第二場「Sea Sight with Moon」
眠りの中で、私は人になっていた。
人間族の少年だ。何か赤い光の壁に対峙している。
その光が猛烈に危険で有る事が分かる。
それでもその危険を冒して守らなくてはならない物がある。
そして、少年の決意は、少年の恐怖を超える。
守るべき物の為に。
愛する人の為に。
少年は、二度と戻れなくなる世界に別れを告げ、
光に抱かれ、そのまま見えなくなっていった…。
無感動な頭の波長のまま、私は夢から現実へと強制送還されてしまった様だ。それと一緒になるかの様に、口の中まで渇いて味気なかった。人間族の夢を見たのは初めてだった。今までは、獣であるとか虫であるとか魚であるとかであってあまり私と言う存在に照らし合わせて対等と思われる存在に成り代わった事は無かったのだ。今の夢は衝撃的だった。だが、何か全体像がぼやけて今一それをはっきりとは思い出す事が出来ない。私の見る夢は常に地上の物で、そして日を経るにつれどんどんその夢の中の世界が進化しているのが分かる。だが、それは夢なので、起床後にはっきりとした記憶として残っている事は無い、特に今までは心を持つ生物になった事も無かったし、その夢の内容が夢であると言う事以上に気になった事は無かった。しかし、今回の物には何かもやもやとした不安の様な好奇心が胸の底の方に溜まっている。それでも、所詮は夢だ。思い出す事が出来る訳でもない。私は自分の世界を見つめて生きていく。それだけだ。
小月光の朝の点灯までにはまだ時間があるのだろう、実際にそれが付けられていないのは勿論、周りのお決まりの定時刻制の喧騒が始まっていない。私はそこまで泳いでいき部屋に取り付けられた管理スイッチのうち、『重力波』、『深空の窓』とをいっせいにオンにして、いっせいに孤独を味わってみることにした。
『重力波』とはつまり、この無重力的な液体空気の中で足を下に安定させる事が出来る、見えざる力の波の事だ。基本的に上から下へと放出されるが、この城の一部でも、構造上なのか遊び心なのか分からないが(草案を出したのは私だが、各所の必然性について聞かされた事は忘れてしまった)、左から右から出してみたり全く出さないでいてみたり、正反対に下から上に出してみたりと、さまざまにこの力が応用されて、さながら人間族の宇宙船内にいるかの様に設計されている。そしてこの部屋は、私は上から下にする様に設計した。時折は彼らの心理状態生活状態を真似て見るのも一興かと思ったのだ。
『深空』とは我らにとっての天井の事で、彼らにとってはそれが空と呼ばれていたため、そして我々にとってのそれは、彼らには海、または深海と呼ばれていたという事情からこの名に落ち着いた。我々の文明で用いられる壁は人工的に不透明化されてはいるが、切り替える事でそれを元来の透明に戻すことが出来る仕組みになっている。その変換を今行った、つまり壁を『窓』にした、と言うことである。
私の周りに、『深空の窓』を通しての一面の美しく深い色をした海水、つまり液体空気が現出した。部屋の内部のそれと完全に溶け込んでしまっているかの様で、そこで重力によって床に足をつけ、空を見上げると、荘厳なまでの不安と孤独に襲われる。液体空気は我々のテリトリー内にシェルターのように張り巡らされているというだけなので、この感覚はその他の大概の地域は未開の象徴としての純然たる『黒い水』に覆われている、と言う事実に起因する所が大きいだろう。その両者はしかし外見的にはあまり大差が無い事から、どちらも海水の一言で呼ばれている。感触で違いが分かる上に我々海人は『黒い水』、つまり本当の塩分を含む海水中での活動もある程度可能なので、外見的な違いが無くても大して危険ではない。ちなみに液体空気のもうひとつの別称はと言えば、小月の光に照らされたる聖なる水と言う意味で、『白い水』である。
地上からの光届かないはずの深空が何故完全なる闇ではないのかと言えば、他のエリアとの交信を絶やさないための道具として、『黒い水』の領域にも規則的にCR(我々にとっては金の単位ではなく、小月の別称)が配置されているためだ。ある程度人の手で汚されているとは言えども、それを最小限に鑑賞に耐える程度に抑えてあるので、その光景は万の宝石を散りばめた天界の光景の様に美麗でいとおしい。人間族も所有出来たはずのこの絵画は、どんなに愚かしい存在にも生きる活力を与えてくれる物の様に思われてならない。
彼らは、液化空気への適応を図った事の他に、自分達の母たる存在、大空を忘れることが出来なかったがため、または海の底に沈んでいると言う閉塞感から逃れたかったがために地上の大気を海底にそのまま持ってくることも選択していたようだ。液化空気での生活に精神的な限界が来た時の憩いの場として、または液化空気に適応し切れていない人間の仮住居として使われていたりしたらしい。ほとんど唯一の重要文献たる『海底文書』によると、そういった環境的事実を知っていたのは全ての人間なのだが、真相に関して知ることが出来たのは政治に携わる極一部のエリート階級のみで、後の人間は海底に移り住んだと言う大事が有った事の認識以外では自分達が淡々と静かで平和な生活をしているものだとばかり思っていたのだそうだ。それがどの様な手口で行われた犯罪であるかと言う事実が、あのアルラ・へライモスに吐き気を催させたのだ。政治の人間は、一度大人を全て消してしまっていたのだ。何が起こったかを知ろうはずも無い天界の妖精、子供達だけを残したと言うわけだ。
それは何故かと言えば、子供を大人から奪って生存の為に使わなければならない絶対的な理由があったのだ。勿論、全員の子供がその目的に必要とされた訳ではない。全員を使えば人類として普通に生きて行ける存在が消滅してしまう。ならば大人をその普通に生きて行く存在として残せば良かったのかも知れない、しかし彼らはそう思わなかった。この大量殺戮に反感を持つ可能性の有る危険分子として大人は全員処理された。
話を順に追って行こう。まず第一に、『タイニィ・ムーン』は、ただの爆弾だったのだ。我々も例外ではなく小月に太陽光と同程度の恵みを生み出させるには、どうしても核融合の力を借りねばならず、その結果それに爆発の危険性を伴わせねばならなかったのだ。と言っても、政府はその点をこそ利用し地上を炎の海に変えたわけで、その上の人間―そう呼ぶに値する生き物かどうかは神のみぞ知るところだ―たちは、定期的に爆発する小月の性質を利用した。彼らに超能力が有り、そのためにそれらが爆発すると言うでまかせを盾に、それで一地域をまず地獄に変える。人々には思考を送り込めると言うような特筆すべき才覚こそもたらされていたとはいえ、(ちなみに、これは口での発言と大差は無い。送りたくない思考は送らなくて済む様になっている。今のこの私の思考はどこまでも私のものだ)それの爆破に関してはただただ時間と自然の摂理とが絡み合うのみであった。
爆発の後は軍事の仕事になる。彼らはその悲劇の地域へと飛び、そこで生き残った人間を探す。それが大人であった場合は、容赦なく家畜の様に殺す。その他の人間、つまり妖精達だった場合は、一定数は未来の住人として確保、その他は冷凍人間としての処置を施し、来るべき『海底移住計画』に備える。そして他の地域には、その地域が全滅してしまった、まことに遺憾である、皆さんは来るべき惨事に備え、何事もあきらめず頑張って欲しい、等という虚偽を報道し口先で躍らせる、という寸法である(ただ、こう言った行動は海底移住計画の最終段階として行われた物の様で、計画の最初期には、ただ単に爆発で人口が減っていくに任せていたらしい。都合良く人口の比率がまばらになって来たところで、人間の尊厳を犯す行動に及んだのだろう)。
だがしかし、その後恐るべき事実が発見された…というより、それは予定されたものだったが…小月が大人の手を離れた行動をし始めていたのである。小月は、妖精のように空を舞い、お互いを求め合ったり、離れてみたり、衝突してみたり、さながら子供の様に振舞い始めたのだ。そしてそれは、冷凍人間化されている間の、遊びたくて遊びたくてどうしようもない子供達の魂が乗り移ったものだった…(驚いた事に、冷凍化された人間には解凍方法が無かったらしい、つまり、もう政府は最初から彼らを道具として使うことを決めていたのだ)。思考を送り込めるようになる等の変化は確かだが、小月が人類にもたらした変異は実際にはこれが最大のもので、真相はわからないが失語症であったり感情搾取と言ったものは結局のところ、空に常に爆発物を抱えていると言う事に対する人々自身の恐怖が自らを蝕んだ結果、もしくは政府が自らの仕組んだ罠を裏付けるために繕った誤情報に他ならなかったのでは無いだろうか。
なんにせよその奇跡のおかげで、小月は子供達が冷凍化されている状態で生かされている間は絶対に爆発することの無い安全な発光体へと落ち着いた。爆発を目の当たりにしてきた子らの、平和への願いがそうさせたのだろう。
そして海底に移り住む為に子供だけを選別して生存させた事の絶対的な理由というのはこれにあった。大人から奪って冷凍状態にした子供達のその魂の加護の中で小月を使って、略奪のために破壊し尽くしてしまった古い地上を捨て、また新しい土地、海底で人類の営みを再開しようという、非情極まりない生存主義者達の採った最後の手段であった。彼らも海底には素晴らしい液体空気の詰まった空間があることを前もって知っていたのだ。それさえあれば、喉の渇きもまるで気にすることは無い。太陽光は小月を通して手に入る。それを今現在独占する我々が言うのもおこがましいが、まさに理想郷と言ったところだろうか。ただ排泄が少々厄介なのは誰彼も不問の項目に挙げている。
その後の歴史は実に不明瞭である―『海底文書』を例外として(これは彼らも遺産とすべくして尽力して遺したものなのだ)、海中で紙という単純にして必要不可欠な道具を失ったこと、また前時代での過ちに対する自警の念から電子技術の発達が封印されてしまったことで、文字による記録を彼らは持たなくなっていったのが大きかろう、その時代の事は現時点では解析不能な音声記録という形でしかほとんど残されていないのだ。だがその他の手段としての映像記録から分かっていることでは、或る一時点で子供達の魂による制御がうまく行かなくなったらしい。悪魔的な表情の狂乱した子供、と言うのがその時代の保存対象の大半を占めているからだ。深海の奥底で、またしても小月は人類の生命を脅かし始めたのだろう…そして止む無く、彼らはこの星を捨て、新たな開拓地を求めて旅立っていったのだ。それが成功したのか、はたまた失敗に終わり何処かで宇宙の藻屑と化しているのか、それは定かでは無い。
『海底文書』中に記載された神話的な言葉が有る。
白き月の復活 黒き月の消滅
そして我々の大地を潤す蒼き涙の降下
それらの全てが達成されたその時
我ら 天より舞い戻らん
かつて地上を制覇した、まがりなりにも大地の民だ。過去の楽園をそう簡単には手放すわけには行かないだろう。その日がいつになる予定なのか、またそれまではどこで一時的な営みを送るつもりなのか、それらが今特に注目されている研究課題だが、何分使用可能な資料が限られ過ぎているため、その進行速度は、子供らがしあわせに過ごす時間を、大人達が過ごしている時の様にのろのろとしたものだ。
この束縛された心のひとときの解放、とも言うべき行為の最中は、私も何故だか人になって彼らと対話しているような気分にすらなる。今までの思考もひょっとすると他の場所で誰か人間の考えていたことが送り込まれて来ていたのかもしれない、とすら思えてくる。この広大な空間の中では、誰であろうと己を失う。かろうじて取り戻した己の意識で、いつの間にか手にしていた蒼い人生の喜びを見つめながら、彼らの緋色の人生の喜びと、悲しみと、その行く末とを祈った。




