第二戦 とあるゲーセンでの死闘。
ゲームセンター。
古今東西あらゆるジャンルのゲームが陳列するこの場所でも一際大きな座席が並ぶ場所、レーシングゲームコーナーにて、かつてない熱戦が繰り広げられていた。
「――――くっ……!」
ハンドルを握り締めた腕に手汗が浮かぶ。
戦況は僅差ながら確実に劣勢。
私が二位で、敵が一位。他のプレイヤーやCPUは存在しない、ワンオンワンでの勝負だ。
敵の背中を捉えるたび、今だ! 抜かせ! と逸る己の心を宥めすかす。焦りは禁物。
この一戦の為に血がにじむ努力を積んできたのだ。
絶っっ対に負けるわけにはいかない!
周回ラインを敵よりわずかに遅れて通過する。『残り四週!!』とやたらカラフルに画面に浮かぶ文字。
それを視界の端に捉え、気を引き締めた。
(まだだ、まだ時間はある!)
次のカーブを高速で曲がる為に、スリップぎりぎりにまでハンドルを切っていると、
「へえ……ここまで食らい付いてくるなんて、勝子も腕をあげたねぇ」
隣の席から感心したとばかりに声を掛けられた。
平均的な身長の私より頭ひとつ分小さなその少女――香澄は、私の悪友リストに名を連ねる一人である。
恵美ほどの魔女ではないが、こやつもなかなか可愛げのない小悪魔だ。
「二ヶ月前までド素人だったのに、ずいぶん頑張ったみたいだねぇ……そんなに例のアレ、やりたいの?」
愚問。
答える価値すらない、愚かな質問だ。
黙殺する私をからかい半分の微笑で見ていた香澄が、良いことを思いついたとでも言いたげにウインクしてみせた。
「じゃあ、こうしたらどうするかな?」
言うやいなや、前方を走っていた香澄のレーシングカーが突然不審な動きを始めた。
ガタつきもない綺麗なコースで不自然に右へ左へと車体が振られ、そう難しくもないカーブを無駄に膨らんで走行する。
――こっちがインコースをつけば簡単に追い抜かせるように。
あからさまな誘い。罠というよりも、ここで抜かされてもいつでも抜き返せる自信からくる自惚れだろう。
(はっ!)
かんっぜんに舐められている。全くもって腹が立つ。腸が煮えくり返る。
だけどそれは、香澄の余裕に対してじゃない。
(オーケー、その誘い……乗ってやらあっ!)
こういう挑発を受け流せない、真っ直ぐで清らかな私自身の心にだ!
母に以前「アンタのは真っ直ぐじゃなくてアホっていうんだよ」って言われたのをなんか唐突に思い出したけど気にしない!
アクセルを一気に踏み込み抜き去りざま、視線を画面に向けたまま叫ぶ。
「おおい香澄ぃっ! 余裕かますのはけっこうだが、私が勝った時はきっちり約束は守ってもらうかんなあっ!!」
すると彼女は、ともすれば年下にすら見える童顔いっぱいの笑顔をこちらに顔を向け、
「もっちろん♪ ――――勝てれば、ね?」
にやりと笑った。
直後、香澄の様子が一変する。
筐体がぶっ壊れるんじゃないかと心配になるほどの勢いでガシガシとアクセルを踏み、ガガガガッとハンドルを右に左に振り回す。
ちょっと精神状態が心配になるほどの激しさに、思わずちらっと横目で彼女の様子を確認してしまった次の瞬間。
たった今抜き去ったばかりである私の前に――香澄の車が飛び込んできた。
「はあぁあああっ!?」
「うぷぷー! まだまだ未熟のようだねぇ?」
ニマニマと憎たらしく口元を抑えて笑う香澄に、危うく頭から噴火するところだった。
何をされたのかは分かっている。分かっていても、理不尽を感じざるを得ない。
こいつ……『見えないジャンプ台』でぶっ飛んできやがった!
「あんなんアリ!?」
「熟練プレイヤーだったら皆知ってることだもん。問題なっすぃん♪」
『見えないジャンプ台』ってのは比喩でもなんでもない。
文字通り画面上には表示されていない隠れエフェクト。ようするに『バグ』である。
(そういえばこのゲーム会社ってたしか……)
株式会社『デトロイト・スピード』通称デトスピ。
食事時に、たびたびテレビで見掛けるCMを思い出す。
「我々が追い求めるものは史上最高の疾走感! 車と一体化したような亜音速の体験をお約束します! あえてデバッグは致しません! 制作から販売まで製品のお届けも史上最速! さあ貴方も明日から、真のスピード教徒になってみませんか!?」
そして後日。
宣伝通りの爆速で走る車が、見えないジャンプ台に引っ掛かり山の果てまで飛んでいくプレイ動画が投稿され話題を集めたのも記憶に新しい。
初めてその動画を見た時は、空の彼方へ弧を描きながら消えていくレーシングカーに腹を抱えて笑い転げたものだが……
(まさかこいつ、全てのバグを把握しているのか!?)
戦慄に背筋が震える。
――香澄はゲーム大会で全国常連出場者だ。一回だけだが、世界大会にも進出した経験さえある。私とは元よりゲームに掛ける熱量のケタが違う存在だ。
この前も講義中に教科書に隠してゲームの攻略本を広げながら、エアコントローラを手にブツブツと呟きながらコマンド入力の練習をしていた。
なんだかすんごい怖かったので、ちょっと席を離して他人のフリをしてしまった。
その状態の香澄が教授に当てられた時に叫んだ言葉は、同じ講義を受けた者達の間でちょっとした伝説と化している。
「○×□R2L1左右△○同時押し!!」
そして彼女だけ課題の量が二倍になった。
その時はこんなアホ見た事ねぇと思ったが、アホを得意分野で敵に回すとかくも恐ろしいものなのか。
廃人級プレイヤーに掛かればギャグのごときバグですらテクニックの一つに変えられてしまうらしい。
認めざるを得ない。
知識、技術、経験。それら全てにおいて、私は香澄の足元にも及ばない。
だが!
「ぬぅぅううおおおおおおおおぉぉぉぉぉっっっ!!」
「――むむっ」
追随、猛追。
敵陣に特攻を仕掛ける武士もかくやの雄叫びをあげ、加速に加速を重ねて食らい付く。
このゲームの良いところは、加速に上限が存在しない事だ。極限のスピードバトルを謳うだけあってコースもシンプルなサーキットの形状をしており、プレイヤーが望めば望むだけの速度を得る事が可能となっている。
まっそれを追求した結果があの動画なんだろけどね! 何事もやり過ぎは禁物ってことですな!
しかし今の私にとってはその無謀さこそが手本となる。
かの動画はバグのインパクトが強すぎてつい見落とされがちだが、瞬間最高速度はこのゲーム発売以来ぶっちぎりの最速記録を叩きだしていたのだ。そしてそれは今現在に至っても破られていない。
結末だけ見ればネタ動画だが、あのプレイヤーが極限を突き詰めていたのは紛れもない事実だ。
ならばその志は受け継がれていかなければなるまい。名も知らぬ動画主よ、今この時だけ私に力を! そして私は……私は――
「イケメン達と合コンに行くんじゃあああああああっっっ!!!」
心の底なんて表現では生温い。
魂の根源から発生する渇望を、天上世界に届かせんばかりに叫んでいた。
……そう、この勝負に掛けられている賞品は、香澄主催によるイケメンズとの合コンである。
イケメンズとの、合コンである!!
その約束――いやさ契約を結んだ際の一連のやりとりがこちら。
一週間前。
「ねえ勝子……アタシにゲームで勝てたらイケメン達との合コン組んだけるけど、やる?」
「やったらああああああああっっ!!」
――以上です! 文句あっか!?
彼氏持ちのはずな香澄がなぜ合コンをやるのか。どうして私を誘ってきたのかは知らないし、どうでもいい。
イケメンとの合コンという黄金にも勝る賞品に比べれば、そんなもん些事でしかないのだ!
「ふははははあっ! 待ってろよぉまだ見ぬイケメンどもおおおぉぉっ!!」
両脇にイケメン達を侍らし片手うちわでご満悦な自分の姿を想像し、溢れてくるヨダレを撒き散らしながら高笑いしていると、
「とらぬ狸のなんとやら」
熱を上げるこちらとは対照的な、至極冷静な声が聞こえた。
横目で香澄を見れば、小悪魔が挑発的な視線をこちらに向けていた。
「初心者にしては頑張ってるのは認めるけど、その程度の腕じゃアタシには勝てないよ」
「さーて、それはどうかな」
「む……どういう意味かな?」
「もうすぐ分かるよ……っ!」
そうこうしているうちに画面に踊る文字。
――『ラスト一周』
ここに至り、依然遅れを取っているのは私の方。既に香澄との距離は、彼女がコースアウトでもしない限り埋まらないほどに離れていた。香澄の腕を考えれば逆転はほぼ不可能と言ってもいい。
既に勝利が決まったかの様に、香澄が笑う。
「何を企んでいたのか知らないけど、もうそれをやったところで勝てないくらいに離れちゃったんじゃない? さっき私が使ったジャンプ台程度のショートカットじゃ、逆転は不可能だよ」
「あいにくと私が狙ってるのはそれじゃないよ」
「?」
香澄が私の様子を気にして、怪訝そうにちらちらと画面から視線を外しているのが分かる。
なまじ差が開いてしまったせいで、前方よりも後方へと意識が集中している。
こっちの事など気にせずさっさと突き放してしまえばいいものを、常に私を見失わない程度の距離に保ち続けている。
あるいは期待しているのかもしれない。
――この状況から逆転なんてできるのだろうか?
知識と経験は否定する。しかし一度疑問を持ってしまった以上、解を求めずにはいられない。研究家としての面がここにきて顔を出す。
さっき私が香澄の挑発を受け流せなかったのと同じく、自分ではどうしようもないほどの、ゲーマーとしての性。
(好奇心の強いアンタならそうするだろうって、思ってたよ!)
いよいよゴールが見えてきた、
最後の確認を行う。敵影との距離、タイミングともに完璧。
今こそ勝負の時!
「こぉこぉだあああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
「んな――――!?」
さっき私がした表情を、今度は香澄がする事となった。
いや、私よりもっとひどい。
小動物の様につぶらな両目はすっかり点になり、せっかく形の整った小さな唇はあんぐりと顎一杯まで開かれ、友人を数年やっている私でもなかなか見た事がない、愉快な醜態を晒している。
だがそれもしょうがない。私がやったのはそれほどのことだ。
「これが私の奥の手えええ! 『空中走り』いいいぃぃぃ!!!」
数多きバグの一つ――『宙に浮く道』を走り抜けている!
傍目にはまるで車が浮いている様に見えるが、実際には空中に存在する透明な道を走っているのだ。
もっと言えば。
カーブによる減速も障害物による妨害も一切受けることなく、ゴールまでストレートに走り抜けられる、文字通りのチート道。
後はひたすら加速するだけで、私はヴィクトリーロードを駆け抜ける!
ありがとうデトスピのイカれたゲーム開発陣の方々! 「デバッグぐらいしろよアホか」とか言っててほんっとすいません! これからは信者になります! 新作も買います!
おかげで私、合コンにありつけます!
香澄の車を何の苦もなく追い抜き、勝利を確信する。ゴールの後ろで私を出迎える様にイケメン達が列を成し、こちらに腕を振っている幻影が見えた。
その列に――――飛び込むっ。
(勝った! 確実に香澄より先にゴールした! 私の勝ちだ!)
その事実にハンドルから手を離し、ガッツポーズを突き上げたその瞬間――
「――――驚いたよ、勝子」
信じられない光景が、眼前に広がった。
「まさか勝子があのバグを知ってたなんてね。知ってたとしても使えないだろうって勝手に思ってた。驚いた……本当に驚いたよ」
黄金に輝く一位に対し、二位に降り注ぐのは銀色の光だ。その祝福をもって、レースは終了となる。
そのはずなのに私の画面に黄金はない。それどころか、銀色すら、ない。
理解が追い付かない。いや、理解する事を脳細胞が拒んでいる。
だってこれは……この結果はつまり……!
「『無効判定』」
答えは、横からきた。
「そのバグに関して、もっとしっかり検証しておくべきだったね。『空中走り』は確かにあらゆる障害物をぶっちぎれるけど、それはつまり本来通過すべき全ての判定を無視していくってこと。そしてそれは――」
悠々と。
まさに悠々と、香澄の車がゴールラインを通過していき。
彼女の画面に広がる、黄金の輝き。
「ゴール判定も例外じゃないんだよ。だから知っていたとしても、あまり好んで使ってるプレイヤーはいない。判定を狙って無理に途中で降りようとすればバランスを崩してコースアウトする可能性が激高だし、下手をするとゴールどころか周回遅れになりかねないからね」
茫然自失。香澄の説明は耳に入っているが、半分以上反対の耳からすり抜けていく。
はっきりと分かった事は、たった一つ。
「私の勝ちだよ、勝子」
勝利宣言を叩き付けられた直後。
制御を失った暴走状態の我が愛車が、『見えないジャンプ台』に弾かれ、空の彼方へと消えていく。
それをぼーっと最後まで見届けてから、ガックリと項垂れた。
――わたくし、今回も敗北しました。
「んがあああぢぐしょおおおおおお! イゲベンどのごおごんんんんんんっっ!! ……あれ? このパフェうめええええええええっっ!!!」
「……泣き叫びつつ味わいながら巨大パフェどか食いすんのやめてよ。器用か」
ゲーセンを出た後、悔しさのあまり猛烈に甘味が欲しくなった私は勝者の財布にたかってやろうと香澄の首根っこを掴み、近所の喫茶店に突撃した。
その出資はすげなく断られたのだが、ちょうど期間限定メニューに『サンドバッグパフェ! 日頃のストレスを全て受け止めてくれる超巨大パフェ! 小憎たらしアイツの顔を思い浮かべて丸かじり! これで明日からスッキリ爽快間違いないぜ! (注)三十分以内に完食できなければ料金2倍』というのがあったので躊躇無く注文した。
そして十五分で完食した。
「ふぅ…………よし、落ち着いた!」
「あの店員、化け物を見る目付きで食器を下げてったね……」
オレンジジュースを一口啜った香澄が呆れ混じりに言ってくるが取り合わない。
人目なんぞ気にしてやけ食いができるかっ。
(ああー……だけどなー……)
女としての何もかもを放り捨ててまでひたすら糖分を吸収した結果、頭に上っていた血は下がったものの、あとに残されたのはどうしようもない脱力感だった。
全身を包むそれに抵抗することなく、私はテーブルの上へと突っ伏した。
「おっと、あぶないなぁ」
香澄がひょいとジュースのグラスを避ける。
ついで、溶けたアイスクリームよりだらだらしている私を、じとーっと見下ろしてきた。
「なに? そんなに残念だったの? イケメン合コン」
「……彼氏がいるアンタには分かるまい。独り身にとって合コンのお預けとは、数日絶食させたライオンの前に丸々とした羊を置いて『食べるな』って言うようなもんですよ。それまさに鬼畜の所行っ」
「勝子って肉食系のクセに一途だもんねー。そのアホみたいに馬鹿でかいエネルギーをたった一人の男に受け止めてもらおうってんだから、そりゃ大抵の男は逃げるわ」
「んな軟弱モンに興味はない! ……前カレはその点、ちっとは骨がありそうだと思っていたのに……!」
「いちおう最長記録だったよねぇ。ま、それでも結局、最後には根性が尽きたワケだけど」
「うわーん! 一体私のどこがいけないっていうんだあーっ!?」
わあと泣き出す私の耳に。
やれやれと言いたげなため息と共に、驚きの言葉が飛び込んできた。
「んじゃやろっか、合コン」
「…………ふえ?」
何を言われたのか分からないと顔を上げた私の視界に、じと目でオレンジジュースを飲み干す香澄の顔が映った。
ずずず、と最後まで啜りきってから口を離した香澄が、照れたようにやや赤らめた頬をぶすっと膨らませていた。
「だからぁ、やっぱり合コンやってあげようかって言ってるの」
「……………………マジですか……?」
「さすがに予定とおんなじメンツってのはなしだけどねー。もっと都合付けやすい適当な連中でよければ――」
「香澄様あああっっっ!!!」
「ぎゃああああ!? いきなし抱き付いてくんなあああっ!?」
「肩をお揉みしましょうか? 靴をお辞めしましょうか? 課題を代わりにやってあげましょうか? なんでもお命じくださいそのかわりできるだけイケメンがいいぃぃぃ!!」
「わ、わ、わかった! 分かったからやめ、やめろおおお!? お願いだからちょっとは人目気にしてえええぇぇぇ!!?」
こうして私は勝負に負けたものの、念願の合コンにありつくことができたのだった。
――後日。
そういえばと気になっていた事を訊いてみた。
「そういえばなんで彼氏持ちな香澄が合コンなんてやろうと思ったの? 二股? 倦怠期ですか?」
「ちがわい! ……あれって実は、元々恵美の発案なんだよねぇ」
「…………なぬ?」
「自分で言い出したら勝子は絶対に裏を疑うからって、私から伝えるように頼まれたんだけどさー。どうせやるんならタダでやんのも面白くないじゃん?」
「……」
「だからレーシングゲームで勝負しようってのはアタシのアイデア。なはははどお? おかげで実際、ちっとも他意を疑わなかったでしょ」
「…………じゃあまさか、私のあの頑張りって……」
「あ、でも、メンツの変更ってのはマジだよ。じゃないと勝負の意味もないし、もし勝子が勝ってれば文句なしのイケメンズを揃えてあげたのに、惜しいねぇ」
「ぐぬぬぬ……!」
「そんで言い出しっぺの恵美いわく『勝子がオトコ目当てにみっともなく足掻く様を見て愉しみましょうおほほほほげほっげほっ!!!?』だってさ」
「あんの魔女ヤロウがあああああっっ!!?」
「ま、そーいうわけだからさ。今度の合コン、アタシ達も一緒に行くからよろしくねぇ」
「……え……?」
当たり前のように言い残し、ひらひらと手を振って去っていく香澄。
その背中が見えなくなるまで私は――
「…………え……?」
ただただ呆然と立ち尽くすほかなかった。