10 VS.育児放棄
10 VS.育児放棄
鉄の扉を苦労して開くと、外には見た事もないような地があった。
空は変らずに青く、雲は白く、けれど、ただ大地だけが変っていた。
天に突き立てられたような巨大で四角い無数の塔や砦のような建物が山のようにそびえ立っている。
これは、何だ?
‘ 武族 ’が造り上げ、‘ 魔 ’に魅入られる事で失われた魔道文明の遺跡に似た様式の建物だが、‘ 魔 ’の気配はない。
巨大な城砦都市。
単純に考えればそうなのだが、全てが異質だった。
金属に火に雷といった‘ 精霊力 ’ばかりが強く感じられ、水や地の‘ 精霊力 ’は遠い。
澱んだ空気は、微かに毒を含んでいるのか、風の‘ 精霊力 ’に混じって金属や土の‘ 精霊力 ’が感じられた。
「アニシテンダ、クォラアッ!」
扉の外の通路に立ち尽くしたまま、異様な世界に気を取られていたせいで、危険に気づくのが一瞬遅かった。
気づいた次の瞬間には、蹴飛ばされて、衝撃で舞うように倒れ込んでいた。
意味の解らない怒声に反応するには、死にかけた身体は鈍く重かった。
それでも‘ 命気 ’を使えば、無理矢理この身体を動かして、避ける事もできたかもしれない。
だが、恐怖に竦む幼子の身体を無理に動かすよりも、防御に使ったほうが、費やされる‘ 命気 ’の量は少なくて済む。
この幼子の身体は、いきなり現れた暴漢に異常なほど怯えていた。
肉体に刻み込まれた記憶の欠片が、全身でこの男に脅え、怯えきっていた。
倒れこみながら見た男は、‘ 魔 ’に魅入られかけ、内から悪気を放ってはいたが、未だ人間で妖魔に化してはいない。
‘ 精霊力 ’も‘ 命気 ’も持たず、瞬殺できるような‘ 沉みかけ ’だ。
だが、それでも幼子一人を害するのには充分だ。
この幼子が生命を落としたのに、この男が関わっているのは間違いない。
‘ 沉みかけ ’とは、そういうものだ。
‘ 魔 ’に魅入られ、欲望に溺れ、やがて生命に敬意を払えなくなって、容易く何もかもを傷つけ壊そうとするようになり、最後には自分の生命も‘ 魔 ’に食い尽くされ、妖魔と化してしまう。
深淵へと沈んでいけば魂さえ失い、沉んでしまう。
だから、‘ 沉みかけ ’。
‘ 沉みかけ ’から‘ 魔 ’を祓うのは簡単だ。
‘ 命気 ’を直接打ち込めば、それで終わる。
だが、‘ 魔 ’に蝕まれた精神は元には戻らず、大抵は‘ 魔 ’につけいられる基になった記憶を失い子供や赤子のような‘ 沉み損ない’になってしまう。
人が‘ 沉みかけ ’になるには、数年から数十年の時がかかり、多くは子供の頃、‘ 魔 ’が心の中に芽吹くからだ。
「ヘヤカラ、デンナッツータロガ」
意味不明の言語らしきものを口にするこの男に、‘ 命気 ’を撃つのは簡単だ。
だが今の状態では、たったそれだけの‘ 命気 ’を使うだけで、この身体を動かしている‘ 命気 ’は尽き、無理矢理動かしている心臓も停止するだろう。
精霊術を使うなら、この男を殺すのは容易い。
‘ 精霊力 ’もわずかしかないが、それでもこの男程度なら十人以上でも、同時に殺せる。
そうすれば、‘ 命気 ’は残り、この‘ 沉みかけ ’の生命を犠牲にする代わりに、自分の生命を救える。
‘ 武族 ’なら、迷わずにそうするだろう。
覚悟のない‘ 武族 ’なら、大事なのは自分達の生命だけだ。
生命に値するのは生命であると考えるような、覚悟ある‘ 武族 ’でも、この状況なら‘ 沉みかけ ’を殺す。
だが、討魔者は違う。
討魔者には討魔者のルールがある。
成功率は低いが、間に合えば生き延びる事ができるかもしれない道。
ここで討魔者が選ぶべきは、生命を奪うのでも生命を犠牲にするのでもない第3の方法だ。
そうでなければ、‘ 魔 ’につけいられる隙となる。
‘ 命気 ’を波動に変えて撃ち込むと、声も立てずに男は、その場で崩れ落ちる。
それと同時に、この身体に精霊術を使い────次の瞬間、心臓が鼓動を止めた。




