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 一八九二年十二月四日。

 公設オークション・ハウス『オテル・ドゥルオー』の赤い部屋で一枚の絵画が競売にかけられていた。

 この油彩画の名は『合奏』。

 オランダの巨匠フェルメールの作品であった。

 この日、ロット番号三十一番に競りにかけられた『合奏』は、それほど価値があるとは思われないまでにも、いざ競りが始まればプリンセスとしてふるまいと風格を見せつけた。

 『彼女』を手にしたいと考えたものたちは、静かではあるが粘り強い競りを始めたのだ。

 その中に、アメリカから来たボストンの富豪女性がいた。

 彼女自身は競りに加わることはしない。彼女の代理人である画商は合図を受けて競りの値を更新した。

 しかし更に上の買値が呼び上げられる。

「二万」

 値を吊り上げたのはルーブル美術館であった。アメリカ人富豪の夫人はレースのハンカチを顔に近づけた。代理人は合図を見て、二万フランに上乗せする。価格はじりじりと吊り上って行く。

「二万千」

 ロンドンのナショナル・ギャラリーが更新をかける。

 美術館はそれぞれ専属の代理人をオークションに寄越していた。

「二万五千」

 ついに二万五千フランを超えた。

 競りは小刻みに値段を更新し、

「二万九千」

 空気が決定的に変わった。

 これ以上値を吊り上げてどうする、という雰囲気である。

 ルーブル美術館もナショナル・ギャラリーも次の声は上がらなかった。

「二万九千」

 誰も手を上げない。

 交渉成立の木槌が鳴った。

 『合奏』はアメリカの美術品コレクターである富豪夫人の手にするところとなった。

 この後、しかるべき手続きを経て、『ガードナー美術館』にこの絵は収まることとなる。

 『イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館』。

 競り落としたアメリカ人富豪夫人自身の名前であった。

 彼女は、ヨーロッパを縦横無尽に旅してはフェルメールをはじめ、レンブラントやミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリ、マネ、ドガなどルネサンスや印象派の作品を莫大な財産によって手中に収めてきた。

 彼女はコレクションを展示するために、ヴェネチア風貴族の館をボストンに建て、この内部を絵画を始めとするヨーロッパの美術品で満たし、装飾した。

 これが『ガードナー美術館』である。

 輝かしくも目もくらむようなコレクションの数々に、フェルメールの『合奏』は加えられたのだ。

 そう、一九九〇年まで――

 

 一九九〇年三月十八日の午前一時二十分。

 警官を装った二人組の男達が、史上最大規模の窃盗事件を発生させた。

 被害総額三億ドル。

 奪われた絵画等は十一点にわたり、その一枚に『合奏』も入っている。

 FBIは500万ドルの懸賞金をかけたが、『合奏』はいまだ行方不明のままだった。




 


 二〇XX年 警視庁組織犯罪対策課


小鳥遊たかなし

 上司に呼ばれて、小鳥遊遊たかなしゆうはデスク処理の手を止め、顔を上げた。彼は自分でも変な名前だと思っているが、人には覚えてもらいやすいとすでに諦めていた。

「お前、当然ながらビジネス英語はできたよな」

「はあ、まあ」

 今更である。国際犯罪の調整をする部署柄、何でまた確認を――と曖昧に頷くと、真顔でずいと仁王のように顔を近づけられる。

「よし、ワシントン、飛べ」

 飛べ、では分からない。分からないが了解し、

「ワシントンってことは、FBIですか?」

「ああ。お前、フェルメールって知ってるか?」

 小鳥遊はきょとんとした。話がつながらない。

「ヨーロッパの有名な画家ですよね」

「そうだ。一九九〇年にアメリカ・ボストンのガードナー美術館からフェルメール作の『合奏』を含む十一点の絵画・素描等が二人組に窃盗された。被害総額は三億ドルと言われている」

「はい」

「FBIは五○○万ドルの懸賞金をかけたが、『合奏』はまだ見つかっていない。近年、アメリカ・フランス合同の大規模潜入捜査もあったそうだが、失敗したそうだ。フェルメールの『合奏』は再び闇の世界に潜った――」

「と、いいますと、今回浮上したと?」

「ああ。FBIにタレ込みがあった。懸賞金狙いだ」

 ここまでは、日本には何の関係もない話である。

 フェルメールがいくら有名画家で日本でも人気が高いとは言え、よその国の窃盗犯罪だ。

「タレ込んだのは、法華津ほけつ音二郎おとじろう

 小鳥遊は「ああ」と気の抜けたような相槌を打った。

 国際指名手配されている日本人である。

 詐欺、公序良俗に反する行為、窃盗、諸々で訴えられているが、この男が国際手配までされたのは国家権力をとことんおちょくったためだ。

 何を考えたものか、国境をまたいで当局に喧嘩を売りまくり、汚職政治家のSMプレイ中写真を国会中継中にばらまき、とある指導者を滑稽に女装させたパロディ画を一夜にして公的建物の壁一面に描いてみせたりと、とにかくあらゆる権威を辱めてあざ笑ったのである。

 指名手配されているにも関わらず、法華津の後援者ファンは暗黒街のマフィアから幼稚園の幼女まで幅広く、するするどころかぬるぬると逃れて、先日はエンパイアステートビルを背景にダブルサインで記念撮影と洒落込んだ手紙が警視庁のとある職員の元に送られてきた。

「お前、専属担当だよな」

「いや、専属ってわけじゃないんですけど」

「いやいや、先方はお前を専属と思ってるようだからな。ご指名だ」

 ホストじゃないんですから、とがっくり小鳥遊は内心項垂れた。


 


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