潜入 鶴・?
もし覚えている方がいらっしゃいましたら、お久しぶりです。
もしくは、初めまして。
短編になります。
「潜入調査ってさ、合法的な浮気だと思わない?」
それは、不機嫌が人間になったような塩梅だった。
その笑みは僕を戦慄させ、見下した目つきは鳥肌を立たせる。その諸々から感じられる気迫、というかそれらを総じて呼称した“殺気”をひしひしと感じた僕は、下腹部をひんやりとさせていた。
「いや、ですね」
尻餅をついたままの僕がどもりつつ答える。
「いや、ですね?」
見下ろして笑顔で復唱された。
「僕は仕事上お金のために稼がないといけないわけで、そのためには潜入操作をしないといけないわけです」
「違うよね?志願したんだよね?何で?→浮気をしたいから。違う?」
「ちが」
「違わないよね」
笑顔。
笑顔。
笑顔。
笑顔。
汗がじっとりとからみつく。
「あっれェおかしいなぁ。結婚するときになんか誓ったよね。なんだっけ?」
「て、貞操義務と永遠なる愛と他の女性の半径50センチに入らないことと健康を守ることを」
「うん?もう一つあったよね。なんだっけ」
「ま、万が一必要が生じたら人を殺してでも角さんを守ること」
「はい、“万が一”いらない」
ぱんぱんと雑に拍手される。
冷や汗をかく。
「ぼ、ぼく機動隊なんですが……」
「だから?」
「き、機動隊の中でも特殊対策課で、」
「うん。そうだね?」
「詰まるところ、それは警察という組織に属しておりまして……」
「あはははは!知ってるよそれが何?法律より私が優先に決まってるでしょ」
僕は言葉を失った。
「えっ?!だって奥さんだよ?!死んでも守れよ!いや死んじゃダメだけど、死んでも守る覚悟はいるでしょ!」
この人の怖いところは、『じゃああんたはどうなんだ』と聞いたときにスラスラと模範解答を言ってきそうなところだ。むしろ聞かれるのを待ちかねていそうですらある。
僕はたった今彼女が、「愛を示すためにベランダから飛び降りるから落ちる前に捕まえてね」と笑顔でベランダから落ちるところを想像した。
お腹が冷える。
「じゃあ約束ね。死んだら道連れだから。死んでなきゃ絶対にまた会いにいく。だから君もそうして。OK?」
「お、OK」
半ば、“無事に帰れ”と脅されながら、僕は自宅を出発した。
今回の潜入目的は、商業ビルの総まとめ会社による、裏金の証拠確保と資金洗浄現場の取り押さえだ。
スーツケースを持ち、海沿いの街に来て、僕は結婚指輪を外した。
「潜入だから何?」と、冷たく怒鳴られる様が容易に想像できて耳が痛い。
ビジネスホテルにチェックインして荷物を置く。
それから、夜がふけるまで奥さんと惰性のメッセージ会話ーー結局ビデオ通話になったがーーをして時間を潰す。“潰す”なんて言い方をしたら「楽しくなかったの????」と怒られそうだけど。
指輪を外すこと、これから女性と近づくことになりそうなことは帰ってから話すことにした。そうでないと、行きと帰りで、二度も揉めることになるから。
そうして、20:00時をまわったところで、僕はネクタイを締めて今回の潜入先に向かった。
その建物は、潮風がほんのり匂うくらい海から遠ざかったところにあった。
32階まである高層ビル。夜だと、雲に突き刺さりそうな見た目の黒い建造物を見上げて、僕はカバンを握りしめた。
ビルの最上階から、二つ下の階でエレベータを降りる。
黒い通路を幾度も抜けると、ネオンが光る店に着く。
ここが今回の潜入先か。
正確には、ここは潜入先ではなく、潜入のための潜入、下準備みたいなものだけど。
「いらっしゃいませぇ」
煌びやかな服を着た女性が、僕の背中を押すようにして出迎えてくれて、席まで誘導してくれた。
景色と共に、楽しげなお客さん達の声が通り過ぎていく。
僕はほんの少しだけ緊張しつつも、案内されるままに、黒くて横に長いソファに座る。
僕の目的の人物、その仕事場は最上階だ。そのため、最上階から二つ下の階のこの店の常連だという。まずは彼に接触するまでこの店で自然に馴染まないといけない。
僕は勤めて、仕事の付き合いで来た帰りだという自然な状態を保った。
「じゃあ、1人で来たの?」
「ここで合流の予定だったんですけど、急に来れなくなったらしくて。店のすぐ近くまで来てたので困りまして」
「そうなんだぁー、その同僚さんにありがとうだね!」
「ねー」
会話をしつつ、周囲を見渡す。
「えー!おにいさんかっこぃー!!」
「彼女いるでしょー」
僕がどう話しても盛り上げられていく会話、沸き立つ歓声と拍手。気分が否応にも高揚させられていく。僕はそれに少し恐怖を感じたので、逆に冷静さを取り戻すことができた。
「いないですいないです!彼女はいないですよ!」
嘘はついていない。
「えーうっそだー」
しとやかそうな女性が僕に聞いた。
「お兄さんいくつ?」
顔立ちというか、目つきが少し真面目そうな子だったので、なぜか僕もサバを読むーー逆の意味だけどーーことを忘れて、というか嘘をつきづらくて本当のことを話してしまう。
「……20」
女性は美しい雰囲気を崩して、目元をひくつかせて驚いた。
「若っ。タメかよ……こんな店来てる場合じゃないんじゃない?」
彼女は目をパチクリとさせて僕を見た。
その言葉に返す僕。
「そっくりそのままお返しします」
「失礼な。普通に働いてるだけです」
幾度とない歓声と拍手、お酒の匂いがして、何度も隣に座る女性が変わる中で、その女性とは、妙に目が合った。
「お客様ぁ、申し訳ありません、そろそろ店じまいのお時間でして」
旅館の女将風の女性に、下手にこられて戸惑いつつも、僕は理解したことを、なるべく穏やかに伝えた。
結局、男は現れなかった。
目的の男が現れるまで待っていたら、1番遅い閉店の時間になってしまったらしい。
初日から悪目立ちするのも避けたいので、余計な詮索はせずに、1人でビジネスホテルまで帰ることにする。
電灯の消えた暗くて黒い通路を通り抜けていく。ネオンが光の線を描く。
ビルの狭い階段を降りるところで、慌てた声を背中にかけられた。
「待って待って!」
「」
始めは声をかけられた相手は僕じゃないと思ったので驚いたが、彼女は僕の肩を二度叩いて、少し緊張した面持ちで、顔を赤らめて言った。どうやら走ってきたらしい。
先程僕の歳を聞いてきて、それからやたらと目が合った女性だった。
「帰り道海沿いでしょ?灯台側?ホテル側?」
「ホテル側です」
僕の言葉に、狭い通路に無理やり並んで歩いてくる。
肩が触れ合うというか、ぎゅうぎゅうだ。
「敬語とかいーよー。どうせタメでしょ?」
「まぁ。そだね」
「おっ、ノリいーねー。あながち堅物ってわけでもなさそーだ」
「この辺、海苔とか売ってるの」
「いや、急にダジャレとか」
少し恥ずかしくなった僕は、誤魔化すために話を続けた。
「名産品とかあるの?」
「さぁ、知らない。私も他所から来たから」
さして気にも留められていなかったらしい。
「ねぇお兄さん」
彼女は無理して、転びそうになりながらも早歩きで僕の前に回り込んで、階段を塞ぐように言った。
「名前教えてよ」
「蒲鉾鶴」
「カマボコ?私好きだよ」
「じゃあきっと鶴は嫌いなんだね」
僕は彼女の横を無理やり通り過ぎた。
「なんでよ」
階段を降りる音がする。
「バランス」
ほこりの匂いに混じって、女性の柔らかな、桃の香水の香りがした。
妻の顔が浮かんだ。
会談を降りる足音が響く音がする。
僕はぽつりと言った。
「やけに絡んでくるね」
「嫌?」
不安そうに言う。
「そんな事ないよ。気になっただけ。上心でも?」
僕は微笑んだ。
「下心ね。何その向上心。ちょいちょいぶっ込んでくんね……」
長い階段を出ると、僕たちはビルを抜けて海を眺めた。
びゅう、とふいた風に背中を押されながら砂浜を歩く。
「君もこっちなんだ」
僕が尋ねた。
「沙耶でいいよー」
「苗字は?」
「呼ぶ気なら教えない」
「……君もこっちなんだ。ホテル方面」
「いんや。違うけどこっち来た」
僕は立ち止まった。
「なんで」
尋ねた。
「さみ、しい、から?」
カチコチと自分でも良くわかっていないように言った。
「あんましなんでなんでって聞かないでくれる?気分悪いよ」
「ごめん」
「いや、ついてってるのは私だけどさ。帰り暇だったから。でも、もうちょい先まで道が同じなのはホント」
「それはいい。僕も1人は少しもの寂しい」
彼女は少し嬉しそうに、後ろで腕を組んで僕の隣を歩いた。
「カマボコくんは、あっ呼び捨てでもいい?」
「いいよ」
「カマちゃんは、」
「呼び捨ては?!」
僕のツッコミは無視された。
「カマちゃんはさ、生きてて楽しい?」
「まぁそれなりには。やりがいはある」
「やりがいじゃなくてさ。生きててよかったぁ、っていうの、ない?」
「僕お酒あんまり飲めないんだ。いや、飲めるんだけど飲んでもあんまり酔わないから。だからなんかなぁって感じ。みんなが酔ってるのを見ると虚しくなっちゃって」
少し的外れなことを言ったかなと思い、僕は彼女を見た。
「可哀想」
心から同情してくれたみたいで、こう言ってはなんだが、少し僕の心が癒された気がした。
「あっ赤ポスト」
ポストの前で彼女は止まった。
「こっちから右行くとうち。左行くとカマちゃんのホテル」
「なんでホテルの位置知ってるの?」
「私も泊まってた。てか、みんなあそこだよ。うちの店来る人は」
「そうなんだ」
「うん……」
「」
30秒ほど、立ち止まって無言が続いた。
気まずさを思い出して、別れを切り出そうとした時、彼女が言った。
「今夜うち泊まってく?」
「いや」
僕は小さく即答してしまった。
少し「しまった」と思ったが、どうせ回答は変わらないから仕方ないかとも思った。
突然の絡みに少し緊張して戸惑っていた。
「……」
何か言いたげだったが、彼女は終始真顔で、それから一言だけ呟いた。
「そ」
そこで別れた。
僕が言った。
「会えたら、また!」
僕が手を振ると彼女が振り向いた。
「会えたら……まぁ、また」
少しだけ微笑みあって帰る。
10歩くらいよろよろと歩いて、それから、しばらくして、やっぱり彼女のことが少し心配になって振り向くと、そこには。
「やっぱ、泊めて。くんない」
悲しみと寂しさと心配が入り混じった、複雑そうな顔をした彼女がいた。
「いいよ」
言ってから「しまった」と思った。
「うち、こっちだから」
僕が指差すと、彼女も答える。
「知ってる」
指さした方向に歩き始めると、彼女は僕の腕に自分の腕を引っ掛けた。僕は少しムッとしてそれを振り解くと、彼女はそれを振り解いてまた腕を組んでくる。
脳裏には奥さんの話していた“誓い”の言葉が浮かぶ。
それを三回くらい繰り返したところで。
「いいじゃん!」
と半ば怒られて、僕は何故かため息をついてそのまま組まれた腕を放置した。
彼女は嬉しそうだった。
「その日初めて会った男と腕組んで何が楽しいんだか」
嘲と卑屈さのこもった言葉が、思わず口に出た。
「初めてじゃなかったらいいの?」
「……そういう問題でも、ないか」
だとするならば、この行為の意味を決定づけるのは、今後の僕たちの行動だ。
どんなに長い付き合いにだって、初めてはあるのだから。それが長い付き合いになるのなら、初めてをそう悲観する必要もない。例えば、一目惚れみたいに。
僕は少しだけ、真面目な気持ちになった。
深夜のため少し暗いエントランスが僕らを出迎える。
彼女は慣れた自然な様子で僕についてきて、ホテルに入った。
降り出した雨に濡れていたので、僕はそのままの服装で、彼女にホテルから貸し出された僕用のバスローブを貸した。
上から服を着ろと強く言ったが普通に無視された。
「誰にメッセ?」
彼女は不機嫌そうに言う。
僕がスマートフォンを見ていることが気に入らないらしい。
僕はスマホの画面を彼女の死角になるように隠した。
「ちょっと」
僕が言うが。
「見せて」
手を掴まれる。
「見せない」
振り解く。
「みーせーてー」
「見せない!」
振り解こうとしてスマホが宙を飛ぶ。
ベッドに落ちたそれを、僕より早くばっと手に取る彼女。
ーー
3/24 0:54
角「愛してる♡♡」
自分「僕も」
角「とかなんとか言って今他の女の子と一緒でしょ」
自分「」(考え中)
ーー
「つの?」
「かど」
僕が訂正する。
「かど」
納得したように頷きスマホを眺める。
彼女が言った。
「恋人だ」
突きつけられる人差し指。
「違う」
「浮気相手?」
「違う!!」
「えー、じゃあ何。妹?姉?そんなきょうだいいる?」
「妻だ」
迷ったが言ってしまった。おかしな展開になりそうだったから初めに言っておいた。別に今回の件にはあまり関係はないだろうから。ただ、これからはそう言う設定でいかないと。いや、概ね事実だけど。
僕がそう言ったとき、彼女は絶望感をにじり出してから、それから、卑屈な意地悪そうな笑みを浮かべた。
「へぇ」
四つん這いで。
「わ、わたし、こういうの初めて。浮気っていうの?こういうの」
「何もしないからな。ババ抜きとかしかしないからな」
「ババ抜きはするんだ……」
少し彼女の毒気を抜くことに成功した。
彼女は四つん這いで、枕元の上に体育座りを少し崩した格好でいる僕に近づいてくる。彼女のバスローブがはだけて胸元が見える。罪悪感からそれを伝える。
「見えてるぞ」
「いいよ、別に」
「そういうのは良くないんだ」
「なんでよ。いいじゃん別に」
「価値は隠すから産まれるんだ」
「今その価値を見せられてるとは考えないの?」
僕はハッとして逸らしていた目を彼女に向けた。その目は少し潤んでいて、鼻と目元は赤くなっていて、四つん這いの身体は震えていて、とても真面目な表情をしていた。
その顔に訴えかけられている気がして、僕は目が逸らせなくなった。
どうしていいか少しわからなくなって、思わず尋ねた。
「どう、したい?」
「抱いて」
だめだと言いたかったが僕は卑怯というか意地悪な思いつきをしたので、現実逃避のユーモラスを施行した。
「いいよ。抱きしめてあげよう」
「はぁ?!そういうんじゃなくて」
「一晩ずっとだ。いいだろ?そんなことしたことある?僕はないぞ。ずっと抱きしめる。きっと安心するんだろうなぁ。人の温もりって。寂しくて苦しくて虚しい夜とは大違い」
彼女はみるみるうちに顔を真っ赤にして苛立って、僕をバシバシと叩いて怒ったが、それから、やがて落ち着くと、拗ねたまま身体を差し出した。
僕はそのまま抱きしめて背中をぽんぽんと軽く撫で叩いてやり、頭もよしよしとなるべく上から目線にならないように撫でてやった。
「あー僕めっちゃいい男」
「反論したいのに事実なのがすごく悔しい」
悔しがられて僕はげらげらと笑ってしまった。
「笑いすぎ」
初めの10分はそのままでも良かったが、30分立つ頃には、僕は“これ浮気にならないよな?”と、飽きるほどそればかり考え込んでいた。
ふと、落ち着いたように、ため息をこぼしながら沙耶が言った。
「なんか、脈拍わかる、新鮮。最初早かったのに、もう落ち着いたね」
「君はまだまだそのままだ。疲れない?」
「ちょっと疲れた。横になりたい」
「OK。寝ながらババ抜きでもするか」
「好きなの?ババ抜き」
呆れられた。
「まぁね。おっ」
くさんとよくしたんだ。といいかけて踏みとどまった。
「あ、んなところにトランプが」
視線をなるべく自然にずらしてスーツケースの中のトランプを見つめて指差してみる。
なんとか誤魔化した僕だったが、彼女の脈拍が一瞬緩まったのを感じた。
多分バレたな。
「ごめん悪かったよ。ババ抜きちゃんとするから。」
「身体のどこか触れさせておいてね」
すっかり心を許されたように見えて、なんだか僕はそれが危うく見えて心配だったが、やがて、なんて上から目線なんだろうと気づいて自戒した。
その夜、僕は彼女について何も聞かなかった。彼女も、僕について何も聞かなかった。聞きたそうにしてはいたが。
「ねぇ、職業何?儲かる?不動産って本当?嘘でしょ!絶対嘘でしょ!」
ーーそうでもなかった。
「人身売買」
「うそ」
「君みたいな子を幸せの国に売り飛ばすのさ」
「……」
冗談で言ったのに真面目なヤバい比喩だと受け取られたらしい。
「おい違うぞ。僕は公務員だ」
「人身売買の?」
「そんな国家あってたまるか」
「へぇ、公務員さんなんだ。なんか、すごいね」
「そんないいもんじゃないぞ。安月給だし」
「じゃなんであんな場所いたの?あそこかなり高いよ?嘘でしょ」
「いやいや。接待だから。お金向こう持ち。僕役得。アンド場違い。今日来てもらえなかったから……一人ぼっち。つらい」
「ちょっと可愛そう。だけど公務員なの羨ましいから同情してあーげなーい」
彼女はベッドにゴロゴロと転がりながらトランプを投げつけた。
「あーがりー!」
楽しそうに勝ち誇る彼女に、僕も少し嬉しくなった。
だいぶ子供っぽくなってきたな、と思った。
次の日の夜も、男は来なかった。
1人で座る僕の隣に座った女性が、尋ねてきた。
「お兄さん、今日も遅くまでいますね。お仕事しなくていいんですか?」
仕事モードの時は敬語の沙耶は、机の上ではやや他人行儀にしていた。
が、机の下では足をピッタリとくっつけてきたり、絡ませてきたりしてくる。
誘惑というより、子供めいた冗談のつもりなのだろう。僕がもしその気になっても、それはそれで、みたいな投げやりな考えに違いない。
少し彼女をわかった気になったので、慌てて頭を整理して仕事に目を向ける。
「たとえ仕事相手が来なくても、これが半分仕事ですから。ははは」
店が閉まる時間になったので、僕は仕方なく無収穫のままで深夜の階段を降りる。
と、その時。
息切れと階段を駆け降りる声がする。
「おっすー!さっきぶりー!」
ぽん、と両手で背中を叩かれた。
「気合はどうよ、お兄さん〜〜〜〜」
「さっきのは何だよ」
「さっきのってぇ?」
惚ける気だ。
「僕ちょっと怒ってるんだぞ。あんな自分を安売りするようなことするな!」
説教じみたことを言ってみた。
「高ければ買ってくれるの?」
そう聞かれて、「な訳あるか」と言いたかったが、一度堪えた。
「安売りよりは魅力的だ」
「嘘つき」
適当に言ったのがバレたらしい。
「今日も泊まり行っていい?」
「ダメだ」
「ありがとう!すごく嬉しい……今日大変だったから、ご褒美が欲しかったんだよ〜〜〜〜」
腕を組まれる。
振り解くが組まれる。
諦める。
「……僕のご褒美は?」
「美女と火遊び」
「メリットがまるでないな……今日はババ抜きしないぞ」
「えー!!私が勝つからぁ?」
大人になっても結構楽しいんだよな、あれ。
「今日は、ジジ抜きだ」
僕がニヤリと笑う。
「紛らわしい言い方すんなっ!!」
背中を叩かれた。
なぜか。
それから彼女とは、一緒に帰るようになったーーといっても彼女が一方的に僕の家に寄っているだけなのだがーー。もちろん、彼女が“色々大丈夫になるまで”という条件付きで。
暗黙の了解というか、言わずもがなというか、そんな危うさが彼女にはあった。もっとも、それに触れるのは上から目線な気がしたし、彼女もその話題を避けているようだったから僕も特には触れなかった。
ただ、そういう時期なのだと。
そうして、日は流れた。
「きみぃ、サヤちゃんにぞっこんなんやて?」
男にそう聞かれた時、僕は心臓が脈打つ音を感じた。
「ええ子やよなぁ〜〜!!」
沙耶の話題を通じて、目的の男が僕に話しかけてくるようになったのは、嬉しい誤算だった。
ニンマリと笑う男。その両脇には煌びやかな美女が笑い合ってお酒を飲んでいる。
彼女が僕にぞっこんなんですと言いたかったが、僕も満更でない対応をしている気がするのでーー浮気ではないと信じたいーー否定できなかった。
「ええ。まぁ。いい子ですよね」
「いいやんなぁ、あの子。趣味合いますわぁ。ところで、きみぃ、不動産系の仕事なんだって?」
話した覚えがない。沙耶か。無意味な悪戯をよく仕掛けてくる。アピールのつもりなのだろうが、逆効果ーーたまに面白いと思う時もあるけど。たまにというか半分くらい面白い。
なんだか少し悔しいな。それも面白いけど。
「不動産というか、まぁ。お金儲ける仕事してます」
仕事してたら当たり前だ。
僕はニュアンスで誤魔化した。
「もっと儲けたいと思うかえ?」
笑いかけられた。
「ええ」
僕は食い気味に即答した。
早いな。僕まだ何もしてないのに。いや、だからこそか?人手不足なんだろうか。
「この話なんやけど。これ一緒に売らへん?ボクひとりじゃあ売り切らなくてなぁ、一緒に……」
日付が全て同じ、同じ品物の履行書。複製された紙達。
ほこりの匂いがした。
「儲けませんかぁ?」
その書類は、偽造されたものだった。
「今日また無意味な悪戯をしたね」
砂浜を歩きながら、背中で指を組む沙耶に言った。
「不動産とも言ってなかったっけ?」
「違うって話したんだ」
「そーそー公務員。思い出したむかつく。」
「被害妄想だ」
「ほらすぐ難しい言葉使うーー!!馬鹿にしようたってそうはいかないよ!ウェキぺディアが私にはついてるんだから」
「被害妄想くらい日常会話だろ」
僕は呆れて言った。知ってるくせにいちいち僕を貶めるというか、絡めるような言い方をしてくる。
「そうだけど」
先回りされた。
「怒った?」
笑う沙耶。
なんで少し嬉しそうなんだ。
「いいや。むしろありがとう。客同士話すきっかけになってよかった。」
「あれ。怒られると思ったのに」
「美女と話すのに飽きるなんてな。僕もおかしくなってきたかな」
ふと立ち止まる沙耶。僕は気にせず先に進む。
ざっ。
と、砂が蹴られるような踏みしめるような音が背後から聞こえた。
「最初から楽しいなんて思ってないくせにー!」
小さめの、叫びのような声だった。
「楽しいなんて初めから言ってない」
飽きたと、言ったんだ。
「……」
不服そうな顔をされた後、僕に向かって全力疾走する沙耶。
「うわっ」
僕が驚いたのも束の間、彼女はその勢いのまま飛び上がって僕の背中にドロップキックをした。
「いった!このスーツ高いんだぞ?!よく知らんけど!!」
「かっこつけんな!!」
なぜか彼女は少し泣いていた。
それから、僕のスーツを見て。
「知るか!!悪いと思ったら住み込みで家事代行してやるよ!!給料はいらない!!1日1時間ハグしてくれればいい!!」
「それ通い妻だろ。アウトだろ」
僕のツッコミに、彼女はコミカルな、“ショッキング”という表情をした。
僕はふと、ほぼ毎日泊まりに来るこの状況は通い妻ではないのか、と聞かれたら困るなと思って、そこで、考えるのをやめた。
僕はその日、初めて昼間からビルに向かった。
多くのサラリーマン達とすれ違う。その夜中とは段違いの人の多さに、僕は少し目が回っていた。
「あれ?」
そのうち1人、すれ違った女性が振り向いてこちらに近づいてきた。
スーツだらけの人の中、かっちり目とはいえ仕事という視点から見たらゆるい私服で、少し浮いている女性。
「何してんの」
沙耶だった。
「仕事だよ」
「無職じゃなかったんだ」
驚いた顔をされた。
「公務員だっつってんだろ」
日に日に煽りが強くなっている気がする。
「あ、私急ぐから。今夜も来るよね?」
「さあね。行けたらいく」
「行かないやつの返事じゃん」
彼女の返しに僕は少し面白くなったので、軽く返す。
「“行く系の行けたらいく”だよ」
「あーそ」
そこでお互い軽く別れた。
「さて、と」
彼女と合うたびに少し心がうわついた気持ちになっているのが浮気のように感じてーー決して浮気ではないと、僕は浮気だとは認めないがーー、それでも不思議とそんなに嫌な気分ではない。
エレベーターの、最上階のスイッチを押した。
「これを売るんや。いくつも売るんや。その分、売る時に払いすぎた税金が返ってくる。いっぱい売るほどいっぱい税金が返ってくるっちゅうわけや」
そこには、同じ商品の内訳の書かれた書類が、山のようにいくつも積まれてあった。
お茶の商品の書類らしい。ぱっと見、どれも全く同じ内容だ。
「これを、売るんや」
ニヤリと笑う男。
僕は微笑み返しつつ、ちらりと、さりげなく部屋を見渡した。
これから売るという話しなのに、どこをどう見ても、その商品は存在しない。
これは確定だな。
僕はひとまずの物的証拠を隠し撮ろうとポケットに手を入れてスマホを操作しようとした。
「写真撮るのはダメやで」
「えっ」
どきりとしたが平静を装う。
「ここに名前書いてくれりゃああとはこっちでやっておくっちゅうことや。なぁ、悪い話やあらへんで。名前書けばお金もらえるんやよぉ!!」
男は、僕の腕をがっしりと掴んでくる。
「書いて、くれるやろ?」
「か、書けません」
思わず言った。
僕が戸惑うと、後ろから複数の足音が聞こえる。振り向くと、がっしりとした男達がそこに立っていた。
瞬間ーー。
「ぁあ゛?!」
怒りの形相に達する男。
「何を言うとるんや」
凄まじい形相で怒鳴り散らし始める。
その怒号により、ビリビリと、空気と肌が震えるのを感じた。
一瞬チラリと目を逸らして後ろを見る。出口は屈強な男達に固められている。
僕は少し、冷ややかな気持ちになっていた。
あーこれ、書かないと逃してもらえないな。
僕はにこりとして言った。
「書けませんよ!だってーー」
紙を持って尋ねる。
「ペンがないです」
僕はペンを握る指の形を作ってみせた。
男は目を丸くして、キョトンとした。
「あ」
男はにこり顔に戻って、僕にペンを渡した。
「悪うかった悪うかった、気持ちがはやってしもうたわ。ほなペン」
「ありがとうございます」
僕はサラサラと記入していく。
「そこに保証人書いてや」
「はい」
「ほなもう1人」
「はい」
「ほな最後の1人」
「はい」
サラサラサラサラと書いていく。誰も何も喋らない。
結局僕は、全て用意していた偽の連絡先を書いた。
「ほな、ありがとう。一生に儲けようなぁ!カマボコくん!!」
笑顔で部屋を追い出されるように退出させられた。
やけに長い時間に感じた。
やっと部屋を出されて、というか半ば追い出されて、僕は長い息を吐いた。
人気のない、海の音が聞こえるところまで、場所を移動する。
携帯を取り出して電話をかける。
「……あ、僕です。蒲鉾です。部長、仕事うまくいきそうです。ただ、写真撮れなくて……署名しちゃいました。あ、はい。まぁ一応用意してたやつ書いたんですけど。すみません。あ、はい。僕が見たのはお茶でしたけど、多分他にも商品ありますねあの感じは。かなりやってますよ」
嘘の商品売買記録を利用して不正に助成金を得ようとするやり口。
「ていうか僕片棒担いじゃいましたね。ははは……っ、怒らないでくださいよ。……はぁ。すみません。はい、あ、無事です。はい。あ、心も。はい。労ってくれてありがとうございます。え?馬鹿にしてませんよ。本当ありがとうございます」
商品の一つ一つは事件的な視点で見れば比較的小さい額なだけに、それに手をつけていると言うことは、予想よりも大きい規模で行われていることがよくわかる、
「切りますね。はい。それでは、人が少ない今夜22時に」
僕は電話を切って、一度ホテルに帰った。食事をしておかないと。
何が起こるか、分からないから。
「ぁー!きたきたぁ!!カマちゃんおっひさぁ!」
小走りで来た緑のドレスの沙耶に、遅れて出迎えに来てくれた赤いドレスの女性が返事する。
「もう沙耶ちゃんったら昨日も会ったでしょ?本当、この子蒲鉾さんのこと好きすぎて仕事に支障きたしてるんですよぉ」
僕はにっこりと笑顔で返した。
「あはは。憎すぎて支障きたすとかならまだわかるんですけどねあはは」
2人はひくついた顔で言葉を失った。
「冗談です、笑ってください」
「あ、あはは!なんだぁ、もう、びっくりさせないでくださいよぉ」
沙耶に席へと誘導されながら、ヒソヒソと小声で話しかけられた。
「ちょっとカマちゃん!自虐はやめてよ私達答えづらいじゃん!!」
「なら今度から1人で出迎えに来てくれ。君にだけ攻撃できる」
「なるたけ3人くらいで迎えに行くルールなの!!気持ちいいでしょそっちの方が!!それに!!2人きりなら私はそんなに気を使わない!!」
それはそれでどうなんだ。
と言いそうになってから、僕もそうなんだということに気づいた。
席に座ったとたん、僕のネクタイを緩めるようにして、ぴっとりと身体に張り付いてくる沙耶。
「ねぇーえ、今夜暇ぁ?遊びに行きたいなぁーー」
猫撫で声がまとわりついてくるようだ。
「今夜は無理。仕事」
「はぁ?!」
大きい声を出された。
一瞬の静寂に、みんながこちらを見る。
「何?」
怪訝な顔をする僕に、しまったという顔をする沙耶。徐々にまた話し出す周囲。
携帯が震える。
通知が来た音がした。
「あっ、メッセだ〜。見せてぇー」
「トイレ行ってくる」
僕は立ち上がる。椅子に座ったままの沙耶にスーツの裾を掴まれる。
「絶対奥さんでしょー。いーのかなぁーこんな店きててーー絶対怒るでしょーー!!うぷぷ」
「トイレ行ってくる」
今度は強く言った。
「さてはエロいやつだな……あーあーお盛んなことで」
最後の方はなんだか卑屈じみた声で言うので、なんだかいたたまれない気持ちになったが、僕は気持ちを切り替えてトイレへ向かおうとした。
だがそこで僕は、なんとなく、本当になんとなく、歯切れが悪く感じて、ぎこちなく振り向く。
「本当に違うからな」
「見てないのになんでわかるのよ」
「仕事だ」
「じゃ見せてよ」
「なぁんで付き合ってもないのに束縛気味なんだ君は!!」
「……一度も沙耶って呼んでくれない」
「呼んだよ」
「いつ?」
「いつか」
呼んだ気がする。まぁ、およそおそらく“もっと呼べ”という意味なんだろうが。
「仕事だから見せられない。急がないと。じゃあね、すぐ戻ってくる」
「戻ってこないやつのセリフだぁー」
泣きべそをかくフリをする沙耶を比較的優しく振り払い、席を立つ。
沙耶はすぐに他の女性に呼ばれて他のテーブルへ向かった。その目が少し僕と合った。何かを訴えかけるような感じがしたが、僕は少し躊躇しつつトイレへ向かった。
ーー
22:15
部長「上の階は制圧した。証拠も掴んだ。お前の名前の入った紙も見つけた。」
自分「お疲れ様です」
部長「まだ下の階に残党がいるらしい。30階の店が怪しいらしい」
自分「そこのトイレなうです」
部長「気をつけろ」
部長「すぐ行く」
ーー
スマートフォンの仮電源を落とした途端。
僕は嫌な予感がして、すぐさま携帯をポケットに入れながら全速力で走り出した。
店の中に戻り、あたりを見渡す。男が2人ヒソヒソと話しているのが見えた。
まだ何も騒ぎは起きていない。
“まだ?”やめろ!まるで何か起きるみたいにーー。何も起きないのがベストなんだ!!!!
「あの、大丈夫ですか?お席にご案内をーー」
僕はキョロキョロとあたりを見渡した。僕を案内しようとする赤いドレスを着た女性の横を通り、人を探す。
いない。
いない。
いない。
焦りが出てくる。
僕は冷たい息を浅く吸い込んだ。
「沙耶!!どこだ!!」
僕は叫んだ。
「何?」
僕の真後ろから、沙耶がびっくりしたように返事をした。
「本当に早かったね」
ざわついてから、やがて収まる周囲。女性に入れ込んだ客という構図が、突然の大声からみんなを安心させたらしい。
「てか、名前。呼んでくれたね。ありがとう」
「いや、いいんだ。僕は、別に」
心臓が嫌にどくどくと脈打っている。任務前で焦っているのか?いや、今は任務中だ。
「汗かいてるね」
「無事でよかった」
思わず彼女を抱きしめる。
「あっ」
沙耶が声を出す。
「お客様、そういうのは……」
隣のテーブルの女性に言われて、僕はハッとする。
「あっごめんなさい!つい」
沙耶に謝る。
「ごめん、沙耶。……さん」
「いや、いいけど。……どしたの?」
心配された。
僕は汗を拭き取って、疲れ込んだように席に座った。
僕は女性達と笑顔で話しながら、周囲の状況を確認する。
刻一刻と時間が過ぎていく。感覚が鋭敏らしく、まだ誰も降りてこない。
そんな時、押し殺したような聞き覚えのある男の声がした。
「くそっ、上の連中が捕まった!!」
「はぁ?!どうするんや!!」
「もうすぐそこまで来てるって……」
目の前の女性に笑顔で答えながら、男達の声に、僕は耳を傾ける。
「ちょっとカマちゃん聞いてる?」
沙耶に声をかけられて僕は意識を目の前に戻した。
「あっいや」
目を丸くする僕。きょとんとして首をかしげる沙耶。
「やっちまうか」
「ぁあ。やるしかねぇ。掴まんのは嫌だからな」
あれ、と思ったその時、破裂音とガラスの割れる音が店内に響いた。
「全員動くなぁ!!」
音に対する悲鳴、遅れて、状況を理解し始めた悲鳴が上がる。
銃を出す男の人。
僕が立ち上がろうとしたその時、男と目があった。
「おいお前、お前やなぁ!!サツに告げ口したの!!スパイかぁ!!タダじゃおかねぇぶっ殺してやる!!」
銃を向けられる。
「わっ」
僕は怯えたように声を出す。
|なるべく誰もいない方へ《・・・・・・・・・・・》、逃げるように後退していく。
壁にぶつかって、ぶるぶると震えた。
「ひっ、こ、殺さないでください!!」
僕が言う。
遠くの視界で、遠く離れた、怯える女性達が映る。
その中から、緑の服を着た女性が、意を決した顔をする。
怯えた僕と目が合う。
“やめろ”と僕が目で合図した時、彼女は何を思ったか必死な顔で頷いて、立ち上がり、震えながら駆け出した。
僕の元に距離を詰めに、もうすぐ目の前まで、僕と男の間まで走ってきた。
「沙耶ちゃん!!」
「沙耶!!」
同業者の女性達から悲鳴が上がる。
彼女は、沙耶はドレスを翻して僕の前で両手を広げて訴えた。汗をダラダラとかいて、震える声と身体で。
「やめてください!この人何も関わってないです!お願いです!」
「うるせぇ!!ブスは黙ってろ!!」
殴られる女性。
「っあ」
声なき声と共に女性が吹き飛ばされる。
3メートル以上吹き飛ばされて、彼女の頬が床と擦れて傷つく、体育館で聞くような、甲高い音がした。
「てめぇからあの世に送ってやろうか」
うずくまって震えるその女性に銃を突きつける男。
瞬間。
僕は壁を蹴った。
右肩を突き出し、反対の腕で銃を受け取る形を作る。
そしてそのまま、全速力で気づかれる前に男に体当たりした。
「んぁ」
男が気づいた時には、吹き飛ぶ。
「やめろ。この子に手を出すな!」
男がもつれて銃を手放す。僕がそれをすぐさま取ろうとするが、銃は指からこぼれ落ちて床に落としてしまう。
倒れてから一回転して、すぐに起き上がる男。
銃を取ろうとして手間取った僕の顔を、両手で鷲掴みにする。
僕はもつれあった男の肩を肘で思い切り打ち付ける。
「がっ」
緩んだ男の体勢の裏をかき、そのまま羽交い締めし、叫ぶ。
「銃!!」
慌てて、僕の意図を汲み取った沙耶が床に落ちていた銃を胸に抱き抱えた。
羽交い締めした男の関節を締める。
「ぐぁ」
「すみません、ね!!!!」
イラついていたのもあって、かなりキツくシメた。
男は気を失い、そのまま床に倒れる。
「なんだお前……何してくれんだぁぁ!!」
「やんのかぁ!!」
再び悲鳴が上がる。
扉の奥からわらわらと屈強な男達が現れる。
何度も女性達から恐怖の声が上がる。
「ありがとう」
沙耶に一言お礼を言う。沙耶は戸惑いつつも、「う、うん」と早口で返事して、ジェスチャーをした僕に、恐る恐る銃を渡した。
僕は彼女から銃を受け取ると、彼女と男達の間に立つ。
「安心して。僕が守る」
男達が銃を構える。
彼女の前に立ち、男達が撃つよりも早く銃を撃つ。
3発男達の足元の置物にあたり、それが男達にあたる。
足元から体制を崩し、打たれた銃は天井に埋もれて誰にも当たらない。
よろめいた男達。
僕はすかさず近づいて、そのまま銃のグリップを首元に叩きつけて意識を奪う。
後ろから別の男が叫んだ。
「こンのやろ!!」
殴りかかられた拳を避けて、その手の勢いのまま、倒れた男の上に背負い投げる。
「ぐあっ」
「ぁあっ!!」
更に男が、店にあったお着物の時計を投げてきたので、僕は腕でガードしながら前に走り込む。男に覆い被さり、押し倒して銃を奪う。
更に背中から襲いかかってきた男には、後頭部で顎を強打させる。
「「いっ!!!!」」
僕もかなり痛くて声が出た。
まだ奥から巨躯の男達が出てきたその時。
人の気配とともに、大勢の声がした。
「発泡したぞぉおお!!」
「銃はどこだぁぁあ!!」
ぞろぞろと警察官達、機動隊が入ってくる。
僕がすかさず状況を伝える。
「銃はここです。僕が撃ちました。6発打たれましたが、擦り傷による軽症者1名、重傷者はいません」
「お前!!」
咄嗟に僕を取り押さえる警察官達。
はっとした沙耶が頬を押さえながらぎこちなく、それでも素早く立ち上がって小さく叫んだ。
「違うの!この人は!!」
沙耶が弁明したところで、僕は微笑んで大丈夫だと伝えた。
「警視庁公安特殊対策課、蒲鉾剣です」
敬礼をして、ポケットにしまっていたボタンを見せる。
若い警察の人が眉間に皺を寄せて、怖い顔をして首を傾げる。
「?何言って」
話がこじれそうになったその時、背後から年配の警察官が来て若手の襟元を掴み引き下がらせた。
「!!失礼しました。こちら、当作戦のリーダーだ」
「んなっ?!じゃああの噂のーーカマボコ?!」
「馬鹿“さん”をつけろ“さん”を!!」
「しっ、失礼しました!!」
相手も驚いて敬礼をする。
僕は少し反応に困って、微笑んで状況を詳しく伝えた。
やがて女性達や客達の動揺も収まり、みんな落ち着き始める。
少し煙とほこり臭い中、事態は忙しくも穏やかさを取り戻していった。
「警察、だったんだ」
少し遠い目をして、困ったような笑い方をした沙耶が言った。
「まぁね」
僕はハンカチを彼女の頬に近づけて、手渡した。
「遅くてごめん。僕のせいで殴られた」
「そうだね。キズものだ」
ニヤリと笑われたが僕は目を逸らせた。
「ちぇっ」
彼女はそう言ってから、救急隊の人と警察の人に連れて行かれた。
僕も部長へ直接の状況報告のためその場を離れた。
裏組織は壊滅。ビル内の関連企業は全部解体。違法薬物はおよそ全て回収できたと思われる。
摘発はできたものの、軽症者一名(沙耶)、沙耶のいた店を含む6店舗が、裏組織との深い関わりがあったとして解体されてしまう結果となった。
それでも事態は、収束した。
「ずるいよ」
砂浜で言われた言葉が、ガラスで肌を斬るように僕の心を傷つけた。
「守るだけ守って、かっこつけて、惚れさせてそのまま去るなんて。私無職だよ?お嫁さんに永久就職したいんですけどー」
砂浜がサラサラと流れて、波が立つ。
僕は何も言わずに返した。
「ふぁいと」
じろっと睨まれたが、気にせずそのまま砂浜を歩く。
「君も公務員なれば」
「無理。私バカだし。かっちりした仕事って苦手」
「そうは思わない。気配り上手だし、真面目だし、地頭が良くて勇気も出せる。ありがとう、助けてくれて」
思わず笑うと、振り上げられた拳が目に入る。
「だぁからそういうのをやめろーー!!」
本気で横っ腹を殴られた。骨が折れたかと思ったがカッコつけてなんともないふりをした。
しばらく砂浜に足跡を残したが。
「あっやっぱだめだ」
僕は両手で自分の脇腹を押さえてがくりと膝をついた。
「あっごめん!強すぎた」
住所だけ教えたものの、結局彼女とはスマホの連絡先を交換しなかった。
少しモジモジとしていたけれど、なんとなく察してくれたのか、彼女も何も言わなかった。聞かなかった。僕もそれについてどう思っているのか聞けなかった。聞いたところで、これ以上は、流石に、どうにもできないんだけど。
仕事用のスマホはもう押収されたから、あれ宛に送られたものが僕に届くこともない。
「警察かぁー。どうりで高嶺の花なわけだ」
「そんな」
それから、二言三言交わした。
風で砂が飛ぶ。
「ばいばい」
手を振る僕の言葉に、少し涙目で、笑顔で沙耶は言った。
「またね!!!!」
強く言われて、僕は困ったように笑った。
「ありがとーーーー!!だいすきーーーー!!!!」
僕はよくわからないまま手を振って、不思議な気持ちでその海を後にした。
あっけないほどに、ホテルのチェックアウトは簡単だった。
勿論1人きりで駅に向かった。何とも思おうとしなかった。何も考えないようにしていた。
帰りの電車では、期待と虚しさのような寂しさの二つが僕を占めていた。
家の前のドアに着いた時、インターホンを鳴らそうかとも思った。
が、やめておいた。押したら、『なんで押すの?私との関係は一ヶ月くらいで他人行儀になるものなの?』と言われそうだからである。逆に『押してくれた方がよかった』とも言われそうだったが気にしなかった。
「ただいまー」
扉が開くと、宙に妻がいた。
「おかえりなさいっ!あなたの帰りを待ってたわ」
抱きつくというより突進に近い猛攻を受けて、僕は背中から転びそうになった。
ひとしきり挨拶が済んだところで、彼女が部屋に鍵を閉めてすんすんと鼻をひくつかせた。
僕のコートをひどく睨みつける。
「臭いね。女の香水って感じで癪に触る。脱いで」
「へ?」
「今すぐ脱げよ」
帰宅してばかりなのに、僕は言われるがままに脱いだ。恥ずかしい。
お風呂場に連れて行かれて、僕はバケツいっぱいの水をかけられた。
「いたっ」
「あっごめん」
目が痛い。水と思ったそれは、ツンとした香りがする。肌はひどく寒い。
気化熱で冷えたんだ。
「あるっ、アルコール?!」
「消毒消毒」
びしゃ。びしゃ。ばしゃぁ。
5つのバケツを一滴残らずかけられた。足元の浴槽にアルコールがたまる。
「あっなんか急にタバコ吸いたくなっちゃったー」
僕は目を丸くした。
結婚してから一度も吸っていなかったのにいきなり吸い始めるなんて。
凍える僕は素っ裸で訴えた。
「あ、あの、寒いんですが」
「えっ何?聞こえない」
「今火つけたら僕燃えちゃうんじゃ」
「そうなったらあったかいねえ!やったじゃん」
「燃えかすになりますよ?!」
「それでも愛してあげる私ってステキ?」
「ステキというか!いや、ステキですが僕がステーキになっちゃうんですって!!」
彼女がタバコに火をつけるライターの手を緩めて、軽く舌打ちしてから僕を睨んだ。
「そういうさァ、上手いこと言いました?みたいなドヤ顔うざいからやめてほしいんですけどォ」
僕は気まずくて俯いた。
アルコールが、ほんの少しの隙間から壁の方に抜けていくのが見えた。
一瞬僕の息が止まった。
彼女の声が聞こえる。
「ねぇ。ここのバスルームで死にたくないでしょ?」
その声で、すぐに呼吸が戻る。
「そ、そりゃあね」
「じゃあ、何で浮気したの?」
「してないよ!ずっとハグ止まりだった」
「ハグはしたんだ」
「したよ」
あえて胸を張った。
「浮気はしてない」
「あなた何しても同じこと言いそう」
「してないってば何にも!!」
「知ってるわかってる。まぁいいわ。脱がせて気分も晴れたし。一緒にご飯食べましょ」
「ひどいなぁ、もう。まぁ僕が悪いしいいけど」
「そう悪いの」
彼女は少しご機嫌だった。
僕は服を着せてもらい、その食事では、いっぱい笑った。とても美味しくて、何だか久しぶりという感じがした。実際久しぶりなんだけど。
僕は決意を噛み締めて、彼女に告げることを決めた。
「ねぇ、ハグしていい?」
「その浮気相手(仮)の代わり?」
「違うよ。しよう」
「うん」
彼女は嬉しそうにして立ち上がり、僕を抱きしめた。僕は、後から、恐る恐る、強く抱きしめた。
抱きしめながら言った。
「やっと掴みましたよ。」
「へ?尻を?」
僕は努めて平静を装って話した。
「連続誘拐犯江川角!!」
「私、蒲鉾角よ?そんな人知りませーん」
抱きしめられた腕を無理やり引き剥がす。片手を掴んだまま風呂場へ行く。
「え?なになに?」
僕はシャワールームの壁を思い切り蹴る。すると、その壁が開いた。
「ーーッ!!」
「……」
僕が驚いて、彼女が息を漏らすのも束の間。
そこには、見たことのない服装、10人分くらいの男物の服があった。
「このバスルーム、二重に壁がしてあったんですね。これがあなたの犯行の証拠です」
「」
しばらく、間が場を包んだ。
「もうやめてください!いくら偽装だからってこんなこと!!気に食わないことがあるたびにこんな、こんなこと!!」
彼女は叫んだ。
「偽装なんかじゃない!!そんなこと言わないでよ」
片手を僕に掴まれたまま、僕の胸にもう片手を置く彼女。
「私たち本物でしょう?やっと出会えたの!いままでみたいな偽物なんかにしないで!!あなたは違う、私と一緒、でしょ?」
「違う。僕はあなたを捕まえるために偽装結婚した、潜入捜査官だ!!大人しく投降してください!!」
彼女はニヤリと笑った。
「あーらら、そういうプレイ?いいよ。しようか。じゃあ試しに、手錠で私のこと捕まえてみてよ」
「えっ」
思わず素で戸惑ってしまう。
僕は素早く逃げられる前に、投げやりで華奢な身体を強く抱き寄せる。
「きゃっ♡」
そのまま手錠をつける。安心した僕の1センチ先に、彼女の顔が上がる。
「ほら早く。今なら私のこと警棒でめったうちにしても合法だよ?ほら、いいの?奥さんでストレス発散しなくて。骨折れるくらいガンガン叩いても、私が後から本当のこと話してもあいつは悪者だから嘘ついてるって君が言えばみーんな君のこと信じるよ。ほら、やってみよーよ」
「ほらほら」と身体を差し出して、にまにまと笑う彼女。僕は少し怖くなって、身を引き締めた。
「な、何言ってるんだ!!」
彼女は急に色気を失い茫然自失と空を見つめた。
「まぁ君はそういうタイプじゃないか。つまんねー」
それから、ボソリと呟いた。
「まぁ、そういう君じゃないとやられても興奮しないんだけど」
パトカーの、包囲を告げるサイレンが鳴った。外が騒がしい。
意気消沈していた彼女が、寂しそうに微笑んだ。
「ねぇ。最後くらい、手を繋いで行きたいな」
「だめだ」
「いいじゃん。たとえ君のいうところの偽物でも、たくさんの時間を過ごした仲でしょ?」
「僕は潜入捜査官だ。そんな感情……」
“ない”と言い切るのは、なんだか卑怯な気がしてしまった。
僕は自分で血迷っているなぁと思ったが、彼女の手をぎゅっと握ってから、手錠を外した。
その手を繋いで、外に出た。周囲を取り囲むのは多数の警察官達。
彼女が言った。
「今まで、ありがとう」
やけに素直な様子が色々と想像を掻き立てて、僕は辛い気持ちになってしまった。
「いや。仕事、だから」
僕は、微笑んだ彼女に口づけしそうになった自分を咎めた。彼女はそんな僕を見てにこりと笑って、一言告げた。
「ごめんね」
長かった時間から解放された思いが込み上げてきて、僕も謝ろうと思って、口を開く。
「いいんだ、僕こそ。かけがえのない時間だった。たとえ、それが仕事だっ」
視界が90度ねじまがり、僕の首が何者かに握られた。
カチカチカチ。
彼女がスカートからカッターを取り出した。
「近づいたらこの人殺します。嫌ですよね、機動隊の英雄だもん。だからどいて」
僕は首に食い込むカッターを感じながら、なんてバカだったんだと自分を憐んでいた。
「信じたのに」
泣きながら。
「今も信じていいのよ?これはあなたと私のためなんだから」
彼女は笑って僕の首を少し切った。
どよめく警察隊。
小声でやりとりをする遠目の警察官達。
「発砲許可降りた!!発砲許可!発砲許可!総員構えろ!!」
全員が、僕の妻だった女に銃を向けた。
「やめ、やめてよ、もう、こんなこと!!!!」
彼女はみるみるうちに憤怒の形相に代わって話した。
「諦めない!!諦めない!!私は諦めない!!あなたと一緒に過ごす日々を絶対に!!」
首元の痛みが、アドレナリンで快感に変わり始めた頃、血が飛び散った音がして、誰かが彼女を撃とうとしたのが空気感で伝わってきた。
銃声がした。
「ぐぅ」
間抜けな僕の声がして、首元から外れたカッターが地面に落っこちた。ビルの上の方から悲鳴が聞こえた。
「えっ?」
尻餅をつく彼女。ドサリとそこは落ちる僕。
「なん、で」
思わず反射的に出た言葉だったのだろう、理由はよくわかっているみたいだった。
なんで……かな。
何で庇ったのか、自分でもよくわからない。走馬灯が頭を巡る。めぐって仕方がない。
何度も何度も。
何度も、何度も。
きょとんとする彼女。
僕は言った。
「誓い、ですから」
それから彼女は落ち着きを取り戻して、笑顔で笑った。
「うん、そうだね」
さも当然と言った顔で僕の頭を「よしよし」と撫でた。はははと絶望感がヒリヒリと滲んでいく。
「本物だったね」
「あれれ。このままじゃ私撃ち殺されちゃうよ。どうする?一緒に死ぬ?それとも私を守った上で生き延びてくれる?
僕はうまく思考が回らなかった。
彼女は、警察と地面に落ちたカッターを交互に見てから、素早くそれを手に取る。
誰かが「やめろ」と強く叫んで、僕の視界には、満面の笑みで僕の真上でカッターを振り上げる彼女がいた。
銃声が、響いた。
ーー
ーー
潮の香りがした。
目覚めると、そこでは潮の揺らめく音がした。海が見えた。
「や」
女性のか細い声がした。
「やほ」
目をやると、そこには。
目が覚めたその時、そこには、沙耶がいた。
「ぅえっ、なん、で」
気まずそうに、でも嬉しそうにする沙耶。
「きちゃっ、た」
ごめん、としおらしく謝る彼女に、いやいやと訂正を加える僕。
「いや、ていうか、どうやっ、て?」
「ネットのアカウントで、角さんとカマちゃんの繋がりある人2人を見つけて。そしたら、プロフィール、未婚になってて。あれ、嘘だったんだーって、思って。なんか虚しくて。寂しく、て。そしたら、なんだか、ムカムカしてきちゃって」
彼女はボロボロと涙をこぼしながら言った。
「それで、会いに行って全部ぶち壊してやるって思って……そしたら、カマちゃん昏睡って…………ぐすっ、ぐすっ、私、自分がしようとしてたことようやく思い知って、なんか私がカマちゃん傷つけたみたいに思えてきて、いや、ほんと、自業自得すぎて笑えるよね、本当、ごめんっ、ぐっすっ、ごめんなざぃ……」
とても反省していて、ようやく、毒を吐き出せた、と言った様子だった。
「な、なんか、ごめん、僕入院してたみたいで。てか、今起きたんだけど。いや、会えて嬉しいよ。素直に。なんか、あれだね。すごいね。警察なれんじゃないの?」
僕は思いの外淡々とした心境だった。
「警察っていうか、ストーカーだね……」
頭をもたげる。どうやらかなり罪悪感があるらしい。
涙ぐむ彼女。
「あれ、あながち嘘じゃないんだ。結婚してたのも本当だし、でも今はしてないのも本当。偽装結婚ていうか、捜査だったんだ。警察の人が気い使ってアカウント操作してくれたんだね、きっと。公安……警察側が用意してくれたアカウントだから、あれ」
「カマちゃん……」
涙がボロボロと溢れる。
思い出されるのは、砂浜を歩いた情景。2人で話した言葉。互いの体温。決して近づきすぎないようにしていたもどかしい距離。
そして、会いにきてくれた懐かしさ。
沙耶が叫ぶように、絞り出すように話した。
「私、カマちゃんのこと」
僕は息を吸い込む。
「結婚してください」
するすると言葉が出た。
「ずっと大好きで、初めて会った時からこの人のことなんかいいなって思ってへ?」
用意していた言葉らしく、早口で言い切ってから遅れて反応が来た。
僕が言う。
「結婚して、くれませんか」
「うん」
即答だった。
「え?なんで?」
涙をボロボロとこぼしながら彼女が素直な疑問を言った。
「自殺するからね!これ嘘とかだったら私自殺するから!今すぐこの窓から飛び降りてやるからね!!」
感動で笑いながら、涙をこぼしながら病室の窓を全開に開ける沙耶。風がびゅうと通り抜ける。
「もう撤回しちゃダメー!!したら死ぬから!!絶対死んでやるからっっっっ!!!!」
僕は布団を蹴りあげて、腕の点滴をぶっちぎって、窓に乗り出した彼女を抱きしめた。
「ありがとう。その時は、一緒に死のう」
窓の光が、僕たちを包んだ。
「やっぱやだぁ……カマちゃんは死んじゃやだぁ」
涙がキラキラと光る。
「私は死んでもいいけど、カマちゃんはしんじゃやだぁぁああああ」
彼女がややヒステリーを起こしてわんわんと泣くので、看護師さんがやってきて慌てて宥めて、起き上がった僕をみてとても驚いていた。
急死に一生を得るとはこの事らしい。みんな話したがらなかったが、彼女は、死んだと聞いた。
僕は、生き延びた。
ーー
ーー
「行ってらっしゃい、あなた《・・・》」
その言葉に、僕は片言言葉で首を傾げた。
「ナニソレ」
「いっ、いーじゃん!!結婚したて何だから」
「昨日入籍したばっかだけどね」
「いーじゃん!!夫婦なんだから!!カマちゃんのエッチ!!」
「なんで?!」
笑いが起きる。
「それじゃあ、仕事行ってくるよ」
「また潜入捜査?」
「うん」
「……ねぇ、本当に行かなきゃダメ?」
「僕じゃなきゃできないことがあるんだ」
「……カッコいい」
悔しそうに褒めてくれる。
「ねぇ、私とのこの時間は、演技じゃ、ないよね」
「演技でも幸せにしてみせるから大丈夫。」
「そういう問題じゃない!!」
「演技じゃないよ。いやごめん、本当だって」
「……ならいいけど。わかってるけど。」
無言で見つめ合う。
しばしの間。
「〜〜〜〜んぁぁぁぁあ!!!!やっぱやだぁぁぁぁ!!絶対浮気するじゃん!!何なら私が浮気相手じゃん!!」
「だぁからあれは違うって!僕抱きしめただけじゃん!絶対何もしなかったじゃん!!」
「そうだけど!そうだけどぉ!!」
「じゃあ何?」
僕は尋ねた。
「同じこと他の女の子にされたらムカつく」
「私もやっちゃうかもしれないからあんまり深くは言えないけど、浮気即殺すだから」
「はいはい。てか自分も頑張れよ」
「嫉妬しないんだぁぁあ!!やっぱ愛してないんだぁあ!!そもそも好きじゃないんだぁぁ!!」
結婚して以来、今まで溜め込んできたヒステリー(というか感情の波)が暴走しがちな沙耶ではあるが、概ね何とか保てている。
「私のこと好き?ね?好き?」
とたたと駆け寄ってきて、無自覚に料理中だった包丁を持って尋ねてくる。
「好きだよ」
「愛してるって言えよ!!」
背中を走りと叩かれる。包丁が光る。
「怖いんだけど」
「あっごめん!ぁあもうやだ私何で包丁持ったまま!!あっごめん違うから!!脅したわけじゃないから!!あーもうまた好きって聞かなきゃやだなぁ私の馬鹿馬鹿」
涙目で自分の頭をばかすか叩く沙耶に、僕はその手を止めて穏やかに話す。
「愛してる。行ってきます」
「」
沙耶は僕の腕の中に倒れ込むように力を失った。
「やっぱ明日からにしようよぉ〜〜〜〜!!!!さみしぃよぉおお!!新婚2日だよ?!仕事?!ありえないでしょ!公安嫌い!!大っ嫌い!!」
「とばっちりだね。悪いのは僕だよ」
「カマちゃん悪くないもん。悪いのは公安なの!!今度公安にカマちゃん返せって言いに行くから」
真面目な顔で言うので僕は少し本当に心配になった。
「冗談だよ。え。なに?私そんなことすると思われてるの?」
沙耶に睨まれた。
「オ、オモッテナイヨ」
「うわぁぁぁぁん!!」
また信用を無くしただのと言ってわんわんと泣き出す。結局僕は、半日遅らせてから行くことにした。
とたん彼女は泣き止んで、部屋だと言うのに僕と腕を組んでやたらとベタベタした。
僕達は、誰も呼ばない小さい結婚式をあげただけで、ほとんど親族がいない。お互いに両親とは疎遠状態だし、親戚も尚更。友人はいるが、見られるのは恥ずかしいということで、結婚式はそのような形となった。
「絶対帰ってきてね」
「うん」
「死んじゃやだよ」
「うん」
「浮気しないでね」
「わかってるって。もちろんだよ。そっちも寂しいからって他の男の人頼っちゃダメだよ」
僕の言葉に、彼女は図星を突かれたように困ったような顔をした。
「……自信ない。やっぱ一緒に行く」
「新婚旅行じゃないからこれ。潜入だから」
「じゃぁ私も捜査官になる」
「むーーーり……とは言い切れないけど怖いなぁやりそうだなそれ、でもやめてね」
「なんで?」
「危ない仕事だから」
「やっぱ私も行くぅ!!」
「もう!このくだり5時間もやってるんだよ?これ以上引き伸ばしても僕怒られるだけで仕事無くなったりしないんだよ?」
「……ちっ」
「ちっ、て」
彼女は僕を抱きしめて、そのままスンスンと匂いを嗅いだ。
「他の女の匂いさせて帰ってきたら殺すから」
「ありていな言葉だけど嬉しいよ」
「前半余計。本心」
「これは失礼。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
僕は家を出てドアを閉めた。
「……」
身体に彼女が張り付いたまま離れないが。
いっそこのまま仕事に行くか。なんか動物に種子を張り付けて遠くに運ばせるタイプの植物ですとか言っとけばいけんじゃねえのかこれは。
「離れて」
「無理」
「離れて」
「無理」
僕は彼女を無理やり引き離して仕事に行った。
先ほどから、携帯の着信が鳴り止まない。とりあえず新幹線に乗るまでは僕も携帯を見ないことにした。
じゃないと、行けなくなりそうだからだ。
蒲鉾角。いや、江川角。
……あの彼女が死んだなんて、正直信じられなかった。
が、プリントアウトされた顔写真を見たらそんな気がしてきた。
「君の優秀さには、本局も手招きをするほどだ。どうだ、行ってみるか。潜入調査員として」
潜入なんて、懲り懲りだ。
そう思ったが、他に特技もないしできる人が僕しかいないと言われると承諾してしまう自分がいた。20時間後には、何やってんだオレと思った。
「設定どうする。未婚にしとくか?」
頭が空白になる。
「あ、いえ。既婚で、お願いします」
僕が終始取らないでいる、潜入用の指輪をジロジロと見られた。
「あいよ」
が、何も聞かれることはなかった。察してくれたらしい。
舞台はタワーマンション。最上層階の違法薬物を売買する組織を暴くこと。僕の任務は組織に潜入することだ。
また高層ビルディングか、と思い辟易したが仕事だから仕方がない。
「兄ちゃんかっこいいねぇ。仕事は何してるん」
僕は設定通りに答えた。
「不動産を」
「若いのにすごいねぇ。どうだ、もっと儲ける気ある?」
「もっと?そりゃ、今の1.5倍くらいは稼げるようになりたいですけど。1億とかは流石に」
「かっかっか!控えめやなぁ」
潜入のコツは、なるべく素の自分でいることだ。偽らない方が齟齬が生まれにくい。
だから、不動産なんて名乗るのは少し気が引けるけど、こん下記の潜入には好都合だから、まぁいいか。
「お兄さんかっこいぃ〜〜」
ドレスを着た女性が寄ってくる。
パーティー会場という開けたこの場所では、敷居がない分目立つと簡単に目立ってしまう。気をつけないと。
その時、靴が床にぶつかる軽い音がして、誰かが転んだ。
「あっごめんなさい」
1人の女性が、僕の周りにいた女性に向かって派手にシャンパンをぶちまけたのだ。
割れるグラス。少しの悲鳴。10秒ほどで場は落ち着く。
「信じられない」と口々に、女性達は僕の周りから去っていった。
「囲まれるの好きじゃない?」
びっくりして、僕はどもりながら返事した。
「女性だと、ちょっと」
照明の光が、その女性をキラキラと輝かせた。
「今日もかっこいいね」
「あ、どうも」
僕は妙な違和感を感じたが、今の騒動で集中力が少し削げていた。
「少し出ない?私疲れちゃって。エスコートしてよ。いい口実でしょ、君にも」
「あ、どうも、それじゃあ」
とりあえず、今日の任務だったファーストコンタクトは済ませたし、今は目立つわけにはいかない。ひとまず出よう。
「鶴くんて好きな人とかいる?」
「好きな人?……さぁ、どうでしょう」
また違和感。なんだ?
……あ。
「私、鶴君のこと好きだなぁ。」
名前話したかな。そう思ったとき、柔らかな声が響いた。
「あ、僕結婚してて」
「うん、知ってる。私もだよ」
僕が「あっ」と声を上げる前に、その人は、潜入用の結婚指輪をした腕で、僕の両肩を抱き寄せた。
「久しぶり」
その声を、僕は知っていた。
お疲れ様です!
決して忘れていたわけではないんですが、間が空いてしまいました。すみません。
ヤンデレだったでしょうか。う〜〜ん????色々と気になります!すみません!やれたら次はもっと精進します!!
読んでいただきありがとうございます!!




