線を選ぶ
彼女は会う度に変わるから、描きとどめておきたくなる。この後は飲み会とヒールを鳴らして去った後ろ姿に、高校生の頃のあどけなさなどどこにも見えなかった。当たり前だ。もう十年も立つのだから。スケッチブックをパラパラとめくり、彼女の残影を追いながら、白紙の面までたどりつく。今日の描き出しは、あの紅い唇だ。男の趣味というより、本当に強くなったのだと思う。艶々とした黒髪も、抜けるように白い肌も。あの頃とは違う色香をまとっていた。顎の鋭角と曲線の微妙なバランスを何度か書き直す。記憶より少しふっくらしていた。満たされているのだろう。その柔らかさの中に皮肉っぽさが混じるよう目の光を調整していく。アレは、わたしのファム・ファタールなのだ。同性だけど。
本当に彼女が幸せになって、何一つ欠けるところがなくなったら。わたしは描くのを止めるだろう。その時は静物画も肖像画もやめて……抽象画か、陶芸もいいかもしれない。
さらさらと描き上げてしまえば、彼女はやはり彼女だった。わたしの寂しさは絵の中にはいない。滲むように美しい女。ーーとは、あのヤブ医者の言葉だったか。あの変態は、在学中の初個展から瑠衣の絵に目をつけ、売る気のないわたしが吹っ掛けた値段でそのまま買い取ってしまった。そして来る度にモデルは誰かと聞かれ、はぐらかしていたはずが、気がつけば奴の病院に就職していた。それ以来、瑠衣の絵を展示するのはやめた。こうして描き続けるのは純粋な衝動だった。誰に見せるでもない、わたしだけのもの。初めからわかっていれば、手放さずに済んだのかもしれない。けれど、描いた端から過去になっていく彼女こそ美しく、わたしにはそれで十分だった。
「松江さん、一区切りついたら片付けましょう? もう6時半よ」
「あっごめんなさい」
片付けそびれていた空のカップが、小さく音を立てた。