姿で満ちていた。
そして、二人が帝国の歴史上、最も仲の良い夫婦として知られるのはまた別の話───