第十四章 第三十五魔女ゲラバの使者
制御区画の空気は、一瞬で張りつめた。
さっきまで“探査の始まり”らしい高揚感があった場所へ、別の種類の緊張が流れ込んでくる。
青葉がさらに表示を拡大する。
後方には大型艦。
その左右に、やや小型の護衛艦。
そして先行する二隻の使者船らしき影。
どの艦も、人類の船にはない流線形の美しさと、儀礼めいた装飾を持っていた。
白と銀と淡い青を基調にした外装は、真空の中でも妙に静かで、でもそれだけに余計に威圧感がある。
「……綺麗だね」
気づくと、そんな言葉が漏れていた。
ブライアントがちらりとこっちを見る。
「そういう感想が最初に出るんだね」
「だって、なんか……綺麗だけど怖い」
「それは、多分、その通りだろう」
青葉が、静かに言う。
『艦列は、実戦と儀礼の中間形態です。見せるための艦隊であり、同時に即応体制も維持しています』
太郎が、低く鳴いた。
『礼儀正しいが、噛むときは噛む、群れ』
「わかりやすいけど、何だかね……」
僕は、前方表示の光点を見つめた。
最初は小さな点の列にしか見えなかったそれが、青葉の補正で少しずつ輪郭を持ち始める。
細長い船体で、左右に広がる翼のような張り出しがあった。人類圏の船に多い、機能を外へ露骨に見せる感じとは違って、もっと生き物めいた意匠だった。ちょっとだけ、『青葉』のデザインと似た系統のように感じた。
『接近速度、安定』
青葉が報告する。
『直線的な攻撃軌道ではありません。しかし、本艦と惑星の中間域へ収束しています』
「つまり、こっちを見ているんだよね?」
『可能性は高いです』
ブライアントが、少し考え込んだ表情で、珍しく軽口なしで言った。
「この星系で、こんなタイミングで、しかも人類規格じゃない船団が来た。とくれば、偶然ではないね」
太郎も、いつもより低い声で鳴く。
『武装確認を推奨』
『実施中です』
青葉の返答は速かった。
『本艦の近接防御補助ノード、待機状態へ。格納区画、発艦準備の可否を再照会』
「ブライアントのファイター、ポラーダは?」
僕が聞くと、青葉はすぐ答える。
『即応発艦は、困難です。整備は進んでいますが、まだ完全ではありません』
ブライアントが舌打ちするでもなく、小さく息を吐く。
「まあ、そうだよな。いま無理に飛ばして潰すよりはいい」
その言い方は、悔しさを押し込めたみたいだった。
僕は、椅子の横にあるパネルへ手を置いたまま、前方表示を見ていた。
探査を始めるはずだった。
役割分担も決まり、装備も揃い、ようやく“意思ある旅”の第一歩へ入ったつもりだった。
なのに、もう向こうから別の相手が来る。
辺境って、そういう場所なのだろうか? こちらが準備を終えるのを、きちんと待ってくれないのか。
「青葉、通信は?」
『試みます』
前方の光点群に向けて、青葉が標準信号と照会パケットを送る。人類圏標準、独立系交易、GDC補助規格、それから異星種族向けの一般的な中立通信フォーマットまで。
数秒、反応はない。
そして――
『応答受信』
区画の空気が、もう一段だけ締まった。
前方表示の端に、文字列のようなものが流れ込む。
でも、それは、僕には読めない。
文字というより、装飾的な紋様の列にも見えた。
「……何?」
『解析中です』
青葉の声は落ち着いていたが、いつもより少しだけ深いところで処理を回している感じがした。
『言語系統、人類圏標準と不一致。ただし、過去記録層との部分一致を確認』
「過去記録層?」
僕が聞くと、青葉は短く答えた。
『〈先住者〉語そのものではありません。ですが、本艦が保有する対外接触用の古代辞書に、近い言語体系があります』
ブライアントが、わずかに目を細めた。
「それ、もしかして……」
青葉の解析が進む。
流れ込んだ文字列が、少しずつ意味のある言葉へ置き換わっていく。
断片的だが、はっきり読める単語が混ざり始めた。
神の船。
迎え。
第三十五。
魔女。
ゲラバ。
「……魔女?」
僕が思わず聞き返すと、ブライアントが低く言った。
「グラブールだ」
その言葉に、青葉から聞いた話が、一気に現実になったように思えた。
グラブール人――複合獣人政体の種族で、魔法技術を持ち、人類と国境紛争状態にあり、辺境では無視できない存在――
「……あのグラブール人?」
『可能性は極めて高いです』
青葉が、応えた。
『通信文中の“第三十五魔女”および“ゲラバ”は、グラブール側の称号体系と一致します。これは、ステーションBで入手した、現代異星人種族のデータと一致します』
太郎が、小さく鳴く。
『つまり、知らない船団ではない。もっと面倒な船団』
「面倒なんだ」
『面倒です』
太郎が即答して、そこへ青葉が続けた。
『政治的意味を持つ可能性が高いためです』
ブライアントは、もう端末を操作していた。
彼の表情から、普段の軽さはかなり消えている。
「第三十五魔女ゲラバ……白兎族の系統か。しかも、この宙域でこっちへ直接寄せてくるとなると、偶然じゃないな」
「白兎族?」
僕が聞くと、彼は短く説明した。
「グラブールの中でも比較的、穏健派に寄ることが多い系統だ。たぶん、だけどな」
青葉が補足する。
『断定は避けるべきですが、既知記録にも近い傾向があります』
「穏健派“に寄る”って、全然安心できない言い方だね」
『はい。安心材料にはなりません』
そこまで言ってから、青葉は、改めて通信内容を整理した。
『再翻訳します』
前方表示に、簡易な訳文が浮かぶ。
>神の船に告ぐ。
>第三十五魔女ゲラバの使者が、迎えに来た。
>武装を控え、応答せよ。
>そなたらに危害を加える意図はない。
>神の船の主と、話すことを望む。
区画が、しんと静まり返った。
「……神の船?」
気づくと、僕は、その言葉を繰り返していた。
青葉が静かに答える。
『本艦を指していると考えられます』
「そうだよね」
でも何故――という思いだった。
僕にとって『青葉』は、苦労して見つけて、直して、飛べるようにした船っだった。
傷だらけで、まだ完全ではなく、それでも帰る場所になった巡洋艦だ。
それが、相手には“神の船”に見えるらしい。
ブライアントが、低く言った。
「弓良。多分、君も、向こうにとっては、ただの船長じゃない」
「え?」
「〈先住者〉製の巡洋艦を従えている、人型の機械存在だ。俺が知っているグラブールの宗教観や神話系統によっては、かなりヤバい意味がある、はず」
ブライアントは、こめかみを撫でた。
「ヤバい……?」
「崇められるか、利用されるか、その両方の可能性があるな」
その言葉に、ぞくっとした。
僕は、自分をそんなものだと思ったことはない。
ただの高校生だった。
事故で死んだかもしれなくて、たまたま機怪人形として目を覚まして、必死にここまで来ただけだ。
なのに、相手は“神の船の主”として話したがっている。
『弓良』
青葉の声が少しだけ低くなる。
『この接触は、無視できません』
「……だよね」
『はい。本艦の存在は、既に向こうへ認識されています』
太郎が口を挟む。
『逃げる?』
『現時点では推奨しません』
青葉は、すぐ応えた。
『不必要な敵対の印象を与える可能性があります』
『だが、近づけすぎるのも危険』
「……返事、したほうがいいよね?」
『無視は推奨しません』
太郎も低く鳴く。
『同意。いまは撃つより話す局面』
『はい。中間距離を維持したまま、限定的な応答が妥当です』
ブライアントが、珍しく軽口なしで言った。
「ここから先は、たぶん弓良が決めたほうがいい」
その言葉で、区画の空気がまた少し変わった気がした。
僕は、前方表示の艦隊を見つめたまま、小さく頷いた。逃げるだけでは、多分、ここまで来た意味がない。
僕は、無意識に、支持構造へ手を置いた。
「……応答しよう」
そう言ったとき、自分の声が思っていたより、ちゃんと響いた気がした。
ブライアントが、こちらを見た。
「いいのか?」
「向こうは、もう、こちらを見つけていますから」
『妥当です』
青葉が言う。
『どの程度まで開示しますか』
その質問で、僕は少しだけ迷った。
何を言えばいい。
自分は神でも何でもないと言うべきか。
こちらも警戒していると見せるべきか。
それとも、まずは最小限の対話だけに留めるか。
結局、僕は一番無難そうなところを選んだ。
「僕たちは、ゴシロック第四惑星を探査中の独立船だ、って伝えて。敵意はない。でも、こっちも危害を加えられるつもりはない。話す用意はある、って」
『了解しました』
青葉が、通信へ変換する。
数秒後、返信が返ってきた。
さっきより短い。
『使者船、二隻のみ前進。残余は後方待機』
青葉が訳す。
『交渉の場を求めています』
ブライアントが、小さく息を吐いた。
「少なくとも、最初から囲んでくる気ではないらしい」
「本当に穏健派なのかな?」
「それは、まだ分からないね」
その返事は、ひどく現実的だった。
僕も、そう思った。
相手が武装を控えると言っていても、安全とは限らない。でも、少なくともいまこの時点では、話し合いの形を取るつもりはあるらしい。
『接近する二隻の船影、より詳細に補正します』
青葉の表示が切り替わった。
前進してくる二隻は、母艦らしき後方の船より小さい。
ただ、人類の小型艇とも、また違っていた。
船首は細く、船体は流れるように湾曲し、装甲には儀礼的な曲線の集まりのような意匠が見える。色は、茶色っぽい中に、金属色があって、少し植物っぽい感じだった。
実用品でもあり、同時に見せること自体が意味を持つ船、という印象だった。
「遠景で見たときも思ったけど、本当に……美しい船だね」
気づけば、そんな感想が漏れていた。
ブライアントがちらりとこっちを見る。
「そういうのが、分かるんだな?」
「船だからかな」
「かもな」
青葉が静かに言う。
『装飾と機能の比率が、人類製と異なります。グラブール系の艦艇らしい特徴です』
太郎が、小さく鳴く。
『見た目に意味がありそう。少し気に入らない。青葉のほうが綺麗』
『比較は不要です』
『いや、必要』
「まあ、張り合わないで!」
『大事』
『大事ではありません』
こんな状況なのに、そのやり取りがあると、少しだけ肩の力が抜けた。
そうだ。
僕は、一人じゃない。
青葉がいて、太郎がいて、ブライアントもいる、と思った。
変な状況なのは変わらないけれど、それを受け止める仲間はいる。
***
接近してきた二隻は、十分な距離を取ったところで、スラスターを吹かせて、相対的に停止した。
その動きは、丁寧だった。
見せつけるようでもなく、怯えるようでもない。
こちらとの距離感を測ったうえで止まっているのが分かる。
『通信回線、安定しました』
青葉が告げる。
『映像応答が来ます』
「映像まで?」
『はい』
僕は無意識に姿勢を正した。
支持構造の前に立ち、前方表示へ目を向ける。
ブライアントは少し後ろへ下がり、太郎は、区画の脇で待機していた。
青葉の光ラインが、制御区画内を静かに巡っている。
ピンという合図音の後、表示の中央に、立体映像が投影された。
最初に見えたのは、白だった。
正確には、白い毛並みを持つ、兎に似た顔立ちの人物だ。
ただし、人間そのものではない。
顔の輪郭は柔らかく、耳は長く、目は大きい。
しかし、服装と立ち姿には、はっきりと知性と威厳があるように思えた。
僕は、思わず、息を呑むような気分になった。
これが、グラブール人――ステーションBに、異星人は、まったくいなかったから、初めて人間以外の種族を、直接、見たのだった。
画面の向こうの人物は、ゆっくりと一礼した。
『第三十五魔女ゲラバが使者、白兎族第二.五級神官ジズゥです。神の船の主に、礼を』
青葉が、ほぼ同時に訳し、そのまま会話の補助に入った。
「……どう返せばいい?」
僕が小声で聞くと、ブライアントが短く言った。
「まずは、丁寧に返答しよう。否定も肯定も急がなくていい」
『同意します』
青葉も、すぐに返した。
僕は、小さくうなずいて、前へ出た。
「こちらは巡洋艦『青葉』の弓良です。礼を受け取ります」
青葉が、そのまま変換して送る。
白兎族の神官だとかいうジズゥは、こちらをじっと見つめていた。
その視線には敵意はない。
でも、ただの好奇心でもない。
崇敬に近い、重い何かが混じっている。
『神の船と、その主が目覚めたことは、我らにとって軽くない報せです』
ジズゥが言う。
『第三十五魔女ゲラバは、あなた方を迎えるよう命じました』
その単語が、妙に引っかかった。
「……迎える、とは?」
僕がそう尋ねると、青葉が訳し、ジズゥがすぐ答える。
『もてなし、話し合い、そして確認です。神の船が、どの意志に従うかを』
その言葉に、ブライアントの眉がわずかに動いた。
僕も、背中に冷たいものが走るのを感じた。
穏やかな言い方だったけど、“どの意志に従うか”という最後の一文が、ひどく重く感じた。
向こうは、こちらをただの旅人とは思っていない、と思った。
『青葉』を神の船と呼び、僕をその主として見ている。
そして、僕らの意志がどこへ向くのかを知りたがっているのだ。
しかし、ジズゥは、何か、僕に対して、何か非常にへりくだって、必要以上に尊重しているような、不思議な気配があった。兎っぽくて表情は読めないけど……。
青葉が静かに言う。
『弓良。ここから先は、慎重に言葉を選ぶ必要があります』
「うん」
分かっている。
僕は、ただの高校生だった。
そんな大それた話に巻き込まれる覚えは、本当はない。
でも、もうそういう言い訳だけでは済まないところまで来てしまっている、と思った。
『返答を急ぐ必要はありません』
ジズゥが言う。
『まずは第三十五魔女ゲラバとの面会を願います。あなた方に害をなす意図はありません』
その言葉を、どこまで信じるか――それが、次の問題だった。
僕は、前方表示を見つめたまま、小さく息を吐くような気分になった。
探査の旅は、始まった。
でも、その第一歩から、もう単なる資源探しではなくなっている。
ブライアントが追う“願いを叶える装置”に、グラブール人の神の船、第三十五魔女ゲラバの招待――全てが、何かの流れへ繋がり始めているような気がした。




