第2話 私の前世(1)
前世の私──メアリー・アンダーソンは、魔法学園を卒業したその春、正式にラインフィールド王国第一王子レオンの婚約者に内定した。
私がレオンと婚約することになったきっかけは、彼の婚約者クリスティーナが、私に危害を加えようとしたことだった。卒業前、彼女は何かに憑りつかれたような表情を浮かべて、刃物を持って私に襲い掛かってきた。
私には聖女の加護があるため、通常の刃物で私を殺傷することはできない。しかし、クリスティーナにとって不運なことに、レオンが偶然その場面に居合わせた。彼は迷いなく私達二人の間へ割って入り、私を背に庇いながら、クリスティーナを押さえつけた。
後日の取り調べで、クリスティーナは「記憶がない」「誰かに精神を操る魔法を掛けられた」と無実を訴えたそうだ。しかし、王子自らが現場に居合わせていた事実が重くのしかかり、彼女は魔法学園を即日退学となった。そして、当然のことながら、レオンとクリスティーナの婚約は解消された。
『メアリー。どうか私と結婚して欲しい』
私は程なくしてレオンに王宮に呼び出され、彼から正式に求婚された。
私は立場上、自分の気持ちを公にできなかったものの、私も彼が好きだった。また、王族になれば、夢に描いていた「魔法による世界平和」に手が届く気がした。
そのため、私はその場でその求婚を受け入れた。
ただ、聞いたところによれば、当初は上位貴族を中心に、平民だった私が王族と結婚することに大きな反対の声が上がっていたそうだ。しかし、国王とレオン王子、そして、ステイシア王女が、上位貴族達をあの手この手で根気強く説得したという。
政府の要を担っていたエーレンバーグ公爵は、娘の不祥事の責任を取って数々の要職を辞任した。国王は、その空席を望む貴族達の欲を巧みに利用し、見返りに私とレオンの婚姻への同意を引き出した。
また、国王はエーレンバーグ公爵に、私を公爵家に養子として入れるよう要求した。それは、聖女である私と、公爵家の対立の構図を避け、表向きには融和を演出するための一手であった。
国王は公爵に対し、要求を飲めばクリスティーナの罪を不問にして、彼女に恩赦を与えると約束した。公爵にはそれらを拒否できるはずもなく、彼は全てを無条件で受け入れた。
こうして、多くの思惑を秘めた貴族達との取引の果てに、私とレオンの結婚は成った。
では、レオンの元婚約者、クリスティーナはどうなったかと言えば、彼女は犯罪を機に、公爵一家に見放された。彼女は部屋に閉じこもるようになり、他人との接触を避けた。そして、本人の意思とは関係なく、北方の小国、セト王国の第一王子に嫁ぐことを強制された。
セト王国は貧しく、ラインフィールド王国の庇護下にある属国だ。だが、完全併合の大義はなく、かろうじて独立を保っていた。そのため、クリスティーナに王子の子を産ませ、その血筋にセトの王位を継がせた上で、セト王国をエーレンバーグ公爵領に編入してしまおう――それがラインフィールド王国の計略だった。
──クリスティーナ様、大丈夫かな……。
私を襲った彼女だったが、その行動には終始、釈然としない影があった。クリスティーナは気の強い女性だったが、理性を失うほど暴力的ではなかった。
彼女は本当に、精神を操られていたのではないか――。
私がそんな疑念を持つも、その答えは遠ざかる馬車の車輪の響きの中へと消えていった。彼女は、たった一人の侍女だけを伴い、誰にも見送られることなくセト王国へと旅立った。
──どうか、クリスティーナ様がセト王国の王子と仲睦まじく暮らし、幸せの中でその生涯を全うできますように……。
私は婚約後に王宮に設えられた自室のバルコニーに出て、空に浮かぶ月に彼女の幸せを心から祈った。聖女だけが可視化できるという、祝福の光を彼女の向かう方に送りながら……。
そして、私とレオンの婚約から半年後、レオンは正式に王太子となった。一方、私は公爵家の養女となり、彼の立太子の儀式と同時に彼と結婚して、第一王太子妃となった。
この間、王国の内外に大きな争いは訪れず、穏やかな季節だけが巡っていった──。
◇ ◇ ◇
私が王太子妃となってから約一年が経過した。王宮の生活にもすっかり慣れ、王族と何度も顔を合わせて交流するうち、彼らも私を受け入れてくれるようになってきた。
「メアリーお姉様! 昼食の後、魔法を教えてくださいませんか? 私ではどうしても起動できない魔法があって、お姉様に見本を見せていただきたいのです」
ステイシアがそう言って、食堂に向かって歩く私に駆け寄ってきた。
「……ステイシア王女殿下。魔法の件は問題ありませんが、その『お姉様』という呼び方、やめてくださいませんか? 今でもまだ慣れません……」
「どうしてですか? メアリーお姉様はお兄様と結婚されたのですから、義理の姉ですよね? 私、第一王女ですから、姉ができて嬉しいんです。それに、お姉様はいまだに、私の名前に『王女殿下』を付けているではありませんか。家族なのに、おかしいと思いませんか?」
「それはそうですが……」
「では、私も『メアリー王太子妃殿下』とお呼びしましょうか?」
「……やっぱり、『お姉様』でお願いします」
「ふふっ、分かりました。それでは、お姉様も私のことを『ステイシア』と呼んでくださいね」
ステイシアはそう言って、私の右腕にギュッとしがみ付いた。
──ステイシア王女殿下はとても可愛い。殿下の笑顔を見ていると、私も幸せになれる。
相手は王女でありながらも、一人っ子だった私に可愛い妹ができたような気がして、私はとても嬉しかった。私はいつも、彼女が喜ぶことをしてあげたいと思っていた。
一方で、ステイシアは王族でありながら珍しく、とても魔法の勉強に熱心で、努力家だった。
彼女は既に東の隣国、ハーウィ王国の第二王子との婚約が成立しており、十九歳を迎えると同時に婚姻を結ぶ。本来なら、他国の王族に嫁入りする王女に、必ずしも魔法技術は必要なかった。しかし、婚姻までの残りの期間が一年を切っていたにも関わらず、彼女は花嫁修業よりも魔法の習得に力を入れていた。
私が「どうしてそんなに多くの魔法を習得するのですか?」と訊くと、「自分自身を守るためです」という意外な答えが返ってきた。
平民の私は王族の政略結婚の状況に疎いが、彼女の話では、他国の人間は嫁いだ先で、相手方に虐待を受けることが多々あるらしい。そのため、「いざという時の自衛手段として魔法を勉強している」とのことだった。
それを聞いて、私は将来の彼女の身を案じた。そして、可能な限り、自衛のための攻撃魔法・防御魔法を彼女に教えてあげた。
また、彼女が「聖女がどのようにして膨大な魔力を操るのか教えて欲しい」というので、一度、王都全体に防御結界を張るデモンストレーションをして見せた。すると、ステイシアは目をキラキラさせて、「お姉様、すごい! 私もお姉様みたいに聖女の魔法を使ってみたいです!」と興奮した様子で迫ってきた。
そこで私は、面白半分でステイシアの肩に手を置き、魔力を彼女に送り込みつつ、ステイシアの詠唱で一緒に王都全体に防御結界を張ってみた。
「これが聖女の魔法の使い方……。聖女には、こんなにも膨大な魔力を操る力があるのですね……。私もこの力を手に入れたい……」
彼女は両手を上げて防御結界を張りながら、何かに心を奪われたように、小さな声でそう呟いた。
そんな平和な日々が続いていた時、西の隣国ガルディア王国で不穏な動きが起こる。
ガルディア王国の主力軍が、ラインフィールド王国の国境付近に集結し始めた。そして、一週間を経ずして、その数は数万に膨れ上がる。元々、ガルディア王国とは常に小競り合いが続いていたが、ここに来て、ガルディア王国によるラインフィールド王国への侵攻が一気に現実味を帯びてきた。
ラインフィールド王国では、緊急の王族会議が開催された。ガルディア王国への対応が協議されるが、なかなか方針は決まらない。そんな中、ガルディア王から一通の通知が送付されてきた。
「約一か月後、フェーメールの月の初めに、我がガルディア王国軍は貴国に宣戦を布告する。もし我々との戦争を望まぬのであれば、和平協議のため、第一王女ステイシア殿を中心とする使節団の派遣を要請する」
それは、ステイシアを指名する形での、外交使節団派遣の依頼だった。
彼女は時々、国王やレオンの代理として、ガルディア王国を訪問していた。おそらくガルディア王は、その時に彼女のことを知り、気に入ったのだろう。
しかし、それは事実上、ステイシアを人質として差し出すことを要求するものだ。十八歳のステイシアは、ガルディア王の側室として留め置かれる可能性が高く、もはや無事に戻ってくることは望めない。
私も参加する王族会議で、国王とレオンは何度も議論を重ねるが結論は出なかった。
戦争を避けたい二人は、なんとか外交的手段でガルディア王国との緊張緩和を考えるが、ステイシアの人生と引き換えに平和を手に入れることを躊躇った。
そんな中、ステイシアが意を決した表情を浮かべて、国王とレオンに視線を向けた。
「お父様、お兄様。私は王族として、ラインフィールド王国に命を捧げる覚悟があります。たとえ、ガルディア王国でどのような辱めを受けようとも、この国の平和を守るためなら、その屈辱に耐えて見せます」
国王とレオンは息を呑んだ。そして、しばらくの間を置いて、レオンが口を開く。
「しかし、我が国に何か落ち度があったわけではない。今回はガルディアの一方的な侵略だ。その要求を言われるがまま飲むのはおかしい。それに、ステイシアだけが命を賭けるのは間違っている」
ステイシアはレオンのその言葉を予想していたかのように、すぐに私に視線を向けた。
「お姉様。実は私、魔法学園の旧図書館で、聖女の強力な魔力を別の人と共有する方法が書かれた書物を見つけました。もしよろしければ、その方法で、私にしばらくの間、聖女の力を共有していただけないでしょうか?」
私はそれを聞いて、幼い頃に祖母から聞いた聖女伝説を思い出した。
伝説によれば、聖女はその力を信頼する人物と共有することができるらしい。かつて、この世界を治めた大聖女は、その方法で仲間の七人の聖女達と力を共有して、大陸各地に平和をもたらしたという。
ステイシアは神妙な表情を浮かべたまま、話を続けた。
「私はお姉様からお借りした聖女の力で、交渉決裂時に、ガルディア王の暗殺を図ります」
その場の皆が言葉を失う。しばらく間を置いて、私はステイシアに答えた。
「ステイシア王女殿下。聖女伝説によれば、確かに魔力を共有することは可能だと思います。ですが、私は、人々を幸せにするはずの聖女の力で、人を殺めることには反対です」
ステイシアは私に何かを反論しようとするが、私はそれを軽く片手を上げて制止した。
「……とはいえ、ガルディア王国の侵略を許せば、多くの国民に犠牲が出ることは否めません。そんな結果になれば、私は暗殺を否定したことを後悔すると思います。ですから、交渉決裂時には、せめてガルディア王を魔法で捕縛・連行するだけにとどめていただけないでしょうか? 国王陛下、レオン殿下。それでいかがでしょうか?」
私は国王とレオンに視線を向ける。すると、二人は私の提案に賛成した。
続けて、レオンが口を開く。
「メアリーの言う通り、ガルディア王の暗殺は行き過ぎだろう。それに今回、ガルディアがラインフィールドへの侵攻を決定した経緯を知る必要がある。両国の戦力が拮抗している現状で戦争をすれば、ガルディアにも大きな損害が出ることは分かっているはずだ。それでも宣戦布告してきたということは、ガルディアの動きには何か裏があるに違いない」
その場の皆がレオンの言葉に頷く。私はステイシアに視線を向けた。
「それでは、ステイシア王女殿下。後程、旧図書館で見つけたという書物を見せていただけますか? 王女殿下が出立されるまでに魔法共有を何度か試し、最終的に、私の一部の魔力と能力を共有したいと思います」
こうして、王女ステイシアのガルディア王国派遣が決まり、同時にガルディア王の捕縛計画が始動した。
◇ ◇ ◇
ステイシアが僅かな人員を連れて、ガルディア王国に出立してから三週間が過ぎた。
まもなくフェーメールの月に変わる頃だが、ステイシアからは伝令を通じて「交渉は難航中」という定期連絡が来るのみだった。
私とレオンが王族会議のために部屋を移動していると、近衛兵が慌ててレオンの下にやってきた。
「王太子殿下! 伝令からの報告です! 国境でガルディア王国軍との大規模な武力衝突が発生しました!」
「なんだと!?」
レオンは急いで、王宮に満身創痍で辿り着いたという伝令の下に向かう。私もその後に付いていった。
彼は二名の負傷した伝令を見つけると、彼らに駆け寄って尋ねた。
「どうした!? 何があった!?」
「ガッ……ガルディア王国が総攻撃を開始しました。国境守備軍は全滅です……!」
「国境には、ガルディア王国軍と同数の兵力を集めたはずじゃないか!? 本当にそれが全滅したのか!? それに、ステイシアの定期連絡でも、交渉決裂の報告は入ってないぞ!!」
すると、もう一人の伝令が必死に呼吸をしながら言葉を続けた。
「……姿は見えませんが、ガルディア王国軍には『聖女』がいます。国境守備軍に、突然大きな雷撃が直撃しました。それに加えて、ガルディア王国軍は強力な防御結界で守られています。……あれは、メアリー王太子妃殿下が以前、軍の演習で披露されたのと同じです。……我が軍の攻撃は、魔法攻撃も物理攻撃も、どちらも効果がありません」
レオンは私の方を振り返る。
「メアリー! 聖女の力を使って、ステイシアの状況を知ることはできるか!?」
私は頷くと、すぐに両手を上げて目を閉じた。ステイシア出立前の魔力共有実験では、共有魔力を通じて、彼女の五感につながることができた。私は、彼女の視覚や聴覚へのコンタクトを試みる。
その瞬間、私の頭を鋭い痛みが襲う。私は頭を押さえながら、レオンに答えた。
「……ステイシア王女殿下につながりません。何か強力な力で、王女殿下の方から拒絶されます。……これは魔術結界? もしかすると、私と王女殿下との魔力共有が見つかり、ガルディア王国の魔導士達にその力が利用されているのかもしれ……」
私がそこまで話した瞬間、身体中の力が一気に抜けた。
私はその場に膝からガクンと崩れ落ちる。レオンが慌てて駆け寄ってきた。
「メアリー! 大丈夫か!? どうしたんだ!?」
私は驚きのあまり、目を大きく見開いたまま、両手を目の前に広げた。
「私の力が……、聖女の全魔力と能力が、何か巨大な力によって向こう側にごっそりと持って行かれました……」
そして、徐々に意識が朦朧とし始め、視界が不鮮明になっていった。
「これではもう、ステイシア王女殿下に連絡することはできません……。王国軍の支援をすることも……。レオン殿下……、申し訳ありません……」
私は魔力だけではなく、生命力の一部まで奪い取られ、その場で気を失った。
◇ ◇ ◇
それからの戦況は、あっという間に悪化していった──。
ガルディア王国軍は、聖女の防御結界を盾にして全軍を守りながら、一週間を掛けずにラインフィールド王国の主要な都市を占領してしまった。そして、ラインフィールド王国の王都に到達すると、政府施設には目もくれず、王宮に攻め入った。
貴族騎士を中心としたガルディアの手練れ達は、早々に王宮の近衛部隊を打ち破ると、侍女や役人を含む王宮の人々を次々に殺害していった。そして、抵抗する王太子のレオンと私を捕縛した後、涙を流して泣き叫ぶ私達の目の前で、国王と王妃達、そして、子供を含む王族や貴族を全員斬首した。
「お前達は、我が国の国王陛下と聖女様のご命令により、本国に移送する」
騎士団の団長と思わしき黒く立派な鎧を付けた男が、手足を縛られた私達にそう告げた。
しかし、目の前で多数の人々を殺された私とレオンは、言葉を返す気力すら無かった。
こうして、一昼夜にして、あっけなくラインフィールド王国は滅亡した──。
◇ ◇ ◇
数日後、私とレオンを連れたガルディア王国軍は彼らの王都に到着した。すると、到着早々、私とレオンは引き離された。
私は粗末なワンピースに着替えさせられた後、王宮の真っ暗な地下牢に入れられ、魔法封じの呪文が刻まれた特殊な鎖が、私の両手両足に付けられた。壁から伸びる鎖の先の枷は重い金属で出来ており、魔法を使えない私の力では、床を這い回ったり、ゆっくりと立ち上がるのがやっとだった。
そして、囚われている間、私は兵士に暴行の類は全く受けなかったが、食事や水が一切与えられなかった。そのため、地下牢に入ってから飲まず食わずの状態が続いた。
二日ほど経った後、空腹には耐えられていたものの、無性に喉が渇くようになった。手足に付けられた鎖があるため、あまり動いてはいなかったが、それでも身体から徐々に水分が失われていた。
私は牢の扉の隙間から漏れ出る僅かな光を頼って、特定の場所に大小を排泄していたが、牢で最も綺麗な水分である「自分の尿」を床に流してしまうのが惜しくなった。そのため、私はやむを得ず、排泄時に自分の尿を手で受けて口に含んだ。水分が失われつつある身体から出る尿の量は僅かだったが、それでも口だけは潤すことができた。
──私、こんなことをしてまで生きている意味があるのかな……。ラインフィールドの皆が死んでしまった今、私はここで自死すべきなんじゃないかしら……。もうこの世界に、私が目指した平和は来ないのだから……。
暗闇の中、私は重い手枷が付いた片手を上げて、鎖の長さが首に巻くのに十分かどうかを確かめる。そして、その長さが十分だと知ると、私はそのまま、鎖をゆっくりと首に巻いていった。
しかし、最後に首を絞めるために手枷の重しにまかせて鎖を引いた瞬間、鎖が首に食い込んでいくあまりの痛みに、私はその手をすぐに緩めた。そして、必死に首から鎖を外した。
「げほっ! げほっ!」
私は床に両手を突いて、その場で咳込むと、空気を吸うためにハァハァと荒い息をした。
「……そっか。私、死ぬのが怖いんだ……。ふふっ、何が『聖女』なの……。何が世界平和なの……。私は口先ばっかり……。王国の危機には何もできないし、本当に最低な役立たずな聖女……」
私は真っ暗な地下牢の中、自分の愚かさに涙を流した。
◇ ◇ ◇
ガシャ……。
四日目と思われる頃、牢の扉が解錠される音が響いた。
扉を閉めると昼も夜も分からない地下牢の中、私が気力を失って床に寝そべっていると、目の前の牢の扉が開いた。三人ほどの人影が見える。そのうちの中央の人物が口元に手を当てた。
「臭いっ……。たった三日間の幽閉で、こんなにも臭うものなのですか?」
聞き覚えのある女性の声だ。しかし、逆光でその姿は見えない。
彼女の隣にいる兵士らしき人物が、中央の人物に軽く会釈しながら彼女に釈明を始めた。
「聖女様のお言い付けに従い、我々はこの牢を一度も解錠しておりません。そのため、囚人の汚物の清掃ができず、おそらくそれが腐敗した臭いではないかと……」
「分かっています。少し驚いただけです。このような汚い場所を使うのは躊躇しますが、とにかく、あの方を丁重に運び入れなさい」
女性の言葉を受け、別のガルディア兵と思わしき大柄の人物が、椅子に縛り付けた誰かを部屋に運び込んできた。
「お前たちは下がりなさい。それから、私が入室した後、この牢の扉をすぐに施錠しなさい。誰もこの部屋に入れてはなりません。一切の入室を禁止します」
彼女はそう言うと部屋に足を踏み入れた。すると、地下牢の扉が閉まり、再び牢の中が暗闇に包まれた。
「……そこにいるのは誰?」
私が床に寝そべったままそう言うも、その女性は無言のまま、手に持っていた何かを床に置き、地下牢に防音魔法や魔法障壁を施していく。そして、最後に地下牢を照らす光魔法を唱えた。
光の妖精が地下牢を一周していく。すると、瞬時に牢全体が昼間のように明るくなった。
私はその女性を見て、思わず身体を起こした。
「スッ……ステイシア王女殿下!?」
私の目の前には、ガルディア王国の上級聖職者の服を着たラインフィールド王国第一王女、ステイシアの姿があった。そして、その傍らには、椅子に縛り付けられたレオンがいた。
「お久しぶりです。メアリーお姉様」
ステイシアは私を見て、昔のように上品で優しい笑みを浮かべた──。




