第十五章 僕は交渉の道具じゃない
白兎族の神官ジズゥとの通信を切ったあと、制御区画にはしばらく妙な静けさが残った。
前方表示には、まだグラブールの使者船が映っている。
二隻は、相対的に一定距離を保ったまま待機し、後方の船団もそれ以上は前に出てこない。露骨な威圧はない。しかし、だからといって安心できるわけでもなかった。
むしろ、その整いすぎた距離感が、余計に神経を逆撫でしていた。
相手は、僕たちが簡単に逃げないことも、今すぐ撃ち合いにしたくないことも、多分、分かった上で、待っている。
僕は、支持構造へ片手を置いたまま、しばらく黙っていた。
青葉も、太郎も、ブライアントも、すぐには何も言わなかった。
こういう時、最初に口を開くのが誰かで、そのあとの空気はかなり変わる。
最初の言葉を発したのは、ブライアントだった。
「……少なくとも、最悪の出会い方じゃなかったな」
その一言で、僕の中に溜まっていた何かが、急に形を持った。
「知ってたんですか?」
僕の声は、自分でも思ったより冷静だった。
怒鳴ったわけではない。
でも、たぶんそのぶん、余計に冷たかったと思う。
ブライアントは、すぐには応えなかった。
それだけで、僕には十分だった。
「知っていたんですね」
今度は確認じゃない。
断定だった。
太郎が、区画の脇で小さく低い音を立ている。
『空気、悪化』
青葉が静かに言う。
『弓良』
「いや、聞かせてもらう」
僕は、前を向いたまま言った。
「ここで、うやむやにしたくない」
その言葉に、青葉は、何も重ねなかった。
代わりに、制御区画内の不要な表示を少しずつ引かせて、余計な情報を減らした。
僕が会話へ集中しやすいようにしてくれたのだと、その後に分かった。
ブライアントは、しばらく黙っていた。
いつもの軽い笑みは消えている。言い訳を探しているというより、どこまで言うかを考えている顔だった。
やがて、彼は短く息を吐いて、僕をまっすぐ見た。
「……ここまで来たからには、話そう」
その声は、今までで一番、軽くなかった。
「正直、この星は、人類の影響領域のすぐ外側くらいにある。GDCに探査計画は知らせてあるが、こんなに早く接触があるとは、思っていなかった」
「接触がある前提では、あったんですか?」
ブライアントは、頷いた。
「人類とグラブール人は、いま、影響領域を巡って、実質的な紛争状態にある」
その言葉で、区画の空気がまた少しだけ冷えた気がした。
青葉は、すぐに否定しない。
太郎も黙っている。
「紛争?」
「まだ、全面戦争には、なっていない。しかし、平和状態では、ない」
ブライアントは、続けた。
「互いの勢力圏が接する宙域で、小競り合い、威嚇、拿捕寸前の睨み合い、探査権を巡る押し合いが続いている。宙域の境界は、曖昧な場所も多いし、お互いの文化も宗教も、実際のところは、ろくに理解できていない」
青葉が、静かに補足する。
『前に説明した通り、グラブール人は、人類にとって無視できない辺境勢力です。正式外交の窓口はありますが、相互理解は限定的です』
「そうなんだよ。だから、表の外交だけでは、足りないんだ」
ブライアントは、少しだけ苦い顔をした。
「そこで動くのが、GDCみたいな半官半民の組織さ。表向きは私企業の探査、私企業の交易、私企業の接触だ。しかし、実際には、人類連邦が直接動きにくい相手との“非公式の接触”を担っている」
僕は、そこで、ようやく話の輪郭がつながった気がした。
「……あなたは?」
「その使者の一人に選ばれていた」
ブライアントは、はっきりそう言った。
もう、言い逃れはしなかった。
「本当に、本職は山師で、主に資源探査をやっている。〈先住者〉遺跡を追うのも本当だし、願望機械を探しているのも本当だ」
彼は、そこで、少しだけ視線を落とした。
「でも、それとは別に、GDCの上層部から、グラブール人との非公式接触があれば、対応するように任されていたのも、事実だね」
太郎が、低く不機嫌そうに鳴く。
『評価、さらに下方修正』
青葉は、即座には口を挟まず、ただ静かに聞いていた。
僕は、喉の奥が熱くなるのを感じた。
「じゃあ、やっぱり僕たちは、そのために……?」
「都合は、良かった」
ブライアントは、僕の言葉を遮らずに、でもまっすぐ続けた。
「人類の普通の船で、グラブール人の領域をうろつくのは難しい。向こうから見れば、ただの探査船でも、影響領域の侵犯や威嚇に見えることがある」
それは、なんとなく分かる。
国境紛争中なのだ。
普通の船なら、普通に警戒される。
「でも、『青葉』は違う」
ブライアントは、前方表示の向こうの巡洋艦を示すみたいに、わずかに顎を動かした。
「グラブール人にとっては“神”として崇拝する〈先住者〉の巡洋艦だ」
僕は、思わず黙り込んだ。
たしかに、ジズゥは『青葉』を神の船と呼んだ。
それは、単なる比喩ではなく――向こうにとって、本当に宗教的な意味を持つ呼び方なのだろうか?
「それだけでは、ない」
ブライアントの視線が、今度は僕に向いた。
「弓良、君自身もだよ」
「……僕?」
「機怪人形だからね。しかも、起動して意思を持って動いていて、『青葉』を従えている。グラブール人から見れば、多分、“生きている仏像”みたいなものだろう」
「ぶ、仏像?」
「ああ。友人の片腕が日系で仏教徒だから知っているよ。金ぴかな像で、毎日拝むんだろ? 生きている仏ってのもいるって聞いたな」
「縁起でもないこと言わないでください! 普通、仏像は、お寺にしかないですよ」
思わずそう言ってしまったけれど、声に力はなかった。
否定したい。
でも、先程の神官が妙に遜った様子だと、向こうがそう見ている可能性は、ないとは言えない。
ブライアントは、苦笑いした。
「俺だって、そういう言い方は好きじゃないよ。けれど、宗教的に特別視される存在だということは、確かだろう」
青葉がそこで、静かに付け加える。
『表現は粗いですが、本質的には近いでしょう。弓良は、グラブール側の象徴体系に強く触れる存在と考えられます』
「……だから、都合がよかった、んですね」
僕が、唸りながら、そう言うと、ブライアントは頷いた。
「そうだ」
その一言は、容赦がなかった。
「神として扱われる巡洋艦『青葉』と、向こうが崇める可能性の高い機怪人形の弓良――人類の普通の探査船じゃ開かない扉を、開けられるかもしれない」
そこで、彼は少しだけ言葉を切った。
「チャンスだと思ったよ」
僕は、しばらく何も言えなかった。
利用価値で見られていたことも、道具みたいに計算へ入れられていたことにも、腹が立つ。
でも同時に、ブライアントが言っていることが“完全におかしい話”ではないのもわかってしまう。
それが、一番、嫌だった。
「……最悪だ」
ようやくそれだけ言うと、ブライアントは小さく頷いた。
「そうだな」
言い訳はしない。
そこだけは、ずるくない。
「でも」
彼は、静かに続けた。
「最初から全部、“国境紛争の非公式接触任務も兼ねています”って言って、君は、ここまで来たかな?」
「来ませんよ」
即答する。
「そうだろうね」
「……」
僕は、しばらく何も言えなかった。
怒っていた。
かなり、まっすぐに怒っていたと思う。
でも、その怒りは単純なものでもなかった。
ブライアントの言っていることが、ただの作り話ではないとわかってしまうからだ。
人類とグラブール人が影響領域の紛争状態にあること。
表の外交では足りず、GDCのような半官半民の組織が非公式接触を担っていること。
そして、『青葉』と僕が、そのためにあまりにも都合のいい存在に見えること。
――全部、最悪なくらい筋が通っていた。
「……では」
ようやく、それだけ言えた。
「最初から、僕を交渉の道具にするつもりだったんですね?」
ブライアントは、直ぐには答えなかった。
軽口で流さない。
ごまかしもしない。
それが余計に腹が立つ。
「“道具”って言い方が、きついのは分かる」
やがて、彼は低く言った。
「でも、違わない部分もある」
「違わない部分“も”?」
「俺にとって、君達は、それだけでは、ないよ」
その返しに、僕は思わず眉を寄せた。
「でも、交渉材料のひとつとして見ていたのは、事実だ」
ブライアントは、そこだけは、はっきり認めた。
「『青葉』が〈先住者〉の巡洋艦だと分かった時点で、GDCが放っておくわけがない。たまたま、あのステーションにいた俺だって、そこを見ないふりは、できなかった」
「つまり、GDCからも、僕らに接触するように言われていた、と」
「……そうだな」
また認める。
まあ、あの最初の情報の抜き取りが失敗した時点で、ブライアントがその後釜で来たのではないかとは、かなり思っていた。
でも、その正直さが、気に食わない。ここで嘘をつかれるよりは、ましだったけれど。
太郎が、かなり露骨に不機嫌そうな音を立ている。
『評価、下方修正を維持』
「維持なんだ」
『維持』
その一言が、妙に可笑しくて、でも笑う気にはなれなかった。
青葉が静かに入る。
『弓良』
「うん」
『ここから先は、感情と事実を分けて整理すべきです』
その言い方は、いつもの青葉だった。
冷静で、必要な順番を間違えない。
でも、その声のトーンには、僕の怒りを軽んじていないという感じがあった。
『確認すべき点は三つあります』
前方表示の隅に、青い文字列が浮かぶ。
『一つ。ブライアントが意図的に伏せていた情報の範囲』
『二つ。GDC側へどの程度の情報が渡っているか』
『三つ。グラブールとの接触について、弓良自身がどうしたいか』
最後の一文だけ、青葉は少しだけ強く言った。
『これが最優先です』
僕は、小さく息を吐くような気分になった。
そうだ。
ここで全部をブライアントへの怒りだけにしてしまうと、結局また誰かに流れを決められる。
それは、嫌だった。
「……まず、二つ目から」
僕は、ブライアントを見た。
「GDCに、どこまで話しましたか?」
彼は、少しだけ考えてから尋ねた。
「『青葉』の存在そのものがGDCに知られているのは、分かるね? ステーションBで入港記録が残っているし、あの規模の〈先住者〉系艦を、完全秘匿なんて無理だよ」
「はい」
「でも、弓良の詳細な構造、機怪人形としての仕様、俺の個人的仮説、そのへんは出していない」
青葉が、すぐに検証するように言う。
『外部流出記録と照合します』
区画が数秒だけ静かになる。
前方では、グラブールの使者船が待機したまま動かない。
その静止が、逆に時間を区切っているみたいだった。
『……ブライアント由来と断定できる追加流出は確認できません』
青葉がそう言ったとき、僕は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
全部が全部、裏切りではない。
少なくとも、僕たちを丸ごと売ったわけではないらしい。
だからといって許し易くなるわけでもない。
でも、切り分けにはなる。
「じゃあ、一つ目」
僕は、続けた。
「他に何を伏せてたんですか?」
ブライアントは少しだけ視線を落とした。
「いずれ、グラブールとの接触する可能性があると思っていたこと。GDCの非公式接触任務に、俺自身が半分乗っていたこと。……そのくらいだ」
「“そのくらい”で済ませないでください」
「済まないのは、分かっている」
その返しも、やっぱり真っ正直だった。
「でも逆に言うと、それ以上は、何も伏せていない。グラブール人の白兎族が、ここまで直接出てくるのも、弓良を“神の船の主”としてここまで重く見るのも、俺の想定を超えていた」
その言葉に、僕は、少しだけ眉を動かした。
「想定外なんですか?」
「規模がね」
ブライアントは、前方表示の使者船を見た。
「この惑星じゃなくても、グラブール人の領域の方に進めば、接触は、あると思っていた。でも、いきなり正式な使者団が出てきて、第三十五魔女本人の名で招待状を寄越すとは、流石に、思っていなかった」
青葉も、静かに付け加える。
『ブライアントの反応に不自然な演技は、検出できません』
「青葉、そこまで分かるの?」
『完全ではありませんが、発話パターンの逸脱は見ています』
「すごいな……」
『補助知性ですから』
そこだけ少し誇らしげなのが、青葉らしかった。
太郎が、小さく鳴く。
『青葉は、こういう時だけ少し得意そう』
『その評価は不要です』
『必要』
「はいはい、そこはあとで!」
少しだけ、区画の空気が戻る。
僕は、そこで、ようやく最後の論点へ目を向けた。
前方表示の向こう、待機する使者船と、そのに向こうにいる第三十五魔女ゲラバ――
「……僕は」
気づくと、そう口にしていた。
「利用されるのは、嫌です」
それは、たぶんこの場で一番素直な本音だった。
交渉の札で、非公式接触の切り札で、宗教的象徴――そういうものに、勝手に押し込められたくはない。
僕は、ただ、生き延びるためにここまで来ただけだ。
でも、その次の言葉も、自然に出てきた。
「でも、行かないのも違うと思う」
ブライアントが、顔を上げた。
青葉も太郎も、黙って聞いている。
「グラブールが何を考えているのか、知りたいです。どうして『青葉』を神の船と呼ぶのか、どうして僕をそんなふうに見るのか、知りたい」
僕は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「ブライアントの思惑がどうだったとしても、ここまで来た以上、それを自分で見ないまま引くのは、たぶん嫌です」
『はい』
青葉が、静かに答える。
その一言だけで、ちゃんと受け止めてくれているのがわかった。
「だから」
僕は、前方表示を見つめたまま言う。
「行くなら、僕が自分で行くと決める」
区画の空気が、少しだけ変わった。
青葉が、ほんのわずかに柔らかい声で言う。
『それが、最も重要です』
太郎もすぐに続いた。
『同意。弓良が決めるなら、それでいい』
ブライアントは数秒黙ってから、低く言った。
「……悪かった」
その謝罪は、軽くなかった。
形だけではないのだと思う。
でも、それで全部が終わるわけでもない。
「すぐには、許しません」
僕がそう言うと、ブライアントは頷いた。
「それでいい」
「でも、ここで去るのが正しいとも思わない」
「……ああ」
「だから、話は、続けます」
その言葉を口にしたとき、自分でも少しだけ驚いた。
怒っているし、まだ信用しきれない。
でも、それでも切らないと決めたのは、僕だった――それを、ここではっきりさせたかった。
僕は、青葉に向き直る。
「ゲラバ側に返事をして」
『内容は』
「招待は受けます。でも、こっちも条件つきで。僕たちは、客であって、従属するつもりはないから、まず会って話を聞く。その先は、そこから自分で決める」
『了解しました』
青葉は、その言葉を、対外文として丁寧に整えて送信する。
数秒後、ジズゥからの返信が返ってきた。
『了承。第三十五魔女ゲラバは、神の船の主を客として迎える』
客。
その一語に、少しだけ救われる。
もちろん、それがどこまで本心かはわからない。
でも、少なくとも、こちらの意志を押し流す形では返してこなかった。
ブライアントが小さく息を吐いた。
「……道は、繋がったな」
僕は、その言葉に、すぐには返事をしなかった。
そうだろうけど、ブライアントやGDCの都合だけで繋がった道ではない。
ここから先は、僕が選んで進む道でもある。
「ブライアント」
僕が呼ぶと、彼はすぐに顔を上げた。
「何だ?」
「次に勝手なことをしたら、本当に降ろします」
その言い方は、自分でも少し驚くくらい静かだった。
ブライアントは一瞬だけ目を細め、それから小さくうなずく。
「了解」
「今度は、ちゃんと最初に言ってください」
「そうする」
その約束を、どこまで信用するかはまだ別だ。
でも、少なくとも、今は、それでいいと思った。
青葉が、すぐそばで響くような声で言う。
『弓良』
「うん」
『適切な線引きです』
太郎も続く。
『船長らしい』
「……まだ慣れないな、その言い方」
『だが、いまはそうだった』
その評価が、少しだけ胸に残った。
前方表示の向こうでは、グラブールの使者船が静かに待っている。
もう止まるつもりはなかった。




