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口紅にご用心

8/20 新作短編投稿です。

よろしくお願いします。

 南の街から半年ぶりに村の屋敷に戻ったイザベルは、主だった人に帰宅の連絡を済ませ、エイダを探した。部屋で宿題をしていると聞いたが留守だったので、メイドとして留守にしていた間を埋めるように屋敷を巡回する。

 エイダは裏庭の木のそばで本を読んでいた。真剣な目で本を見据えたその表情は、精巧な人形にも見え、風景とマッチしてとても美しく感じる。木の葉が風でざわざわと揺れた。

「裏庭にいましたか、エイダお嬢様」

「ベル! 久しぶりね!」

 エイダは立ち上がり駆け出すとイザベルの腰に抱きついた。

 イザベルも彼女をぎゅうと抱きしめる。

「ええ、本当に。一年半ぶりぐらいでしょうか。大きくなられましたね、お嬢様」

「そうよ。私ったらすっかりレディなの」

「そのようで。お嬢様、誕生日おめでとうございます。遅れましたがプレゼントです」

 イザベルはかがんでエイダと目線を合わせ、色付きのリップクリームを手渡した。

 エイダが欲しかったものの一つだ。彼女の顔が笑顔で溢れる。

「ありがとうベル、大事にするわね! ふふ。やっぱりベルがいてくれると嬉しいわ」

「そういえば今はお部屋で勉強中じゃなかったのですか?」

 エイダはてへりと舌を小さく出した。

 まるで妖精のような可愛さ。

「語学と経済学は眠くなっちゃうの」

「家庭教師のロザリンドがあちこち探していましたよ。お嬢様は英国有数のギャング、ブラックバーン家の一員なのです。きっちりお勉強しましょうね」

「はぁーい。でもロザリーったら昨日からどうも様子がおかしいったらないの」

「おかしいとは?」

「授業中に突然笑ったり泣いたり」

「それは確かに変です。ま、後で私から言い聞かせておきますから、行きましょう」

「うーん、ベルのお話聞いたらお部屋に戻って宿題をするわ」

「お話? どんなのがいいんでしょうか」

「恋のお話!」

「恋愛話ですか。これは困りましたね」

「どうして困るの? あ、もしかしてベルは蛇にしか欲情しないとかそういうのなのかしら。それは、うん、確かに困るわ。私が動物で紹介できるのは、学校で飼っているやたら茄子ばかり食べる性欲の強いうさぎと、周辺をウロウロしている浮浪者の臭い持ち犬と、食べることと寝ることしかしない校長室にいるデブネコくらいだもの」

「お嬢様はどこでそんな偏った愛を知ったのですか……」

「アビーが極東の国から仕入た本で教えてくれたの。他には美人教師のお姉さんが少年を夜の学校で」

「わーわーわー」

「それと男性二人がベッドの中で内緒で夜な夜なもぞもぞと」

「わーわーわーわーわーわー」

「特に目を引いたのは『エイと人が』」

「わーわーわーわーわーわーわーわーわー」

 イザベルは耳を両手で強めに塞いだ。

 大丈夫だろうか、お嬢様の一番のお友達とやら。

 イザベルは心底エイダの交友について不安に陥った。

「で、ベルはどの動物が好きなの?」

「私、どれだけ動物偏愛者なのですか。勘弁してください。私はそういった動物を求婚対象にしていません。私はただ恋愛が苦手でして……あそうだ、昔教会で聞いたお話をしましょう」

「昔超イケメンですんごいお金持ちだったという牧師様から?」

「お嬢様はもう少し人を疑うことを覚えた方が良さそうですね。耄碌ジジイがふざけただけです。本気にしてはいけません。あとで泣きを見ることになります」

「ふうん。まぁ、いいわ。ベルはこれからどんなお話を聞かせてくれるの?」

「口紅のお話です」

 エイダはキョトンと首を傾げ、先ほどイザベルからもらったリップを前に見据えた。

 イザベルは語る。



 村に貧乏だが優しい女性がいたそうです。そんな彼女が男性と結婚することになりました。誠実な男性ですが、彼は没落貴族でお金がない。二人揃って貧乏なので式も挙げられぬ始末。

『このままでは君にドレスも買ってやれない』

 男がぼやくと女性は答えます。

『必要ありません。だって私にはあなたにもらったこの口紅がありますから』

 貧乏な女性は、男から以前もらった赤い口紅を塗って彼に口付けしました。

 するとどうでしょう、あたりにバラの花が舞い、女性の服がウェディングドレスになりました。

 二人は大層喜んだそうです。

 めでたし、めでたし。



 しばらく二人は黙ったまま風の音を聞いていた。

 イザベルは付け足す。

「これは男を一途に想った女性の奇跡のお話です。どんなに辛くとも、思いが通じていれば幸せになれるというわけですね」

「そう。私は貧乏な男と結婚したいと思ったことは生まれてから一度もないし、これからも思わないけれど、そこまで想える男性ができるというのはやはり幸せというものよね。ベルはそういう男の方はいないの?」

「私ですか? 一応お付き合いしている男性はいますが」

「そうなの? 知らなかったわ。どのくらい?」

「もう五年になりますかね」

 エイダは「おー」と感嘆を漏らした。

「どういうイケメン? どのぐらい超お金持ち?」

「顔がいいわけじゃありませんし、お金もありません」

「そうなの?」

「貧乏です」

「ベルは頼りない男が好きなのね」

 イザベルは、昔彼と出かけて財布をなくした彼のせいで奢る羽目になった記憶を思い出した。

 ムカムカする気持ちと同時に自然と額が下がる。

「悪気はないんでしょうけどね」

「お話の男の人と同じね」

「彼ほど熱のある男性なら、多少貧乏でもとっくに結婚していたでしょうね」

「というと?」

「なにぶん甲斐性なしのグズなのです。そのためズルズル、ズルズルと時が流れてしまって。気が付いたら三十歳ですよ、私。笑えない」

「ベルの方から告白するというのは?」

「私の方が年上なので」

「それは言いづらいわ。ちなみに私の知っている人かしら?」

「教えたらお部屋に戻りますか?」

「もちろんよ。それを聞いたら、ロザリーの妙ちくりんな授業をちゃんと受けるわ」

 イザベルは恋人の詳細を愚痴とともに明かした。



 翌日。吹きすさぶ冷たい風が窓を突き刺す夜、イザベルに電話が入った。

 相手は件の男だった。

「おや、ダニエルですか。こんな時間に何の用です?」

「その……今夜一緒に食事でもどうかと思って」

「夕飯の時間にしては遅すぎます。明日では?」

「ダメだ。今日じゃなきゃいけないんだ」

「やけに強情ですね、そこまでいうのでしたらいいでしょう。今から外に出て、え、もう車を回してある? はぁ、わかりました」

 イザベルは外行きのメイド服に着替えた。

「あら、こんな遅くに出かけるの? ベル」

「ええ。少し。お嬢様はもうお休みになってください」

「そうするわ。ほら、これをお使いなさい」

 エイダは階段の上からイザベルに物を投げ渡した。イザベルはしっかりキャッチする。手を開くとそこには口紅があった。

「お嬢様、これは」

「いいからそれをして行きなさいな。きっと奇跡が起きるはずよ」

 イザベルは首を傾げながらも口紅をつけると、屋敷の前で停車しているダニエルの車に乗り込んだ。

 中は冷え、ダニエルの表情もどこか暗い。ダニエルとイザベルは数分おきにポツリポツリと話しては沈黙することを繰り返し、彼の家まで車をやった。小さい部屋だ。中に入るとまだ温かく、つい先ほど暖炉の火が消えたような生暖かい空気がイザベルを包んだ。

「一体何の用です、呼び出すなんて」

「それはその、なんていうか結婚の、なんというべきか、二人のことについて」

「は? 結婚? 急にどうしたんですか、ダニエル。教えている学校の生徒にバットで頭でも殴られましたか?」

「近いことはあったがそれはいい、気にしないでくれ」

 ダニエルはイザベルを抱きしめるとソファに押し倒した。

 イザベルはいつになく真剣な彼の目をじっと見つめる。そりゃあ会うのは久しぶりだが彼はそういう方向に熱くなりやすい体質ではない。クールだし、真面目だ。

「変なダニエルですね」

 とイザベルが彼の背中に手を回した瞬間、玄関の扉が破裂した瓶のようにけたたましく開いた。

「センセー! ダニエル@センセー! ワイン持ってきましたよー! 一緒にチーズも冷蔵庫にあったのでもりもり持ってきちゃいましたー! ってあれー? 部屋暗ぁい。センセー、どこですかぁー? かくれんぼプレイですかぁー? 目隠しつけて『いやん、どこ触ってるの』ゲーム発動ですかぁー?」

 ロザリンドの声だった。しかも相当酔っている。

 イザベルは至近距離のダニエルの顔をじっと見つめる。睨んでいると言い換えて差し支えないだろう。

(いや、違う違う。僕は彼女とはそういう関係じゃ)

「センセー? どーこでーすかー?」

(彼女は大学の僕の生徒でそのー)

「もう下着しか脱がせるものありませんよぉー?」

「ええい、いつ僕が君の服を脱がせるような関係になった!」

 ダニエルはソファから飛び降りロザリンドの方に手を置いた。

 彼女はダニエルに抱きついた。

「だってー、フラれたけどやっぱり好きなんですものー」

「なっ、なっ、なっ、なんてこと言うんだ君は!」

「えー、じゃあ先生私のこと嫌い? 顔を見るのもヤですか?」

「そこまでは言わないけど」

「私のこと嫌いじゃいのね! 嬉しー!」

 ロザリンドはダニエルの唇に熱いキスをすると、二人は床に倒れ込んだ。

 イザベルはソファの上から彼らを見下ろす。ダニエルはロザリンドの膨らみに顔を赤らめつつもイザベルに弁明の口を開こうとしたが何も発することができず、ただ口を金魚のように開閉しただけで終わった。唇のキスマークがあかりの少ない部屋で黒々と見える。

「別れ話なら別れ話だと……」

 彼女はワナワナと身を震えさせ、すっくとその場に立ち上がって叫んだ。

「はっきり言いなさい、この甲斐性なしの貧乏クズ男!!!」

「違うんだよぉー、ベルー! 誤解だー!」



 エイダは寝室のベッドに入ると、イザベルに迫るよう説得したダニエルが早速行動を起こしたことについて満足げに笑った。あとはイザベルにどんな口紅の奇跡があったか次の日に聞くだけ。

 エイダはワクワクで眠れるか少しの不安と抱え枕を抱きしめた。

 翌朝、イザベルの目下にクマができ、怖い顔をしながら長包丁で大量の獣肉を細切れに刻んでいたのを見て、エイダは教会を襲撃した。

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