第7話 未来を変える難しさ
翌日、私は魔法学園に向かう馬車の揺れに身を任せながら、未来を変えるための策について思案を巡らせていた。
──今、私にできることは、メアリーを常に私の目の届く範囲に置くこと。そして、ステイシア王女がハーウィ王国へ嫁ぐその日まで、メアリーと極力接触しないように見張り続けること。そのためには、まずメアリーをレオン殿下から引き離して、王族との関係を断たせないと……。何としても、ステイシア王女がメアリーから聖女の力を奪うのを阻止しなければ。
しばらくして、馬車が魔法学園の門の前に停まった。
私が侍女の手を借りて馬車を降りると、視線の先にメアリーの姿が見えた。早朝のせいか、彼女の周囲にいつもの取り巻きの姿はない。一人で校舎の入口へと歩いていた。
──前世のクリスティーナ様は魅了に影響されることなく、私に「レオン殿下に近付くな」と何度も圧力をかけてきた。けれど、それは逆効果だったのよね……。言われるたびに反発心が強くなって、殿下から離れようなどとは一度も思わなかったから……。
私はクリスティーナとして、前世の彼女と同じ轍を踏まないようにしたい。メアリーに圧力をかけるのではなく、むしろ優しく接して心を開かせる。そして、彼女と過ごす時間を増やすことで、彼女から私への信頼を得ようと考えた。
──でも、「かつての私」と親しくするなんて、少し違和感があってむず痒い感じ……。
魅了を防ぐため、私は自身の身体に「魔法結界」を張る。そして、メアリーの背後からゆっくりと近付いていった。
「メアリーさん。おはようごさいます」
私の声に、彼女は肩を跳ねさせるようにして振り返った。目を大きく見開き、何度も口をパクパクと動かした後、慌てて深く頭を下げる。
「クッ……クリスティーナ様! お、おはようございます!」
その仕草と口調から、彼女が戸惑っているのが手に取るように分かった。
(どうして急に私に声をかけてきたの!?)
前世の私なら、そう思っただろう。
「メアリーさん。もしよろしければ、一緒に校舎まで歩きませんか?」
「えっ!? どうして私なんかと!?」
メアリーは驚いて目を見開き、動揺を隠せない様子だ。
見かけ上、私は先日メアリーを呼び出した上に、「レオン殿下に近付くな」と警告文を突きつけたばかりだ。彼女からすれば、これまで親しくもなく、むしろ疎まれていると感じていた私から、今さら「一緒に歩こう」と誘われるなど、理解不能に違いない。
私は必死に魅了の魔力に耐えながら、彼女に柔らかな笑みを向けた。
「そんなに警戒なさらなくても大丈夫ですよ。皆の間で噂になっている『学園の聖女様』のことを、もっと知りたいと思っただけですから」
だが、その言葉は逆効果だった。メアリーの表情はさらに強張り、かろうじて引き攣った笑みが浮かんだ。
「私は『聖女』なんかじゃありません。ただ、ほんの少し魔力が多いだけの平民です。ですから、クリスティーナ様にお声を掛けていただくだけでも、とても畏れ多いことです。どうか、私のことなど気になさらず、一人の平凡な学生として扱ってください」
そう言って彼女は私から視線を逸らした。
私はあえて彼女の言葉を軽く受け流し、にこやかに微笑んだ。
「まあ、そんなに謙遜なさらずに。とりあえず、校舎に向かいながらお話しましょう」
私が歩き出すと、メアリーは渋々といった様子で後に続いた。俯いたまま目を泳がせて、私の斜め後ろを歩くその姿は、まるで必死に逃げ場所を探しているかのようだった。
──前世では、こんな状況は一度もなかった。だから、レオン殿下の婚約者の私から突然声を掛けられたことに、「一体どういうつもりなのだろう」と警戒してしまうのは理解できるけど……。
その後も、私の問い掛けに対してメアリーが短く答えるだけで、彼女から私に話題を振ってくることはなかった。
やがて言葉も尽き、私達二人の間に気まずい空気が流れる。そうしているうちに、校舎の入口へと辿り着いた。
「……あのっ、私は一般学生用の入口からしか入れませんので、これで失礼します!」
そう言い残すと、メアリーは逃げるように駆け足で一般学生用の扉へと消えていった。
私はその背中を、しばらく無言で見つめ続ける。
──魔法結界で魅了を遮断してるから、客観的に「かつての私」を見ることができるけど、「私」はなんて頼りないんだろう……。怯えたように俯いて、自分に自信がない様子で、誰もが口にする「聖女」の風格なんて微塵も無いじゃない……。
胸の奥に複雑な感情が渦巻く。落胆、羞恥、そしてほんの少しの哀れみ。
──クリスティーナ様の方が、よっぽど王妃に相応しいと思う。皆を欺いた「魅了」という魔法が、ちっぽけな「私」を実際の何倍も大きく見せていたのね……。
私は大きく溜息を吐いた──。
◇ ◇ ◇
私はその日からメアリーへのアプローチを開始した。
しかし、私が昼食に誘っても、放課後のお茶会に招待しても、メアリーは必ず何かしら理由をつけて断ってきた。
クリスティーナは性格こそきついが、もともと多数で群れることを好まない。高位貴族の令嬢にありがちな取り巻きもいないため、メアリーにとってはむしろ気楽なはずだった。だが、それでも彼女は頑なに私と距離を置き続けた。
──もしかして、メアリーは私を避けてる? でも、昔の「私」は、一度高圧的な態度を取られたからと言って、こんなに極端に相手を避けることはなかったと思うけど……。
メアリーへのアプローチを始めてから一週間ほど経つが、状況に変化はなく、最近では私が近付くだけで彼女は逃げるように去っていった。これではまるで、私が彼女に執着する怪しい公爵令嬢のようだ。
メアリーのその様子に、クリスティーナとしての性格を持つ私は、徐々に苛立ちを感じ始めた。
──計画がまるで進まない……。公爵家の力を使って、前世の私──メアリーが興味を持ちそうな留学先をいくつも探してきたのに……。どうにかして彼女と親しくなって、他国への留学を勧められるようにならないと……。
しかし、その日の放課後も、彼女にお茶会の誘いを断られた。
私は魔法学園の新図書館へ向かうと、奥にある閲覧用テーブルで参考になりそうな本を開き、彼女に接触するための次の手を考えていた。
──あれ……?
本のページをめくる指が止まった。閲覧用テーブルから見える本棚の僅かな隙間、その向こう側をメアリーが通った。
──メアリーは今日、街で買い物をする予定だと言っていたはずなのに……。
彼女は何かの魔法書を抱え、受付で借用の手続きする。そして、それを済ませると、図書館を後にした。私は距離を保ちながら、足音を忍ばせて彼女の後を追った。
──このまま誰もいない場所まで移動したら、そこでメアリーに声を掛けよう。夕食に誘って、ご馳走を振る舞って、その後は自室で語り合えば……。お互いの誤解が解けて、少しずつメアリーと親密になれるはず。
メアリーは校舎を抜け、一階の渡り廊下を進み、やがて魔法学園に隣接する迎賓館へと入っていった。そこは要人を迎えるためのボールルームや応接室、そして私が以前メアリーを呼び出した会議室などが並ぶ場所だ。
──夕刻のこんな遅い時間に、迎賓館に何の用事があるんだろう? 前世の記憶にはないけど、彼女は一体どこへ向かっているのかな?
私が疑念を抱きながら、メアリーから距離を取って追いかけていくと、彼女は迎賓館の廊下の突き当たりの角を曲がった。私は彼女を見失わないよう、少し駆け足で同じ角を回る。
その瞬間――。
──えっ……!?
私は思わず息を呑み、慌てて後ずさった。跳ね上がった心臓を押さえるように胸に手を置き、急いで廊下にしゃがみ込む。
──レオン殿下!? どうして、こんなところに!?
恐る恐る曲がり角の陰から廊下の先を覗き見ると、そこには二人の姿があった。メアリーとレオン。レオンに取り巻きの姿はなく、ただ二人きりで、楽しげに談笑している。
それを見た私は、目の前の光景がどういう状況なのか、すぐに理解できた。
──あぁ、そういうことなのね……。
二人は恥ずかしそうに手をつないだまま、廊下の脇にある会議室へと入っていった。
──これは前世と違う……。私は魔法学園の中で、こんな破廉恥なことはしていない……。
扉の向こうで何が行われているかは分からない。けれど、前世の私とレオンの関係を思えば、部屋の中で何が行われているかは大体想像できた。
胸が抉られるような感覚と共に、怒りがふつふつと湧き上がってきた。
──「私」のことだけど許せない……。この気持ちは「二人が逢引している」ことへの嫉妬じゃない。私のこういう軽率な行動が、王国を滅ぼしてしまった。ステイシア王女が言った通り、「私」はリーネと同じことをしてたんだ……。「私」はなんて最低な聖女なの。
三十分ほどして、会議室の扉が開いた。
頬を赤らめ、手を握り合いながら笑顔で談笑する二人の姿がそこにはあった。
私は慌てて廊下を戻り、途中にあった空き部屋へと身を潜める。しばらくして、メアリーとレオンが空き部屋の前を通り過ぎていった。
そして、夕闇が迫る中、二人は周囲に誰もいないことを確認して迎賓館を出ると、何事もなかったかのように別れた。
私は静かにメアリーの後を追う。そして、人気のない場所に差し掛かった瞬間、彼女に背後から声を掛けた。
「ねぇ、メアリーさん……」
その声に、彼女は肩を跳ねさせるようにして振り返った。私の鋭い視線を受けて、メアリーは両腕に抱えていた本を落とし、バサッと乾いた音が地面に響いた。
「クッ……クリスティーナ様っ!? どうしてここにっ!?」
声は震え、瞳は怯えに揺れている。
「メアリーさんこそ、私のお茶会の誘いを断って、ここで一体何を? 街に買い物に行くと仰っていたはずですが」
「いや……その……えっと……」
頭の中が真っ白になっているのだろう。メアリーはしどろもどろになりながら、私に答えるための言葉を懸命に探している。しばらくして、彼女の視線は地面に落ちた魔法書へと向かった。
「どっ……どうしても、明日までに習得しなければならない魔法がありまして、その魔法書を借りるために新図書館へ行っていたんです! これが、その本です!」
メアリーは慌てて地面から本を拾い上げ、胸の前に掲げるようにして私に見せた。
「でも、新図書館は反対方向ですよね?」
私が静かに指摘すると、彼女は一瞬言葉に詰まり、すぐに次の言い訳を繰り出した。
「レオン殿下が、勉強のために会議室を用意してくださったんです! そっ……そこで先程まで勉強していました!」
満面の笑み。だが、その作り笑顔はどこか引き攣っていて、瞳の奥の焦りを隠せていない。どう考えても不自然な言い訳だった。しかし、彼女にとっては精一杯の筋の通った説明なのだろう。
──あぁ、嘘が苦手だった「私」らしいな……。それは、ある意味では美徳なのかもしれないけど、こうして実際にその姿を目の当たりにすると、なんて情けないんだろう……。
私はゆっくりと両手を胸の前で合わせ、可愛らしく笑みを浮かべた。
「そうですか。メアリーさんはとても勉強熱心なのですね」
私の言葉に、メアリーは安堵した表情を浮かべた。
しかし、私はすぐに目を細め、彼女を見据える。
「……ところで、どんな魔法を勉強されていたんですか? 『聖女様』が勉強している魔法、ぜひ私にも教えていただきたいです」
メアリーの表情が一転して硬直した。想定外の問いだったのだろう。彼女の瞳が揺れ、唇がわずかに震えた。
彼女は必死にその場を取り繕う答えを探す。しかし、私には分かっていた。
彼女が手に持つ魔法書が、言い訳のための小道具に過ぎないことを。前世の私が、そうしていたのだから――。
私の胸の奥に、じわりと痛みが広がった。
私はゆっくりとメアリーに歩み寄っていく。魅了の魔力が、私の魔法結界にじわじわと侵蝕を始める。私は残りの魔力を振り絞って、魔法結界の強化を行った。
口を噤んだまま何も話せない彼女の前で立ち止まり、私は眉間に深く皺を寄せる。そして、彼女の瞳を真っ直ぐに睨みつけた。
「キスと抱擁の魔法……。実際にレオン殿下と試してみる『勉強』は楽しかったですか?」
メアリーの顔が凍りついた。私はさらに言葉を重ねる。
「……ねぇ、学園一の『嘘つき聖女様』?」
メアリーの手が震え、胸元に抱えていた魔法書が再び手から滑り落ち、乾いた音を立てた。彼女の瞳が泳ぎ、唇がわずかに開くが、声は出ない。私の結界にぶつかる彼女の魅了の魔力が、あまりの動揺で荒波のように揺れ出した。
私は右手を大きく振りかぶった。
パンッッッ!!!
鋭い音が空気を裂いた。私の手の平が彼女の頬を打った瞬間、魅了の魔力が逆流するように私に流れ込もうとする。しかし、私は手の魔法結界に全魔力を集中させ、それに耐えた。
「ぁっ……ぁっ……」
メアリーはかすれた声を漏らしながら、その場に崩れ落ちた。そして、涙を溜めた目を大きく見開いたまま、視線を漂わせて呆然と地面を見る。
「……レオン殿下とすぐに別れなさい。そして、彼に今後一切近付かないで。そうすれば、私はこの件を大事にするつもりはありません」
メアリーは叩かれた頬にそっと手を添えたまま、俯いて黙り込んだ。
その肩は小刻みに震え、涙が頬を伝って静かに落ちていく。
しばらくして、彼女の口から弱々しい声が漏れた。
「……クリスティーナ様。申し訳ございません……」
その言葉が、何に対する謝罪なのかは分からない。前世の私の気持ちを考えると、「レオンとの関係を切ることはできない」という謝罪なのかもしれない。
平民の彼女にとって、自分から王族との縁を断つことが容易ではないことは分かっている。それに、あの頃の私は、レオンを誰よりも愛していた。魅了の影響もあるが、周囲の貴族達も私達二人が結ばれることを願っていた。
それでも私は、未来の悲劇を思えば、彼女を断罪するしかなかった。私の一言が、何かを変えるかもしれないと信じたかった。
涙を流し、地面に座り込んだままのメアリーをその場に残し、私は静かに踵を返す。私は、元来た道をゆっくりと戻っていった。
──メアリーを引っ叩いてしまった。もう彼女との関係修復は難しい……。そうなると、私は結局、前世のクリスティーナ様と同じように破滅の道を歩むのかな……。
私がメアリーに「レオン殿下に近付かないで」と言ったところで、何の効果もないことは分かっていた。メアリーの心は既に彼に奪われているし、それは私自身が一番良く知っている。今から思えば、優秀な子孫を求める「淫乱の魔女」の血の影響もあったのかもしれない。
──私にはもう、最後の手段しか残っていない……。前世のクリスティーナ様のように公爵家の子女としての全てを失うけれど、王国を救うためなら仕方がない……。
私はギュッと唇を噛み締めた。
夕暮れの光が差し込む渡り廊下に戻り、私は一人、静かに校舎に向かって歩いていく。渡り廊下に差し込む夕日を受けて、私の側方に長い影が伸びた。
私から離れることのないその影は、私が前世の罪から逃れられないことを示しているかのようだった──。




