魔王都を焼こうとしたチート勇者、魔王様に魂ごと滅ぼされる
人々を脅威から守らなくてはならない。
その言葉は、正しい。
その正しさを掲げる者は、魔王と名乗る者を見つけ次第、悪と断じ、討伐しようとする。
それが勇者の正体。
正しさとは、厄介なもの。
人々を守るという言葉の周りには、いつの間にか恐怖や憎しみや、都合のいい決めつけがまとわりつく。
魔王は、本当に悪なのか。
その者は、本当に人々を傷つけたのか。
本当に、裁かれる罪を犯したのか。
そんな見なければならないはずのものを見ないまま、勇者は剣を抜く。
正義の名の元に。
目的が正しいからと言って、何をしてもいいわけではない。
守るためだと言いながら、まだ誰も傷つけていないものを殺すのなら。
その正義はもう、守るためのものではない。
この世界には、傲慢な正義が溢れている。
◇ ◇ ◇
頭上には、太陽が世界に降りてきたと思えるほどの火球があった。
空が赤く染まる。
雲は焼け、風は熱を帯び、遠くに見える美しい都市の屋根が、炎の光を浴びて不気味に輝いていた。
魔王都ムーンヴァーナ。
邪悪な魔王が住んでいると、クラウドラ国の王は言っていた。
ならば、滅ぼしていい。
そこにどんな人々が住んでいるかなど、勇者にとってはどうでもよかった。
街路を歩く商人も。
夕餉の支度をする母親も。
広場で笑っている子供も。
魔王の都にいる時点で、魔王の一部なのだと、彼はそう思うことにした。
「魔王を倒せば、俺は国の英雄になれる」
勇者は笑った。
神から授かったチートスキル。
万物を焼き尽くす、太陽の魔法。
この力があれば、城も、軍隊も、魔王も、すべて一撃で消し飛ばせる。
彼はほんの少し手のひらを上空に掲げた。
それだけで、空に巨大な火球が生まれた。
あとは、振り下ろすだけ。
「さあ、燃やし尽くせ。俺の魔法よ」
勇者は、魔王都を指差した。
「行けぇ!」
火球が、ムーンヴァーナへ向かって動き出そうとした。
その時だった。
空に、一筋の光が走った。
黄金の斬撃。
次の瞬間、太陽のような火球は真っ二つに割れた。
轟音すらなかった。
燃え盛る魔力は、まるで最初から存在しなかったかのように、空の中で霧散していく。
「……あ、あれ?」
勇者は、呆然と空を見上げた。
「なんでだ?」
もう一度、火球を生み出そうとする。
だが、生まれたそばから、火球は斬られた。
一つ。
二つ。
三つ。
彼がどれほど魔力を込めても、炎は形を保つことすら許されない。
「憐れですね」
どこからともなく、声が聞こえた。
澄んだ声だった。
けれど、その声には、凍えるほど冷たい怒りが宿っていた。
勇者が正面を見る。
そこに、赤い影が立っていた。
真紅のドレス。
金のレース。
黒いフリル。
右側に薔薇飾りのついた金のティアラ。
黄金の髪は、夕焼けを受けて金糸のように輝き、宝石のような紫の瞳は、まっすぐ勇者を見据えていた。
美しい。
あまりにも美しい。
けれど、その美しさは、花ではなく、剣の美しさだった。
「お前は、誰だ?」
勇者が問う。
女は、微笑まなかった。
「私は魔王ニルナ・サンヴァーラ。この国の魔王です」
ニルナは、聖剣サンライズを静かに構えた。
「そしてあなたは……どうせ、クラウドラ国に唆された勇者でしょう」
「唆された?」
勇者は顔を歪めた。
「違う。俺は選ばれたんだ。神に! 前世でいいことなんて何一つなかった。誰にも認められなかった。だけど、俺はずっといい人でいつづけた!」
彼の声が荒くなる。
「だから、この世界では報われるべきなんだ! 魔王を倒して、英雄になって、誰からも褒められて、愛されて、幸せになるべきなんだよ!」
「長々と自己紹介ありがとうございます」
ニルナは静かに言った。
紫の瞳が、冷たく細められる。
「ですが、あなたがどんな人生を送ってきたかなど、今はもうどうでもいいのです」
「なっ……!」
「あなたが私の命だけを狙ったのであれば、一度だけは許したでしょう。捕らえ、話を聞き、クラウドラへ送り返すこともできました」
ニルナは、空を指した。
そこには、先ほどまで都市を焼こうとしていた火球の残滓が、赤い霧のように消えていた。
「ですが、あなたは私の民を焼こうとした」
その瞬間、ニルナの声から温度が消えた。
「私の国で生きる者たちを。私を信じて眠り、働き、笑い、明日を迎えようとしている者たちを。あなたは、まとめて灰にしようとした」
勇者は後ずさった。
「だ、だって、王は言ったんだ! 魔王は邪悪な存在だって!」
「だから?」
ニルナは一歩、前へ出た。
勇者の足が震える。
「権威ある者がそう言ったから、信じたのですか」
「俺は……」
「自分の目で見なかった。自分の頭で考えなかった。そこに住む者たちの命を、一度も想像しなかった」
サンライズの刀身が、黄金に輝く。
「それが、あなたの罪です」
「俺は勇者だぞ!」
勇者が叫んだ。
「神に選ばれたんだ! 魔王を倒すために! お前みたいな悪を倒すために!」
「神に選ばれたから、罪なき民を焼いていいのですか」
ニルナは、静かに剣を構えた。
「なら、その神ごと間違っています!」
勇者は両手を掲げた。
炎が生まれる。
神から授かったはずの力。
世界を変えるはずだった力。
誰からも認められなかった彼を、特別にしてくれるはずだった力。
だが。
「サンライズ」
ニルナが、静かに名を呼んだ。
聖剣は眩い光を放つ。
しかし、その光はすぐに黄金ではなく、紫黒の闇へと沈んでいった。
刀身は曲線を描き、棘のような装飾が浮かび上がる。
中央の紫の宝石が、不吉な光を宿した。
聖剣サンライズは、暗黒魔剣へと姿を変える。
「暗黒魔剣レーヴァティン」
ニルナは、勇者の頭上に浮かぶ巨大な火球を見上げた。
太陽のように燃え盛る、傲慢な魔法。
それは都市を焼き、民を焼き、何も知らない子供たちの眠りすら灰にしようとしていた。
ニルナの紫の瞳が、冷たく細められる。
「太陽の国に火を向ける愚かさを知りなさい」
その一言と同時に、ニルナはレーヴァティンを振り抜いた。
紫黒の斬撃が、空を裂く。
火球は、爆ぜなかった。
燃え尽きもしなかった。
ただ、存在そのものを否定されたように、真っ二つに割れた。
炎の魔力式が崩壊する。
神の加護が軋む。
勇者の頭上に浮かんでいた太陽は、夜空に溶けるように霧散していった。
「……は?」
勇者は、呆然とした。
「なんでだよ。俺の魔法だぞ。神からもらった、最強の魔法だぞ!」
ニルナは一歩、前へ出る。
「借り物の太陽で、私の国を焼こうとするなど」
レーヴァティンの刀身から、紫の魔力炎が揺らめいた。
「思い上がりも甚だしいのです!」
勇者は叫びながら、さらに魔法を展開した。
炎。
雷。
氷。
光。
結界。
強化。
あらゆるチートスキルが、彼の周囲に幾重にも重なっていく。
だが、ニルナは止まらない。
レーヴァティンが一閃されるたび、魔法は消えた。
炎は燃えることを忘れた。
雷は走る意味を失った。
氷は形を保てず、光は闇に呑まれた。
結界は紙のように裂け、すべての術式は発動する前に腐り落ちる。
勇者を守っていた神の加護さえ、紫黒の刃に触れた瞬間、悲鳴のような音を立てて砕け散った。
「う、嘘だ……」
勇者の膝が震える。
「俺は勇者だぞ。選ばれたんだぞ。こんなところで、終わるはずが……」
「終わります」
ニルナは、冷たく告げた。
「あなたは私の民を焼こうとした。その時点で、もう勇者ではありません」
レーヴァティンの紫黒の炎が、勇者の影を呑み込む。
「ただの侵略者です」
「や、やめろ……!」
「罪には、罰が必要なのです」
ニルナは、レーヴァティンを勇者へ向けた。
刃が肉体ではなく、もっと深い場所へ届く。
魂。
神に選ばれたという資格。
前世の不満に縋りつき、この世界で報われるべきだと叫び続けた、哀れな自我。
そのすべてを、暗黒魔剣が貫いた。
「あ……」
勇者の瞳から、光が消える。
魂は砕けた。
神の加護は滅びた。
勇者という存在の根が、世界から断ち切られる。
けれど、ニルナはそこで終わらせなかった。
「サンライズ」
レーヴァティンが、再び光を放つ。
暗黒の刀身は赤く燃え上がり、強固な迎撃剣フレイソードへ。
そして、さらに炎を纏う。
「爆炎剣スルトソード」
紅蓮の刃が、夜を照らした。
ニルナは、魂を失った勇者の肉体を見下ろす。
「せめて、灰になりなさい」
スルトソードが振り下ろされた。
爆炎が勇者の肉体を包み込む。
骨も、血も、衣服も、神から与えられた装備も、異世界から持ち込まれた未練さえも。
すべてが焼き尽くされていく。
夜風が吹いた時、そこには灰すら残っていなかった。
ただ、魔王都ムーンヴァーナの空だけが、静かに広がっている。
いつの間にか、星々が煌めいていた。
先ほどまで世界を焼こうとしていた火の赤は消え、夜の青が、街を優しく包んでいる。
ニルナは剣を収めた。
「うーん」
そして、いつもの明るい声で言う。
「今日も、サンヴァーラは平和ですね」
その声は軽やかだった。
けれど、紫の瞳の奥には、まだ冷たい怒りの残滓があった。
「クラウドラはそのうち、しっかり対処しましょうか」
異世界から、不憫な者たちを召喚する。
甘い言葉で唆し、魔王の討伐へ向かわせる。
太古から繰り返されてきた悪行。
そしてそのたびに、歴代のサンヴァーラの王に返り討ちにされてきた愚行。
それでもなお、彼らは何一つ学ばない。
「愚かな人間は、殲滅です……」
ぽつりと、ニルナは呟いた。
本当は、そんなことをしたいわけではない。
だけど、民を守るためなら。
この国で生きる者たちの明日を守るためなら。
魔王は、剣を抜かなければならない。
「ニルナ様!」
その声を聞いて、ニルナは振り向いた。
銀髪の魔法使いが、息を切らして駆け寄ってくる。
フィルクだった。
「大丈夫ですか?」
「もちろん。大丈夫ですよ、フィルク」
ニルナは、何事もなかったように微笑んだ。
けれどフィルクは、空に残る魔力の焦げ跡を見て、すぐに何が起きたのか察した。
「また、勇者ですか」
「はい。都市ごと焼こうとしました」
フィルクの表情が、わずかに強張る。
「……許せませんね」
「許しませんでした」
ニルナは、あっさりと言った。
その言葉に、フィルクは一瞬だけ目を伏せた。
彼女が笑っていること。
その奥で、本当は怒りも悲しみも抱えていること。
フィルクだけは、知っていた。
「ニルナ様」
「なんですか?」
「この国は、あなたがいるかぎり大丈夫です」
ニルナは、少しだけ目を丸くした。
それから、胸を張る。
「当然です」
金の髪が、夜風に揺れた。
「この国があるかぎり、私は負けたりしません」
ニルナは、星空の下で魔王都を見渡した。
灯りのともる家々。
眠る子供たち。
働く民たち。
守るべき、彼女の国。
「私は魔王」
その声は、誇り高く、まっすぐだった。
「誰よりも国を愛する者ですから」




