第十六章 神の船、獣人の国境へ
使者船との細かな接続手順を詰めるあいだ、僕はひとりで少しだけ制御区画の端へ下がった。
前方表示の光が、静かに区画を照らしている。
ゴシロック第四惑星は、その向こうで、変わらず白く光を反射していた。
本当なら、今日は、探査候補地を絞って終わるはずだったのに、もう話はずいぶん別の方向へ進んでいる。
ブライアントが追う“願いを叶える装置”。
グラブール人の神の船という認識。
第三十五魔女ゲラバ。
それから、僕自身の立場。
いきなり広がりすぎて、少し息苦しい。
でも、逃げるわけにはいかないとも思う。
グラブール人からの返信の文面だけを見れば、ひどく丁寧だった。
でも、その丁寧さが逆に、この接触が、どれだけ重いかを教えている気もした。これは偶然出くわした異星人との挨拶ではない。あちらは最初から、こちらを“何か”として扱っている。巡洋艦『青葉』を神の船と呼び、その主とされる僕を、ただの船長ではないものとして見ている。
たぶん、それは、僕の想像よりずっと面倒な意味を持っている。
僕は、支持構造へ置いた手を見下ろした。
細い指だった。
白く、有機的で、見た目だけだと、普通の人間の女の子の指のように見える。
最初に宇宙で目を覚ましたとき、何よりも受け入れたくなかった、自分の手だ。
実は、分子機械でできているから、繊細だけど、とてつもない力がある。握力、何kgあるんだろう?
元の僕の手とは違う。
男の高校生だったころの手とは、骨格も、重さも、見え方も、たぶんまるで違う。
それでも、いまはこの手で青葉に触れ、部品を拾い、魔法を使い、ここまで来た。
最初は、ただの悪夢みたいだった。
死んだのかもしれない。
人間じゃなくなっていた。
少女型の機怪人形として宇宙で目を覚まし、何も知らないまま、何も持たないまま、墓場の中を漂っていた。
それがいま、ここにいる。
古代文明の巡洋艦『青葉』を従え、グラブール人の艦隊に“神の船の主”として迎えられようとしている。
変な話、どころじゃない。
たぶん、人間だった頃の僕が聞いたら、三秒で頭がおかしくなったと思う。
それでも、ここまで来たのは、僕自身でもある。
『弓良』
青葉の声が、すぐそばで響くように聞こえた。
『大丈夫ですか?』
「……大丈夫じゃないかもしれない」
正直にそう言うと、青葉はすぐには否定しなかった。
『それでも、判断は適切でした』
「そうかな」
『はい。利用されるだけで終わらず、自分の意思を明示しました』
その言葉は、静かだけれど確かだった。
太郎も、めずらしく軽くない声で言う。
『弓良は、ちゃんと船長していた』
その評価が、思った以上に胸に残った。
船長。
まだその言葉は、自分には少し大きい。
でも、さっきの場面で僕が決めなければ、たぶん誰かが勝手に流れを決めていた。
だったら、やっぱり僕が決めるしかないのだろう。
「……ありがとう」
僕が小さく言うと、青葉も太郎も、それ以上は何も重ねなかった。
それが、いまはちょうどよかった。
前方表示の向こうでは、グラブールの使者船が変わらず待っている。
次に会うのは、第三十五魔女ゲラバの側だ。
そこできっと、また新しいことが分かる。
たぶん、面倒も増える。
でも、それでも。
僕はもう、ただ流されるだけではいたくなかった。
***
グラブール側からの正式な返答が届いたのは、こちらが受諾の意思を返してから、そう長くは経たないうちだった。
第三十五魔女ゲラバの使者団は、こちらを“客”として迎える。
ただし、会談はゴシロック第四惑星の軌道上ではなく、より安全とされる中間域の指定座標で行う。
同行する艦数、航路、武装の扱い、接続手順についても、驚くほど細かく条件が並んでいた。
その文面を見たとき、僕は最初に思った。
「……向こう、意外ときっちりしているね」
『外交文書としては整っています』
青葉が静かに答える。
『儀礼と安全保障を両立しようとしている形式です』
太郎が、軽いようでいて少し低い声を出した。
『つまり、信用してはいけないが、素人でもない』
「うん。そういう感じ」
ブライアントも腕を組んだまま表示を見ていた。
「ゲラバ側が本気で対話するつもりなのは分かる。逆に言うと、こっちも半端な態度は取れないな」
それは確かにそうだった。
向こうは、正式な手順で招いている。しかも、こちらがどう返すかで、その後の扱いも変わるのだ。
青葉は、ゲラバ側との接触に備えて艦内の再整理を始めていた。
武装は、最低限の待機状態へ。
外部から誤解されやすい高出力系は封鎖表示にした。
格納区画は、随伴艇運用に備えて再固定した。
使者受け入れの可能性も考えて、与圧区画の一部をさらに整える。
その作業一覧を見て、僕は少しだけ目を丸くした。
「……そこまでやるんだ」
『必要です』
青葉の声は、いつも通り落ち着いている。
『本艦は、いまや単なるサルベージ艦ではありません。外交接触の場にもなり得ます』
「外交、か」
『はい』
その単語は、正直、まだ自分の状況にしっくりこなかった。
でも、しっくりこないからといって、現実が変わるわけでもない。
太郎が、小型ドローン群の再配置をしながら口を挟む。
『見た目も少し整えるべき』
『機能優先です』
『外交には見た目も必要』
『その点は、一部同意します』
「そこだけ認めるんだ」
太郎は、ぴこんと鳴いた。
『やはり太郎は正しい』
『過大評価です』
『青葉は、いま少し悔しそう』
『その評価は、不正確です』
こういうやり取りを聞いていると、少しだけ緊張が和らいだ。
青葉は冷静で、太郎はイケイケで――最近はその差が、余計にはっきり出るようになっていた。
しかも、青葉がたしなめるたびに、太郎が微妙に懲りない。
今では、それも、艦内の空気の一部だと思った。
ブライアントは、そんなやり取りを横で聞きながら、持ち込んだ端末で航路とグラブール側の既知記録を整理していた。
「ゲラバが本当に穏健派なら、最初から撃ち合いにはならない」
「本当に、なら、ですよね?」
「そう。本当に、ならな」
相変わらず、言い方が軽い。
でも、言葉の奥に警戒心があるのは、もう分かるようになっていた。
「ただ、こっちを“神の船”扱いしている以上、下手に下にも出ないし、上からも来ないはずだ。宗教的にも政治的にも、彼らにとって、扱いが難しい」
「それ、あまり安心材料に聞こえないです」
「安心材料じゃないからな」
そう言って、ブライアントは少しだけ笑った。
でも、その目は前方表示を鋭く見ている。
この人のことを、完全に許したわけではない。
怒ったことも、まだちゃんと残っている。
僕を交渉の道具のひとつとして見ていたのは、事実だ。
でも、同時に、今、この場で彼が頼りになるのも事実だった。
それが、いちばん面倒だった。
***
『航路調整、完了』
ゲラバ側との会談座標へ向かうため、『青葉』はゆっくり進路を変えた。
青葉は、武装を隠しすぎず、見せすぎず、という絶妙な状態へ保っている。
近接防御補助ノードは、待機状態、格納区画は緊急発進可能な最低限の体制、ドワーフドローン群は艦内予備、通信系は対外儀礼に合わせて整理済み。もし誰かに“船の所作”というものがあるのなら、いまの『青葉』はかなり礼儀正しい船に見えたと思う。
『会談座標まで通常航行で接近します』
前方表示の中で、グラブールの使者船も、ゆっくり動き始める。
あちらも、こちらを導くように、一定の先行距離を保っている。
その動きは、ひどく丁寧だった。
「……ほんとに、迎えに来たみたいだ」
僕がそう言うと、青葉が応じる。
『相手はそのつもりなのでしょう』
ブライアントが低く言う。
「まあ、良かったな」
使者船の先導を受けて、巡洋艦『青葉』が獣人国家の勢力圏へ近づいていく。
僕は、前方表示から少し目を外し、区画の隅にある、半ば鏡のように光を返す壁面を見つめた。
そこにぼんやり、自分の姿が映っていた。
細い身体。
一見したら、銀色の細い線の他は、人間の女子と区別がつかないと思う。
じっと鏡の中の顔を見つめた。
目の中に、ほんの少し人工的な光があるけれど、感情がない顔ではない。
むしろ、感情はちゃんとあるのに、その器だけが別物になってしまった。
僕は、その姿を見て少しだけ、胸が痛くなった。
元の僕は、もうここにはいない。
帰れないのかもしれない。
戻れないのかもしれない。
そのことを、いつも真正面から考えるのは避けてきた。
修理やサルベージや航行や会話の中に、自分を押し込めてきた。
でも、こういう静かな瞬間になると、どうしても思ってしまう。
もし、あの日。
猫を助けようとしたあの一瞬で、僕の人生が本当に終わっていたのなら……。
いまここで動いている僕は、何なんだろう?
生きているのか。
生き残ったのか。
別の何かとして続いているのか。
「……変な話だな」
『何がですか?』
青葉が問い返した。
「僕、自分がこんなところに来るなんて、これっぽっちも想像もしていなかった」
『はい』
『でも、弓良に似合っている』
「何が?」
『船長。あと、少しだけ神秘枠』
「神秘枠って何?」
『説明困難だが、雰囲気』
『太郎。曖昧な評価を増やさないでください』
『だが、雰囲気は重要』
「それは、もう聞いたよ」
それでも、少しだけ笑ってしまった。
怖い。
不安だ。
でも、こうして笑えるなら、まだ大丈夫だと思える。
***
やがて、グラブール側の本隊も少しずつ輪郭を見せ始めた。
後方に待機していた母艦らしき大きな艦があって、その周囲に控える護衛艦が控えている。
はっきり見えるようになった船体の意匠は、やはり人類製のものとは違う。
まず、人類圏の船とは形の思想が違う。
人類の船は、機能を機能として積み上げた感じが強い。砲塔は砲塔、推進機は推進機、格納部は格納部としてわかりやすく存在している。
でも、グラブールの船は違った。
流れるように細く伸びる艦首。
やわらかく膨らんでから、また絞られる船腹。
艦体表面を走る白銀と青の紋様。
武装らしき突起はあるのに、それすら装飾の一部みたいに溶け込んでいる。
そして、細く流れるような外形に、全体的に曲線的な装飾が細かく緻密に描かれていて、まるで呪文か何かをプリントしてあるようだった。見た目は優雅で、でもその優雅さの奥に、獣の骨格みたいな鋭さがある。
しかも、その後方に控える本隊はもっと異様だった。
母艦らしき大型艦は、光の中に浮かぶ聖堂みたいでもあり、巨大な海獣の骨格みたいでもあった。多層の船腹には、装甲というより甲殻じみた重なりがあり、各部に走る発光ラインは回路にも見えるし、儀礼的な刺繍にも見える。左右に従う護衛艦は、どれも似た意匠を持ちながら微妙に形が違い、まるで群れを成す鳥のように規律正しく並んでいた。
「ほんとうに、儀礼的な“美しさ”を求めた艦隊のように思える」
気づくと、そう呟いていた。
青葉が、静かに解析を重ねる。
『主力艦一、護衛艦複数。配置は儀礼と実戦の中間形態です』
「中間形態?」
『現時点で明確な攻撃照準は確認されません。ただし、武装出力は低くありません』
青葉が淡々と解析結果を出す。
太郎が低く鳴く。
『つまり、礼儀正しいが、やるときはやる編成』
「見た目より、普通に強そうだね」
『だいたい合っている』
『完全には否定しません』
「青葉も、ちょっとだけ認めるんだ」
こんな時でも、その掛け合いがあると少しだけ肩の力が抜ける。
ブライアントが苦笑する。
「“穏健派”っていっても、武力的に弱いっていう意味じゃないからな」
「でしょうね……」
そこへ、神官ジズゥから再度通信が入る。
『第三十五魔女ゲラバは、神の船の主を歓待の客として迎える準備があります』
青葉が訳す。
『会談は中立区画で行われます。神の船の主は、最小人数での来訪を願います』
「最小人数」
僕は、少し考えた。
ここで誰が行くべきか。
いや、行けるべきか。
青葉が先に言う。
『本艦から弓良、そして補助として最小限の随伴が妥当です』
「青葉は?」
『私は、本艦から通信支援を行います』
太郎が、やや不満そうに鳴いた。
『太郎、同行したい』
『狭い会談区画では、太郎の同行は刺激になる可能性があります』
『太郎は小さい』
『問題はサイズではありません』
「たぶん、雰囲気の問題だよね」
『はい』
太郎は、少しだけ沈黙してから、しぶしぶ鳴いた。
『では、艦内待機。ただし、いつでも出られるようにする』
「うん、それでお願い」
ブライアントが、こちらを見た。
「俺は?」
その一言に、少しだけ迷う。
連れていけば、向こうがどう見るかわからない。
連れていかなければ、こちらの通訳役や背景説明役が減る。
青葉が、補足する。
『ブライアントは、グラブール側に対して人類圏の現場担当という印象を与えます。利点と欠点の両方があります』
「つまり?」
『弓良が“完全に単独の象徴”として見られることを避ける効果はあります』
それは、少し大きかった。
神の船の主、という重さを、少しでも実務寄りにずらせるなら意味はある。
「……じゃあ、ブライアントも来てください」
僕がそう言うと、彼は軽くうなずいた。
「了解」
そして少しだけ真面目な声で付け加える。
「今回は、俺主導で流れを決めたりしないから、安心してくれ」
その言葉に、僕は、ほんの少しだけ視線を細めた。
「そうしてください」
まだ、全部を許したわけではないが、了承した。
「弓良」
ブライアントが、少しだけ真面目な声で呼んだ。
「何ですか」
「ひとつだけ言っておく」
彼は、前方表示から視線を外さないまま続けた。
「向こうが何を言ってきても、最初の一歩は、お前が決めたってことを忘れるな」
その言葉に、僕は少しだけ目を細めた。
「……急に、まともなこと言いますね」
「こういう時には言うさ」
軽く笑ってから、でも、彼はちゃんと真面目な声で続けた。
「俺が、どれだけ打算込みでここまで連れてきたとしても、最後に“行く”って決めたのはお前だ。そこを誰かに取られるな」
その言い方は、少しだけ悔しいくらいに、ありがたかった。
怒ったことは、まだ消えていない。
たぶん、すぐには消えない。
でも、そのうえで、いま彼が言っていることも、また本当なのだろう。
「……はい」
僕は、短く答えた。
青葉も静かに言う。
『同意します』
太郎は少しだけ誇らしげに鳴いた。
『弓良は、流されるだけの個体ではなくなった』
「個体って言い方はちょっとどうかと思うけど」
『訂正。船長』
「それもまだ慣れないなあ」
『だが、もうそう見える』
その言葉に、僕は少しだけ黙った。
船長。
神の船の主。
どちらも、まだ少し大きすぎる。
でも、いまこの区画にいる誰よりも、最後の判断を僕がしているのもまた事実だった。
***
「青葉」
『はい』
「ここから先、たぶん今までよりもっと、面倒だよね?」
『はい』
青葉は、今度は間を置かずに答えた。
『ですが、面倒であることは、価値があることと矛盾しません』
その返答に、僕は少しだけ笑った。
「それ、好きかも」
『学習しました』
太郎が、すかさず言う。
『太郎も似たようなことを言える』
『競わないでください』
『少しだけ』
「ほんとに懲りないね」
でも、その懲りなさも含めて、少しだけ嬉しかった。
怖いけれど、笑える。
不安だけれど、前を見られる。
それなら、まだ行ける。
「……行こう」
僕は、小さく、でもはっきり言った。
「自分で決めて、ここまで来たんだから」
『了解しました、弓良』
青葉の声が、船そのものの響きで区画を満たす。
『巡洋艦『青葉』、会談座標へ進入します』
その言葉とともに、『青葉』は静かに前へ出た。
神の船と呼ばれた巡洋艦。
その主と呼ばれてしまった僕。
そして、獣人の国境の向こうに待つ新しい世界――。
もう、ただ流されるだけでは、いたくない。
そう思いながら、僕は、前を見た。
ここまでが最初に準備した16章分になります。現在、30章までできていますので、また明日、続きを投稿予定です!




