妻 貞留・江郷
今回は昨日に引き続き更新です。気が向かれましたらよろしくお願いいたします。
「今晩予定入ったから」
電話で告げた。
「また合コンの助っ人?」
「うん」
「行ったら包丁で刺してやる」
それは怖いから帰ることにした。先輩には丁寧に断った。
だが無理矢理連れて行かれた。
「なんで帰るんだよ!これからだろ!!」
「半分出たので許してください。僕も半分刺されるだけで済みます」
僕は帰った。
2メートルほど距離を空けながら、腕を伸ばして玄関を開けた。
開けた瞬間、幸せそうなうっとりとした顔をした美人が僕の腹めがけて包丁を突き出してきた。
「その勢いだと本当に刺さっちゃうから」
「刺す気なのよ?あなた」
彼女は包丁を構えたままハグしろと言ってきたので、それは死ぬからと拒否した。
「私が嫌いだからハグしないんだ」
と8階から飛び降りようとしたので慌てて後ろからハグをした。
その際包丁が一階に落ちてしまったが下に誰もいなくてよかった。それは家に入る前にすぐ回収した。
玄関に入ってすぐ、スンスンと匂いを嗅がれた。
「……他の女の匂いがする」
「そう言う匂いの香水があるんじゃない?“他の女フレーバー”的な」
無言で、真っ黒な瞳で睨まれた。
それから、今度は包丁はなしで僕のことを強く抱きしめる彼女。
「私だけのものなのに」
「はいはい」
今度は上目遣いで僕を見上げた。
「もう合コン行かないで?大体おかしいじゃない!既婚者誘うなんて!!結婚した意味8割くらい女避けなのに!!」
「そう言われても……あと結婚した意味に関しては後でゆっくり話し合おう」
僕はとりあえず食事を作ることにした。
「ごめんなさい……料理しようとしたんだけど、やっぱりうまく行かなくて」
そこには、大量の生ゴミがあった。
どれも美味しそうなのにゴミ箱に捨ててある。食べても大丈夫そうなところを探して、その一つを拾って食べてみる。
「美味しいよ」
「でもあなたには出せないわ……ぁあ!、私のバカ!!こんなんだから私はダメダメでいつまで経っても生きてる価値がない酷い人間なんだわ」
完璧主義らしく人に出せる料理が作れないとか。彼女の料理はどんな万能薬なんだろうか。
慰めるのが面倒だったので放置しておいたら、彼女が包丁を自分の首に勢いよく刺そうとしたので慌てて止めた。
僕の手が真っ赤な血を噴出した。
「キャァァァァア!!あなた!あなたの手が!!」
「まぁこうなるよね」
「ど、どうしてこんなことを!!」
「そりゃあ奥さんが死ぬのは困るし」
「わ、私、そんなに価値ある?」
「あるんじゃないかな」
「んふ♡」
うっとりと嬉しそうに僕の血だらけの手を眺める彼女。次第にそれを舐め始めたけれど、傷口を舐められると普通に痛むのでやめて頂いた。
「ぅぅ……どうせ私なんて」
「舐めるのやめるのなんて普通だから。いちいち落ち込まないようにしようって言ってるでしょ?君は黙ってれば全方位美人の完璧奥さんなんだから。家の中では若干ポンコツ感あるけどそこが持ち味でしょ?」
「褒めてるんですよね?ね?」
「そうそう。褒めてるの。でもすぐに死のうとするのはやめようね。止めるのも体力使うから」
「じゃ、じゃあいつやったら……」
「うーん。その思考をどうにかして欲しいんだけどなぁ」
僕はとりあえず余り物の物で食事を作った。
「美味しいです」
「ごめんね。普通だよね。奥さんの方が美味しいよ」
「私が?!」
嬉しそうにする彼女。料理のことだよと否定するのも可哀想だからそのままにしておこう。
「それにしても不思議だよね。こんなにも普通な僕が、なぜこんなに完璧な君と付き合えているのか」
見た目だけは完璧に整えてくれている奥さん。
「幼馴染でいつも私に優しくしてくれてたから当然です!」
「腐れ縁で不安の捌け口にされてたから当然だね」
不服そうな顔をされた。
「そんなに綺麗なのに何がそんなに不安なのか」
「綺麗だなんてそんな……旦那様に比べたら」
「僕綺麗じゃないじゃん」
「いいえ」
強く否定されたのでこれ以上は何も言わないことにした。
寝る事にした。
「一緒に寝ましょう?」
「僕まだ仕事あるんだよね」
僕は仕事着のまま、彼女だけパジャマに着替えていた。
「浮気ですか」
冷たい声で聞かれた。
「仕事だって言ってるよね」
「ふーん」
「いや、ふーん、じゃないから。仕事だっつってるでしょ。怒るよ」
「……ごめんなさい」
「はい」
頭を撫でてあげた。少し雑な扱いに不服そうだが満更でもないらしい。撫でまくったらそのうち気持ち良さそうに寝てしまった。
それも、頭を撫でている右手をガッチリと抱きしめながら。起こすわけにもいかない。
僕は利き手とは逆の手でタイピングに臨むこととなった。
いつもの3倍時間がかかって寝不足になった。
翌日。
「行ってらっしゃい。寂しすぎてだいぶ死にたいんですけど」
「朝から重たいから死なないで頑張って」
軽い口づけを交わしそうになってやめる。下手に行為があると、彼女はそれで満足して何かネガティブな行動に出かねない。
それは夜の飲み会の席でのこと。かかってきた電話にて。
「あなた?22:55にSNSに上がった写真であなたの隣にいるこの女誰?」
「誰って……同僚だよ」
「嘘つき」
彼女の電話の声が遠ざかる。
「じゃあなんで腕を組んでるの?」
目の前にびしょ濡れの彼女がいた。
ざわつく会場。
あーあ。空気悪くなったなこれ
僕はびしょ濡れの彼女をできるだけ可愛い方向へと印象操作する事にした。
「妻です」
周囲はドン引き。
こりゃまずい。
「もう、腕組むくらいいいだろ?」
「私腕組んでもらった事全然ないっ」
「もっとすごい事いっぱいしただろ」
「でも腕は組んでない!!」
「じゃ後で組むから」
「今がいい!!」
彼女がうっとりと僕の隣で腕を組んで座る。
「すごい奥さんだな……パワフルな」
先輩が言った。
先輩の目が奥さんの下着が透けた胸や身体に行く。
僕が横槍を入れた。
「僕は構いませんけど、この人怒ると怖いですよ」
「おっと失礼。美人なもんで」
ケラケラと笑いつつ、そっぽを向く先輩。
ご機嫌すぎて気づいていないふりをしているらしい奥さん。
「あの男の人が私のこと見た時……少し嫉妬しました?“俺の女だぞ”、的な」
「してない」
無表情な僕に、嬉しそうな彼女が笑う。
「うっそだぁ♡」
彼女は僕を絞め殺すかの如くひっつきながらくっついて帰った。
雨が止み始めていた。
それは、翌日の昼間の印刷機前にてのことだった。
「先輩の奥さんってぇ、可愛い方ですよねぇ」
後輩の女の子が言った。
「見た目はね」
「エッ、中身は可愛くないんですか」
「んー、まぁ、滑稽とか哀れという意味なら可愛いかもね」
「先輩って本当に奥さんのこと好きなんですか」
「大好きだよ」
僕は断言した。
「も、もう」
後輩が照れた。
「こっちが照れますよ」
そして顔を赤くしてどこかへ消えていった。
電話がかかってきた。
奥さんからだった。
「私も愛してるよ」
なぜか通じている会話。僕はため息をついた。
「盗聴するなって5回目なんだけど。次破ったら3日口聞かないって言ったよね」
「えっ!い、いや、その」
「今からちょうど72時間後だからねはいストップウォッチ」
「え、ちょ、ま、ごめ、ごめんなさい!!ごめんなさい謝るからゆるして!!お願いそれだけは」
「スタート」
僕はストップウォッチをスタートさせて電話を切った。話せないならできることはないからだ。少し感じ悪いがまぁメッセで『それじゃあ』とだけ打ったからよしとする。チャットならいいのかというとそうではなくこれはいわゆるお情け的なゾーンだ。
帰宅した。
「おっ、お帰りなさい!今日は疲れたでしょう?肩揉んであげるっ」
いやに笑顔な奥さんが出てきて、僕の鞄を持って良妻のステレオタイプみたいなことを始めた。
「ね、ね?ご飯とお風呂どっちがいい?て言ってもご飯作るのは私じゃないけど……準備くらいならできる、よ?」
僕は無視を決め込む。もちろん話さないだけで相槌は取るが。
「そ、そん、そんな、ね?む、無視は、ひどいんじゃ、ないかなぁ」
それでも無視して料理をつくりはじめる。
「わ、わぁ!いい匂い!さすが旦那様!!」
無視。
「あ、あのね?怒ってるのはもうわかったから。そろそろ許して欲しいなぁ、なんて」
無視。
「っぅ、えぐっ、ひぐっ、も、もゔじまぜんっ、わだじ、あなだどはなぜないどいぎでいげなぃぃいいいいいいいい!!」
挙句泣き喚き始める。
が、無視。本心だろうが少し演技くささも混じっていた。
帰宅して3時間経過。
「死のう。もう死のう。旦那さんに話してもらえないんじゃ私生きてる意味ないもん」
ぶつぶつと背中を見せて話している彼女。
こういう時、何時間後に何が起きると自分の利益があるとわかってる時この人は絶対に死んだりしないと僕は知っているので無視した。いや、むしろ対応した。
メッセの通知音がなる前に彼女がスマホに飛びついた。どういう聴覚をしているんだろうか。
『次する気ないのにそういうこと言ったら1時間追加するから』
画面を見てすぐ、彼女のぶつくさが一瞬で止まった。
それから、僕はもう一言付け足した。
『僕も話せないのは辛いよ』
とはいえ約束は約束なので明後日の規定の時間まで話さない。
「旦那様ぁぁ……」
うるうるとこちらを見るがやはり無視。
話さないでいた要因か、今夜寝るときはいつもよりも密着度が高かった。新鮮さは最初だけで、普通に寝づらかった。贅沢な悩みだと思った。
やはり彼女は美人なのだ。
72時間後。会社内での会議中に僕の携帯が鳴り響く。電源を切って置いたのになぜか鳴り響いた。
一言謝りを入れて緊急かもしれないと廊下で電話に出る。
「愛してる!!」
「はいはい僕も愛してる」
僕は電話を切った。
もう一度着信がかかってきたが切った。メッセで、『事実上家帰るまで話せないわ』と打った。
話さなくても奥さんとならコミュニケーションはなんとかなった。
そして帰宅後。
「お帰りなさい、あなた」
僕が玄関のドアを開ける前に、満面の笑みで彼女がドアを開ける。
あー、これは怒ってるな。
彼女は笑顔で僕に言う。
「ねぇ、旦那様?」
「はい」
「今回さぁーあ?」
「はい」
「ちょっと楽しんでたでしょ」
やっべばれた。
「自分が主導権握ってるからってちょっとえげつないことしたなーとか思わないわけ?これ私も同じことしたら破局だよ?」
「そうだね。すみませんでした。まぁ盗聴に比べれば全然マシだと思うけどね」
「……」
このネタで黙らせられるのもせいぜい後三回くらいかな。
「ねぇー!ご褒美ちょうだいよ!」
「お仕置きを耐えたご褒美なんて意味わからないでしょ」
「じゃぁー、普通にイチャイチャしてください!!」
「納豆でも混ぜる?」
「それはねちゃねちゃ!!って違くて!!」
じっとりと睨まれた。
「上機嫌だね」
「そりゃあ奥さんと話せて嬉しいからね」
本音だ。
「」
彼女が顔を真っ赤にして爆発した。ような幻影を想像した。
「……私と話してない間、どれだけの人と話した?」
「いっぱい」
「わたしお家から出ないから、テレビの人としか喋ってないよ」
あっそうか。忘れてた。
「ごめん。そこまで考慮してなかった」
「別にいいけど」
彼女は少し拗ねたようにしていた。
僕は真正面から夫婦的な営みを行うのは小っ恥ずかしいので、どこから切り崩したものかと考えていた。
「それじゃあ、しばらく私の名前だけ耳元で囁いて」
「貞留ているテール」
僕は彼女の耳元で繰り返した。
恥ずかしかったが我慢した。これはこれで面白さもあるわけではあるし。
千回くらい口ずさんだところで、僕も彼女も寝てしまった。
目覚めると二人とも腕が痺れて大変だった。
「旅行に行きます」
僕が言った。
「嫌です」
彼女が言った。
「あなた行きずりの女と色々するつもりでしょう」
睨まれた。
「そんなつもりはない。なんなら監視してくれていい。盗聴も僕だけならOK」
「盗聴オッケー?!そんなことが許されていいのあなた?!」
「どちらかといえば許されてはいけないんだけど僕が許す」
「心音聴くね!」
ワクワクした目で見られる。
「それはどうかと。そもそも行くのが嫌なら行かない。チケットはここにある」
「バス隣の席?」
「もちろん。ペアチケットだからね」
「行く!!あなた窓際ね!」
「テール酔いやすいよね?窓際にしたら?」
「少しでも他の人から遠ざけたいの。最後尾の角が望ましい」
「1番揺れるところを……」
翌日から連休なので出発。
温泉旅館への出立である。
バスは僕のお腹に彼女が吐きつつもそれ以外は特に問題はなく続く。
「あの、大丈夫ですか?」
親切にしてくれた人にも彼女は。
「近寄らないで!!」
怯える周囲。
「あ、吐瀉物が飛び散らないようにとの配慮です」
「違おろろろろ」
僕のフォローでなんなくクリア。
旅館に到着。荷物を預けて旅館周辺の温泉街を見学する。
蒸気に当てられた彼女の背中をさすりながら話す。
「あれー!テールじゃーん」
そのとき、前方を歩いていた女性陣たちが僕を取り囲んだ。その数の多さと酔いから彼女の身体はバグを起こして吐き倒す。
「ひさしぶりーー!!」
「どうも」
中学の同級生の愛洲だ。
「えっ?こんなところでなにしてるのー?」
明るい声。軽装に適度なオシャレ。中学から何も変わらない。雰囲気が刺々しいところも。
僕はポケットに手を入れてあえてつけていなかった結婚指輪をーー彼女曰く僕が彼女のものなのは当たり前なので当たり前を示す必要はないと言い、妻の威光を示すときだけつける慣わしであるーーはめる。
「えっその人何?彼女?」
僕がさすり続けた背中を見て彼女がケラケラと笑う。
「あ?」
どすの利いた声と共に顔を上げる妻。
テールが状況に対応し始めたらしい。
「やだかわいー!えっちょっと釣り合わなーい!あ、エコーがね!エコーが釣り合わなーい!」
ケラケラとみんなで笑う。どうやら中学の同窓会でもしているらしい。僕以外全員女子だけど。
「あなた何言ってるのよ。エコーは私の何倍も素敵でしょう」
「あ、そだねそだねー」
軽くあしらうアイス。
「ね、昔みたいに二人で回らない?」
「いや、僕は」
腕を掴まれる。
「いいじゃんいいじゃん」
僕とアイスの間。
「ダメです」
そこに妻が立っていた。
「えーケチ!どうせ毎晩営んでるんでしょ〜!一晩くらいわけてよー!元カノのよしみでさ」
「ぶっ殺しますよ」
敬語だっただけ僕の妻を褒めたい。
「自重しろ。悪いがこういうことだ」
あえて言葉を濁してポケットから指輪を出して見せた。
妻のごく僅かな優越と、アイスの目が真っ黒に染まったのを僕は確認した。
「けっ、こん?」
僕は頷いた。
「新婚旅行してないから新婚旅行みたいなものなんだ。邪魔しないでくれる」
「えーやだ感じわるーい」
女子の一人が僕を指さした。みんな次々に僕の悪口を言う。黙り込むアイス。僕は少し傷ついた。
妻は何も言わないで僕の腕をぎりぎりと強く掴んでいる。
「言っておくが!!」
僕は少し大きな声を出した。
「僕はおかしいぞ。妻のためならなんでもするからな。全部君たちの安全のために言ってるんだ優しさなんだ。僕がキレる前にさっさと僕から離れることをお勧めする」
“僕”は“妻”に変換したかった。だがそんなことはしない。妻なのだから当然だ。
僕の使命は、妻を妻自身の悪意から守ることでもある。
「今日だけデートしてよ。私明日から海外だからさー」
「知るか消えろ」
妻が視線を合わせることなく僕の手を引いた。
「感じ悪」
「ねー」
みんな口々に言う。
「ふーん」
アイスだけが意味深そうに呟いた。
「同じ旅館だよね」
指さされた旅館は確かに同じだった。頷きたくなかったが妻が先に頷いた。
「夜中うるさかったらごめんなさいね」
にこやかに笑う妻。
「奥さーん!あなたじゃうまく行かないと思いますよー」
にこやかに愛洲が満面の笑顔で手を振った。
うっわ感じ悪。
妻はあからさまに機嫌を悪くして、だんだん早足になり、しまいには地団駄を踏むように旅館の個室へ駆け戻り、部屋に入るなり僕に口づけした。
それはまぁ激しかったものの、僕は結構冷静で、どう宥めたものか考えていた。一種のマーキングのようなもので、これには妻の持つ異常性は関係なく普通に共感できる。
ので、僕はされるがままに彼女を抱きしめて頭を撫でてやった。
「つらかったね」
そのまま押し倒されそうになったが、このままメチャクチャにされたまま旅行を終わらせてしまうのは癪だ。
彼女を引き離す。
「ダメだ。怖くても楽しもう」
「え?」
涙ぐんでいた彼女の涙を拭い、温泉宿を出た。温泉まんじゅうを食べ、肉まんを食べ、お土産を買い、景色を眺め、思う存分一緒にデートした。
戻って、一緒に部屋に備え付けの温泉に入ったけれど、彼女は吐きまくっていたのもあって疲れていたらしい。僕よりも長く浸かっていた。僕はのぼせそうだったので先に出た。
やがてのぼせるかもしれないであろう彼女にジュースを渡そうと思って外に出てジュースを買った。
廊下の自販機の前に行くと、退路が楽しそうに話す女性達で埋まった。
僕がしまったと思ったとき、目の前に愛洲がいた。
「お話ししよっか♡」
「はぁ。なんだよ」
「名前呼んでみてよ」
「愛洲」
「おお、予想に反して呼んだ。ああ、心がこもってないからか。」
思いの外悲しそうな顔をされたので、僕はこの辺にしたほうがいいと思い切り上げることにした。
桃のジュースを2本買おうとする。
「それちょーだい」
先に一本出てきたものを手渡す。
僕が続けて2本買おうとしたときらジュースを渡された手が絡め取られて体が引っ張られた。
口付けされる前に、僕は体を捻り自販機に激突した。
「傷つくなぁ」
その割に笑っている。
「どちらかといえば傷ついたのは僕だ」
「あの人そんなに好きなんだ」
「可愛いだろ。君より綺麗だ」
「綺麗だけど可愛くはないよ」
「そうかもね。でも僕は彼女が好きだ」
“君じゃない”とは、さすがに言えなかった。
「あんた、態度悪くない」
道を塞いでいた顔に覚えのある女子が言った。
「妻との旅行を邪魔されたんだ。態度も悪くなるさ」
「うわぁ、かっこつけるなぁ」
「妻の前だからね」
「前って、どこが?」
僕はため息をついた。
「僕の妻は僕がだぁいすきだ!!だから盗聴してるのさ浮気を監視するために!」
僕は笑う。
「僕が呼べばすぐに来るよ」
みんな信じたか信じてないか、半々の顔だった。
「同窓会、楽しかったよ。」
「……ねぇ、江郷。中学の時、なんで私と付き合ったの」
それは3年の事。彼女はブランコの上で泣いていた。僕はその時ーー。
「可哀想だったから」
「」
愛洲の目から涙がこぼれ落ちそうな時、彼女の周りの人間が口々に僕を罵った。
「あの時、死ぬ気だっただろ。どうしろって言うんだ」
僕はそれだけ言って、ジュースを持ってその場を去った。
「でも嫌いじゃなかったよ」
部屋に戻るとドアの鍵が閉められて、押し倒された。
「嫌いじゃなかったんだ。ふーん」
妻はナイフを持っていた。
「銃刀法!!」
「大丈夫旅館から借りてきた」
「なら良かった」
僕は微笑んだ。
「……えっいいの?」
彼女の毒気が抜けた。
僕はその隙に彼女を押し倒し、戸惑った彼女の手からナイフを奪う。そして彼女のお腹に桃ジュースの紙パックを置く。
僕は自分の分のジュースの縁をナイフで切り、垂れた汁を舐めとるように飲んだ。
「えっろ……」
彼女が顔を紅潮させて後ろ向きに倒れた。もちろん後ろは布団が敷いてある。じゃなきゃ彼女も安易に僕を押し倒したりはしない。基本は。
紙パックを潰して飲み終えたら、ナイフを転がして手のひらにしまう。
「危ないよ!!指切っちゃうよ!!」
どの口が。
「昔遊んでたんだよ。不良だったって言ったろ」
「へえーーーーーーーーー」
じろりと見られた。浮かぶ悲しげな少女の幻影。
「愛洲は関係ないって」
ナイフを旅館に返した。
その帰り道、一人でいる愛洲とすれ違った。
「ごめん。舞い上がっちゃって。ムカついて」
「僕も逆の立場ならムカつく。でも結婚してるから。諦めて」
「奥さんとは、どこで出会ったの?」
「説明が難しい」
「はぁ?」
「僕のストーカーだったんだ」
「はぁ?!」
「ハサミ持って追いかけ回してきて、マスクしてるから顔もわかんなくて、口裂け女かと思って押し倒して殴りかかろうとしたらマスクの下はめっちゃ美人で一目惚れした」
「嘘くさ」
「どこからかは嘘でどこからかは本当だよ」
「そんな!」
部屋に戻ろうとしたら裾を掴まれた。
「いっちゃうの」
疑問系だった。
「偽装結婚だったり、しない?スパイを探ってるとか」
「なわけ」
「う、浮気とか、興味ある?」
「だからさ、盗聴されてるんだって」
「そんな嘘」
必死に僕を引き止めようとするので、かえって早く帰った方がこの人のためな気がしてくる。可哀想だけど。
「触るよ」
僕は髪についたマイクのようなものを触って見せた。
「」
絶句する彼女。
「嫉妬深くて可愛いんだ。それじゃあね。君は見かけより優しい人だよ」
上から目線が抜けなかったな。まぁいいか。
部屋に戻ると、また押し倒されたけれど、以降愛洲と会うこともなかった。
帰省した。何事もなく幸せだった。
ーーと思った翌日。
「はい、転属してきた小沼江愛洲さんです。あー貞留、頼むわ」
「無理です」
僕は先輩の頼みを拒否した。気を悪くする先輩。
「何故だ」
「最悪……」
顔を青くする愛洲。
僕は答えた。
「先日妻と新婚旅行に行きました。そこで元カノに誘惑されましたがかなり冷たくあしらいました。新しい出会いがあるよ的なことを言い去りました。それが彼女です」
「うわきっつ。お前じゃダメだわ水原頼むわ〜」
「はーーい」
アイスが言った。
「最悪」
「近づくな」
「はぁ?」
「盗聴されてる」
ビクッと体を振るわせる愛洲。
「冗談だ。この前は特別。」
とは言え現状を携帯で妻に送信した。
『今から行く』
「来るな」
『もう電車乗った』
「帰りなさい」
『着いた』
僕は奮い立った。鉢合わせちゃまずい。
「まずい。先輩早退します」
僕は先輩に伝えた。
「はぁ?出勤したばっかだろ!」
「妻が!!」
なんとなく勢いで察してもらった。
会社の下で受付の人を困らせながら止められている女の人が妻だとは思いたくなかったが妻なので引き連れて帰る。
「あの女は?!」
叫ぶ彼女がロビーの注目を集める。
「僕が転職するよ」
その日、僕は本当に会社を辞めた。
「一緒にご飯屋さんでもやろうか」
「えっ?」
「僕に出す練習と思って。有象無象になら出せるでしょ?美味しいご飯」
「私だってその有象無象への配慮はあるんですが」
僕たちは、海岸でご飯屋さんを始めた。
「わぁ!おいしい!見てみて、帆立のおにぎりなんて初めて!」
「貝柱ってなんか歳を間違えてる気がするけど美味しいねぇ!」
そこそこ繁盛した。
長蛇の列ができた。
何故か高校生に人気になった。ダイビングが人気で、その養分補給にいいらしい。
人妻も人気の要因だとか。少し嫉妬を感じる。
「あの奥さんめっちゃエロいよな!胸でかいし」
子供とは言え、僕以外の男性に褒められて、口元が少し緩む奥さん。
なんだかんだ人気者の立場が気に入っているらしい。
僕は横目におにぎりを握った。
「こらこら少年ども。年相応に女子高生に手を出しなさい」
「げっ、イケメンに用はねぇーよー!」
「じゃあねぇー!イケメンさーん!」
女子高生の手には笑顔で返す。
「あんな美女の奥さんとかうらやましー」
男子校生の声に僕は笑った。
「そこは否定しない」
食事時の終わり。
「結構楽しいね」
「……たし、かに」
お店の名前は尾響。
「でも女子高生にイケメンって言われて少し喜んだでしょ」
足を踏まれた。痛い。
「君こそ」
「喜んで、ない」
含みがあるぞ。
僕は笑った。ここの潮気は毒気を抜く。
それは、ある日のことだった。
「エコー!助けてよ!大人は頼れないんだ!!」
いつも僕たちの店を利用する高校生達数名が、僕たちの店に駆け込んできた。
「僕たちも大人だよ。それでどうしたの?」
「傷だらけじゃない!」
僕は奥さんが他人の心配をしたことに驚いた。
彼らのうち一人が、殴られたような痕だらけでボロボロなのである。
「こいつの親、酷い折檻するんだ!殴ったり蹴ったりは日常で、母親は見て見ぬ振りして!」
「母さんを悪く言うのはやめてくれ、仕方ないんだ」
「でも!だめだよこんなの!」
女子も男子も、傷だらけの男の子を見て泣いている。
「先生には言った?」
「だめなんだ!こいつの親自治会のリーダーだから下手に口出しするの怖がって動いてくれねぇ!!」
「だからってなんで僕たちに……」
子どもたちは口を揃えていった。
「「「「「余所者だから!!!!」」」」」
僕は奥さんと目を見合わせて、頭を抱えて言った。
「まぁた、転職かなぁ」
「女の子じゃないから助けてあげるんだよ」
妻の言葉に、子どもたちは驚愕の意を示した。
とりあえず僕たちは傷ついた男の子を家に匿った。泣いた子供の頼みは断れない。ましてや、高校生が泣くなんて相当だ。
夜中になると子供が一斉に消えるのは危険なので、当人以外の子は帰ることになった。GPSも切るために携帯も持っていってもらった。
「どうしようか。」
「トランプでもする?」
妻の優しい言葉に僕は感激した。
「奥さんはね、昔とっても怖かったんだよ。」
「馴れ初め聞かせてよ。参考にするから」
男の子は、空元気なのか、思いのほか元気そうだったので話が弾んだ。
「ーーでストーキングされて、僕たちは出会ったの」
「ぜんっぜん参考になんねぇ。エコーはなんで付き合ったの?!この人頭おかしいじゃん!!こっわ!!」
男子高校生にボロクソに言われて普通に落ち込む奥さん。
「マスクの下に一目惚れ」
「ないわー」
一蹴された。外見のみの恋愛は彼らの倫理観では認められないらしい。
やがてインターホンが響いた。僕が1人で出る。
「子供を知らないか」
夜中、懐中電灯を持った大男が、大勢の大人ーー顔を青くした先生らしき人も含めてーーを引き連れてやってきた。
「安全なところにいるって聞きましたけど」
平然と答えた。
「子供達が口を割らないんだ」
「どこだ!!いい加減言え!!」
「言わない!!」
「絶対いうもんか!!」
「べーー」
子どもたちは堅い視線で僕を見つめる。
「島中見た。もうここだけだ。中を見せてくれ」
「えっ?!」
僕は慌てた。
「そ、それはーー」
「なんだ。やましいことでもあるのか!!」
「いやぁ、困りますねぇ」
僕は汗をかいたふりをした。
「お前ら入れ!!」
男の指示にみんなが無理やりうちに入ろうとする。不法侵入だ。
「いやいやいやいや!!困ります!!」
僕は入口を両手で塞ぐ。
大男から目を逸らすふりをして不安そうな子供達を見つめた。
「妻が裸なんです」
安堵する子供達。
困ったような顔をされた。
大男に舌打ちをされた。
「こんなことしてタダで済むと思ってるのか」
僕はあっけらかんと答えた。
「タダ?ただとは?子供殴るのは犯罪ですよ」
胸ぐらを掴まれた。血管が浮いている。
「お前ぇ……余所者がぁ、誰のおかげで繁盛できたと思ってる!!」
「僕の妻の美貌でしょうね」
「違いねぇ!」
「あはは」
子供たちの相槌を打つ声が軽快に響く。
大男の苛立つ声が響く。
「明日には警察を呼ぶぞ」
「なら僕は今日中に呼びましょう」
「んぬっ!!」
男が僕を殴った。
「っが」
僕が後方に吹き飛ばされる。入り口のドアが壊れる。
「怒らせていいんですか。僕は知りませんよ」
「何を!!」
男が僕に馬乗りになりさらに殴ろうとした、その時。
潮風とともに服を着た彼女が現れる。
男子高校生とその後ろの人々が少し落胆した顔が見えた。僕は見逃さないぞ。なんちゃって頬がかなり痛い。
大男の目を容赦なく指で突く貞留。
「ぐぁぁ!!」
大男が後ろに転がる。
「会長!!」
ざわつく周囲。
「私の旦那に触らないで。次は潰します。大丈夫?あなた」
僕を立たせるときに彼女が小声で言った。
「わざと殴られたでしょう私を怒らせるために」
「正解。怒った?」
「憤怒」
こりゃまずい。
「私達はもうここを出て行くつもりです」
「ふんっ!せいせいするわ!!」
「なので出て行く前にあなた方があの子にした嫌がらせをやり返します」
彼女が大男の前に出た。華奢な体に誰もが不安を覚えた。
「さっきは突然だったがーー」
彼女は、容赦無く大男の顔を拳で殴った。クリーンヒットした。誰もが油断していた。こんな女に何ができる、と。
「え?なぁに?聞こえませんけど。」
「う、訴えてやる!!」
「女に殴られて訴える?かっこわるーい」
彼女は唾を吐き捨てた。かっけー。
少年少女の熱い眼差しを感じる。
「あら、あなた方にはご褒美だったかしら?」
そして唾を足でぐりぐりと踏んで足を踏みつける。
「き、さまぁぁぁぁぁあ!!!!」
叫ぶ男。彼女は起きあがろうとしたその顔に蹴りを加えた。
何もしない大男の同行者たち。鬱憤が溜まっていたのだろう。
「絶対に訴えてやる!!貴様はもうおしまいだ!!」
「そう言えばあの子にも目と顔と体にたくさん痣があったわね。私を罪に問うのなら、同じくらい殴られてるあの子を殴る蹴るした人も罪に問われるはずよね。じゃないと法が歪んでしまうもの」
彼女は歪んだ笑みで笑う。
「まぁもっとも?あの子の傷は?こんなものでは?なかったから?同じ罪に問われるならもっとやらないとなんだけど!!」
彼女がコンクリートブロックを持ち上げて、倒れて鼻血を出す男に振り上げた。
痛快撃がスプラッタに変わりそうなことに気づいたみんなが慌てて止める。だが誰の声も響かない。
「ハイストップ」
僕がその手を止めた。
「あらあなた。こんなものでいいの?」
「どちらにせよあの子はもう島の外の病院なんだろ?この人が問題に問われるのはもう確定だ」
みんながざわめく。期待のような声だった。
僕も鼻血を出しながら、よろよろと立って声を荒げた。
「はーい皆さん。今日起きたことは忘れてくださーい。じゃないとここの腐った体制のことSNSで自爆覚悟でばら撒きまーす!マスコミくるの嫌だったら黙りましょー」
僕は初めから盗聴器で録音して備え付けのカメラを起動していたことをスマホのアプリで示した。
「どちらにせよ僕らは去ります。いい島でしたよありがとう」
僕と彼女は、そのままその家を去った。
「エコー!テール!ごめん!俺たち、そんなつもりじゃ!!」
高校生たちが泣き喚く。
「気にしないで。十分儲けた。高校生の金も悪くないよ。」
僕はみんなの頭を撫でた。潮くささが目に染みる。
「テールさん!!お、おれ、あなたのことが!!」
「馬鹿やめろ!!虚しくなるだけだって!!」
青春真っ盛りの男子高校生たちに、僕はつぶやいた。
「はぁ、胸くらい揉ませてやってもバチは当たらないのでは」
目を輝かせた男子高校生たちに蔑視を送る女子高生。と、テール。
「本気で言ってないよね」
真っ黒な目で言うので、これはさっきよりも怒ってると見えた。
「ダメだって」
今度は女子高生たちが僕に抱きついた。
「わーんエコー!!また来てねぇー!!絶対だよ!!奥さんと離婚したら教えてね!結婚してあげるから!!」
「あっずるい私が先に言うって話だったのに!!」
奥さんが僕から子供達を引き離した。
「離れろガキ共」
みんな良い子だった。僕達は、向こう数年所有できる家を、子供たちの自由に使って良い秘密基地として寄贈した。
「悪いことに使うなよー」
「つかわないよ!!……エコー、ありがとう、僕のために」
件の男の子は、悲しそうに、しかし嬉しそうに僕達に手を振った。
「これで終わりじゃないんだ。少しは大人も頼れるようになるはずだけど、お父さんはお父さんなんだから。みんなでちゃんと支えてあげるんだよ」
「「「「「うん!!」」」」」
こうして、僕達は朝一番の船便で島を出た。
島に来る前よりも、預金残高はかなり増えていた。
「船首さーん!荷物つみましたーうわっと」
荷物を積み込んだ船はどう言うわけか勝手に発信した。
乗り込んだのはどうやら無人船だったようで、彼女が懐からコントローラーを出した。
「女子高生と一緒に遊べて楽しかった?」
その目は真っ黒だった。
「私は全然楽しくなかった。あなたが他の女に抱きつかれて嬉しそうにしてるのなんて見たくなかったのだからね」
彼女はコントローラーを海に投げ捨てた。
「思ったの。今度は無人島に行くのはどうかって」
その船からは、舵は取り外されていた。
「ははは」
本当に、彼女といると飽きることがない。
会った時のことを思い出しながら、青空の下に押し倒された。
まぁとりあえず早合点してから変わらないであろう結論を述べるのであれば。
ーー僕の妻はたぶんヤンデレだ。
読んでくださってありがとうございます!!少しでも面白いと感じて頂けたら嬉しいです!!!!




