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その一冊との出会い

掲載日:2026/06/07


「いらっしゃいませ!」

 シリウス書店のスタッフ、辻井あやねが頭を下げる。

 エプロンに、一つ結びの髪。溌剌はつらつとした印象だ。

 新刊を並べたり、棚の本を直したり、タイトルの順番を見る。

 ふと、横を見ると、<自己啓発>の書架の前で一人の少年が佇んでいる。

 よく見ると、その棚のなかの対人関係や、コミュニケーションの本を、 手に取っては戻し、また別の本を出したりしている。

 その表情は、とても真剣だ。 

「あ〜、どうしたらいいんだ」

「──何か、お探しですか?」

 あやねは、少年に声かけた。

「あ……。あの、コミュニケーションがうまくなる本でい、いいのっってある?」

「どのような場面での、コミュニケーションでしょうか?」

「え、えーと、LINEとか」

「LINEですね?」

「あ、の……グループLINEとか」

 少年は──こうすけは、あやねから目を逸らした。

あやねは少し考えた。

「 何か気になる本はありますか?」

「それは……」

 こうすけは、抱えきれないほどの、本を示した。

 タイトルで選んで、迷っているようだ。

「こんなの初めてだから、全然わからなくて」

「それは、どのような方に対して、うまくなりたいのでしょうか?」

「く、クラスメイト」

 あやねは熟考する。

(やさしいのが、いい?)

 こうすけをよく見る。

 意志の強そうな瞳が、こちらを見上げてる。

 ただその瞳は揺れ、迷いがある。

 利発そうな印象。

 やさしい本と、実用的なものと迷う。

(このお客さまならきっと……)

 あやねは、一瞬だけ瞳を閉じて、感覚を研ぎすます。

「こちらは、いかがでしょうか?」

 こうすけは、首を傾げる。

「<会話のキャッチボールとLINE>?」

「はい。一般的な会話術。会話の双方向性や、タイミングから、LINE特有のコミュニケーション、グループラインについても、学べます」

「へえ! すごそう。……でも、これで、いいのかな?」

 差し出された一般書を受け取り、こうすけは嬉しそうに笑うが、まだ迷いがあるようだった。

「わたくしも、実は、LINEや対人関係で悩んだことがあります」

「え? おねーさんも?」

「そんなとき、本をたくさん読みました。この本も、そんな一冊です。

 知識や知恵は、人生を豊かにしてくれます。読んでいるうちに、だんだんわかるようになると、思います」

「うん、ありがとう!」

 会計を済ますと、こうすけは帰っていった。

 あやねは、彼を見送ると、こうすけが見ていた棚をももう一度だけ、見た。


「辻井さん」

 数日後、出勤すると、あやねはマネージャーに声をかけられた。

 バックヤードのパソコンの画面を見せられる。

 そこには、ショップで本を購入した子供の、親からのクレームが表示されていた。

「困るわぁ。子供に一般書を勧めたでしょ?」

 内容は、

 子供には難しすぎる。子供向きじゃない。早すぎというものだった。

「……わたしは、あのお客様には、決して早すぎるとは、思いません」

「辻井さん、どうして謝れないの? お子様には、子供向けのやさしい本を選んでさしあげるものでしょう?」

「……申し訳ありませんでした」


「はーぁ……」

 あやねは帰宅すると、大きなため息をついた。

 自分の棚から、本を取り出す。

 <会話のキャッチボールとLINE>。

 読み返してみる。

(わたしは、間違ってたのかな?

 あの子自身は、どう思っているのかな)


 あやねは、数日落ち込んで過ごした。

 もちろん、業務の手は抜かない。陳列、接客、検品、レジ、掃除、やることはたくさんある。

 はたから見れば、いつもの辻井あやねの仕事通りだった。

 ただ、本人は暗い気持ちだった。


 夕方ごろ、こうすけが来店すると、あやねに向かって歩いてきた。

 こうすけは、機嫌よく笑った。

「おねーさん。ありがとう!」

「え?」

 あやねは、驚いた。

(どう言う意味だろう?)

「ありがとう! あの本、読んでよかった! 

 ママにちょっと言われたけど、気になって読んじゃった」

「ほ、本当ですか?」

「うん! 特に、相手にも都合やタイミングがある。

 受け取りやすいボールを投げる、ってとこがよかったよ!」

「よかった……」

 思わず、言葉が崩れた。

「ちょっと、楽になったよ。

 ありがとう、おねーさん。また来るよ!」

 こうすけはそういうと、店を出ていった。


「ありがとうございました!」

 あやねは、深々と、頭を下げた。





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― 新着の感想 ―
こんにちは、お疲れ様です。  少年の成長の糧になるために、本を薦めるというのは大事な仕事なんだなって思いました。母には理解できないけど少年の成長に繋がったってのは良い話ですね。
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