婚約破棄の黒幕がヒロインだと思ったら大間違いなのですよ!
「レベッカ・シャイニング! 君には失望した! これまでニーナにしてきた数々の悪行、そのすべてが俺の耳に入っているぞ!」
高等部の卒業パーティの真っ最中、突然、オルディカ第一王子が婚約者のレベッカ・シャイニング公爵令嬢にそんなことを告げてきた。
華やかな卒業パーティの真っ最中にそんな雑音を入れられてしまえば、誰だって顔をしかめて声の主を見る。レベッカもその一人でついつい睨みつけるようにオルディカの顔を見てしまった。
そんな顔つきに腹立たしさを募らせたのだろう。オルディカはなお一層怒りに顔を真っ赤にさせ、彼女に怒鳴りつけてきた。
「どうしたその顔は! しらばっくれるつもりか! 君が取り巻きを使ってニーナに対し、嫌がらせをし、彼女の平穏な学園生活を脅かしているという旨、すでに俺の耳に入っているんだぞ! 何か言ったらどうだ!」
その言葉にハッとなり思わず、テラスに顔を向けてしまう。
レベッカの視線の先には、フランシスカ・ベーベルゲン公爵令嬢が扇子で口元を隠しつつも、隠し切れない笑みを彼女に向けているのが目に入った。
口にこそしなかったけれども、心の中で舌打ちをする。
(やっぱりニーナ・フィジオクラートはフランシスカの手先だったのね)
ニーナ・フィジオクラート。フィジオクラート男爵家の令嬢。元々は平民だったようだけれども、幼いころに秀でた才能に見初められ、フィジオクラート男爵がとある高貴なる方から彼女を養女にすべきだと勧められたと聞いている。その高貴なる方がどこの家の誰なのかははっきりと分からなかったけれども、レベッカは彼女の実家のシャイニング公爵家に敵対する勢力か、もしくはオルディカ第一王子の派閥に敵対する勢力の指金ではないかと踏んでいた。
というのも、ニーナは学園内で度々レベッカの婚約者であるオルディカに近づいては彼と親しくしていたからだ。
レベッカは早い段階からオルディカにその可能性をやんわりと伝え、ニーナとの距離は保つようにと再三再四にわたって忠告し、彼女の取り巻きたちにも同様の忠告をして、ニーナとの距離をとらせていた。けれどもどうやら失敗に終わったらしい。オルディカはすっかりニーナにお熱になってしまったようだ。
「私には一切心当たりはございませんよ? 殿下のお聞き間違いではありませんか?」
レベッカは身に覚えがないと否定する。実際にそうだ。さっき言った通り、むしろ距離を置くようにと取り巻きたちには伝えていたのだから。
けれどもきっとオルディカは信じないだろう。彼の周りには側近の他、恐らく平民の男女二、三人がレベッカを見下すように見ていた。そのうちの一人の少女が口を開く。
「私は見ました。シャイニング様もそのご学友の皆様も最初のうちはニーナ様を無視しておりましたが、そのうちご学友の方がニーナ様に手をあげるようになりました。ニーナ様、そのたびにお泣きになっておりました……」
平民の少女は勇気を振り絞ったように、そしてはっきりと証言した。恐らく彼女の証言は正しいだろうとレベッカは認めていた。レベッカの取り巻きの中に裏切者が居て、その裏切り者が手をあげたのだ。
「証言もあるがまだ否定するつもりか?」
オルディカはレベッカを蔑むような眼で睨みつけてくる。
レベッカは扇子で口元を隠して歯噛みをした。
そして目を横にやって、再びフランシスカの愉悦を浮かべた顔を見る。
(確定ね。私をはめたのはフランシスカね……)
なぜフランシスカがレベッカをはめたのか?
フランシスカ・ベーベルゲンはラインズ第二王子の婚約者だからだ。
順当にいけば、オルディカが卒業後には王太子になり、レベッカが王妃候補になる予定だった。そんな彼女たちを引きずり下ろすのが目的だろう。
見よ、ラインズの顔を。彼もテラスの陰でニヤリとほくそ笑んでるじゃないか。
そして何よりも恐ろしいのは、今この場に当事者であるはずのニーナが居ないことなのだ。
これでは、真偽を問い詰めることすらできない。勢い余ったオルディカによる一方的な断罪になるだろう。
「なぜ眼を逸らしている! レベッカ! やはり後ろ暗いことがあるんじゃないのか!」
怒り赴くままにオルディカは感情を爆発させていた。
(この馬鹿王子……。まんまと第二王子派の罠に引っかかって……)
「ニーナは君はなんら悪くないと言ってむしろかばっていたのだぞ! それに対して君という人は……。罪すらも認めないというのなら、流石の俺も愛想がつきた! 君との婚約を解消させてもらおう! 君が犯した数々の罪に対する沙汰は追って告げる!」
傍観者の一部から溜息が漏れる。呆れた溜息が。それに交じって失笑が。
傍観者たちは途中から気づいたのだ。これはオルディカとレベッカをはめるための罠であると。それも質の悪いことにハニートラップであると。
感情赴くままにオルディカが婚約破棄をした直後、会場にニーナが現れる。
場の異様な空気に一瞬戸惑い驚いているようだった。
(違うわね。さすがフランシスカの指金……。見事な演技だわ……)
一体何事なのかときょろきょろとしているときに、その存在に気づいたオルディカがニーナの下へと駆け寄った。
「待っていたぞ、ニーナ。君を苦しめていた悪女を断罪した。婚約も破棄を宣言させてもらった。もはや彼女は私の婚約者という立場を利用することはできない。そして、君の身の安全を確固たるものにするためにもどうか私の婚約者になって欲しい。そして私を支えてほしい」
もしこれがオペラであるのなら、きっと観客たちは感動するだろう。
けれども、それはフィクションだから楽しめることだ。ラブロマンスだと喜んでみているのは平民出身の生徒くらいで、現実の問題としては、非常に極めてまずい。実家が第一王子派の生徒たちは顔をしかめ、第二王子派の生徒たちはニヤリとほくそ笑んでいた。
そう。レベッカが下級貴族相手に一々手なんか出すわけがなかった。レベッカにとって真の敵はニーナなどではなく、対立関係にある諸派閥の令嬢令息たちなのだからそんなことに時間や労力を浪費するわけがなかった。もし、そういうことに頭が回らないような者がいれば、正直貴族失格なのである。頭の回らないものが少なくともレベッカの目の前に居たのだけれども……。
そして当のニーナはというと、一瞬キョトンとしてから驚愕の顔を浮かべ、それから慌てたように口を開いた。
「も、もしかしてこの場でシャイニング様に婚約破棄を宣言なさったのですか?」
オルディカはニーナの問いの意味が理解できず「ああ、そうだ」とさも当然のように告げた。するとニーナは怒鳴る様にオルディカにきつい口調を向ける。
「な、何をおっしゃってるんですか! 殿下! なぜこのような場でそのようなことを……。そもそもそのお話、国王陛下に通してるんですか!?」
「い、いや。しかし、君に対する数々の嫌がらせを伝えれば父上も了承してくれるはずだ」
「何を馬鹿なこと言ってるんですか!」
ニーナは男爵令嬢としてはあるまじき暴言をオルディカにぶつけた。フランシスカの指金だと分かっていても、演技とは思えず、本気で言っているように見えてしまう。
「婚約を結んでいる以上、片方に瑕疵があったとしてもお家同士の婚約なんですから、双方の当主の合意や指示がない限りは自分たちの都合で勝手に破棄なんてすることはできません! それを勝手に破棄の宣言をするというのは、そういう常識が欠落していることを自らさらけ出してしまうようなものなんですよ! しかもこのような場で破棄の宣言をしてしまえば、婚約者同士が不仲であると周囲に宣伝するようなものなんですよ! さらに、破棄直後に他の女性の方に勝手に婚約を申し入れるだなんて…………。誰がどう見ても、女性関係のこじれで婚約者の乗り換えを行おうとしたとしか見られないに決まってるじゃないですか!!!」
激しい言葉でまくし立てる彼女にオルディカは茫然としてしまう。
身分の低いニーナが王子に歯向かうような主張をしているように見えてしまうため、彼女の立場は極めて危険なものになってしまうのだけれども、それでも彼女の言葉は明らかに正論であり、どのみち誰かが言わなきゃいけないことであったため、彼女の言葉遣いを誰も咎めることができなかった。
(さ、流石ニーナ……。私の顔にも自分の顔にも泥を塗らず、オルディカの株だけうまく下げるなんて……。フランシスカめ。中々いい駒を持ってるじゃないの!)
驚きのあまりフランシスカを羨ましく思ってしまった。もし、自分が彼女を手元に置いていたら、きっと火の粉を払えたかもしれないと。場合によっては自分たちが逆の立場になれたかもしれないと……。フランシスカの茫然とした顔に気づくことなく。
オルディカは情けないことにあたふたとし始めてニーナに反論できずにいた。いや、反論なんてしちゃだめなのだ。ニーナが口にしているのは全て正論なのだから。精々口にすることができることと言えば「男爵家の人間が王家に口答えするな」くらいだろうけど、今のオルディカにはそういう言葉を思い浮かべる余力もなかったようだった。
オルディカは何か言おうとして口をもごもご動かしだす。辛うじて口にした言葉は「しかし、君がレベッカたちから嫌がらせを受けていたのは事実だろう」だった。けれどもニーナは義憤にかられたように更に強い口調で反論した。
「ですからそれは殿下の誤解だと私は申し上げましたよね! 私はシャイニング様から嫌がらせを受けていません!」
「だが、君がレベッカの友人たちからいじめられているのを目撃したと証言が出てるんだぞ?」
オルディカは恐る恐るといった感じで、証人として呼ばれた平民に顔を向け、その平民たちもコクコクと頷いた。
「たしかに、そのお方たちが見たことは事実かもしれません……。ですが、私に手をあげた方はシャイニング様以外の方と密会しているのをこの目で見ました!」
被害者であるニーナの爆弾発言に会場に居た全員がざわつく。レベッカも彼女の発言について行けず目を白黒とさせていた。
「な。シャイニングの指金じゃないとでもいうのか!」
オルディカは驚いたように口をあんぐりと開けている。
レベッカは慌ててテラスの方を見る。
テラス側に居たフランシスカはきょとんとし、眉間に皺を寄せているのに対して、その隣に居たラインズは血の気が引いたような顔をしていた。
「だ、誰なのだ……?」
オルディカの覇気のない問いかけにニーナは言いにくそうにしていた。
「いうのだ。一体誰だというのだ」
ニーナは口を開くのもやっとのようにパクパクとさせてから「ラインズ殿下です!」と怒鳴り声をあげて、それから身体を崩して泣き出した。
彼女の言葉に会場に居た全員がラインズの顔を見る。レベッカも。そしてフランシスカも。彼は慌てた様子で「嘘だ!でたらめだ!」と叫んでいた。
しかし、会場の真ん中には大泣きしている様子のニーナの姿がある。
身分の低い男爵家の彼女が黒幕が王族であると発言するのには勇気がいるのは明らかだ。場合によっては不敬罪と問われても仕方がないのだから。けれども彼女は勇気を振り絞って口に出した。黒幕はラインズだと口に出した。彼からどんな報復を受けるか分からないなかで、レベッカの名誉を守るためにそう口を開いたのだ。
レベッカはフランシスカが「裏切者」とでも言いたいような目でニーナのことを見ていないことに気づいてしまった。寧ろ彼女の視線がずっとラインズにくぎ付けになっていることに気づいてしまった。
(あれ? もしかして、ニーナってフランシスカとなんにも関係がなかったの……?)
「ら、ラインズ殿下? そのようなことしてらっしゃっただなんて嘘ですよね……?」
フランシスカも寝耳に水のように恐る恐る尋ねている。
「も、申し訳ございません! レベッカ様! オルディカ殿下! わ、私がニーナ様に手をあげていました……」
突如会場の隅から大きな声が上がり、今度は全員がその声の主の方へと顔を向けた。声を上げたのはシャイニング公爵家と縁のあるテクノクラート伯爵家の令嬢であり、今年入学したローザだった。
「私、殿下に、殿下に!うわあああああああん」
泣き崩れるローザの姿はもう凄惨だった。
ラインズが敵対派閥の新入生の女の子を脅して嵌めさせたと証言しているようなものだからだ。王族の圧力で付き従わせ、自分にとって上級生であるはずのニーナに暴力をふるわせられる。その心理的なストレスがどれほどのものであったのだろうか? 想像するだけで胸糞悪く、皆が顔をしかめていた。
ニーナはそのことに気づいていたのだろう。だからこそ、彼女に手をあげた学友が誰であるのか、彼女の口からは一切出さなかったのだ。
そして、今夜一体何が起きているのか全ての生徒たちの間で共有されてしまった。
色ボケしたオルディカがラインズの罠にはまって早とちりして無実の婚約者に婚約破棄を宣言しだし、別の女子生徒にプロポーズをしだしたこと。その罠にはめたラインズは自分が権力闘争で優位に立つために、一年生の女の子に脅しをかけて今の現場を作らせようとしたこと。
それが全部明るみに出てしまったのだ。この卒業パーティのど真ん中で。
オルディカは事実確認の裏をとれず、敵対派閥に掌で踊らされた色ボケ馬鹿。
ラインズは年下の女子生徒に強要するようなゲス野郎。
今年卒業する王族二人がそのような人間であるという事実が目の前で露呈し、全生徒が冷めた目で彼ら二人を見ていた。
この二人の悪評はすぐに王宮にもそれぞれの生徒の実家にも広められるだろう。
こんな情けない奴らを王太子にしていいのかという感想と一緒に。
※ ※ ※
二人の王子は情けない姿で逃げるように会場を後にした。
なんとも言えない空気の中、レベッカはニーナの傍へとまず寄った。
「ごめんなさい」
本当は慰めなくてはならない人物がいる。ローザだ。しかしローザは今フランシスカが慰めに行っている。きっと婚約者であるラインズの不始末に心を痛めて、彼女を慰めるべきは自分だという正義感から自ら赴いたのだろう。その間に謝らなければいけない人物に謝ることにした。
謝るレベッカの言葉にニーナは困惑する。
「い、いえ。シャイニング様が謝られるようなことなんてございません。私がもっと早く声を上げていればこのようなことにはならなかったのですから……」
「そうではありません。私はあなたのことを勘違いしておりました。てっきり、オルディカ殿下にその……、ハニートラップを仕掛けるような方だと勘違いをして……。ですから、入学以来ずっと私はあなたのことを無視していたの。私の早とちりだったわ。本当にごめんなさい」
レベッカは自分の誤りを認めた。その姿にニーナは目を見開き、恐れ多いとでもいうかのように両手を左右に大きく振る。
「ですが、ニーナ様。こればかしは伝えさせていただきます。今このタイミングでこのようなことを言うのは、少々あなたの気に障るかもしれませんが……。仮にも婚約者を持つオルディカ殿下に男爵家であるあなたの方から声をかけるのは色々と問題がありますわよ?」
レベッカはニーナが良い子であることを認めた。認めたからこそ勘違いされるようなことを振舞うべきではないと告げた。するとニーナは殊勝なことに「その点については本当に申し訳ございません」と素直に謝った。
「最初、殿下とお話したのは偶然が重なった結果なのですが。その……。もし殿下と懇意にさせていただければそのうちシャイニング様と仲良くさせていただけるのではないかと思いまして……。それで色々と殿下にご相談させていただいたのです……。まさかこんなことになるなんて……」
まさかまさかの新事実に思わず、レベッカは手に持っていた扇子を落としてしまった。要は自分を無視するレベッカと仲良くなるためにはどうすればいいのかをオルディカに相談していたというのだ。もし、自分が彼女を勘違いして無視するなんてことをしなければ、そもそもこういう事態は招かなかったと言うことになる。
自分の浅はかさにレベッカは溜息を吐いた。
「本当に申し訳ありません」と呟きながら。
「そ、そのですね、シャイニング様」
恐る恐るといった感じで、ニーナが呼びかける。
「もう、私たちは卒業する身ではございますけど……。身分が低い私ではございますけど……。今後、もし許されるのでしたらシャイニング様と交流をさせていただけませんでしょうか……?」
その言葉にレベッカは一度目を見開いてそれからにっこりとほほ笑んだ。
「私が馬鹿なことを考えていなければ、もっと早くに友人になれたのにね。それこそ堂々と互いを学友と呼べたのに。ごめんなさい」
そう言ってから「私のことはレベッカって呼んでね」と告げる。ニーナは満面の笑みを浮かべて「ありがとうございます!レベッカ様」と口にした。
「そちらの方はお話は済んだかしら? レベッカ様?」
以前であれば嫌いだと思っていた声が後ろからかけられた。
「ありがとう、フランシスカ様。ローザの心のケアをしてくれて」
「いえいえ。公爵家の女として当然の事よ」
普段フランシスカが口にするはずの王家の婚約者という言葉は今は出てこなかった。さすがの彼女もラインズの行いには辟易してしまったようだ。
いまだに嗚咽がやまないローザにレベッカは優しく頭をなでる。
「怖い思いをさせてしまいましたわね、ローザ。これからはそういうことがあったらすぐに私たちに相談するのよ? でないと、裏切りやすい子とか、脅しやすい子ってみんなから思われてしまうからね。今後は気を付けるのよ?」
「はい。ごめんなさい、レベッカ様。ごめんなさい、ニーナ様」
ぐすぐすと泣き出したローザにニーナは「ローザ様のせいではありませんよ」と慰める。
二人の様子を見てレベッカとフランシスカは顔を見合わせ、クスリと笑みを浮かべ合った。
「お互い痛い結末を迎えてしまいましたわね」
それぞれの婚約者が粗相をしでかした。それも弁解できないほどの粗相を。下手をすれば互いに正式に婚約破棄をするかもしれない。
レベッカの場合は婚約破棄をしなくてはならないほどのダメージを受けていない。けれどもレベッカ・シャイニング公爵令嬢としてあまり受けたくないダメージを受けてしまったので、国王や父である公爵家当主から離縁と婚約の再締結を薦められる可能性がある。
フランシスカはレベッカよりも手ひどいダメージを受けてしまった。今回彼女は一切何もしていないのに、彼女の婚約者が大変最低なことをしてしまったのだ。婚約解消は確実だろう。さらに、この現場を見て誰もがフランシスカに非はないと信じるだろうが、外野はどう考えるか分からない。傍に居ながら婚約者の暴走を止められなかった令嬢と評価されるかもしれない。ベーベルゲン公爵から苦言を呈され、場合によっては勘当させられる可能性だってある。
そんな中でも平静でいるフランシスカをレベッカはすごいと感じていた。逆の立場であるとき、自分は平静でいられるだろうか? 手ひどい仕打ちを受けた敵対勢力の後輩を慰められるだろうか? と。
ここに来てフランシスカが実は素晴らしい女の子ではないかとレベッカは感じていた。
「どちらにしろ、今の私たちではどうこうできませんわね。国王陛下とお父様たちのご判断をお待ちすることにいたしましょう?」
「その通りですわ。それよりも止まってしまったこのパーティをどうにかしないといけませんね」
フランシスカの言葉に周囲を見る。みんなが私たちの動向を注視していた。
「ここは本日の主役であるレベッカ様に仕切っていただいた方がよろしいでしょうね?」
「あら? それはもしかして嫌味かしら?」
「うふふ。どうでしょうね? ですが、ああもさらし者にされてしまったのですから、ここで格好いいところを見せてもよいのではなくて?」
正直、フランシスカが受けた傷の方が深いと感じていたけれども、こうまでして花を持たせようとしてくれる彼女のやさしさを否定したいとは思えず、ここは彼女の提案に従おうと思った。
彼女の名誉回復については、今後力を入れて頑張っていこうと決意しながら。
レベッカはニーナとローザを抱き寄せて声を上げる。
「さて。本日は私たちの婚約者がいらぬご迷惑を皆様にかけてしまいました。誠に申し訳ありません。今日は勇気を出して理不尽に立ち向かってくれたニーナ・フィジオクラート様とローザ・テクノクラート様を讃えて、パーティの続きを楽しみましょう」
レベッカの言葉に会場に居たすべての人たちが同意し、パーティの続きが始まった。
会場はわいわいがやがやと楽しそげな声が鳴り響く。
まるで先程の喧騒がなかったかのように。
※ ※ ※
王城の離宮には使用人たちから『お人形部屋』と呼ばれている部屋がある。そこは今年十四歳になり、中等部の二年生になるアリシア第二王女の自室だ。なぜ『お人形部屋』と呼ばれるかというと、一つはアリシアの自室にはお人形がたくさん飾られてあり、もう一つはセキュリティ上の理由で、アリシアの部屋であることを外部の人間に悟らせないための隠語として用意されているからだ。
その『お人形部屋』でアリシアは専従侍女のピアニカに紅茶を注いでもらい、優雅にそれを口に含ませながら数日前に起こった出来事の報告書に目を通していた。
「ふふふ。やはり、オルディカお兄様もラインズお兄様も婚約破棄の運びとなりましたね。それは当然ですものね。オルディカお兄様は貴族としての常識が欠落していてあろうことか平民出身の男爵令嬢にそれを指摘されるという痴態をさらし、ラインズお兄様に至っては年下の女性令嬢を脅すという悪行に出たのですから。シャイニング公爵家としてもベーベルゲン公爵家としてもそんな人たちを婚約者のままにはしたくないでしょうね。たとえ廃嫡されなかったとしても。特にベーベルゲン公爵令嬢に至ってはラインズお兄様のゲスな行いの飛び火を受けてしまいましたもの。本当にかわいそうですわ」
「お嬢様。お言葉に品が欠けてますよ」
若干下品な物言いにピアニカが注意をした。
「あら。ごめんなさい。でも、ほんとうにお兄様たちは十八にもなって馬鹿ですねえ……。こうもあっさりと引っかかってくれるとは思いませんでした。これも全部あなたたちのおかげですわ。ニーナ。ローザ」
部屋の入り口付近に直立不動で待機している二人の令嬢ニーナ・フィジオクラートとローザ・テクノクラートにアリシアが笑みを向けた。
「アリシア殿下のお役に立てたのでしたら本望でございます」
ローザがカーテシーをとりながら真っ先に口を開いた。対照的にニーナはというとニコニコと笑みを向けながら「私はレベッカちゃんと仲良くなれたから満足です♪」という。
「ニーナ様。今はアリシア殿下の御前ですよ。そのような態度は不敬にあたります。それとご本人が近くに居ないからと言ってシャイニング公爵令嬢をそのように呼ぶのは大問題ですよ?」
ピアニカはニーナの無礼に苦言を呈する。
「私は別に構わないわ。レベッカ様のことだって、私たちが口を割らなければいいのだから問題ないでしょ? 勿論口を割らないわよね? ピアニカ? ローザ?」
「殿下がそうおっしゃるのでしたら」と二人は同時に口を開いた。
「でもさすがだわ。オルディカお兄様もラインズお兄様もあなたが言った通りに動いたんですもの。ニーナが近づくだけでお兄様はニーナに恋慕し、それを知ったラインズお兄様がローザを唆してニーナを傷つけさせようとする。おとめげーむというんでしたっけ? あらゆる可能性が記されているアカシックレコードのことを。ここまで当たったのですから、今後どうなるのかまで予言してくれないかしら、ニーナ?」
ニコニコと笑みを浮かべるアリシアにニーナは「ごめんなさい。私が閲覧できたのは私が学園生活を送っている間だけなの」と言った。
「しかも今回のことの顛末は乙女ゲームでは記されていないの。正直ここまで事を運べるかどうかまでは私でも確信が取れなかったわ」
「うふふ。あらゆる可能性といってもすべての可能性は記されていなかったのね。でもその可能性を私はつかみ取った。あなたが見たといういらない可能性を捨てることによってね」
「ええ。いらない可能性よ。ラインズにはめられたレベッカちゃんが婚約破棄されるだけじゃなくって処刑される可能性なんて」
ニーナは異世界からの転生者だった。転生してしばらくしてから、この世界が過去にプレイしたことのある“ニーナ”を主人公とした乙女ゲームの世界だと気付いた。彼女は前世で幸か不幸かゲームを全クリしており、ゲームの裏側で起きた真実まで知識として持っていた。ラインズが黒幕であるという真実を。
それを知り、レベッカが濡れ衣を着せられていることも知った。
トゥルールートでラインズが黒幕だと知った後にもう一度レベッカの断罪シーンを見直したプレイヤーたちは全員が揃って泣いたと言われている。ニーナも前世で大泣きした。
濡れ衣を着せられていながらも、背を曲げず、混乱せず堂々と胸を張って自分の無実を訴え、処刑される瞬間までも背筋を張って断頭台に凛々しく立つという一連の断罪シーンは何枚ものCGが使われて表現されていた。このシーンにわざわざCGをはめ込んだこと自体、彼女が実は悪役令嬢ではなかったという伏線だったのかと感動させられたほどの出来栄えだった。
「たとえこの世界の人々に信用されずとも、私の無実は別の世界の人々が証明してくれると信じています」
断頭台の露となる直前のレベッカのセリフだ。
ニーナはこの世界に転生したからこそ、そんな彼女をなんとしてでも救いたいと思った。別の世界の人々の一人としてレベッカの無実を証明するために。けれども知識を持っているからと言って、ラインズを糾弾しレベッカだけを救うなんて簡単にはできなかった。平民出身の男爵令嬢のいうことなんてどうせ戯言扱いされるに決まっているから。
そこでニーナはとある高貴な方の勧めで平民から男爵家に入籍した際のそのお祝いの場で、アリシアとピアニカに近づいてこう言ったのだ。
「お兄様方を出し抜いて女王になりたくありませんか?」
そこで乙女ゲームの話をした。ゲームといっても絶対に分からないだろうと言うことは分かっていたから「いくつもの未来の可能性をつづった預言書」の一部について記憶があると言って、物語の伏線を思い出しながらすぐ直近で起こるであろういくつかを予言して見せたのだ。
最初こそアリシアたちは半信半疑だったし、ニーナももしかするとこっちの世界ではゲーム通りに事がいかないかもしれないと心配していた。けれども運がいいことに外すことなく無事伏線が回収されたので、信じてくれるようになった。ニーナはこれから学園で起こることを続けて話し、レベッカを助けるために協力してほしいと頼み込んだ。アリシアを女王にすることを条件に。
当時まだ幼かったアリシアは女王になれるかもしれないという魅力についてはあまり理解できていなかったが、彼女の傍付きのピアニカはどこの馬の骨とも分からないような変な夫を持たされるくらいならぜひとも彼女に王位を継いでほしいと心の中で考えていたため、ノリノリでアリシアに説得した。
そしてラインズの被害者の一人であるローザを味方に引き込んで、備えたのだ。レベッカの断罪に。あえてオルディカに恥をかかせ、ラインズの信用を失墜させることで彼女の名誉と命を守れるように。
そして見事それはクリアした。
(証明して見せたわ、オルディカルートのレベッカ…………)
心の中でそう呟くニーナをよそにアリシアが口を開く。
「第一王女のメアリーお姉さまは他国に嫁いでおりますから脅威にはなりませんし、第三王子のリュカお兄様は少々頭がよろしくないですから、こちらが何もしなくても勝手にやらかしてくださるでしょう。第四王子のゼベットは王位継承なんて考えてなくて、騎士を目指してますからこちらも脅威にはなりません。他の弟妹たちはもはや些末な問題と考えていいでしょうから、あとは私次第と言うことになりますね。舞台を整えてくれてありがとう、ニーナ」
十四歳とは思えないような口ぶりのアリシアに「どういたしまして」とニーナはにっこりと微笑み返した。
そして、今後の予言ができないと言ったニーナのことを用済みだとはアリシアは一切考えていなかった。
「今回の件をきっかけに、ニーナとローザを介してレベッカ様とフランシスカ様をこちら側の陣営につけることができそうですね。少なくともシャイニング公爵家はニーナの働きに感謝こそすれども裏切るなんて不義理なことは絶対しないでしょうから。ベーベルゲン公爵家の方はラインズお兄様のとばっちりを受けたと考えているかもしれませんが、フランシスカ様とレベッカ様が王族の婚約者から外れて和睦したことをきっかけにシャイニング公爵家とベーベルゲン公爵家が対立する理由はなくなりましたからね。うまくいけばベーベルゲン公爵家も味方につけられるかもしれませんね」
アリシアは大変頭がよかった。
預言者を名乗るニーナが極めて怪しげで危険な要素であることには気づいているが、それ以上に二つの公爵家を味方につけられるかもしれないというのはおいしい成果だと言える。もちろん確約されているわけではなく、アリシアとニーナとローザの努力次第ではあるけれども、逆に言うと努力次第では味方に引き込めると言うことだ。
元々女王にはなれないかもしれないと思われ、あまり味方が少なかったアリシアの下に突然の王位継承の可能性が降ってきたので、貴族社会は混乱し、アリシアに面会しようといくつかの勢力がアリシアに声をかけている。今後はその動きが激しくなるのが目に見えた。そんな最中で二つの公爵家がごまをすりながらアリシアの下に来るのは確実だ。リュカが担ぎやすいと思わない限りは。
その窓口としてニーナはまだ使えるとアリシアは考えていた。
さらに、ニーナ自身が本当にレベッカを助けることが目的であり、国政の関与については興味が無いとでもいうかのような態度だったので、今後彼女が自分たちの害をなすようなことにはそうそうならないだろうと考えていた。どうせ貧乏男爵家の令嬢なのだ。いざというときには王家の力を使って…………。
(いえ、それは考えない方がいいですわね。ニーナのレベッカ様に向ける目は信者の目そのもの。本当にレベッカ様さえ無事であれば後はどうとでもなれとのご様子……。狂信者相手に下手を打てばどれほど苦労するのか、教会との戦いの歴史が告げておりますわね)
「あ、そうだ。アリシア様」
「気安く殿下のお名前を口にしないでください、ニーナ様」
ニーナの言葉にすぐさまピアニカが苦言を呈した。
「いいですわ、ピアニカ。ここに居るのは私たちだけなのだから。もちろん外では気をつけなさいね? 私たちが深くつながっていることを悟られないように」
アリシアはさっきまで読んでいた報告書をピアニカに手渡し、ニーナに一言忠告をする。
ピアニカは受取った報告書をそのまま暖炉の中に投げ入れて燃やした。
その傍らでニーナは綺麗なカーテシーをとった。平民出身とは思えないほどの美しいカーテシーを。
「もちろんでございます。次期女王陛下。私は王女殿下が女王陛下になられるその日まで、この密約を外に漏らさぬことを誓い、女王陛下になられた後も漏らさずあなたを陰ながらに支えることを誓います。レベッカ・シャイニング公爵令嬢のお命を救っていただいた御礼として」
あまりの豹変ぶりに、その場にいた三人の背筋は凍った。
実際に救ったのはニーナだけれども、その口ぶりはまるでレベッカとは血のつながった姉妹なのではないかと勘違いしてしまうほどの想いがつまっているようにアリシアは感じてしまった。冷汗を掻きながらシャイニング公爵家に隠し子が居ないかピアニカにあとで調べさせようかと思ったほどに。
(やはりニーナを敵に回すのは得策じゃないわね……)
「それで何かしら?」
「これからローザと一緒にシャイニング公爵家の王都邸にいくの」
さっきの礼儀正しさが嘘のように言葉が平易になった。
「フランシスカも来るんですよ♪」
それを聞いてアリシアは眉をピクリと動かし、それから満面の笑みを浮かべた。
「あら、卒業後もご学友の皆様とご縁があるなんてすばらしいことですね! ぜひとも行ってらしてくださいニーナ様、ローザ様! 卒業後もご縁が続いているんですから大事にしないといけませんよね!」
呼び捨てだった名前が様づけに変わり、今日はこれでお開きだとの合図をアリシアがあげた。するとニーナとローザは丁寧にカーテシーをとり退室した。
「うふふ。お二人にはやはり頑張っていただきたいわね。そしてどこかのタイミングでレベッカ様とフランシスカ様とのご縁を紹介してほしいわ」
アリシアは席を立ち上がりくるくると踊りながら言葉を続ける。
「ニーナには感謝しないといけないわね。本当に。あの子が居なかったら、私は学園内での根回しに専念して、学園外の根回しについては私の後ろ盾になってくれる人たちに丸投げしてたことでしょうから。でもそれでは不十分で隙が多いのはオルディカお兄様とラインズお兄様で実証済み。根回しは常に自分の意志で自分の責任で取らなきゃいけないの! たとえ後ろ盾に根回しを任せるにしても、それを見届けるくらいはしないとだめね! それこそニーナがレベッカを守るために動いたように!」
彼女は鼻歌交じりに演舞する。
「ニーナ様々だわ! 実は彼女、私が女王になるために神の啓示を持ってきた天使様じゃないかしら? きっとそうよ! アカシックレコードなんて仰々しいこと言ってるけど、ニーナはきっと私が女王になるためには知っておいた方がいい不必要な可能性を、私に教えるためにわざわざ来てくれたんだわ! そして、私がどうすればいいのかを教えないと言うことは、私自身が努力することで私が望むものを引き寄せることができると遠回しに教えてくれてるんだわ! ああ、神様! 天使様! 私は期待にこたえられるように精一杯頑張りますわ!」
そして途端にくるくる回るのをやめて、窓の外を見る。
「それとおバカなおバカなオルディカお兄様。おバカなおバカなラインズお兄様。勝手に潰れてくれてありがとう。愛しているわ♪」
その部屋に最後まで残っていたピアニカは今日のアリシアの発言の中で、その言葉が最も無邪気に聞こえていた。
乙女ゲームは異世界のアカシックレコードなんだよ♪
まぁ、それ言って首ちょんぱされないのは奇跡ですねー(笑)
ちなみに、蛇足かもですが、フランシスカが最初の方でクスクス笑ってたのは「あら。ニーナいじめのツケを支払わされる時が来たのね」というざまぁ感覚だっただけです。