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不味いコーヒーはいかがですか?

作者: 水沢 沙良
掲載日:2016/09/25

ーーー雨か…?

暑いを越えてオーブンの中に放り込まれたような暑苦しい快晴だった街が、いつの間にやら分厚い雲が出てきて、今ではすっかり雨音をたててコンクリートを濡らしていく。

さて、これがゲリラ豪雨になるのは勘弁だが、にわか雨ならば歓迎だと、男は期待半分、不安半分の微妙な表情で、窓の外を伺う。

閑古鳥のなくレトロな雰囲気の喫茶店は、ジャズのピアノと雨音が良い塩梅で溶け合い、こんなにいい店なのなぁとため息をつく。

男がにわか雨を期待するのは、雨宿りを求める客が集まることだ。普段は入り辛い店もこんな時には仕方がないと入りやすくなる。それがきっかけで幾人か固定客でもつけば上々だ。だが、ゲリラ豪雨ともなると雨宿りをする店を探すよりも、雨をしのげる場所から離れようとはしなくなる。だから、客足は伸びないのだった。


「やっべ。看板に貼った紙、ビニール掛けてないや。あぁ…でも営業中ってわからんよな?」


とブツブツ独り言を呟き、外へと出ていく。

すると、軒下に1人の女が雨宿りをしていた。

ハンカチもタオルも持っていなかったのか、濡れたままの焦げ茶の髪から雫が滴り、屋根の下だというのに、頬や淡いシンプルなデザインの水色のワンピースを濡らしていく。

スラリと背が高い女は物憂げに空を見つめていて、思わずそのまま男は見惚れた。

やがて、我に帰ると一気に恥ずかしさが溢れてくる。


「あ…雨、止むといいですね?」


やや上ずった声で、声を掛けるとはじめてそこに人がいることに気付いたかのように、ピクリと肩を震わせながら、ゆっくりとこちらに振り向く。


「えぇ、本当に。ごめんなさい。お店の前で邪魔ですよね。」


「いいえ、今、誰もお客さんいないんで、大丈夫ですよ。あっ、よかったら中にどうぞ。店に誰もお客さんがいないと、他の方も入り辛いみたいで、いてもらえると助かるんです。タオルと一杯のドリンクサービス付きで雨宿りも出来るなんてお得だと思いませんか?」


「それなら、お客さんとして入りますよ。そんなの申し訳ないわ。」


「いいんです。僕が無理を言っているんですから。あっ、ここ自宅兼喫茶店なんで、ちゃんとタオルも新しいものを用意しますから、どうぞ?」


「あら、貴方が店主さんなんですか?ふふっ、随分、お若いのに大変でしょう?」


「あっ!今、馬鹿にしましたよね?僕のこと、バイト君だと思いましたよね?もう、ヒドイなぁ。みんなそう言うんですよ。若いからってみんながみんなバイト君って訳が……。」


と尻すぼみになっていく独り言を続けながら、看板を抱えたまま店へと案内する。


ーーー本当に店主に見えない人だ。


男には悪いが、女はバイト君どころかその辺のチャラ男位にしか、店の名前の入った前掛けを見るまで思っていなかった。黒髪はきっと以前は明るくしていたことが伺える青みを帯びた黒で、これでもかとたっぷり付けたワックスでツンツンにしており、白いワイシャツから覗く襟元からはシルバーのチェーンネックレスが見えていた。人目を惹くであろう柔らかな目元に整った顔立ちがますます男に"チャラ男"の印象を与えていた。

案内されたからには入らねばと、頭の中の失礼な思考を追いやり、お邪魔します、と律儀に挨拶をしながら店へと足を進めるとチリンチリンと高い鈴の軽やかな音が出迎え、チェーン店にはない風情を感じさせた。


「ふわぁーー!」


思わず素っ頓狂な声が上がる。

それもそのはず。店内は、まるで昭和にタイムスリップしたかの様な昔懐かしい喫茶店になっていた。ダークブラウンで統一された、木目がそのままデザインとなったアンティークなテーブルセットに、サイフォンやグラスでごちゃごちゃしたカウンター、煉瓦造りの壁には、木製の棚が置かれ、昭和を代表する名優の写真やサイン、物珍しい紅茶の缶などが並べられており、薄暗いアンティークランプが雰囲気をさらに高めていた。


「素敵な喫茶店ですね!」


子供の様に目を輝かせながら辺りをキョロキョロと見回す女は、扉の近くに置かれたレコードに気がつく。


「これ、まだ使えるんですか?」


「いやぁ、もうダメでしょうねぇ。じいちゃんが店主やってた時にダメになって、専門の人に見て貰えば直るかもなんて話しもしてましたけど、結局、そのまんまにしてますからね。でも、雰囲気は出ますからそのままインテリアの1つとして飾らせてもらってます。」


と奥から色落ちが心配な真っ赤なタオルを引っ張り出した店主が答える。


「盤もたくさんあるのにもったいないですよ。あっ、そしたらこのジャズは?」


「普通のスピーカーからですよ。レコードで流れてたらおしゃれなんですけどねぇ。さぁどうぞ、タオル、使ってください。しっかり拭いたらカウンターにでも掛けてください。何をご用意しましょう?」


一瞬、受け取るのを戸惑うように真っ赤なタオルを二度見をしながらも、滴り続ける滴が気になり、女はありがとうございます、と呟き受け取る。しかし、色落ちを気にするように、しばしタオルを持ったまま固まるが、吹っ切れた様にワサワサと派手に髪を拭きつつ、


「おすすめはやっぱり珈琲かしら?」


と、ごく当たり前なオーダーをする。だが、タオルの使用を戸惑う素振りには全く気付かなかった男はごく一般的な事を言ったはずなのに、苦虫を噛み潰した様な顔色に変わる。


「珈琲は…触れちゃいけなかったかしら?」


「いっ…いいんです!ただ、その…えっと…、えぇい!インスタントコーヒーの方が何倍も美味しいと評判の不味い珈琲なんです…。はい…。」


「喫茶店なのに?」


「…はい。」


「カフェオレにしても?」


「……はい。ミルクと砂糖がさらに不味さを助長します。」


半笑いの投げやりムードの店主は、素直に質問に答える。そして、聞いてもいないのに、今の店の状況について語り出した。

この若い男が店主をつとめる『ハヤシダ珈琲館』は大正より続く老舗の喫茶店で、男で4代目となる。壁に並ぶ名優のサインは、レプリカなどでも貰い物やオークションなどでもなく、全てハヤシダ珈琲館に来店してサインを残していったもので、名だたる著名人が休日を楽しむ隠れ家的なお店だったのだ。特にハヤシダ珈琲が売りで、とある作家はここの珈琲でなければ珈琲は口にできないと言うほどの名物だった。しかし、店主が代わり、味が大きく変わったのだという。これまでも次代の店主になると味が変化したが、ここまで不味くなった事はない、そう言われるほどだ。今では昔からの常連はいなくなり、今時の人からするとこの店は敷居が高く感じるらしく新たな固定客も現れず、廃業寸前らしい。

カラカラと軽い笑い声を上げながら、店の状況を説明し終えた店主はすっかり素に戻っていた。


「唯一人気なのはメロンクリームソーダ。そんなこと言われたって嬉しかないってんだ。」


「あら?店主おすすめのメロンクリームソーダではなくて?」


「メロンから拘っておりまーす。…んな訳ないって!アイスもメロンソーダも、普通の業務用の奴だよ。その辺のファミレスと変わらんよ。だから、味は保証するよ。お客さんもメロンクリームソーダにしとく?」


返事も聞かずに店主はグラスに氷を入れ始める。


「あっ、これも拘りの天然氷とかじゃなくて、普通の水を凍らせただけのやつね。」


「夢がないことをわざわざ言わなくていいと思うんだけど…?ねぇ!そんなに美味しくないの?」


「だって、僕も美味しくないって思うもん。でも、改良を重ねれば重ねるほど不味くなっていくから、もう悪あがきはやめたんだよ。」


「じゃあ、口直しのメロンクリームソーダをご馳走になるから、珈琲を一杯頂くわ。」


茶目っ気たっぷりの笑顔で注文をする女とは正反対に、驚きに目を見開きながら青ざめた男はなんとか意識を取り戻し首を横に振る。


「怖いもの見たさ?やめといた方がいいって。」


「そう言われると欲しくなるものでしょう?ねっ?一杯だけ!」


あからさまな大きなため息を吐き、店の奥へと消えた男は、アンティークな洒落たデザインのコーヒーカップを片手に戻ってくる。

何も語ることなく淡々と、ミルで豆を挽き、手際よくカウンターのサイフォンで珈琲を淹れると、店に珈琲の香りが広がり、昭和の雰囲気を一層引き立てた。


「いい香りね。」


「豆はひいじいさんの代から変わらないからね。香りは変わらないよ。」


自嘲めいた言葉を零しながら、カチャリと女の前に珈琲を出す。しかし、カップを覗き込むとカップの底が黒い液体がたっぷり入っているにもかかわらず透けて見える。


ーーー珈琲ってこんなに薄い色だったかしら?


心の中にはてなマークをたくさん付けつつ、それをおくびにも出さずに、頂きますと小さく呟いて、コクリとブラックのまま一口飲む。


「不味い。」


意識などしていない。ほぼ反射で溢れた言葉だった。

口に含むまでは、喫茶店でしか味わえない豊かな珈琲の香りだった。これの何処が不味いのだろうと思っていた。だが、口に含んだ瞬間、珈琲とは思えない嫌な臭みと、食感がある様な妙な液体の硬さ、薄いのに何故か苦味だけを4割り増しにした様な異様な苦さが口に広がる。はっきりと言い切っても構わない。これは珈琲ではない。


「だから、言ったじゃないか。でも、珈琲じゃないは言い過ぎじゃないか?」


心の声が言葉になっていた様で、やたらと不貞腐れたような顔をした男はカップを下げようと、ソーサーに手をかける。


「待って。この珈琲、水は何を使ってるの?」


「そりゃ、ヨーロッパの山から取り寄せた美味しい水に決まってる。美味い珈琲豆と美味い水を合わせたら、美味い珈琲になるだろう?」


「それだ!珈琲を硬水で入れるのは上級者さんよ。水の特徴を理解しないと美味しくなんて出来ないんだから!本当に喫茶店の店主さん?その辺の水道水で入れてごらんなさいな。カルキ抜きはしないとダメよ。臭みがでるから。はい!ぼけっとしないで、手を動かす!」


ビシッと勢いよく指をさしたかと思うと、捲し立てるように言葉を紡ぎ、男に指示を飛ばす。

そして、普通のお水で珈琲を二杯淹れると再び、席に着く。

ドキドキと心臓の音が聞こえるほど大きくなる。男は緊張していた。これで、珈琲が美味くなるのか?という疑念と、これで漸く自分にとっての鬼門である珈琲を乗り越えられるという期待が入り混じる。自然と2人揃って無言のまま、口をつける。


『不味い…!』


自然とハモった第一声に暫くまた沈黙が支配し、何事もなかったかのように流れ続けるジャズのメロディーに吹き出す。


「水じゃないじゃん!」


「でも、変な食感も妙な苦味も和らいだでしょう?」


「珈琲に食感なんてあるわけないじゃん。」


「はぁ⁈喫茶店の店主のくせに味音痴なの?信じられない。後、豆が少なすぎる。これじゃあ、お湯に香り付けたようなものよ。」


「だって、豆をじいちゃんの分量で淹れると苦くて飲めたもんじゃないんだ。」


「当たり前でしょ?硬水で淹れると苦味が増すんだから。はい!もう一回。」


「待って待って、ちょっとタンマ。」


「言い訳は珈琲を入れてから!はい、次!」


有無を言わせず珈琲を淹れさせては、2人で試飲し、声を揃えて、不味いと言っては改良を続けた。豆の量、挽き方…。無い知恵を絞って考え続けたが、一向に美味しくはならなかった。


「ここまで来ると、もはやセンスがないとしか言えないわね。」


一口しか飲んでいないはずなのに、お腹が珈琲で満たされる。それだけやっても、インスタントコーヒーに負けるのだ。

疲れ切った表情の男が呟く。


「お客さん、珈琲の愛好家かなんか?」


「言っておくけど、私は紅茶派よ。珈琲なんて、眠け覚ましか、突然飲みたくなるかのどっちかでしか飲まないくらい滅多に飲まないわ。いい?そんな私でもわかるくらい、薄いのよ?」


もはや腰に手を当て、踏ん反り返る勢いで責め立てられる。


ーーーこれはいよいよ本気で店をたたまなきゃダメかな…?


実の所、随分と前から両親に店をたたんで、何か新しいことを始めた方が良いと言われていたが、喫茶店一筋で考えてきただけに、なかなか踏ん切りがつかなかったのだ。

ふーっと重いため息を吐くのと、女がふっと軽く息を吐く音が重なる。いよいよ、完全に呆れられたかと恐る恐る顔を上げてみれば、目元を柔らかく緩め、パッと明るい笑顔を向けていた。暗い気分を一掃する様な華やかな笑顔に一瞬、心臓が止まるのではと思うほどの衝撃を受けて男の手が止まる。


「紅茶派の私を唸らせる位、美味しい珈琲、飲ませてくれないのかしら?」


「ははっ、お客さんには敵わないよ。その代わり、ここの常連さんになってくれるんだね?」


「嫌よ。だってそれじゃあ、私、不味い珈琲を飲みに来る物好きみたいじゃない。埋もれていた才能を見出したって事になる様に精進してよね?」


「へいへい、精進いたしやす。」


「って!今日はもう作らないつもりですか?そんなことじゃ生まれ変わったって美味くならないわ!」


「まぁまぁ、あんまり怒らない、怒らない。何杯も珈琲を飲むのは紅茶党のお客さんには辛いでしょう?ましてや、不味いんだし。」


「ちょっと!良いように私の紅茶派の話しを使わないでちょうだい!」


「それに、僕、お客さんから頑張る勇気をもらったから、今度はお客さんの話しを聞いてあげたいんだ。まだまだ、雨はあがらないみたいだしね。」


コトリといつの間にかいれられたメロンクリームソーダを洒落たコースターにのせて、女の前に置く。よく見るありふれたメロンクリームソーダだが、グラスのデザインのためか、どこかレトロな感覚を与える。

窓を叩きつける様だったにわか雨は幾分、弱まってきてはいたが、窓を通してもわかる細かい雨が降り続けていた。


「頑張る勇気って、散々不味いって貶された件のこと?」


「いやいや、それじゃあ、僕、ドMみたいだって。美味しい珈琲になるのを気長に待ってくれる人がいるだけで心強いものだし、嬉しかったんだよ。」


素直に感情を表現する事に少し気恥ずかしさがあるのか、視線を逸らし、誤魔化すように自分の分のメロンクリームソーダをいれる。


「私、気長に待つなんて言ってないわよ?それに、私の話しって何の事?話しがあるなんて一言も言ってないわ。」


「ズバッとキツイこと言うよね、お客さん。僕が喜んでいる所にそんなに冷や水浴びせなくても…。で、本題ね。本当は気づかないフリを通すつもりだったんだけどさ、気が変わった。お客さん、本当に良い顔で笑うんだもの、あんなに沈んだ顔をさせた理由知りたくなったし、話すだけでも変わると思うからさ。……雨に濡れて、傘もタオルもハンカチも持ってない…これ、嘘でしょ?」


「…何を言っているの?」


「泣いてたんだろ?雨で誤魔化して。でも、わかるって。それくらい見抜けなきゃ、男として終わってるって。」


おちゃらけてみせながら、話しが重くならない様に気遣うが、女の表情は先程とは打って変わって、暗く沈む。


「そんなに私、顔に出てましたか?平然を装えていませんでしたか?」


「見る人が見ればわかるよ。あぁ、落ち込んでんなぁって。でもそれだけじゃない。違和感を感じたんだ。お客さん、身綺麗で細かい所にも気が回るしっかり者って雰囲気なのに、なにも持ってないなんておかしいって。それに店に入ったら急に頰っぺたとかに滴ってた滴が収まってたから。これはひょっとしなくても、泣いてたなぁって。」


しかし女の耳には、見る人が見ればわかるよ、から先は入っていなかった。目を見開き、大きく瞳を揺れ動かしながら、深呼吸を繰り返し、一口メロンクリームソーダを飲むと、手を組み物想いに沈んだ。ぼんやりとカウンターに目を向けてはいるが目の前の景色を見てはいなかった。


「お客さん?聞いてる?」


「ごめんなさい、聞いてませんでした。」


「素直なのは良いことなんだろうけど、グサッとくるよね。」


「声は?震えてなかったわよね?」


「その、丸っ切り僕の話を聞かない辺り、傷つくんだよね…。」


「で?どうなのよ?」


「声は普通だったと思うけど?」


「そう……。なら、大丈夫…かな?」


自分自身に言い聞かせるように呟くと、意味もなくグラスをかき回した後、パクリとアイスを口に運ぶ。


「本当にメロンクリームソーダは美味しいのね。なんだか、昔、家族とお向かいさんで出掛けた時を思い出すわ。まだ、小学生にもなっていなかったんじゃないかしら?色が綺麗で思わず、りー君と2人で両親の止める声も聞かずに頼んで、初めて炭酸だって知って、いつまでもいつまでも、炭酸が抜けるようにかき回していたのよね。ふふっ、今じゃ当たり前に飲めるのにね。」


「やったねぇ、そういえば。初めての炭酸あるあるだよ、それ。なんか、ジュースと違って色が綺麗なのが多いんだよね。」


「そうそう!で、ひたすらかき回して…。今ならわかるけど、あれはただの砂糖水よね。」


「ははっ、お客さんもなかなか夢のないこと言うねぇ。」


はぁーっとため息を吐くと、出逢った頃と同じ無邪気な表情で男を見る。


「そんなに気になる?」


「気になるというか…、そんなにズバッと僕の心を折るお客さんがそんなに思い詰めるなんて、何事かって、心配になるんだよ。」


「十分、あなたも酷いこと言うわよね。そうね…そんなに気になるなら、話しちゃおうかしら。私ね、ついさっき、失恋しちゃったの。ふふっ、そんな顔しないでよ。まさか、そんな話し振られると思わなかったんでしょう?…片思いだったのよ。もう、20年以上も付き合いのある幼馴染の男の子。今年の冬に結婚式をあげるんですって。ずっと、何も考えなくても、傍にいてくれると思ってたんだけどなぁ。私の勝手な思い込みだったみたい。さっきはごめんなさいね。見る人が見ればわかるなら、あの人、電話口の声で気付いちゃったんじゃないかなって不安になっちゃったの。おめでとう…ってちゃんと言えたかなとか、もっと気の利いたお祝いの言葉言ってあげたらよかったのにとか落ち着いてくると思うのよね。」


「祝えないでしょ、普通。そこで何言ったのか覚えてないほど、ショックだったって事は、それだけ本気でそいつの事が好きだったって事だろ?」


「そうなのかな?私ね、正直なところ、よくわからないのよね…。」


寂しさがにじみ出る切ない笑みを浮かべながら女は続ける。


「ずっと小さい頃から、家族ぐるみで付き合いがあったから。そう!それこそ、一緒にメロンクリームソーダを飲んだりしてさ。」


「あぁ!さっきの“りー君”て言ってた?」


「そうそう。中学にもなると、誰それがカッコいいとかって話題になるじゃない?それでもなんか誰もピンとこなくて、高校の時だったかなぁ…、皆りー君と比較してるからだって気がついたのよ。あぁ、私にとって随分前からきっと、りー君が1番だったんだなぁって。りー君にも彼女とか全然いなくて、彼女も作れんのかー!なんて、バカにしてたけど、本当は、心のどっかで、こいつも私が好きなんじゃないかな?って思ってたんだよね。だから、本気でとか聞かれるとよく…わかんないんだ。もう、そこにいるのが当たり前だったから。」


視線を落とし、意味もなくグラスの水滴を拭う。水滴でくすんだ緑が再び鮮やかになるのをぼんやりと眺めながら女は苦しげに笑う。

男はそんな女を見ていられなかった。

それは、見ていられない程に痛々しいというよりも、今の状況につけ込みたくなる自分の弱さから逃げた様なものだった。

思わず流れた沈黙を、苦しげな女の声が破る。


「でも…幻想だったのよね。気付いてるって思っていたかった。ただそれだけ。大学に入って、りー君は家を出たんだけど、それからも、なんだかんだで集まったりしてて…ずっとこんな風に付き合いが続いていくんだと思ってた。今となっては、それも全て、幼馴染として…だったのよね。」


「でも…っ!」


「ずっと俺を支えてくれたお前に1番祝ってもらいたいんだって…。それがわかってるんなら、そんな出逢って数年の人なんかじゃなくて、私を見てよ!って本当に悔しくて…でも、生温い関係を壊したくなくて、一歩を踏み出さなかった自分にも悔しくて……泣いてた。それだけの話しよ。ねっ?面白くもなんともない話しでしょ?」


苦しげな雰囲気をひた隠し、にっこりと精一杯の笑顔を浮かべてた女の頭に温かい何かがのる。

思わず女が顔を上げると、男が頭を優しく撫でていた。


「よく頑張ったな。」


「子供扱いしないでよ。」


「いいんだよ。今だけは。誰もいないんだしね。」


じんわりと伝わる温もりに少しずつ肩の力が抜けていくのを感じた。それと同時に、目頭が熱くなり、ハラリと涙が溢れ始める。


「ズルいわ。こんな事、されたら、泣きたくなるじゃない。」


「おうおう、泣け泣け。泣いた分だけ強くなるってのが定説だからね。」


「もう!雰囲気台無しよ。」


「そうそう。その笑顔。ちゃんと笑えてるって。大丈夫。」


にっこりと穏やかに微笑む店主に女の中の最後の鎖が解かれ、静かに伝う涙は次第に女の哀しみを洗い流すかの様に溢れ出し、何時しか声をあげて幼子の様にひたすら泣き続けた。

包む様な雨音は、静かに泣き声を覆い隠し、女の涙が落ち着く頃に漸くあがった。


「ごめんなさい…。なんだかみっともない所を見せてしまったわ。」


目元を赤く腫らしながらも先程とは打って変わって、澄み切った瞳を見せた。


「いいんだよ。お客さんの元気が出れば。」


「さすがにこんなに泣けば、吹っ切れて元気になれそうよ。美味しくない珈琲だったけど、素敵な雨宿りをありがとうね。」


トンッと一杯の珈琲には少々多い位のお金をカウンターに出すと、外へとつながる階段へと足をかける。


「随分せっかちだね。雨があがったからってそんなに急いで出て行くことはないでしょ?」


「デリカシーがないのね。見ず知らずの人の前であれだけ大泣きしたら、いたたまれたいほど恥ずかしいからに決まってるじゃない。気が向いたら、また来るからそれまでには美味しい珈琲を淹れてちょうだいね。」


ヒラヒラと手を振り扉へと手をかけ、出て行こうとした瞬間、男の声が響く。


「嘘をつくなよ!さっきから、イライラするなぁ。吹っ切ってないんだろ?もう、手が届かなくても、叶わなくても、そいつが好きなんだろ?だから、僕に顔向け出来ないんだろ?相談しておいて、散々泣いて、まだ想ってます、なんて言えないもんなぁ。そんで、もう、この店に来るつもりもないんだろ?そりゃそうだよな。出てくるのは不味い珈琲で、聞かれるのはこの話しじゃ行きたくもないわな。こっちがその言葉信じて、来ることのない客のために店を閉めることも出来ずにいたらどうするんだ?無責任な約束だろ?」


「あ…貴方に何が分かるのよ!ずっとずっと一緒にいたかった。ただそれだけを望んでたから、告白なんてして気まずくなりたくなかったし、もしも別れて、お互いに他人みたいになりたくなかった。だから、伝える事も出来なくて、恋を、想いをどうする事も出来なくて…。もう叶わないってわかってても諦めなんてつかなくて、でも、祝って欲しいってわかってるから、迷惑だってわかってるから、今更伝えて終わらせる事も出来ない。こんなのどうしたらいいのかなんてわかんないよ!」


「だったら無理に格好つけんなよ!いいじゃん、好きなんもんは好きで。人として好き、幼馴染として信頼してる、そうやって、無理に消さないで、違う流れに落ち着いていくんだよ。でもそれは今じゃない。時間がゆっくりそうしてくれんだよ!それまで、幾らでも泣けばいいし、落ち込んでいいし、吐き出せばいいんだよ。」


唐突に糸が切れた様に力なくカバンを落とした女は、知らないものを見る様にじっと男を見つめる。


「無理に消さなくていいの?」


漸く絞り出したつぶやきに男は目元を緩めて問い返す。


「じゃあ聞くけど、結婚したら幼馴染じゃなくなるのか?」


「違うと…思うけど…。でも、お嫁さん、嫌がるでしょ?だから今度からもう、ご飯食べに行く事もなくなるだろうし…。」


「あんなぁ…。お客さんの好きなりー君はそんな奴を好きになるのかい?幼馴染が女だからってもう、交友関係を打ち切れって、そんな了見の狭い奴を好きになるのかい?」


瞳がこぼれ落ちそうなほど、大きく目を見開くと、そのまま何度か瞬きを繰り返して、くすくすと笑い出す。


「そうね、そうだわ。りー君だもんね?私の好きになったりー君はそんな人じゃないものね。ふふっ、全然そんな事思いつかなかった。そうよね…、結婚したからって、関係が変わるわけじゃないのよね。ある意味、私が望んだ通り…ずっと一緒に今の関係を続ける、って訳ね。ほんと、ありがとう。なんだか、真っ暗だった気持ちが少し落ち着いたわ。今度こそ、大丈夫…かな?」


と苦笑いを浮かべながら落ち着いて男と向き合うと、男の方も頸を掻きつつ苦笑いを返す。


「悪い。僕もちょっと言い過ぎたよ。」


「いいの。あれ位言ってもらわないと、きっと私、進めなかった気がするもん。」


「あれ?お客さんも貶されて喜…。」


「ん?」


「いえ、なんでもないです…。」


茶目っ気たっぷりの笑みで冗談を言いかけたが、殺意を感じる勢いの問い返しに慌てて引っ込める。

無意識に額に浮かんだ汗をシャツの袖で拭っている事に気が付き自分自身に呆れる。

そんな男を知ってか知らずか、女は何事もなかったかの様な明るい声をあげる。


「ねっ?また…来ていい?美味しくない珈琲の相談と終わった恋の話しを聞いてもらうだけだけど。」


「うわっ、美味しくない珈琲って…。いつか美味しくなりますから!」


「何時になることやら。」


「では、またのご来店をお待ちしております。」


すっと、名刺にカウンターの花瓶から抜いた一輪の向日葵を添えて女に差し出す。


「申し遅れましたが、このハヤシダ珈琲館の店長を務めております、林立壮大(ハヤシダテ ソウタ)と申します。」


紫崎凛(シザキ リン)よ。ふふっ、こんなに込み入った話しをして、言い合いをして、泣き喚いておいて、今更自己紹介っていうのもなんだか笑えるわね。でも、なんで向日葵?」


カウンターだけでなく、テーブル席など店のあちこちに小ぶりの色鮮やかな夏らしい花が飾られていたのだ。その中からあえて向日葵を選んだ理由がわからなかったのだ。


「凛々しく咲く姿が凛を見ている様だから…です。僕が今贈れる最上級のプレゼントですよ。」


と返せば、呆れを多分に含んだ冷ややかな眼差しを向ける。


「ねぇ?チャラ男って言われない?いきなり下の名前で呼ぶこともそうだけど、花をプレゼントって…。」


「そうかな?普通だよ。僕が凛って呼ぶのが気に入らないなら、凛もそーたって呼んでいいからさ。」


「訳がわからないわ!もう、こんなに暑いんだから、家に着くまでに萎れちゃうわよ。でも、花なんてプレゼントされるの、初めてよ。まぁ、チャラいけど、これはこれで嬉しいかな?ありがとう。」


「その前置きいらないよ!素直に嬉しいって言ってよ!でも、喜んでもらえてよかった。本当に社交辞令じゃなく、遊びに…じゃなかった…、来店して。精進するからさ。」


「行くわよ。いつか誰かを呼べる程の腕になってよね?」


「わかってますって。またのお越しをおまちしてます!」


スッとドアを開けて凛を見送ると、ビルの街へと振り返りもせずに消えていく。

看板を仕舞ったせいか、にわか雨だったというのに1人も客は入らなかったが、壮大は満足だった。

クーッとすっかり晴れ渡った青空に向かって大きく伸びをして、また、凛の事を思い出す。そして、ある事実に軽いショックを覚える。


ーーーもしかしなくてもこれ…初恋だ。


女の子を意識するよりも早くから、モテる男だった壮大は、自分から好きになるというよりも、好きだと言われて付き合っていただけだったため、関係はいたって淡白で、相手の女性の気持ちや想いに意識がいった事はなかった。


「さぁ…覚悟しておいてね?僕みたいな男は本気になると、厄介なんだから。ふふっ、それにしても、凛は向日葵の花言葉、知らないんだろうなぁ…。“私は貴方だけを見つめる”…一途にりー君を想う君にぴったりだよね…。そして…贈った僕自身の気持ち。この宣言、君は気付かないんだろうね」


静かなクラッシックに変わった店内の音楽を聴きつつ、グラスを片付けていた壮大は、はたと気づく。


「…なんか僕、ストーカーみたいじゃないか⁉︎」

こんにちは。水沢です。

今回、初の企画参加という事で少しドキドキしながら書かせていただきました。


饕餮様のその他の言葉を見た時から、喫茶店をテーマにしたいなと思いつつ、そこから恋を始められる様に2人で話せるには…と考え、寂れた不味い珈琲を出す、という設定になりました。…壮大くん、ごめんなさい。

ちなみに作者は珈琲が飲めません。珈琲のくだり、誤ってたら申し訳ないです。


2人が会話をするだけのお話しとなりましたが、楽しんで頂けたら幸いです。


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[一言] はじめまして! この様なお話大好きです! ぜひ、続きを書いていただきたいです! これからも頑張ってください!!
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