第68章 意外!新たな恋の進展!
ある、夏の終わりを告げる数日前の事。
「ん…ちっと燃料多いな…メイン番手下げてみるか」
3本のチャンバーから響くサウンドに湿り気を感じると、旭はキルスイッチでエンジンを停止した。
『羽黒自動車』の工場の一角で旭と圭太がGT380を取囲んでいた。
「音で分かるんですか?」
「音と、吹かした時の回り方でな…?流石に4番手上げはやりすぎたか…」
今日は旭はキャブの…圭太はFXにチェーンや可動部のグリスアップを旭や洋介に助言を得ながら進めていく予定であった。
のだが…
「ぼへーっ…」
「旭さん…洋介さんはいったい」
「さぁな…」
洋介の様子がおかしい…ヨンフォアの外装を磨くといって洗車用のホースから水を垂れ流すこと早15分…いつまでも愛機に水をかけたまま作業に入らない。
「オレが来た時からアレだよ…でぇじょぶか?上の空だったと思ったら急にケータイ取り出してにやけてたりしやがる…」
「ちょっと様子が変ですよね…なんだかその、不気味です」
しかし心配半分、気味悪さ半分で様子を眺める2人の事など全く意に介さず、洋介は焼けた地面に水を垂れ流し続け、その甲斐あって地面からヨンフォアのミラーにかけて小さな虹が掛かった。
「はぁ…翔子ちゃん…ふへっ」
「気持ちワリーな…なんかひとりで笑ってんぞ?」
虹を見て笑う洋介にドン引きしながら旭が吐き捨てるように言う。
「あの…洋介さん?何かあったんですか?」
色々な意味で見かねた圭太が恐る恐る訪ねる。洋介の様子と旭のあしらい方に少し危機感を覚えたようだ。
「んー?いやいや圭太くん、心配なんていらないさーいやぁしかし清々しい天気だなぁ〜」
「は?あ、はあ…???」
なんだかやはり様子がおかしい…洋介の目はなんというかイキイキとしてはいるが、顔の表情筋が笑顔で固定されてしまっている。はっきり言って不気味だ。
「おっと…もうこんな時間じゃあないか!」
「な、なんだよオメーは…さっきっから鬱陶しいぜ」
「いやなに、ちょい用事があんだよ。出てくるからお前ら、帰りはシャッターだけ閉めといてくれよな〜!」
そう言うと、洋介は愛機をサッと乾拭きしてヘルメットを被り、勢いよくキックアームを蹴り込んだ。
フォァアン!…ドッドッドッド…!
「ほんじゃあなー!」
フォァアァアアアアアアア‼︎
かっ飛んで消えていく洋介はヨンフォアのサウンドと呆気に取られた圭太と旭の2人を置き去りにして行った。
「…っ!」
高尾から相模湖までを結ぶ大樽水峠高尾側のコンビニで、一人緊張した面持ちでソワソワするのは、衣笠翔子だ。
「うぅ…き、緊張します…」
愛車、CB350Fourのミラーで化粧を確認し、コンビニのガラスに写った服装などを何度も何度も確認しながら、それでも緊張は増すばかりだ。
「う、恨みますからね〜…!沙耶香さん…!」
イマイチ恨みきれていないが、恨みの対象である赤城沙耶香は今日は居ない。
そう、今日は人生初のデートなのである。
きっかけはつい先日の事である…
「さささ、沙耶香さぁん…!無理、む、無理ですよぉ!」
羽黒自動車の物陰で今にも泣きそうな顔で必死に抵抗を続ける翔子に、沙耶香が引っ張っていた手を離し腰に手を当ててため息を吐いていた。
「まったく…ウチのチームの恋する乙女達はなんでこう照れ屋だったり周りくどかったりツンデレだったりこう…なんなんですかね…はぁ」
「さ、沙耶香さんは以外とあっさり行けちゃうんですか?」
一見して気弱そうな沙耶香のどこか達観した物言いに対して問うと、とんでもない!と言いたげな顔で口を開いた。
「いや…真子姉さんや凛お姉ちゃん達を見ていたら…はやく言っちゃえばいいのに、って…」
「あぁ…そういう…」
心底見飽きたと言った表情で笑う沙耶香に掛ける声が見つからなくなってしまった。
「まぁそんなわけでして、翔子さんにまずカップル誕生の先駆けになって頂こうかな、と思いまして…」
「いやいやいやいやおかしいですよその理論んんんんっ!わ、私だってその…き、緊張と不安とかあるんですからねっ…⁉︎」
「だからそんな翔子さんの架け橋になるべく私が来たんじゃないですか。だからいつまでも電柱にしがみついてないでこっちに来てください」
普段絶対にしないような外道スマイルを浮かべる沙耶香に必死に食い下がる。
「大丈夫ですって、さぁさぁ行きますよ!こんにちは〜‼︎」
「あぁぁぁぁぁまってくださ、ま、や、やめてぇぇえええ!」
ズイズイズカズカと羽黒自動車に翔子の腕を引っ張りながら歩いて行く沙耶香と引きずられる翔子…目当ての人物である洋介は珍しく?仕事中なのかジャッキアップされた車の下から這い出てきた。
「あぁ、お疲れさん。今茶でも出すからちょいまっててよ!あ、そこの椅子でよかったら座って待っててね!」
「よ、洋介さん!お、お気を使わないでください!大丈夫ですから…!」
「今日も暑いしさ、こっちも飲まなきゃ干からびちゃうし。コップに注ぐ手間もかわんねーじゃん?」
翔子がわたふたとしながら遠慮するが、洋介は近くにあった手拭いで顔を拭きながら笑った。
「あぁ、また気を使わせちゃった…仕事中なのに…はぁ…」
「…」
対照的に申し訳なさそうにしている翔子を見て、沙耶香は予め決めていた作戦の決行に移った。
「…あーそうでした忘れてましたーそういえば真子姉さんに頼まれ事があったんでしたー…」
「はい…?」
「困ったなー帰らなきゃなー…」
「…」
「というわけで帰りますのであとはまあ頑張って下さいねー‼︎」
「はぇ⁉︎ちょ、え⁉︎嘘ですよね⁉︎ま、待って…!」
「あとは上手くやってくださいねー!」
翔子の静止を鮮やかに無視して、マッハⅠに跨り快音とともに去っていった。
「おまたせー!…あれ?沙耶香ちゃんは?」
3人分のお茶をお盆に載せた洋介と、置いてけぼりを喰らった翔子の二人だけが取り残された。
「帰っちゃったの?あれまぁ…これじゃ翔子ちゃんと二人き…r????ぁ…!」
自分で言って、事態の重大さに気付いてしまったようだ。
「やっべぇ…」
千葉ツーリングの際、ちょっといい感じになりはしたがあれから特に進展も無く…
「あ…その…」
(や、やばい…!翔子ちゃんが引いてる!ガン見しすぎた⁉︎馬鹿か俺〜!)
「んぁあ!ごめんごめん…ははは、はぁ…」
(なんだよ今の!なんで吃ってんだ!ドーテーか俺は⁉︎あ、ドーテーか…なら良し)
「って良くねーよ‼︎」
「ひゃいっ⁉︎」
洋介の脳内一人漫才に驚いた翔子が小さな悲鳴を上げる。洋介も息をあげつつ、なんとか平静に努めた。
「さぁて…せ、せっかく来てくれたのにわ、悪いんだけどさ…あとチッとだけ仕事残ってるんで、30分で終わらすから、少しだけ待って貰えないかしら?」
「よ、洋介さん?な、なんか言葉遣いが…」
ガッデム!
「さ、さぁ〜て!ちょっといってくるわ〜!」
「あ…っ」
行ってくるというにはあまりにも目の前すぎる距離にリフトアップされたクルマの下に潜り込み、ガチャガチャと作業を始める洋介を見て、翔子もまたテンパっていた。
(ど、どうしよう…!わ、私なんかが一人残っちゃったから洋介さんも困っちゃったのかなぁ…⁉︎で、でも千葉の時はそんな…あーもう!沙耶香さんのばか!おばか!…や、ご、ごめんなさい…!)
「って、なにやってるんですか私は…!」
思いがけず一人漫才に興じてしまった自分にツッコミつつ、作業を見守るしかなく、翔子はとりあえず椅子に座った。
真夏の自動車整備工場はとにかく蒸し暑い…広く空調の効いたディーラーのようなピットとは違い狭く、エアコンも年季の入った小さいのが一台でごーごーと音を立てて頑張っているといった状態だ。
鉄と油の匂いが充満する作業場の中で、汗にまみれながら作業する洋介の表情…職人の目つきに、翔子は吸い込まれていく。
「か、かっこいい…」
工具を持つ腕の太さ…汗を拭う仕草…真剣な眼差し…翔子はつい、小声ではあるが本音が漏れた。
思い返せば頼り甲斐があり、優しく、気さくで、時に馬鹿で時に真面目な彼の普段の姿を思い重ねながら見ているうちに、翔子は立ち上がって、言った。
「よ、洋介さん!よ、よよよ、よろしければ…!っ、あ、あした!わたしと!ふたりで!はしりに!い、いきませんか⁉︎」
「へ…?え、えぇぇぇぇえ⁉︎」
洋介のマヌケな叫びと、首まで真っ赤になった翔子の死にそうな顔がシンクロした。
そして場面は現在に戻る。
「つい勢いで言ってしまいましたぁ〜うっ…洋介さん、引いてないかなぁ…あの腕と表情と普段のギャップはイケナイと思います、ムリです、あんなの無理ゲーですよ抗える訳がありません…」
キャラをぶっ壊しながら愛機のシートをバシバシ叩く。よほど恥ずかしかったのだろう。
「とりあえず…誘ったはいいんですが、どこに行こうかな…」
そんな事を考え始めた時、聞き慣れた4発のサウンドが聞こえてきた。
「あっ」
滑るように翔子のフォアに横付けしたのは、真紅のフォア…サイドスタンドを立ててから降車するまでの流れるような動作は、たったそれだけの事なのに翔子の胸を擽るようだ。
「お、おまたせ…!待った⁉︎」
「いえ!い、今さっき来たところです!」
黒いフルフェイスを脱いだ洋介が問いに翔子は嘘をついた。
言えない…楽しみすぎて3時間前くらいから辺りを彷徨いていただなんて…!
「そか…ならよかった。そういえば、今日の目的地はどうしようか?」
「あ、それなんですけど」
大樽水峠を2台のフォアが登っていく。
翔子が提案したルートは、この大樽水峠を超えた先の相模の湖で昼食を食べ、その後さらに進み上原から行く所謂『裏ルート』で、ライダーの聖地奥多摩へ向かう事となった。
「奥多摩かぁ…春に行ったっきりだな…」
ヨンフォアを駆る洋介が呟いた。
この大樽水峠も走り屋の聖地で、やはり洋介もその昔走り込んでいたことがある。
普段であればペースを上げてしまうが今日は違う…ミラーに移るゴーグルを掛けたヘルメットの少女の表情を焦らせてはいけない。
それになにより、このペースも悪くない。登り坂で敢えてパワーバンドには入れない、ボアアップしたエンジンは中域のトルクも太くなっている…ストレス無くこのペースを走れる。
「もっとも…このヤマの景色をしっかり見ることもなかったしな」
昔、走る時間は夜だった。どんなに遅くまでいても、紫がかった明け方まで…明るくなる頃には既に市街地に入っていた当時、この峠の日中など走ったこともなかった。
「このペース…気持ちいいな…洋介さん、ちゃんと考えてくれてるんだ…」
一方、もう一台のフォア…CB350fourを駆る翔子も、このゆったりとした、しかしストレスは無いペースを楽しんでいた。
今回のルートを提案した時、もしかしたら置いていかれたりするかもと危惧していたがどうやら大丈夫そうだ。
翔子のフォアも野暮ったい見た目からそう見られる事は少なかったが、登場当時はクラス初の4気筒エンジン。れっきとしたスポーツモデルとして発売された。
1万回転近く回るエンジンは間違いなく高回転型で、瞬発力は無いが伸びがある。コンパクトな車体は走り出せば重さは感じない、このペースなら洋介のヨンフォアに難なくついていける。
大樽水峠の下りに差し掛かると、急なヘアピンが待ち受けるが、そこは日中である。しばらく行くと前で車が詰まりはじめた。
麓の信号のポイントで停車する際、横並びになった洋介の『こりゃあ仕方ねーな』といった表情に翔子も残念そうな笑顔を浮かべるしかなかった。
峠を越えて相模の湖の駐車場に入る。
「わぁ…綺麗ですね〜…」
雲一つ無い青空、太陽を反射する静かな湖面…雄大な山々があたりを囲み、蝉時雨が遠くから聞こえる。
「良い場所だよな…バイク乗りが少ないのも、またいいよな」
「良い場所独り占めできちゃいますからね!」
珍しくはしゃいでいる翔子に、いつも以上に笑顔の洋介…湖の前にある蕎麦屋で昼食を摂る。
翔子から聞こえる話はとにかくオートバイのことばかりだ。旧車オタクと呼んで差し支えないレベルの彼女の話は一度始まると止まらない。しかし、車種スペックなどは知っていてもメカニカル的な部分はわからない…その知識を洋介に教示してもらい、また笑顔になる。
この、一見普通な彼女のこんな一面、誰が信じるだろうか。
洋介はキャブレターの同調の仕組みを教えながら、そんなことを考えていた。
「…いいなぁ」
「どうしたんですか?洋介さん」
「あ、いやいや!なんでも…ははは…」
うっかり口を滑らしてしまった…しかし…
「…変わってるよな、やっぱり」
「え?」
「いや…なんていうか…こんなに可愛くてさ、バイクが大好きで…ケータイやゲーム、女の子ならなんだろう…プリクラとかカラオケ?に夢中な今時、旧車のバイクに夢中になれるってさ…」
「あ…や、やっぱり…おかしい、ですか?」
「いやいや、勘違いしないでくれな?…俺はそういうの、最高だと思ってるからさ」
不安げな表情を浮かべる翔子に、今だけは自分の語彙力の無さを恨めしく感じる。
「世の中さ、いろんな価値観があってさ、単車にも色々あって…安くて性能が良いヤツなんかたくさん溢れているし、乗り心地が良い楽なヤツもたくさんある…最近じゃあインジェクションなんてのも出てきてさ…なんていうか、そんな選択肢がたくさんある中で、同じ価値観を持っているヤツと巡り合うってなかなか無いことだろ?」
「わ、私は…お母さんの遺してくれた宝物があの子で…それがきっかけだったのが一番大きくて自然とそうなったのかな、って思ってます」
「お母さんの頃、既に旧式のマシンだからな…よほどセンスがよかったんだな」
「お母さんの話は、最近父からよく聞くようになりました。あのバイクでたくさん旅をしていたみたいで…あ、そうです!最近お父さんと話す機会が増えて…これも洋介さんやみんなのおかげです!美春さんには未だに申し訳ないですけど…」
以前、翔子の義理の兄が暴走した時の事を思い出す。
「…んなら、よかったわ…」
少し昭和の香りが残る相模の湖の町を探索し、蕎麦屋で昼食を取ってから駐輪場に向かった。
「いやぁ…水がいいのか蕎麦が美味いなぁこっちは!」
「美味しかったですね!お腹もいっぱいです、ご馳走様でした!」
味、量ともに満足といった洋介を見て、翔子もまた笑みが溢れる。
( あれだけたくさん美味しそうに物を食べる人はウチには居ないなぁ…いつかご飯を作ってあげたくなりますね…!でも…)
「うまく作れるでしょうか…」
「ん?どうかした?」
「い、いえ!べ、別に!あは、あはは…」
独り言を聞かれ恥ずかしくなった翔子は誤魔化し笑いでゴーグル付きのハーフヘルメットを被る。
そんな仕草を横目に、洋介は洋介で内心ドキドキしつつも、とにもかくにも気を取り直して…
「よっし、そんじゃ…」
洋介はヘルメットを被りヨンフォアに跨った。
「藤乃から裏を通って…単車乗りの聖地…」
「…!奥多摩ですね!」
奥多摩周遊道路…言わずと知れた関東におけるライダー達のメッカである。
「私、まだ行ったことなかったんですよ!」
「ゆっくりのんびり行くからさ、行こうか!」
「はい!」
2台のフォアが軽快に走り出す。
洋介のフォアはボアアップにキャブ、カムまでカリカリに弄ったチューンドのエンジンだ。サウンドもアイドリングでは低く轟き回せば鳴きの高音サウンドだ。
一方で翔子のフォアは4本出しの純正マフラー、フルノーマルの車体だ。低音が程よく心地良いサウンドは兄貴分のナナハン譲りだ。見た目にも迫力があり、この2台は全く違うバイクに見える。しかし、本質は変わらない。
圭太や由美の駆るツインカムの様な力強さやスムーズさ、旭や真子達の2スト勢のような弾け狂ったような加速は無い。
あるのは、どこまでも回ってしまいそうな程に伸びるエンジンフィールとそのサウンドだ。
そんな2台は順調に湖畔の街を抜けて、田舎道をひたすらに進む。
道の状態は良くは無いが、速度もゆったりしたものなのでかえって心地が良い。コーナーをひとつ、またひとつと抜ける。ついに家屋の無い峠道に突入した。
「洋介さん、ちゃんとスピードを気にしてくれてます…よかったぁ」
制限速度ちょうどで走っていてもコーナーが近づくと、そのなんていうことのないスピードも圧迫感を持って翔子にのし掛かる。
洋介はしっかりと翔子を気にかけて、割れていたり盛り上がって跳ねるアスファルトを避けるなど…走るラインにも気を遣って先頭を走る。
「…かわいいなぁ〜もう!」
聞こえないのをいいことに、ミラー越しに翔子を眺めていた洋介がヘルメットの中で吠えた。
「控えめに言って天使や…あぁもう…!舞い上がるなってほうが無理だぜちくしょう…!」
しかし洋介のテンションに反して、ヨンフォアの回転数は低い。気を抜いてしまえばすぐにかっ飛んで行きたくなるような高揚感と、しかし翔子を思えばこその自制と、ちぐはぐながらしっかり噛み合っているようだ。
登り切った先に現れたトンネルを抜けると下り始めた。道幅が気持ち程度広がりコーナーのRも緩くなってきた。
そのまましばらく行くと、久しぶりにT字路と信号機が現れた…ここからがいよいよ奥多摩周遊道路の入り口である。
「しばらく登っていくと、駐車場があるからそこに寄って休憩しよっか」
「はい!」
少し長い信号でそれだけを伝達する。
お互いがお互いに表情を見合って思った。
(楽しんでくれてるみたいだ…よかったぁぁあ!)
(お、遅くて迷惑掛けてないかな…大丈夫、洋介さんはそんな人じゃない…うん…!)
何台かのバイクが目の前を通り過ぎて、やがて信号が青に変わるまで、お互いそんなことを考えていた。
信号が変わり、走り出す。
多少の勾配はあるが、まだキツくは無い。3速4〜5千回転で気持ち良くコーナーを回っていく。アクセルオフ進入からパーシャルでリズム良く、マシンと一体となって走る。
奥多摩周遊道路の看板が現れた。
ここから勾配がキツくなってくる。翔子はサンゴーフォアのギヤを一段落としてパワーバンドに入れるように努めるが、コーナーではやはりそれが出来ず、ゆったりゆったりな速度になってしまう。
さりげなく洋介も速度を合わせて、のんびりと崖向こうの山々を眺めながら走っていると、背後から凄まじい勢いで3台の大型マシンが迫ってきて、あっという間に抜いていってしまった。
「うわ…!速…危ないですよー!…はっ⁉︎」
オレンジラインを無視して反対車線にはみ出して追い越していった彼らに独言が出たが、すぐに洋介を見た。
( 負けず嫌いな洋介さんが追いかけて行…かないですね…てっきり…)
温厚そうに見えて (?)普通にキレやすい洋介がギヤダウンしてかっ飛んでいくかと思ったが、ペースはちょっとも変わらない。なんなら向こうの山でも見ながらのんびり走っている。
(…いらない心配でしたか、よかったぁ…!)
ゴーグルの内でホッと一安心である。
(せっかくのふ、ふたりきりなんですから!邪魔しないでくださいね…)
内心で珍しく悪態をついてしまった事とふたりきりという思いに…我ながららしくないやら、恥ずかしいやらで今度はちょっと恥ずかしくなってきてしまった。
目的地の駐車場のそばまで来ると、ラストの登板がなかなかキツい…なるべくエンジンに負担を掛けずに登り切ると、束の間の平地とと、左手に駐車場が現れた。
滑る様に入り、二台のフォアはその鼓動を一度止めた。
「ふぃー…久々に来たなぁ…」
ヘルメットを脱ぐと、洋介は辺りを見回した。
澄み切った夏空にどこまでも広がる緑はわずかな風を受け、静かに鳴いている。
その自然の音を時折り、様々なエキゾーストノートが遮っていく。それはV型2気筒の雄大な鼓動であったり、4気筒の乾いた叫び、2ストの破裂音やシングルやツインの歯切れの良い軽やかなサウンドであったり…まさにライダーの聖地である。
エキゾーストノートが溶け込むのはサーキットくらいで、ましてこんな自然の中でバイクの音というと、なんだかやましく感じてしまう物だが…この場所に限って言えば、間違いなくこのサウンドが溶け込む場所なのだ。
「ちょっと休憩だな〜…売店でも行こっか」
「はい!」
平日とは言え、賑わうツーリングライダー達を横目に売店に向かっていった。
しばらくして、缶ジュースと簡単なおやつを手に駐輪場に戻り、雄大な景色を背に2人は普段のこと、学校のこと、そして 旧車物語のことなどについて話が弾んだ。
「今日は皆さん、今頃何をしているんでしょうね」
「旭は確かバイトで…他はわかんないな…まぁ、夏休みももう終わりだし今頃由美ちゃんあたりの宿題でも手伝ってんじゃないかな?」
「え…由美さん、まだ宿題終わってなかったんですか⁉︎」
「あはは!いや、なんとなくだよ、イメージ!」
「洋介さんたら…ひどいですよ…くふふ…」
「いひひひ!しっかしまぁ…最近ちょっと羨ましいよ」
缶を地面に置いて、何気なく山を見る。
「知っての通り、俺ぁ中卒でさ…もちろん自分で選んだ道だ。好きな単車をいち早く手に入れて、客の車に責任持って…親父も厳しいからよ、最初は工具に触らせてすらくれなかった、数ヶ月はとにかく納車前の磨きだけでね」
そう言って自分の手の平を翔子に見せる。
工具を握る指は太く、油種類に浸かった肌は同年代のソレとは比べ物にならないほどに痛んでいる。
「きったねぇ手だろ?それに学校に行ってりゃあ遊んでようが何してようがかまわねぇ…青春を謳歌して自由に毎日日の下で遊べてさ…世間の目だって厳しいもんさ。おらぁ、夜くれぇっしか遊べなかったからな…おっと!何ボヤいてんだ俺…‼︎ごめん、忘れてくれ…あはは!」
どこか遠くを見るような目が、いつもの笑顔に変わった…様に見えるだろう。
「ま、おかげでヨンフォアをバチバチに仕上げられてるし、なんならそんじょそこらの社会人なんかより責任感とプライドはあるけどな!」
…こんな笑顔は、笑顔じゃない。
それに…!
「洋介さんがその道を選んだから、今の素敵な洋介さんがいるんです!」
翔子は真剣な眼差しで洋介に詰め寄る。
「私は洋介さんを尊敬してます!確かに喧嘩っ早いのはたまに傷ですが…学校に行っても行っているだけじゃ意味なんかありません!親のお金で行かせてもらっている学校生活で青春の謳歌とか言って自由になった気でいる人はその自由が何で成り立っているかなんて理解出来てません!世間の目なんて、言わせておけばいいんです!」
「え?ちょ…」
翔子が洋介の手首を掴んで自分に引き寄せると、その手に手を重ねた。
「洋介さんの手は汚くなんかないです!日々の積み重ねの結晶です!男らしさと強さと優しさを兼ね揃えた手なんですよ!私…私は‼︎そんな洋介さんが好きなんですっっ‼︎‼︎」
「ちょ、翔子ちゃん落ち着い…へ?」
「ぁ…///」
時間が止まった…ような気がした。
「あ、や…いゃ…へ、と…あ…あばばばばばばばばばば///」
「お、おおおちつけ?な?だ、大丈夫だから!わかってるから!言葉のあやだって!手が!俺の手が好きなんでしょ⁉︎いやー!うれし〜なー⁉︎」
「ちちち、ちがいます!言葉のあやじゃ…!い、いまのなしです!なし‼︎」
「無し⁉︎」
混乱する翔子に翻弄されつつ、無しと言われて洋介がへこむと、また翔子が「ち、ちがいます!」と言って遮った。
「す、すす…あぅ///…す、好き、です、よ?で、でも…手、だけじゃなくて…」
「洋介さんが好きなんですっ…///!」
皆さま、お久しぶりです。
昨今蔓延るコロナウィルスの影響で、外出も出来ず、私は仕事も自宅でのものになった現在。
皮肉なことになにせ暇で筆が進む進む…学生以来の空き時間ですが、プラスに捉えて少しでも書き進めていきたいと思っております。
皆さまストレスとの闘いに疲れているかとは存じますが、もし買いだめしたゲームや映画などに飽きてきた方などいらっしゃいましたら、こちらもたまに思い出して読んで頂ければと思います。
それではまた次回、場末は小説ですがよろしくお願い申し上げます。