第5話 私の前世(4)
少し残酷な描写がありますので、苦手な方はお気を付けください。
「お姉様をつないでいる鎖は、『聖女の魔法』で作成した魔力封じの鎖! 聖女の力を失ったお姉様には、決して断ち切れないはずです!」
ステイシアは、私が口元に浮かべたわずかな笑みを見逃さなかったのだろう。彼女は強い口調で私を牽制した。
しかし、その声は僅かに震え、揺れる瞳が彼女の動揺を隠しきれていなかった。
私は表情を戻し、彼女をじっと見据えた。
「その『聖女の魔法』は、もともと私のものです。私がその弱点を知らないはずがありません」
ステイシアは眉間に皺を寄せ、ギュッと唇を噛む。
私とステイシアの視線が互いに絡み合う間にも、鎖を壁に留める金属は崩れ落ち、粉塵が舞った。私が右手の鎖を引くと、壁の石が付いたままの留め金が、大きな音を立てて床に落ちた。
ステイシアは怯えるようにして、二歩三歩と後ずさる。
私はその姿に冷ややかに視線を向けた。
「かつて私は、『人を許すこと』こそ聖女の美徳だと信じていました……。それが『聖女』としてあるべき姿だと思っていたからです。けれど今、胸を満たすのは王女殿下への怒りと憎しみだけです……。どうして私は、あなたみたいな愚かな人を信じてしまったのでしょうか? どうして私は、悪魔のようなあなたに心を許してしまったのでしょうか?」
言葉を切り、深く息を吸う。
そして、しばらくの静寂の後、私はゆっくりと口を開いた。
「……私はもう『聖女』ではありません。あなたを決して許さない。この世界の人々のために、そして死んでいったラインフィールドの人々のためにも、私は必ず、あなたをここで殺す」
その言葉に、ステイシアは慌てて「魔女の書」をめくり始めた。視線は私と書物の間をせわしなく往復する。おそらく、私を警戒しながら、必死に最強の殺人魔法を探し出そうとしているのだろう。
やがて、あるページで彼女の指が止まった。
「予定変更です! お姉様には、今すぐに死んでいただきます!」
ステイシアはそう叫ぶとすぐに、「魔女の書」に古代大陸語で書かれた魔法を早口で唱え始めた。
──あれ?
聞き慣れない古代魔法の詠唱の響きの中に、自分が幼かった頃に祖母から聞かされた物語のフレーズが混じっていることに気付いた。胸の奥に、忘れかけていた記憶が蘇ってくる。
しばらくして、ステイシアの魔法の詠唱が終わった。彼女は鬼のような形相で本を床に投げ捨て、両手を私へと突き出した。
「さようなら、お姉様っ!! 爆ぜよ!! ヴェスゼリア!!」
その瞬間、部屋の四方八方から光が集まり、私とステイシアの頭上に眩い球体が生まれた。
…………。
…………。
…………。
しかし、光がただ虚空に揺らめいただけで、何も起こらなかった。
「えっ!? どうしてっ!? なぜお姉様は爆ぜないのですかっ!? 私の詠唱は完璧だったはずです!! 私が注いだ聖女の魔力も十分なはずなのに、どうしてっ!?」
ステイシアの声は裏返り、瞳は動揺で揺れる。
その目の前で、私は今度は左手を強く引き、壁に打ち込まれていた留め金を石ごと引きちぎった。
鈍い音とともに鎖が床に落ちる。それと同時に、全身を縛っていた「魔力封じの術」が霧散し、私の内奥に眠っていた魔力の奔流が解き放たれた。
私は静かに息を吐き、手足を縛っていた枷を『聖女』の破壊魔法で粉砕した。砕け散った金属片が床に跳ね、乾いた音を響かせる。
ゆっくりと立ち上がる私を、ステイシアは怯えを隠すように睨みつけた。
「……王女殿下」
私は低い声で告げる。
「その魔法は、あなたには決して発動できません」
私達二人の間に沈黙が流れた。ステイシアの喉が小さく鳴り、次の一手を探すように肩が震えた。
「なっ、なぜですかっ!? 詠唱は間違っていないですし、魔力だって十分に注いだはず! 一体、何が足りないというのですかっ!?」
ステイシアは震える指先を私に突きつけ、必死に叫んだ。
「大体、あなたがこの魔法を知っているはずがないでしょう!! これは『魔女の書』に古代大陸文字で記された秘術なのですよ!? 『魔女』の存在すら知らなかったあなたが、まるで全てを見透かしているかのように、出まかせを言わないでっ!!」
ステイシアは顔を真っ赤にして、口角泡を飛ばしながら私に怒鳴った。
かつては大人しくて可憐な少女だったが、今やとても醜い姿だ。鬼の形相で、何度も何度も「ヴェスゼリア!、ヴェスゼリア!」と叫び、私を殺すために必死に爆殺魔法を発動させようとしている。しかし、私の身体には何の変化も起きなかった。
私は彼女の醜悪な姿を静かに見据え、低く言葉を発した。
「……昔、祖母がよく聖女伝説を語ってくれたのを思い出したんです。その時、祖母は言いました。『遠い昔、聖女にしか発動できない魔法がいくつかあり、その中に決して唱えてはならないものがあった』と。想像を絶する威力を秘めているが、詠唱した聖女自身も命を落としてしまう相打ちの魔法があったと……」
「きゅ……急に何を言い出すんですか!!」
「今、王女殿下が唱えた魔法が、魔女大戦でも使用されたその禁忌の魔法だと思います。……ですから、安易に自分が知らない魔法を唱えないよう、ご忠告しておこうと思いまして」
私の言葉に、ステイシアの顔から血の気が引いた。
彼女は慌てて足下の「魔女の書」を拾い上げると、震える指で急いでページをめくった。やがて、そこに私が話した通りの記述を見つけたのだろう。彼女の手は小刻みに震え、力を失った指先から「魔女の書」が床にバサッと落ちた。
「……慌てていて、読み落としていたのですね」
私がそう言うと、ステイシアは正気を取り戻して、私を睨みつけた。
「でも、魔法は発動しなかったではないですか! きっと幸運にも、私が詠唱を間違えたんです! ですから、私はこうして無事なんです! そうでなければ、『聖女』である私は、あなたと共に爆ぜていたはずではありませんか!! 下賤の民が、偉そうに私に説教しないでください!!」
彼女の声は震え、必死に否定の言葉を並べ立てる。だが、その瞳の奥に宿る恐怖は、もはや隠しきれてはいなかった。
私は視線を落とし、胸の前で両手を重ね合わせた。そして、ゆっくりと手のひらを離していく。すると、胸の奥から飛び出すようにして、七色の光を放つ球体が姿を現した。
「……王女殿下。これが、殿下の禁忌の魔法が発動しなかった理由です。あなたは、『聖女』ではありません」
その光を目にしたステイシアは、息を呑み、大きく目を見開いた。
「そ、そんな……!? どうして『聖女の核』がお姉様の方にあるんですかっ!?」
ステイシアも同じ仕草で胸の前で手を合わせて離していくが、何も現れない。
「どうして!! どうして出ないのっ!?」
彼女は鋭い視線を私に向けた。
「お姉様っ!! 一体いつ、私から『聖女の核』を奪ったんですかっ!?」
私は小さく溜息を吐き、冷ややかに答えた。
「……その質問に、私が答える義務はありますか?」
その私の一言にステイシアは唇を噛み、肩を震わせる。私は彼女を見て、やんわりと微笑んだ。
「王女殿下が私を蹴り飛ばした時です。以前、殿下は、魔力共有を通じて私の『聖女の核』を奪いました。ならば逆もまた然りです。殿下の足が私の頬に強く触れた瞬間、私は核を奪い返したのです。自分の核を取り返すのに、古代の秘術を知る必要なんてありません。……『魔女』である私を蹴り飛ばすなんて、王女殿下はあまりにも不用心でしたね」
ステイシアの顔から血の気が引き、彼女は呆然と視線を落とした。その姿に、私は静かに言葉を重ねた。
「王女殿下の詠唱のおかげで、爆殺の魔法は完成まであと一歩です。最後の言葉を私が唱えれば、魔法は発動します。詠唱全体を知らなかった私にとって、殿下のご協力はとても助かりました。ありがとうございます」
私は光の球を胸の奥へと戻し、寂しげな笑みを浮かべる。
「さあ、王女殿下……いいえ、愚かなステイシア。全ての責任を取って、私と共に仲良く死にましょう」
私の言葉を聞いてステイシアは顔を上げ、蒼白な表情で駆け寄ってきた。そして膝を折り、床に額を擦りつけた。
「お姉様っ! 申し訳ありません! どうか……どうかお許しください!! 私は本当は、お姉様を殺すつもりなんてありませんでした!!」
私は土下座する彼女の姿を静かに見下ろす。
あまりの往生際の悪さに、呆れを通り越して虚しさすら覚えた。
私が無言で立ち尽くしていると、ステイシアは怯えたように顔を上げた。
「どうか、私を殺さないでください! せっかく結ばれたお兄様と離れたくありません!」
彼女は必死に懇願する。その声は震え、顔は恐怖に引き攣っていた。
私は何も答えず、ただ両手を彼女に向けた。
すると、彼女は縋るようにして私の手を握りしめ、必死に言葉をつないだ。
「そうだ! お兄様を私と半分ずつにしましょう! 一日ごとに交代で! お兄様に掛けた呪いは解けませんが、お姉様の唾液で内容の一部を書き換えられるかもしれません! 私、お兄様は半分で我慢します! ですから、以前みたいに、二人で仲良く暮らしましょう!」
その醜悪な提案に、私は冷ややかに言い放った。
「……王女殿下。往生際が悪いです。いまさら、『殺すつもりはなかった』『一緒に仲良く暮らしたい』などという言葉を、私が信じるとでもお思いですか?」
ステイシアは涙を溢れさせ、喉を震わせて叫んだ。
「どうか、お願いです!! やっとお兄様と愛し合えるんです!! やっと、ここまで来たんです!!」
私は彼女を見下ろし、静かに告げた。
「あなたは、自分の欲望のために多くの人を殺しました。愛する家族を持つラインフィールドの人々を、無慈悲に無感情に殺したんです。そんなあなたに、レオン殿下への愛を語る資格はありません」
「だって!! これしか方法がなかったんです!! 私だって普通に生きたかった!! 普通にお兄様を好きになりたかった!! 王族になんか生まれたくなかった!! お姉様みたいに、お兄様と結婚したかった!!」
ステイシアの泣き叫ぶ声が石壁に反響する。
私はその姿から視線を逸らし、寂しげに目を伏せた。
「……私だって、『魔女』に生まれたくありませんでした。あなたから『魅了でレオン殿下を誘惑した』と告げられ時、直感的にそれが真実だと分かってしまいました。私が本物だと信じていたレオン殿下からの愛情は、最初から偽物だったのだと……」
私の視界が滲み、涙が頬を伝った。
「王女殿下と違って、私はこの力を好きで手に入れたわけではありません。私は、私なりに必死に努力してきたつもりでした……。ですが、レオン殿下の愛情も、人々の好意も、すべては偽物……。『魔女の書』の防御魔法で、私の『力』の影響を受けていない王女殿下ですら、普段私に見せていた姿は偽りでした……」
私の声が震え、石壁に反響する。
「偽物、偽物、……全部偽物! 私自身ですら、偽物の聖女! 本物って一体何なんですか!?」
頬を伝った私の涙が、顎からポタポタと床に滴り落ちた。
「王女殿下にとっては、私の姿はいい気味でしょうね……。けれど、この絶望を、あなたは理解できますか?」
私は彼女の手を乱暴に振り払い、嗚咽を押し殺すように叫んだ。
「しかも私は、あなたと魔力を共有するという大罪を犯しました! そのせいで多くの人々を死に追いやってしまったんです! 私が生きる価値など、もうありません! 魔女である私は死んで、あの世でラインフィールドの人々に詫びるしかないんです!!」
私は両手を開いてステイシアに向けた。
「私は死ぬ覚悟ができました!! だから、ステイシア、あなたも一緒に死にましょう!! 身体が爆発する魔法なら、二人とも一瞬で終わります!!」
私の言葉に、ステイシアは蒼白な顔で私の足に懸命に縋りついた。
「いやです!! 死にたくない!! お願いです!! どうか殺さないでください!! お姉様の言うことなら、なんでも聞きますから!!」
ステイシアは必死に懇願する。しかし次の瞬間、その顔に奇妙な笑みが浮かぶ。
彼女は足に縋りついたまま、まるで救いを見つけたかのように明るい声を放った。
「お姉様! 良いことを思い付きました! 私と一緒にセオドア大陸を支配しましょう! ガルディア王国や他の国々を滅ぼし、旧ラインフィールド王国の王都を帝都にした魔女帝国を再興して、そこでお兄様と暮らしましょう!」
私は言葉を失った。
──何を言っているの、この人は……。
呆然とする私を前に、ステイシアはさらに熱を帯びて言葉を続けた。
「お姉様は新しい魔女帝国の皇帝になってください! もう聖女である必要はありません! 女帝として、この世界に君臨するのです! 私がお姉様の代わりに魔女の軍隊を率いて、大陸全土を占領します!」
私は彼女に向けていた両手をゆっくりと下ろし、しばし無言でその笑顔を見つめた。
「……本気で言っているのですか?」
「もちろん本気です!」
ステイシアは満面の笑みを浮かべる。
「この世界は、欲望のままに生きた者が勝つのです! 『魔女』であるお姉様には、その力と資格があります! もう好きなように生きましょう!」
私は唇を噛み、そして静かに答えた。
「……それはダメです」
「どうしてですか?」
「……あなたが言う通り、私はそれを叶えられるだけの力を持っているからです。そして、『本物』の女帝になれてしまいます」
ステイシアは私の言葉の意味が理解できないようで、首を少し傾げた。私はそのまま静かに続けた。
「『本物』の私は邪悪な存在です。きっと、さらに多くの人々を誘惑し、殺してしまいます……。だからこそ、私は死ななくてはいけないんです」
私は再び両手を少し上げ、足下の彼女に向けた。
「私をこれ以上誘惑しないで! 邪悪な心を持つあなたも、この世界に生きていてはいけない!」
私の手元に魔力が凝縮され始めたのを見て、ステイシアは顔を青くした。そして、私の足下から慌てて逃げようとする。しかし、腰を抜かしたように立ち上がることができず、後方に尻餅をついて倒れこんだ。
「待って!! お願いです!! どうか考え直してください!! 助けてっ!!」
「さようなら、ステイシア。……あの世で会いましょう」
「死にたくないっ!! お願い!! 殺さないで!!」
「……爆ぜよ。ヴェスゼリア」
私が呪文を唱え終えた瞬間、頭上の輝く球体が私とステイシアの身体へと吸い込まれた。
ステイシアの絶叫と共に、彼女の美しい顔と身体が変形して、一気に風船のように膨れ上がった。そして、彼女の身体がガルディアの聖職者の服を引き裂くと、全身から血飛沫と臓器をぶちまけて爆発した。
それと同時に、私の身体も膨張し、耐え難い激痛が全身を貫いた。視界が大きく歪み、目の前に闇が押し寄せる。身体中の穴という穴から血液が噴き出した。
──レオン殿下。私が魔女であったばかりに、殿下の人生を無茶苦茶にしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。この世から魔女を消し去るため、死んでお詫びいたします……。
しばらくして、私もまた爆ぜた。血液と肉片が地下牢の壁面を真紅に染め、それらは椅子に座るレオンの姿も真っ赤に覆い尽くした──。
ここで前置き終了です。(長い!)
ここから後が本編となります。




