36 VS.教育制度
36 VS.教育制度
6歳になり、初等教育を受ける頃になると、何故か<他生之園>で、一瓏は、中心人物になっていた。
<他生之園>は、保育所と幼稚園を併設して運営しているため、孤児や保護児童以外との接触もあったが、《浄化》などで幼子達の‘ 翳り ’や‘ 穢れ ’を消して、‘ 魔 ’の影響を排除していたら、懐かれてしまったようだ。
《浄化》スキルは、妬みや嫉みに憎しみといった負の情念から生じる‘ 翳り ’と、自分や他人を誤魔化す事で生じる‘ 穢れ ’が降り積もり‘ 魔 ’となったものを消す事ができる。
《浄化》範囲内なら、心を喰い尽し‘ 沉みかけ ’となる前の‘ 魔 ’の欠片ならば、祓うまでもなく完全に消す事ができるが、‘ 沉みかけ ’には無意味なスキルだ。
それというのも、《浄化》とは、‘ 人 ’の心に働きかけるものだからだ。
生理学でいうところの治癒力のように人の心にある回復力。
その力を高める事で免疫力のように‘ 魔 ’の欠片を消し去る心の力も高める効果が《浄化》にはあった。
人間が免疫力の高まりを実感できなくても、体力の回復は実感できるように、《浄化》による気力の回復を実感した子供達は、無意識で一瓏を庇護者と認めたらしい。
それは、いわゆるカリスマなどではなく、‘ 人徳 ’に近い影響だ。
この二つを混同して同じものだと思う者も多いが、影響力というものは同じでも、その方向性は逆だ。
カリスマは、熱狂をもたらし欲望を煽る魅力で、‘ 人徳 ’は、理性を呼び覚まし、‘ 人の善性 ’を思わせる力だ。
‘ 魔 ’の欠片を消し去る事で、‘ 人 ’が最初に学ぶ、協調と共存の理を思い出させるから、《浄化》は‘ 人徳 ’に似るのだろう。
それが、‘ 沉みかけ ’や、“ ‘ 人 ’に最初に与えられる大切な想い ”を得られなかった人間には、影響を与えないのも、また同じだ。
そういった《浄化》の影響を受けない人間ほど、その心の空ろが満たされなければ、‘ 沉みかけ ’になりやすい。
虚ろな欲望を心に溜めていく事で、‘ 沉みかけ ’となるのとは違い、最初から心に空ろがあるぶんだけ、そこに‘ 魔 ’が育ちやすいのだ。
そして、その空ろを満たせるのは、‘ 人 ’だけだ。
だから、一瓏は、‘ 人 ’として、心に空ろを持った幼子に接した。
その事が、一瓏を、<他生之園>の中心人物にしたのだ。
それは、人望のように指導するものではなく、カリスマのように惹きつけるものでなく、包み込むかのようなものだと、<他生之園>の幼子には感じられていた。
その幼子達の想いを感じ取る事は、一瓏には容易い。
感情の匂いを嗅覚が、感情の動きを視覚が、感情の揺らめきを聴覚が、感情の気配を触覚が、その人間の肉体の限界異常に鋭い身体能力で捉えるからだ。
6歳で、既に14歳の平均身長に達する体格もあって、一瓏は、最年長の子供はもとより、何故か職員達より、信頼されるようになっていた。




