第8話 「魔女」と公爵令嬢
数日後の放課後、夕暮れの柔らかな橙が学園を染める頃、私はひとり、旧図書館へ続く寂れた石畳の道を歩いていた。人影はない。木々のざわめきと自らの足音だけが、静寂に溶けてゆく。
やがて前方に、メアリーの姿が見えた。
茜色の制服を着て、中ほどの長さの淡い桃色の髪を風に揺らし、いつものように胸元に大切そうに魔法書を抱きながら、俯きがちに歩いている。
私達は噴水の前で行き合うことになった。
メアリーは立ち止まり、ハッとしたように顔を上げた。先日の迎賓館の件を思い出したのだろう。驚きに目を見開いた後、慌てて小さく身をずらし、私に道を譲ろうとした。
しかし私は、その動きに合わせるようにして一歩横へと動き、その行く手を塞いだ。肩が触れ、彼女の腕が私の身体に当たる。
「もっ……申し訳ございません!」
メアリーは慌てて身を退き、大きく空けた進路の端で深く頭を下げた。
私は立ち止まり、その姿を無言のまま見据える。
彼女は私の気配に気付き、恐る恐る顔を上げ、怯えた瞳で私を見つめた。
「……あの、クリスティーナ様? どうなさいましたか?」
パンッッッ!!!
乾いた音が夕暮れの空気を裂いた。
私の手の平が彼女の頬を打ち、彼女が抱えていた本が地面にバサッと落ちる。
私は鋭い視線を突きつけながら、声を荒らげた。
「先日、レオン殿下から離れるように言ったではありませんか! あなたがいつまでも、殿下の傍らにいることが許されると思っているのですか!?」
迎賓館の件があっても、メアリーの振舞いに目立った変化は全く見られなかった。日中は相変わらず多くの男性貴族を従え、レオンと一緒に行動していることが多い。
メアリーは打たれた頬を押さえながら、痛みで潤んだ瞳を伏せた。しかし、先日とは様子が異なり、彼女は唇を噛んで、どこか不満そうな表情を浮かべた。
しばらくして、メアリーは涙を拭って顔を上げると、真っ直ぐに私に目を向けた。
「……お言葉ですが、私は自分からレオン殿下に近付こうと考えたことはございません。私はただ、皆さんと仲良くしたいだけなんです。殿下が声をかけてくださるおかげで、私は多くの方々と親しくなれて――」
パンッッッ。
再び、私の手の平が彼女の頬を打った。
特定の人間しか出入りできない旧図書館で、彼女がレオンと逢引してきたのは明らかだ。メアリーがどんな言い訳をしても、無表情を装っても、彼女の魅了の魔力の揺らぎが全てを物語っている。
それに、私は前世、旧図書館でレオンと逢引していたのだから間違いない。
──迎賓館での件があったのに、「私」の行動が全く変わらないなんて信じられない。少しは私──クリスティーナに遠慮すると思ったんだけど……。
とはいえ、レオンとの逢引の件は前世の記憶だ。それを持ちだして、メアリーを責めることはできない。前世の事実に触れれば、おそらく私の全身は硬直してしまう。
私は鋭い視線を突きつけながら、「クリスティーナ」として心に浮かんだセリフを吐き捨てるように言った。
「殿下にまともに相手をして頂けない私を、あなたは嘲笑うつもりですか!?」
「そっ、そんなつもりは……!」
「黙りなさい! あなたが殿下に近づけば、この国の王の血統が穢れます。そもそも、あなたの下心はお見通しなのですよ! 私を出し抜いて、殿下と婚姻を結ぼうなど、決して許さない!」
息を呑んだまま立ち尽くすメアリーの顔をじっと見据え、私は冷ややかに続けた。
「すぐに自主退学しなさい。この学園にあなたの居場所はありません。今なら私の持つ全ての権限で、他国への留学を取り計らいましょう」
私は、彼女と仲良くなってから勧めるはずだった留学の話を口にした。
すると、メアリーは悔しげに顔を伏せたが、すぐに顔を上げて私を真っ直ぐに見た。
「嫌です。私はこの国から平和を広げたいんです。多くの皆さんと関わって、心を通わせること。それが平和への第一歩です。この学園は、未来の王国を導く方々の集まりです。だからこそ、私はここで皆さんと一緒に、争いのない世界を目指したいんです」
彼女の言葉を聞いて私は心底呆れ、眉間に深く皺を刻んだ。昔の自分が返しそうな答えをそのまま口にされて、とてもみじめになると共に、その偽善の言葉に虫唾が走った。
──目の前の「愚かな私」の人生を、私の手で終わらせる。
私は軽く溜息を吐いた後、彼女をじっと見据えた。
「……まぁ、いいです。あなたは自主退学を拒絶すると予想していました。ですから、残る方法はこれしかありません」
私は一歩踏み込み、左手で彼女の右腕を強く掴み、引き寄せた。
「痛いですっ!! やめてください!!」
逃れようともがくメアリーの細い腕は、私の力を振りほどけない。
──強大な魔女の力を利用されるしかない「愚かな私」は、ここで死んでしまうのが一番世界平和のためになる。その後、私も死ぬ。今のお父様とお母様、本当にごめんなさい!
私は自分自身を何度も説得するように心の中で叫び、右手を制服のポケットへと沈みこませ、冷たい感触を握りしめた。その時──。
「クリスティーナさん。これ以上はおやめなさい」
透きとおる声が夕空を震わせた。
振り向けば、王族用の水色の制服を纏う女性が銀色の美しい髪をなびかせ、攻撃魔法をすぐに射出できる態勢を取って、噴水の傍らに立っていた。
「スッ、ステイシア王女殿下!」
──ステイシア王女がどうしてここに!? 周辺に人がいないことは確認したはずなのに!! まさか、彼女も旧図書館から!?
私は慌ててメアリーの腕を放ち、深く頭を垂れる。メアリーも痛む右腕を押さえながら、同じく礼を取った。
ステイシアは私達にゆっくりと近付くと、メアリーの足下に落ちたままだった本を拾い上げ、鋭い眼差しを私に向けた。
「二人のやり取りは概ね聞かせていただきました。クリスティーナさん、あなたの行動は公爵家の子女として相応しいものではありません。ましてや、メアリーさんは陛下がこの学園への入学を認めた『聖女』です。これは陛下への反逆にも等しい行為です」
私は頭を下げたまま、口を開く。
「……申し訳ございません」
「本来ならお兄様に報告し、逆にクリスティーナさんの自主退学を求めるべきですが……未遂に終わったことですし、今回は私の胸の内に留めておきましょう。今後、二度とこのようなことはなさらぬようにしてください」
ステイシアがメアリーに、拾った本を差し出す。
顔を上げて本を受け取るメアリーに、ステイシアは少し興奮したような笑みを向けた。
「メアリーさん。今から一緒に、お兄様の下へお茶をしに行きませんか? そして、その後、よろしければ、私の上級魔法の習得に協力していただきたいです。どうしても使ってみたい魔法があるんです」
私は頭を下げたまま、両手を拳にしてギュッと握った。
その瞬間、私の頭に一つの案がひらめいた。
──今までメアリーのことばかりを考えていたけれど、ステイシア王女を殺してしまってもいいんじゃないかしら? ここで災厄の元凶を絶ってしまえば、ガルディア王国の侵攻も、ラインフィールド王国の滅亡も起こらないと思うし……。
しかし、私はすぐにその考えを捨てた。
王族の殺害は、今の家族への影響が大きすぎるためだ。現行法の下では、王族の殺人には連帯責任が伴う。つまり、子供を含めて、公爵一家全員が処刑されてしまう。王国を救うためとはいえ、さすがの私もそこまで非情になることはできなかった。
また、今のステイシアと私の魔力差はとても大きい。彼女が攻撃魔法を私に向けて放てば、私は瞬時に殺されてしまうと予想できた。
──それにしても、人をすぐに殺そうとするなんて、私は随分と邪悪な人間になっちゃったな……。
一方で、私の思いを知る由もないメアリーは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、ステイシアに言葉を返した。
「もちろんです。ステイシア王女殿下」
二人は頭を下げたままの私をその場に残し、並んで校舎の方へ歩いて行った。
私はその背中が遠ざかるのを見届けるように、ゆっくりと顔を上げた。ポケットから右手を引き抜き、そこに握られたナイフに視線を落とす。
そのナイフは、私が持てる魔力を全て込めて、「魔女メアリー」の身体に付与されている守護障壁を破ることができるように細工したものだ。
私が遠くの二人の背に視線を移せば、ちょうど校舎からレオンが現れ、メアリーへと駆け寄るところだった。私が視線を向けるその先で、「私──メアリー」は柔らかな笑みを浮かべていた。
──メアリーを殺して私も死のうと思ったけれど、なかなか計画通りにはいかないものね……。
私はメアリーの殺害に使う予定だったナイフをポケットに戻す。そして、彼らとは反対方向へ足を進めた。
──あの様子だと、ステイシア王女は既に「魔女の書」を読んでる。彼女の動きを考えれば、悠長にしてはいられない。早く別の方法を探さないと……。
私は途中で歩みを止め、振り返った。遠く、夕闇に沈みゆく校舎の前で、メアリーとレオン、ステイシアが楽しげに談笑しているのが見えた。その笑い声は夕暮れの風に溶け込み、どこまでも穏やかで幸福そうだ。
その笑顔の裏に潜む未来を知っているからこそ、私は胸の奥が締め付けられるように苦しかった。
──たとえ運命が決まっているのだとしても、私は必ず、破滅の未来を変えてみせる。
私はその思いを胸に、両手を固く握りしめた──。




