第四章 飛べない船を飛ばすため、墓場から部品を剥がせ
巡洋艦『青葉』の鼓動は、しばらくのあいだ、弱々しくも確かなリズムで艦内へ広がっていた。
どくん。
どくん。
人間の心臓みたいに規則正しいわけではない。少し間が空いたかと思うと、まとめて二度、三度と低い振動が走った。しかし、それでも“死んだ残骸”とはまるで違った。船体の奥で、長い眠りから這い上がろうとする何かが、いま確かに動いていた。
僕は、制御区画に立ったまま、壁面に浮かぶ青白い表示を見つめていた。
仮主認証、維持。
艦AI系統、安定。
主機関、停止。
重力推進、使用不可。
疑似インフレーション航法系統――重大損傷。
修復優先候補を提示しますか?
「……うん。お願いします」
返事をすると、目の前の表示がすっと組み替わった。
区画図が表示された。機関ブロックと推進系統の模式図も出た。
見たこともない異星文明の表示のはずなのに、不思議と意味が頭へ入ってきた。
たぶん、元々、この機体とやらに入っていた記憶があるんじゃないかと思う。だって、青葉との会話も、厳密には、日本語ではなく英語っぽい感じの思考を使っているようなのだ――おそらく、僕の習っていた英語とは、ちょっと違う未来語?なんだろうけれど。
それと、さっきの接続の影響だろう――細かい意味まではわからないけれど、“どこが死んでいて、どこがまだ生きているか”が、感覚として拾えていた。
『現在の本艦は、局所電力、最低限の中枢制御、外装自己修復、近傍センサーのみ稼働中です』
いまや、青葉の声は、艦内全体から聞こえるような広がりがあった。最初に出会った補助AIの声と同じなのに、いまはもっと深く、重々しく聞こえた。
「つまり……飛べないんだよね」
『はい』
ずいぶんあっさり言われた。
『正確には、艦内で生活し、近傍の機能を使い、局所的な作業を行うことは可能です。しかし、他星系へ移動するためのストライプド・リープ航法は、実行できません』
「やっぱり」
わかっていたけれど、少しがっかりした。
船を見つけた。名前も取り戻した。青葉も艦そのものになった……ここまでくれば、次は当然、「よし、出航だ」みたいな流れになると、どこかで期待していたのだ。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。
そもそも、一万年近く死にかけたまま小惑星に潜り込んでいた巡洋艦だ。動くだけでも、奇跡みたいなものだろう。
「どこが足りないのかな?」
僕が尋ねると、表示の一部が拡大された。
艦尾側の機関ブロックだった。そこに、赤く点滅する部位がいくつもあった。中でも、平べったい板のようなユニット群が、まとめて黒く沈黙していた。
『重力子キャパシター群です』
「じゅうりょくし……」
『リープ航法時に必要となるエネルギーの一時蓄積と放出を担うユニット群です。同期制御ユニットも破損しています。これが損傷したままでは、航法演算ができても、実際の連続跳躍は行えません』
「つまり、空間をジャンプするための、“電池”みたいなもの?」
『概ね、その理解で問題ありません』
「概ね、ね」
『厳密には違いますが、現段階では充分です』
青葉は、相変わらずちょっとだけ上から目線だった。
でも、その口調が、むしろ落ち着くと思った。宇宙で目を覚ました直後みたいな、何もかもがわからない怖さは、少しずつ薄れていた。
もちろん不安はある。でも今は、目の前にやることがある。
やることがあるなら、僕は割と動ける。
「それ、直せる?」
『一部は、本艦の分子機械群による量子再生技術で修復可能です』
「一部は」
『はい。一部は、です』
嫌な予感しかしない言い方だった。
『艦体構造材、基礎回路、一般的な制御ノード、外装、補助配線などは、本艦が保持する分子機械群と分子プリンターで再生できます。しかし、重力子キャパシターの中核素子、超高純度のヒッグス場制御結晶、損耗した一部の位相同期部品は、外部資材が必要です』
「つまり、材料が足りない?」
『はい』
そこまでは分かる。
でも、ひとつ気になった。
「青葉。さっきから“量子再生技術”とか、“分子機械群”とか、さらっと言うけど、やっぱりこの船、ほとんど生き物みたいだよね?」
しばらく沈黙があった。
青葉が言葉を選んでいる時の間だ、となんとなくわかるようになってきた。
『比喩としては近いです』
「やっぱり!」
『本艦の自己修復系は、単純な自動修理機構ではありません。生物的分子機械群が、資源を取り込み、必要部位へ再配分し、構造を再構成します。経済コストが合うものについては、大型の分子プリンターで製造もできます』
「小惑星を“吸ってた”のも」
『はい。長期にわたる資源回収行動です』
そう言われると、やっぱり少し怖い。
けれど、同時にありがたくもある。この船がただの鉄の塊だったら、一万年前の残骸なんて、僕が見つけた時点で完全なジャンクだったはずだ。
こうして最低限でも息を吹き返したのは、生き物じみた修復能力があったからだ。
「どのくらい足りないの?」
『他星系への安定したリープ航行を行うには、最低でもキャパシター主列の四割ほどを機能回復させる必要があります』
「四割……」
『現状は、およそ一割未満です』
「それって、ほぼゼロじゃない?」
『はい』
「もうちょっと言い方なかった?」
『希望的観測を述べる機能は限定的です』
「うん、知ってるよ」
ため息をつきかけて、そういえば、僕はいま、ため息をつける肺を持っていなかったことを思いだした。
代わりに、肩を落とす真似だけしてみる。見た目が少女型の身体だと、その仕草が妙にそれっぽく見えるのが分かって、ちょっと複雑な気持ちになった。
「じゃあ、どうするの?」
『サルベージです』
青葉は、ひどく当然のことみたいに言った。
『本艦の周囲には、大量の艦艇残骸、施設残骸、未回収資源、放棄されたユニット群が存在します。必要部品そのものが残っている可能性は高くありませんが、互換部材、代替素材、再構成用資源は充分に見込めます』
「つまり、墓場から部品を剥がしてこいってことか」
『はい。端的には、その通りです』
端的すぎる。
でも、理屈は分かる。古戦場跡の“宇宙船墓場”だというから、壊れた船の残骸も山ほどある。だったら、飛べない船を飛ばすために、その残骸から使えるものを剥いでくるしかない。
……なんだか急に、ゲームの序盤みたいな話になってきた、と思った。
そうだ。最初の拠点を手に入れた。次は素材集め……そう考えると、少しだけ気が楽になった。
もちろん本物の宇宙で、失敗すれば死ぬかもしれない状況なのだけれど。
「でも、僕ひとりで、そんなことできるのかな?」
『ひとりではありません』
「え?」
『私が、います』
即答だった。
しかも、いまの青葉には、艦そのものの存在感がある。最初に出会った時より、ずっと頼もしく聞こえた。
『加えて、本艦には最低限の作業艇が残されていました』
「作業艇?」
表示がまた切り替わり、艦の中腹部らしき区画が示された。
格納区画。固定具に半ば埋もれるようにして、小さな舟形のユニットがひとつ映る。艦本体に比べればかなり小さいが、それでも僕ひとりが乗るには充分そうだった。
『艦載作業艇“ジェッチ”です』
「ジェッチ」
『本来は、艦外修理、回収、近距離輸送に用いる補助艇のようです。主機関は劣化していましたが、分子修復を優先的に回しましたので、短距離運用なら可能になると思われます』
「それ、最初から言ってよ」
『いま、機能確認を終えました』
「便利なんだか、不便なんだか」
『両方です』
青葉がそんなことを言うから、思わず笑ってしまった。
でも、その笑いはすぐに消えた。
表示された修復優先項目が、ずらりと並んでいたからだ。
重力子キャパシター中核素子。
位相同期結晶。
高密度導体束。
反応炉補助冷却材。
艦尾フレーム補修材。
外装結合ノード。
近接防御系統配線。
格納区画シール材。
「……多くない?」
『必要最低限です』
「全然最低限に見えないよ……」
『艦の規模を考えれば、少ない方です』
「船って大変だなあ……」
ついそんなことを言ってから、少しだけ苦笑する。
ほんの昨日まで、僕は学校帰りに猫を見ていた高校生だったのだ。それがいまは、古代異星文明の巡洋艦の艦長代理みたいな立場で、重力子キャパシターがどうのとか、補助冷却材がどうのとか悩んでいる。
人生、というか死後というか、そのへんの急カーブがひどすぎる。
『弓良』
「うん?」
『落胆していますか?』
不意にそう聞かれて、僕は少し考えた。
「……ちょっと、かな」
僕は、正直に言った。
「手に入れたらすぐ飛べるとか、どこかで期待してたから」
『はい』
「でも、完全にダメっていう感じでもない」
壁の青い光を見回す。
壊れてはいる。動けもしない。しかし、ここには確かに可能性があった。
「だって、直せるんでしょ?」
すると、青葉はほんの少しだけ間を置いてから答えた。
『はい』
「なら、大丈夫だよ!」
そう言った瞬間、自分でも少し驚いた。
大丈夫、なんて、どうして言えたんだろう。材料も足りないし、ここは宇宙船の墓場だし、僕はいまだに自分の身体に慣れていない……状況だけ見れば、全然大丈夫じゃない。
でも、たぶん僕は、船を見つけてしまったのだ。
ひとりで眠っていたこの艦を。
名前を取り戻した青葉を。
だったら、見つけただけで終わりにはしたくなかった。
「飛ばそう。ちゃんと」
僕がそう言うと、艦内のどこか遠くで、小さな作動音が返事みたいに鳴った。
『了解しました、艦長』
「ちょっと、重いから、やめて」
『暫定管理者』
「それもなんか……」
『弓良』
「うん。それでいい」
そう返したら、青葉は少しだけ静かになった。たぶん、また何か学習しているのだろう。
***
最初の作業は、艦内の確認から始まった。
格納区画まで向かう途中、僕は何度も立ち止まった。いや、立つというより、無重力の通路内をゆっくり滑りながら、あちこちを見回していた。
巡洋艦は、本当に大きかった。
制御区画に着くまでにも感じていたけれど、こうして内部を見て回ると、なおさらだ。通路も、整っている。ちょっと人類とは違う有機的な意匠なんだけど、“戦うための船”としての合理性を感じる。損傷は多かったけど、隔壁の形も、配線の通り方も、なんというか――骨格が強いように感じた。
「青葉、これって、巡洋艦なんだよね?」
『はい』
「軍艦ってこと?」
『はい。〈先住者〉文明における分類の完全な一致は保証できませんが、人類の基準で言えば、駆逐艦級より大きな戦闘艦――巡洋艦級に相当します』
「そんなものを、拾っちゃったんだ……」
『本艦があなたを認証した結果、手に入れたと言っていいでしょう』
「いや、その言い方だと、豪華景品を引き当てたみたい」
『外れではありません』
「まあ……それは、そうかもしれないけど」
たしかに、宇宙で目覚めて、たまたま古代文明の巡洋艦を拾うなんて、とんでもない幸運と言えば幸運だ。修理地獄がセットでついてくるけれど。
格納区画の前に着くと、分厚いハッチが半ば歪んだまま止まっていた。青葉が内部からロック系統へ干渉すると、何度かぎこちない作動音がして、ようやく人ひとり通れるだけの隙間が開いた。
「こういうの、毎回やるの?」
『修理が進めば改善します』
「早く進めたいなあ……」
中へ入ると、そこには、暗い空洞が広がっていた。
艦内の他区画より天井が高い。壁際には固定アームが並び、その半分以上は壊れていた。床――床と呼ぶべき面――には細かな部品や剥がれたパネルが散っている。
そして中央に、作業艇がいた。
「おお……」
思わず、声が漏れた。
艦本体が生き物じみた流麗さを持っていたのに対して、『ジェッチ』はもっと実用一点張りの形だった。細長い本体に、前方の観測窓、下部のマニピュレータ、後部の小型推進機。小回り重視の作業用シャトル、という感じだ。
ただし、こちらもかなり傷んでいる。
外装には擦過傷や古い補修跡があり、右舷側のアームは途中で交換されたような継ぎ目が見えた。窓のひとつは内側から板材で補修されている。
「ボロいね……」
『実用性はあります。一万年以上、修理されながら使われてきたようです』
「青葉、その言い方、ちょっと優しくない?」
『弓良は、見た目より実用性を評価する傾向があると学習しています』
「それは……否定できないかな」
僕は、『ジェッチ』の船体にそっと触れた。
巡洋艦本体ほどの反応はない。しかし、完全な死体ではないことはわかる。内部に微弱な電力が残っていて、簡単な認証くらいなら通りそうだ。
『ジェッチ、起動試験を開始します』
青葉の声とともに、作業艇の外装ラインが淡く光る。数秒遅れて、内部からごく小さな唸り音が返ってきた。
『反応良好。短時間運用なら可能です』
「よかった」
『ただし、長距離移動、重作業、高出力のマニピュレータ使用は推奨しません』
「つまり、こっちもギリギリなんだ」
『はい』
「でも、使える」
『はい』
そこで、僕は、ようやく少し笑った。
いい。こういうのでいい、と思った。
完全じゃなくていい。とりあえず動くものがある。そこから少しずつ足していく。僕はどちらかと言えば、最初から全部揃っている状態より、こういう“積み上げる感じ”のほうが好きだった。うん。
たぶん、部活とか工作とか、そういう感覚に近い、と思った。
まあ、扱っているのが異星文明の巡洋艦という点だけ、だいぶ規模がおかしいのだけれど。
『最初の目標候補を表示します』
格納区画の空中に、青い立体マップが浮かび上がった。
艦の周囲、例の小惑星内部、浮きドック状の遮蔽材、その外側の残骸群。マップの上に、いくつかの光点が表示された。近い順、危険度順、推定資材価値順と、いくつもフィルターがあるらしい。
「すごい……本格的だ」
『艦を飛ばすためには、本格的である必要があります』
「そうだよね」
僕は、光点のひとつを見た。
比較的近い場所にある、大型構造材の群れだった。別の光点は、少し離れた場所に漂う艦体断片だ。さらに遠くには、反応は弱いが高密度物質を含むらしい残骸帯があった。
『まずは近場から、推進、格納、艦内維持に必要な基礎資材を回収するのが妥当です』
「いきなりキャパシター本体を探しに行くんじゃないんだ?」
『期待値が低いため、推奨しません』
「現実的だねえ……」
『はい。私は統合により、より現実的になりました』
「その自己評価、ちょっと面白いな」
でも、たしかにその通りだと思った。
そんな貴重な部品が、そのへんにぽろっと落ちているとは思えない。まずは、艦の基礎体力を上げる。回収した資材で修復系を動かし、作業能力を高め、そのうえで大物を狙う――そのほうがずっと現実的だ。
工学的、というか、青葉らしい、と思った。
「じゃあ、まずは近場の残骸だね」
『はい。艦外作業の前に、弓良の作業適性も確認したいと考えています』
「僕の?」
『物体移動魔法の精度、分子機械への干渉耐性、艦外での機動制御、資材識別能力です』
「いっぺんに言われると、ちょっと試験みたいで嫌だなあ」
『試験に近いです』
「やっぱり」
僕は、『ジェッチ』を見上げ、それから格納区画の向こうに続く暗い艦内をちらりと振り返った。
ここが僕の船だ。
まだ飛べない。傷だらけだし、艦内の半分以上は眠ったままだろう。でも、船であることは確かだ。
だったら、その船を飛ばすのは、たぶん僕の仕事なんだろう。
「青葉」
『はい』
「やろう。墓場から、部品を剥がしてこよう」
そう言った瞬間、格納区画の照明が、ほんの少しだけ明るくなった気がした。
気のせいかもしれない。
でも、いまの青葉なら、それくらいの返事をしてもおかしくないとも思う。
『了解しました、弓良』
艦そのものの声で、青葉は答えた。
『飛べない船を飛ばすために、サルベージを開始します』
その言葉に、僕は頷いた。
宇宙で目覚めて、少女型の機怪人形になって、古代文明の巡洋艦を手に入れて、その次にやることが“墓場で部品集め”だなんて、誰が想像できただろう。
でも、悪くない。
少なくとも、じっと立ち尽くしているよりはずっといい。
僕は作業艇のハッチへ手をかけた。
その冷たい感触の向こうには、壊れた星の墓場と、僕たちの未来に必要なガラクタの山が広がっている。
飛べない船を飛ばすには、まず拾うしかない。
だったら拾ってやる。
この広すぎる宇宙で、僕と青葉が生きていくために。




