第9話 ヒョウモントカゲモドキ
「ゆ、夢じゃ……ない!!」
いつもより二時間程早起きしてしまった私は、隅にあるテーブルを見て喜びの声をあげた。
昨日私が一目惚れした小さな亀のスキンキャラメルちゃんは、ちゃんと水槽の中でふよふよと泳いでいて。
「あああ、もう本当に可愛い。よぉし、ごはんをあげてみよう」
亀の絵が描かれた小さな袋から三粒ほど茶色のえさを取り出し、ドキドキと胸を高鳴らせながら水槽の上へと持っていく。
「スキンキャラメルちゃん、ごはんですよー」
声をかけてぱらぱらとえさを落とすが、小さなえさは軽いのかなかなか沈まない。
私はしゃがみ込んで水槽の高さに目線を合わせ、心を躍らせながらその時を待った。
徐々に水を含み、ゆっくりと沈んでいく亀のえさ。
それに気づいたスキンキャラメルちゃんは前足と後ろ足を必死にかき分けながら、えさに向かって一直線に進んでいく。
そろそろだ。
その瞬間を見逃すまいと、手に力が入る。
スキンキャラメルちゃんと、えさとの距離はほぼゼロ。小さな口を大きく開けた小さな亀は、えさをぱくり。
ふるふると感動に震えた。
「んんーー!! もうスキンキャラメルちゃんてば、可愛すぎるよぉっ」
そう言った後で思った。この子にまだ名前をつけていない。
家族同然に、わが子のように、大切に育てていこうと決めていたのにまだ名前をつけていなかったとは……亀子一生の不覚!!
私は勉強机から紙と鉛筆を取り出し、必死に泳ぐスキンキャラメルちゃんを見ながら、思うがままに名前をリストアップしてみた。
キャラメル、は安直すぎるからあえての大福、とか?
それともピンク色だし、ピンキー、とか?
はたまたぜんぜん関係なしに、ポチ?
なかなか良い名が思い浮かばず、鉛筆の先でトントンと紙をつついた。
ふと、鉛筆を見やるとそこにはとあるイラストが描かれていて。
すぐに、これだ! と思った。
そこに描かれていたのはニャン太郎。
ずいぶん昔からやっている国民的アニメのキャラクターだ。
さえない女子中学生トロ子が発する『助けてよぉ、ニャン太郎ぅ』の掛け声おなじみのあのアニメ。
ニャン太郎はいつも不思議な力で、もう一人の主人公であるトロ子ちゃんを救って見せるのだ。
最近は見ていないけれど、今でもニャン太郎は私の中でのヒーロー。
ただ、猫ではなくヒョウモントカゲモドキのヒョウ太郎とかであればもっと素敵なのだけど。
「素敵な名前を思いついたよ、スキンキャラメルちゃん。いいえ、あなたは今からモモ次郎よ!」
スキンキャラメルに向かって、私は新しくつけた名前を得意げに言った。
モモ太郎にしなかったのは、どこぞの鬼が島に行ったぼっちゃんと一緒にされたくなかったから。
名前を付けてから、私とモモ次郎の距離はもっともっと縮まっていった。
水槽の掃除をしたり、えさをあげたりするのは当たり前。
モモ次郎が快適に過ごせるよう水槽のレイアウトを考えたり、水槽を抱えて一緒に散歩へ行ったりもした。
その甲斐あってかモモ次郎も私に懐き、私の姿を見かけると寄ってきてくれるようにもなった。
毎日毎日ウキウキで帰ってきては、モモ次郎を眺めていたけれど、ある日私はモモ次郎に対していつものテンションで話しかけられなくなった。
原因はいじめっ子の蛇陀さん。
「ねぇ、モモ次郎聞いて。今日もまた蛇陀さんにいじわるされたんだ。だけど今日のは特にひどいんだよ、上履き片方隠されてたの」
悔しくて、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
モモ次郎はふよふよと水槽の中でめいっぱい私の方に寄ってきてくれる。
「ねぇ、なんであの子は私にいじわるするのかな……もういじめられるの嫌になっちゃった。助けてよぉ、モモ次郎ぅ……」
亀に話したって仕方無い、そう思ったけれど言わずにはいられなかった。
ピンチの時に発するトロ子のセリフ。
ニャン太郎ならこんな時に不思議な力で助けてくれるんだけど、モモ次郎には無理な相談だよね。
「何言ってるんだろう、私」
自嘲気味に笑った。
「亀子ちゃん、大変だったね」
どこからか、声が聞こえた。まだ幼い子どもの小さな声。
部屋を見渡すがもちろん子どもなどいないし、私に小さな兄弟はいない。
「そっちじゃないよ、私よ私。モモ次郎!」
ふよふよと漂うモモ次郎を見る。確かに水槽の方から声が聞こえてくるわけで。
しゃべる亀なんてそれだけでも驚きなのに、モモ次郎はおかしなことを話しだした。
「亀子ちゃんが一生懸命お世話してくれたから、私もこうやって人と話したりとか神様に似た力が使えるようになったんだよ。亀亀子ちゃんに、蛇田萌恵ちゃん。同じ爬虫類の名前なのに、仲良く出来ないなんて悲しいと思わない? 私が君たちの仲を元通りにしてあげる!」
ヒョウモントカゲモドキ【Eublepharis macularius】
全長20-25cmとトカゲモドキおよび地上性ヤモリの中では大型種。
和名や英名の通り、ヒョウのように黄色い体色に黒い斑点が入る。
属名Eublepharisは「真に瞼のある」、種小名maculariusは「斑点のある」の意。