激燐烈譚
「真冬の花火企画」参加短編です。
お楽しみ頂けたら幸いです!
ぱしゃり。
命知らずが居たものだな、と、自分のドレスを赤く染めたワインを見下ろしながら、リザは扇の下でほくそ笑んだ。
「リ、リザ様が!レイティア様を…害されるから…!」
目の前に立つ、己にワインをかけた人物に視線を向けて、リザは笑いを消した。ぶるぶると震え、涙ながらに訴える金髪の王女殿下をつまらなさそうに見下ろしながら、さて、不敬にならない範囲で、どうしたものかと反撃を考えていれば、背後からくすくすと意地の悪い囁きが聞こえてくる。
「王女殿下にまで御不興を買ったのね…!」
「権力を盾に、リザ様ったらやりたい放題ですから…」
「王女殿下は、聖女様のことを、殊の外、尊敬されていらっしゃいますからね…!」
くすくす、ねっとりと絡み付く声に、忌々しげに舌打ちかけて、嫣然と微笑む方に舵を切る。苦々しげな表情を期待されいてるのであれば、笑顔こそが一番の武器。
嫋やかに扇を開いて、ひらひらと、ワインをぶちまけた女性の背後を手招く。
「アイゼン侯爵?恐れ入りますが、王女殿下は、少々お酔いになっているようですの」
目の前のワインをかけた、まだ幼さの残る王女殿下も、その取り巻き達も、一斉に顔が蒼白に変わる。
己の態度を不敬と取られなく、最大限にダメージを与えるなら、この年代の女性には恋や憧れを潰すのが一番だろう。
目下、王女殿下の降嫁先としても最有力とされている、全女性が憧れの、今シーズン一の高嶺の花。
花婿争奪レースの頂上に君臨する美貌の君が、いないはずのこの場にいることに、迂闊な王女殿下をはじめとして、妙齢の女性達が、震えだす。
おびえているのか。
畏れているのか。
彼の性格を鑑みれば、尤もだ。
元々王からも信頼厚く、皇太子の盟友でもある若き侯爵は、花婿カーストの頂点にいるとはいえ、選ばれる側ではなく、王女殿下ですら、選ぶのは彼の側なのだ。
そして、高潔な彼からすれば、卑劣な言動を繰り返す彼女達は、いかに王女殿下であろうとも、高位の貴族であろうとも、選ぶ価値のない相手だとインプットされたことだろう。
元々歯牙にもかけられないであろうに、それでも高望みをやめられない彼女達にもたらされたものは絶望であろう。
曲がりなりにも貴族の端くれ。時勢を読めない言動を繰り返している娘達であるとはいえ、優良物件に目をかけられるチャンスをふいにしたともなれば、家での立場でも悪くなるのか。
喧嘩を売る相手を選ばないからこうなるのだ。
情報と、人脈。
この二つは、我を通す時の武器だ。
リザは、アイゼン卿が今、喉から手が出るほどコネクションを作りたがっている人物が、本日ここに来るかもしれないと、アイゼン卿の耳に入るよう何人かのおともだちに囁いていた。そうすれば、彼は、下位貴族の大きくもない夜会に現れ、リザを探すこともある。
そんなことも把握も想像もせず、愚かにも挑んでくるから、返り討ちをされるのだ。
聖女も一緒だ。
こんな小物達に嘆いたふりをして煽って。
夜会で心酔する王女殿下を唆してリザにワインをかけさせて。
見え見えの背後に、愚かとしか言いようがなく溜め息を呑み込んだ。
そんな愚か者が何人も王政、貴族制度の頂点近くに蔓延っているのが、今のこの国の現状だ。
とはいえ、己のなすべきことを曲げないと決めているリザにとっては、そんな人物がいようがいまいが、邪魔であれば蹴散らし、無害であるなら捨て置く。
それだけの話だ。
まぁ、今回の子供の悪戯には、今のほんのちょっとした報復以外に、三倍以上熨斗をつけてお返ししようとは決めているが。
赤ワインを浴びた以上、夜会にはもう用はないとばかりにくるりと身を翻すと、リザは、テラスから中庭に降りて帰るためすたすたと歩き出した。
エスコートしてきた兄は、羽を広げて楽しんでいるようだし、私一人が居ようが居まいが、今回の夜会は何も影響がない。
闘いの幕は明けてもらったし、リザにとってももう用無しだ。
テラスへ出て、明るい場所から、夜の闇へ急に出てきたせいで、失った視界に目を慣らしていると、ふいに頭上から明るい声が聞こえてくる。
「あれぇ?!もうお帰りですか?お嬢様」
「そのわざとらしい声をやめて、ハル」
「あはは。相変わらず、そっけないねぇ」
「あなたに優しくする必要を感じないわ」
「いつか困窮した時に、魔法使いが助けてくれるかもしれない」
黒髪に、白や金銀などメッシュを入れた長髪を雑に結った髪型の、見るからにちゃらちゃらした男が、ふんわりと箒に乗ったまま、リザの前に浮かんで並走してくる。
もちろん、そんな人が付いてきたところで、リザが立ち止まるわけもなく。
すたすたとテラスの端から、中庭へと歩き降りていく。
「赤ワインをぶっかけられたんだって?」
「見ていたんでしょう?聞くまでもない」
「相変わらず無理無駄が嫌いだねぇ」
「あなたが、私にとって有益なら、時間を取りますわ。では、また、ご機嫌よう」
去っていく赤く染まった、黄色のドレスの後姿を、ハルは眩しそうに見つめる。
「ははっ!変わらないなあ…。合理的で。魔法を信じてなくて。魔法使いに魔法を求めないところ…。本当に。変わらなくて、嫌になるよ…」
天高く箒で舞い上がると、馬車に乗り込むリザの姿を見送ってハルは森の方へと飛び去った。
郊外の森の塔に戻り、ベッドだけが置かれた簡素な寝室に窓から飛び込む。髪の毛をほどいてばさばさと乱すと、何も置かれていない部屋に似つかわしくなく、一枚だけ壁に豪奢な額縁の額装をして、飾られている肖像画に近づいていく。
「ねぇ、リザ。何度生まれ変わっても、君は君で。僕は魔法使いのままで。魔法を使わせてももらえない。君を幸せにしたいだけなのにね…」
ベッドに仰向けに倒れこむと、両腕を目の上で組み、静かに夜の闇へと溶け込む。
もう何千年も、繰り返してきた独りだけの静かな夜だ。
悠か昔。
ハルがまだ王国に雇われた魔法使いだったころ。
リザに恋をして手に入れた、膨大な魔力。
そのあと、リザは、王子に恋をして。王子もリザに恋をして。
恋に破れた哀れな魔法使いは、恋と引き換えに、更に膨大な魔力と時間を手に入れた。
魔力とは、人外の力だ。
力を手に入れれば、入れただけ、理を外れることとなる。
そして、魔法使いが減り、偏屈で、風変わり、独り塔に篭った魔法使いと言われる今尚。
ハルは何度でも生まれ変わるリザを探して、世界中を飛び回っている。
この、暗く静かな、誰も踏み入れない森の奥から。
今回のリザは、今まで以上に、合理的で、自分の正義を曲げない少女だった。
あの性格では、苦労するだろうと思って、幼い頃から見守っていたが、敵も多い分、味方も多いのか。
何度も手を差し伸べようとしても、ことごとく断られて、今に至る。
ハルにとっては、それはそれでもいいのだ。
自分が持っている力を使って使わなくても。
リザが幸せであれば。
リザの幸せをただ見守って次のリザを待つ。
それが、何度も何度もリザの生を追いかけて来た、ハルの今の幸せだった。関わってみたこともある。でも、関わりすぎると、別れが辛くなる。魔法を使って助けられないことも、もどかしくなる。
魔法を望まない彼女と、魔法使いのハルにとって、今適切な距離は、これぐらいなのかもしれない。
「また来たの?暇人ね」
リザは、目の前に降り立った魔法使いを見もせずに、目の前の助けた少女へと手を差し伸べている。
手を差し伸べられた少女は、怯えたようにリザとその手を交互に繰り返し見ている。
伸びない手を焦れたのか、リザは更に一歩踏み込むと、池の端に尻もちをついている彼女の手を握り、力の限り引き寄せた。
「手伝おうかぁ?」
「結構よ」
ハルとリザの受け答えから、どうあっても、リザが己の手で自分を助けるつもりだと悟った盧か、座り込んでいた少女も慌てて、脚に力をこめて立ち上がる。
新しい聖女と言われている少女は、既に持て囃されていた聖女と王女殿下から執拗にいじめを受けていると、風の噂を聞くまでもなくそこら中で話題になっている。
悪役令嬢さながらに、王女殿下や聖女への態度で断罪されて、婚約破棄をされたリザが彼女を庇っていることも。
それでも、ハルは助けを申し出なかった。
拒否されるのが、分かっていたからだ。
リザは、決して自分のための魔法を望まない。
評価を変えることも。
以前の聖女を害することも。
プラスもマイナスも、自分の行動だけで良いと、何度生まれ変わっても言い続ける彼女が、もしかしたら、新しい聖女を助けるためなら、と声をかけてみたものの、変わらない彼女に、どこか安心する気持ちもあり、ハルは、箒を取り出すと、彼女達を見下ろしてふわふわと飛び回った。
新しい聖女へ媚びているのだとか。
婚約破棄をされたからだとか。
色々と言われているのは知っているが、リザの中では、婚約破棄の前も後も、基準は変わっていない。
気に入らない相手だから、王女殿下でも、陥れたし、その報いが婚約破棄だというのであれば、受け入れるだけだ。
そして、新しい聖女は、そんな自分にハンカチを差し出してくれた。
それだけで、リザが彼女を庇う理由ができたから、恩を返している。
それだけのことで。
「彼女と君のドレスの汚れを落としてあげようか?」
頭上から降り注ぐハルの申し出も、すげなく却下する。
「要らないわ。魔法は、代償なく無限に使える力じゃない、でしょう?ドレスの汚れぐらい、気にしないし、馬車にこのまま乗って多少汚れたところで、公爵家の人間は誰も気にしない。街でそのままドレスを買ってもいいし、家までいって、彼女共々着替えたところで別に問題ない。自分でできることは自分でするわ」
自分で出来ること以外には手を伸ばさない彼女は、淡々と新しい聖女の手を引き、あっさりとハルの方へとひらひらと手を振る。
歩み去っていく変わらない彼女が。
このまま変わらないままでいてくれればいい。
自分の思うままに。
自らの手と足で。
婚約を破棄されても、楽しそうならそれでいいし、彼女の思う正義を貫けばいい。
そんなことを言えば、リザは、鼻に皺を寄せて、正義なんかではないと、全力で否定してきそうだけど。
己の心の天秤が傾く方に進むことは、己の正義を貫くことだ。
そして、彼女の正義を守ることが、ハルの正義だ。
阻害するやつらは、そっと、ハルが排除してしまえばいい。
馬車の向こう側の森へと箒で先回りをして、待ち伏せているごろつきたちを見下ろす。あまりにもありきたりなテンプレートな展開につい、笑ってしまいそうになる。
新しい聖女が驚異で、それを庇うリザが邪魔だから、二人まとめて始末しようだなんて。
指先一つで、彼らを昏倒させると、ゆっくりと馬車の上を旋回する。
ごろつきは王女殿下の居室にでも送り込むか。
いや、それではリザに魔法を使ったことがばれそうだから、ごろつき達に王女殿下と聖女を女は隷属させられている遥か遠くの国へと誘拐させるか…それとも、報酬で揉めたようにして、害させるか…。
指先で適した魔法を探して、鼻唄と共にごろつき達の上に魔法を展開する。力と共に、何かが削られる気配は感じるが、今更だ。命や魔力が尽きるのを恐れる魔法使い達は、気にしていたようだが、ハルは気にしない。
そう、代償のない魔法なんてない。
それでも、膨大な魔力と寿命があるハルに取っては、気に病むほどではないが。
例えいつか魔力が尽きてしまうとしても。
寿命が減ってしまうとしても。
思うままに咲き誇る彼女を、ハルはずっと見守り続けると決めているから。リザはハルが助けていることなんて、気が付かなくていい。
何度も繰り返し人生を重ねた結果、ハルが出した結論は、それだった。
彼女を手に入れたこともある。
恋人として、平穏な時を重ね、結婚したことも。
パラレル日本という未来の別の国で、敵対する組織の相手として惹かれ合い、結ばれたことも。
彼女を助け、恋に落ちてもらったことも。
彼女の恋を助けて、またオルの生まれ変わりと結ばれる姿を祝福したことも。
それでも、手に入れても、次の時には消えてしまう幸せの記憶。
いつも残されているのはハルだけだから。
手に入れる、入れないは重要じゃない。
そう、いつの間にか気づいた。
彼女がハルの力を望むなら、少し幻滅しながらもその力を揮おう。
彼女がハルとの恋を望むなら、幸せな気持ちで応えよう。
そして、彼女が悪の華と呼ばれながらも、一人で咲き誇っていくなら。その養分と、なるのだ。
それが、ハルが出した答えだったから。
いつまでもいつまでも彼女を見守り続けるために。
最後の時まで。
長らく企画投稿期間ありがとうございました!
あと、少しの期間…評価や拍手、企画全般の感想など頂けたら嬉しいです!よろしくお願いします!