その一冊との出会い
「いらっしゃいませ!」
シリウス書店のスタッフ、辻井あやねが頭を下げる。
エプロンに、一つ結びの髪。溌剌とした印象だ。
新刊を並べたり、棚の本を直したり、タイトルの順番を見る。
ふと、横を見ると、<自己啓発>の書架の前で一人の少年が佇んでいる。
よく見ると、その棚のなかの対人関係や、コミュニケーションの本を、 手に取っては戻し、また別の本を出したりしている。
その表情は、とても真剣だ。
「あ〜、どうしたらいいんだ」
「──何か、お探しですか?」
あやねは、少年に声かけた。
「あ……。あの、コミュニケーションがうまくなる本でい、いいのっってある?」
「どのような場面での、コミュニケーションでしょうか?」
「え、えーと、LINEとか」
「LINEですね?」
「あ、の……グループLINEとか」
少年は──こうすけは、あやねから目を逸らした。
あやねは少し考えた。
「 何か気になる本はありますか?」
「それは……」
こうすけは、抱えきれないほどの、本を示した。
タイトルで選んで、迷っているようだ。
「こんなの初めてだから、全然わからなくて」
「それは、どのような方に対して、うまくなりたいのでしょうか?」
「く、クラスメイト」
あやねは熟考する。
(やさしいのが、いい?)
こうすけをよく見る。
意志の強そうな瞳が、こちらを見上げてる。
ただその瞳は揺れ、迷いがある。
利発そうな印象。
やさしい本と、実用的なものと迷う。
(このお客さまならきっと……)
あやねは、一瞬だけ瞳を閉じて、感覚を研ぎすます。
「こちらは、いかがでしょうか?」
こうすけは、首を傾げる。
「<会話のキャッチボールとLINE>?」
「はい。一般的な会話術。会話の双方向性や、タイミングから、LINE特有のコミュニケーション、グループラインについても、学べます」
「へえ! すごそう。……でも、これで、いいのかな?」
差し出された一般書を受け取り、こうすけは嬉しそうに笑うが、まだ迷いがあるようだった。
「わたくしも、実は、LINEや対人関係で悩んだことがあります」
「え? おねーさんも?」
「そんなとき、本をたくさん読みました。この本も、そんな一冊です。
知識や知恵は、人生を豊かにしてくれます。読んでいるうちに、だんだんわかるようになると、思います」
「うん、ありがとう!」
会計を済ますと、こうすけは帰っていった。
あやねは、彼を見送ると、こうすけが見ていた棚をももう一度だけ、見た。
「辻井さん」
数日後、出勤すると、あやねはマネージャーに声をかけられた。
バックヤードのパソコンの画面を見せられる。
そこには、ショップで本を購入した子供の、親からのクレームが表示されていた。
「困るわぁ。子供に一般書を勧めたでしょ?」
内容は、
子供には難しすぎる。子供向きじゃない。早すぎというものだった。
「……わたしは、あのお客様には、決して早すぎるとは、思いません」
「辻井さん、どうして謝れないの? お子様には、子供向けのやさしい本を選んでさしあげるものでしょう?」
「……申し訳ありませんでした」
「はーぁ……」
あやねは帰宅すると、大きなため息をついた。
自分の棚から、本を取り出す。
<会話のキャッチボールとLINE>。
読み返してみる。
(わたしは、間違ってたのかな?
あの子自身は、どう思っているのかな)
あやねは、数日落ち込んで過ごした。
もちろん、業務の手は抜かない。陳列、接客、検品、レジ、掃除、やることはたくさんある。
はたから見れば、いつもの辻井あやねの仕事通りだった。
ただ、本人は暗い気持ちだった。
夕方ごろ、こうすけが来店すると、あやねに向かって歩いてきた。
こうすけは、機嫌よく笑った。
「おねーさん。ありがとう!」
「え?」
あやねは、驚いた。
(どう言う意味だろう?)
「ありがとう! あの本、読んでよかった!
ママにちょっと言われたけど、気になって読んじゃった」
「ほ、本当ですか?」
「うん! 特に、相手にも都合やタイミングがある。
受け取りやすいボールを投げる、ってとこがよかったよ!」
「よかった……」
思わず、言葉が崩れた。
「ちょっと、楽になったよ。
ありがとう、おねーさん。また来るよ!」
こうすけはそういうと、店を出ていった。
「ありがとうございました!」
あやねは、深々と、頭を下げた。




