第60章 遺した物 残された者…
「おいおい、本当に乗れるのか…?」
RZに跨りチョークを引いた綾に玲花が不安気にたずねた。しかし綾はそれには目もくれずにキックを足下に蹴り込んだ。
クォアァアアア…‼
「心配してくれてありがとう…でも、私は大丈夫…」
若干引いたとはいえ、腫れている顔にフルフェイスのヘルメットはやはり痛い、腫れた左目は未だによく焦点が定まらない…しかし、綾は走らなければならなかった。
「夢か幻か…あたい、未だに信じられねーよ…」
「ふふっ…私もだよ…でもね、行かなきゃいけない…夢で見たあの場所に」
辺りからも、セルの音やキック音が鳴り出すと、やがて11台の排気音が、まるで地鳴りのように響き始めた。
「さぁって!深夜でもゼファーちゃんは絶好調よ!」
由美が叫んだ。
「今からノンストップで海岸通り…!楽しみだわ!」
「おう!オレのマッハも紗耶香のおかげで絶好調だ!夜の峠なんて堪らないぜ!」
凛が同意した。紗耶香の触ったキャブレターは絶好調だ。アクセルを開けると勢いよく混合気がエンジンに流れ出て、ピストンが弾け、120°の異相を持つクランクがそのパワーをギヤに伝えたがる。
「それじゃあ出よう…」
言って、マッハを出口に向ける真子。
「今から峠を超えてあの公園に行くけど、日の出までには
まだ余裕がある…焦らずにな?」
真子が綾の目を見ながら言うと、綾は「うん…善処するよ」と苦笑いをした。
「綾さん…」
圭太が歩み寄る。
「僕、まだ言っていない事があったのを思い出しました」
「…?なに?」
「今日…いや、正確には昨日…コンビニで助けてくれて、ありがとうございました」
そう…圭太はまだあの時の礼が出来ていなかったことをずっと気にしていたのだ。言うタイミングが掴めず、出発を前にようやく言えたのだ。
「気にしないよ…むしろ、私の方こそあんた達に迷惑掛けたんだから…」
「気にしないでくださいよ!じゃあそろそろ出ましょう!」
そう笑いながら、FXの元に走って行く圭太を見て綾は夢に出てきた彼の言葉を思い出し、笑みをこぼした。
コァアアン‼
そして、いよいよ旧車物語本日二度目のツーリングは、初の夜間ツーリングになった。まず走り出したのは直管サウンドの由美とゼファーだ。
その後に洋介、翔子、玲花が続いた。
「行くわよ…RZ…」
クァァァアアア…‼パンパンパンパン…‼
1、2番のシリンダーからクロスしたレーシーなチャンバーから白煙と水冷パラツインの音を響かせて白いRZが発進した。
ウィンカーを出して海岸線に出ると由美達を追いかける。背後には圭太、赤城3姉妹、旭、美春&千尋と続く。
「由美ちゃん、お先に失礼!」
「あ!」
先頭を走っていたゼファーを、真紅のフォアがぶち抜いた。
エンジンも足も手が入った洋介のヨンフォア…排気量が上がったとは言え所詮は空冷のシングルカム…現代のバイクに比べれば大した性能では無い。しかし、高回転までの気持ちよさや昂揚感は、それこそ現代のバイクが霞む程の迫力がある。
それを、ヨンフォアの事を全て理解しつくした洋介が操るのだから、遅いワケが無いのだ。
しかし、由美も負けじとアクセルを開ける!
ベースエンジンは前身のGPz400からデチューンされた46馬力だが、チーム内ではかなり上位の馬力を誇る由美のゼファー…さらに足回りもフレームもチーム内では最新装備だ。
加速競争ではヨンフォアに引けを取らない勢いで差を詰める。
直線だけでなら、の話だが…
「え⁉ちょ、危ない‼」
昼に走った時にはなんとも思わなかった緩いコーナー…それが鋭い牙を剥いた。
夜道で良く見えないうえにヘッピリ腰な姿勢…恐怖にブレーキを掛けてアクセルを絞りながらコーナーを抜けると、洋介との差は遥かに開いていた…
「なんであんなスピードで曲がれるのよ…」
信号で洋介に並んでつぶやくと、洋介は笑った。
「コーナーでアクセル絞る方が俺には怖いし危ないと思ったけどなぁ」
言いながら、チラリとバックミラーを覗いた。信号はもうじき青に変わる…
「由美ちゃん、ロケットスタートだ‼」
「へっ…?」
由美が間抜けな声を出した時には、洋介はすでにヨンフォアを加速させていた。由美もクラッチを繋ぎ走り出そうとした瞬間…
「きゃあっ⁉」
自分の真横を黒い影が3台…旭、綾、そして真子がブチ抜いて行った…
「ち、ちょっと‼危ないじゃないの‼」
しかし、由美の怒りの叫びは3台には届かなかった。
先頭を走る旭は舌打ちした。
「あーっ‼街中とかキャノンボールなら負けねーのによぉ‼」
GT380は必死で背後の綾を抑えていたが、重量差と馬力には抗えず…真横から一気にRZにブチ抜かれた。
「……‼」
別に申し合わせて競争をしているわけではない…綾の目的は、亡くなった彼の意思に従って目的地まで愛機を走らせているのだ…が、心の中で、自然とこのレースを楽しんでいる自分にも気がつき始めていた。
同年代の人間と、同年代のバイクで、限界のバトルが出来る喜びに浸っていた…
間も無く直ぐに、信号からの加速状態でもたついているようで、目の前に迫ってきた四角いテールランプ…洋介のフォアも抜き去った。
これで単独トップ…!綾が思った時だ。
ゴロロァアァア!クァァァアアアァァァァァァァァァア‼‼‼
5000回転以下では今にもぶっ壊れそうな音を出し…5000回転からの加速感は音速の領域で、F1のような排気音を撒き散らす…
仇名は嫌程あるけれど…誰が呼んだか『キ○ガイマッハ』‼
「ふふっ…ナナハンキラー、か…直線番長のキ○ガイ…私が相手でも果たしてキルできるのか?」
その瞬間、真子の操る400SSマッハⅡが、RZ350を抜き去った。
「…バケモンだね、あれは」
綾は見惚れていた…
剛性の無いフレームを捩らせ、、役不足の足回りに大パワーを預け…そして、白煙を吐き散らかしながら狂ったようにストレートを加速するジャジャ馬マッハに…
「…でも!私のRZ350は負けない…!」
しかし、綾の背後にはまだ3台、バイクが追尾していた。
「ボアアップしたヨンフォアの底力はこっからだ‼」
シグナルスタートで出遅れたが、4スト特有の伸びで差を詰めた洋介のCB400Four…
「サンパチの限界…見してやんぜ⁉」
鬼ハン装着では不可能な走りを披露する旭のGT380…そして…
「姉貴のマッハ…やっぱり速ぇぜ‼」
同じジャジャ馬乗り…凛のマッハⅡ…!
今、5台のマシンの限界バトルがここに幕を開けた…‼
「ねぇ…」
「ん…?」
一方、後方グループにいた圭太に、由美が膨れっ面で言った。
「私が最初先頭だったのよ?」
「そうだね」
「…私も速く走りたい〜‼」
ごねた…
「私のゼファーちゃんだって速いのよ⁉ジャジャ馬とか風とかナナハンキラーとか呼ばれたいし大体私と洋介さん達の一体全体何が違うの‼」
すっかりご機嫌斜めな由美。
「しょうがないじゃん…なんだかんだでまだ数ヶ月しか乗ってないんだからさ」
圭太がなだめるように言う。
「やっぱりやるしかないわね…」
「何を…?」
嫌な予感しかしないがとりあえずたずねてみると、由美はゼファーのアクセルを開いた。
「走れる日は毎日毎日練習するのよ‼」
コァァアア‼
二車身程前に出て叫ぶ。
「まずは…真っ直ぐを速くする練習を…」
「…はぁ」
やはりよからぬことを企み始める由美に呆れつつも自分もやはり興味があるのは同じだ。
しかしここはやはり天下の公道であり、イケイケな旭達とは違い良心のある圭太は由美の隣に並び掛ける。
「由美、やっぱりいきなり飛ばすような真似は危ないから、今日はイメージトレーニングにしようよ?」
頭ごなしに否定するといじけることを知っているので、あえて否定せずに新しい提案をする。
すると由美の方も、やはり先ほどの夜道の恐怖があるので少し考え直してから「…それもそうね」と納得した。
「よーっし!それじゃあ今からイメトレスタートよ!」
張り切りながらイメトレという名のお遊びを眺めながら、圭太は視線を前方に向けた。
さて、相変わらず先を飛ばしまくる前方グループはと言えば、やはり真子のマッハⅡが先頭をキープしていて、以下は入れ替わり立ち代わりである。
「おい旭ぁ!ご自慢のサンパチちゃんじゃあフォアの前に出れねーかぁ⁉」
「抜かせコラぁ‼ブチ抜いたらぁ‼」
排気量アップにより格段に戦闘力の上がった洋介のCB400Fourは、今迄ストレート勝負で味わってきた屈辱を晴らすが如く旭のGT380の前に出ている。
「峠についたら、オレと勝負しよーな!」
ニコニコ笑いながら凛が綾に言った。
「ジャジャ馬でRZに勝てるかな?」
「やればわかるぜ!」
こちらはこちらで意気投合しつつ、前を行く真子のマッハⅡを追いかけていた。
しかしそんな綾だったが、次第にガソリンの心配をし始めていた…
ちょうどスタンドの看板が真横に流れて行った…綾がウィンカーを出そうとした時、前の真子と凛が減速すると先にウィンカーを出した。
それを見て綾もウィンカーを出すと、旭と洋介もウィンカーを出して、やがて全員スタンドに流れるように入って行った。
「どうやらストレートじゃ…私を狩ることは出来なかったみたいね?」
真子が勝ち誇りながら、燃費の割に14リットルしか入らないタンクにガソリンを入れ始めた。
「ふん…峠だったら食い殺してるとこだよ?」
RZにオイルを継ぎ足しながら綾が言い返した。
「でも…さすがジャジャ馬だね、加速競争でRZが引き離されるなんてね」
「まぁな…私のマッハⅡは無敵だ…」
「ちくしょう…街中だったら確実に…!」
旭が言うと、洋介が笑った。
「HAHA!笑っちゃうね!」
「なんだ今の欧米ノリ…」
「ま、RZもサンパチもマッハも…俺の風の前には霞むぜ」
「バーカ、また近い内に負かしてやるぜ」
そんなことを言い合っていると、遠くから数台の排気音が響いてきた。
「圭太達か…」
旭が言うと、やはりやってきたのは圭太達だった。
ガソリンスタンドの前をのんびり通過してゆく。
「あ!真子さん達スタンドで休んでますよ」
サンパンフォアの翔子が手を振りながら通過すると、洋介が勢い良く振り返してきた。
「次の信号を左に行って峠を抜けて行きますよ」
紗耶香が言いながら腕時計を見る。日の出まであと30分と言ったところか…
「ねーねー」
「なぁにちーちゃん?」
美春が返事をすると、千尋はぎゅっと背中を掴んだ。
「…バイクって、やっぱり楽しい?」
「ん?」
どこか様子がおかしいような気がして美春は首を傾げる。
「ん…私だけまだ中学生でしょ?バイクは持ってても乗れないから、なんだか中学生の自分が嫌になっちゃって…」
「ちーちゃん…」
落ち込む千尋を見て、千尋が何を言いたいのかを理解した。
千尋は中学生で、この仲間達の中でもバイクを持ちながらも免許を取れないという身分で…やはり自分でも乗りたいのだろう。さらに言えば、このRGは千尋のバイクであるのだから、そう思うのは当然だ、と…
「あーあ…私も早く乗りたいなぁ…」
そう呟いた千尋に、美春はしばらく何かを考えてから…
「ねぇちーちゃん!また洋館に帰ったら、RGに乗ってみようよ♪」
ニコニコしながら提案した。
そして圭太達は一足先に峠についた。
「走り屋じゃないけど、あたいは峠でも凄いぜ!」
根拠の無い自信を漲らせて、3段シートのホークⅡをコーナーに飛び込ませて行く玲花。
「不自然ですね」
「そうですね…」
その様を見て、紗耶香と翔子が感想を漏らした。
「でも、新しいですね」
「ちょっとかわいいですよね、排気音とか、バタつくシートとか」
「ぷるぷる震えてますもん…」
「ふふふっ」
普段はコールを切るため、キレのある低音の排気音は迫力満点だが、いざ攻めた走りをすると…
ブバァァァァァァァア‼
といったレーシーとは程遠いかわいい音になる。
「今あたい程レーシーな奴はいないね⁉」
「あれ、ハングオンのつもりかなぁ…」
「なんかかわいいなぁ…ぷぷっ」
さて、そんな和やかな空気の中で圭太は以前凛と遭遇したあの峠を思い出していた。
あの時凛に無理やりレースを挑まれた際、全く歯が立たなかったのは言うまでも無い…
「暗くて先のコーナーも見えないや…こんな所を飛ばして走るんだから、凛も旭さんも凄いよな…」
しかし、圭太は気づいていなかった。自然と自分の走る
ペースが上がってきているのだ。
ファァァァァア‼ヒュルヒュルヒュル…‼
カムチェーンノイズが響く…ゆっくり走っていた時はとてもじゃないが速く走らせることは出来ないと思っていた圭太だったが、いざ走らせてみると不思議と怖さは無い。
「…ん、今のはよかったのかな?」
エンジンや乗り方が比較的近い洋介の見様見真似でコーナーをクリアする。
「前輪で曲がろうとするとなかなか曲がらない…旭さんみたいな感じだと…」
1人でいろいろ実践していると、背後から由美が近づいてきた。
「ちょっと圭太!」
「どうしたの?」
「私が速く走る練習すると怒る癖に自分ばかりズルいじゃない‼」
言われてから、圭太はそんなに速いペースだったか?と疑問に思いつつスピードを緩めた。
「ゴメンね、なんだか気づかなかったよ」
「全く…」
するとようやく、後ろから玲花や美春達が追いついてきた。
「いやぁ!やっぱりあたいは最強!最強にして最速ね!」
「のんびり走ってた私達と同じペースなのに…」
「かわいいなぁ」
満足気に頷く玲花の後ろで、紗耶香と翔子が困ったように笑っていた。直管のホークⅡでは仕方が無い事かもしれないが…
「さて、と…もうすぐ頂上だねぇ♪」
ニコニコしながら美春が言うと、だんだんと森が開けてきた。
「ついたー♪」
美春が叫んだ。頂上の見晴らしのいい場所に出た。
「見て!もうすぐ日の出よ!」
由美が指を差した海の向こうが明るくなっていた…もう時期日の出だ。
「そういえば綾さん達、大丈夫かな…」
「大丈夫よ圭太、綾さんも旭さんや真子さんに負けないくらい速いんだもの‼」
紫に染まった峠道を、由美の言ったとおりに走り抜けて行く影が…
「…!」
綾が前を行くバイクに食らいつく。
「やっぱりオレのマッハは速いぜ!」
前を行くのは凛のマッハⅡ…赤いレインボーラインのトリプルはマッハとは思えない速さでコーナーを抜けた。
「ふん…!だけど、私のRZは負けない‼」
連続するヘアピン…制動力と軽さを生かしてマッハに詰め寄る。そして…
「…⁉」
「先に行かせてもらうわ!」
旭を抜き去った時のようにアウトからブチ抜いた。
「ツインショックにモノサスが負ける訳にはいかないのよ!」
「ふん!マッハ伝説ナメんな!」
しかし負けじと食らいつく凛…新旧の2ストバトルを展開していると、その背後から明らかに4ストのサウンドが…
フォォォォオアァァァァァァア‼
「速い速い…!さすがナナハンキラー、乗り方が違うぜ」
洋介が呟いた。
RZ350…当時のヤマハの持てる全て技術を盛り込んだ究極のマシン…市販車初のリアモノサスを搭載したマシンだ。
身軽でパワフルな2スト2気筒のエンジンはヤマハお得意のレイアウトをそのままに、新たに加えた水冷システムで2ストの泣き所だった熱を抑え込む。さらにそのパワーは45馬力を絞り出す。
ちなみに、綾の亡き彼…直樹の駆ったマシン、RD400最終型は空冷ツインで40馬力のハイパフォーマンスを発揮していたが、このRZの出現で姿を消した悲しい名車である。
「しかぁし‼俺様のヨンフォアの敵じゃあないぜ!」
洋介は凛の背後にピタリとつけると撃墜態勢に入る。そして、今迄凛や真子、圭太達には見せた事の無い本気の走りで凛に並ぶと、アウトから綾と同じように抜き去った。
「速い…!」
「まぁねっ!」
本編では影の薄いCB400Fourも、流石に名車である。
発売当初はCB350Four同様に遅いと罵られたが、フィールドさえ整えば当時の峠最速を名乗ったヤマハのRD/RX等と同等以上の戦闘力を誇ったのだ。当時数少ないミドルクラス唯一の4ストマルチエンジンが時代を超えて今、あの頃のマシンと戦う様は興奮を呼び覚ます…‼
「ボアアップにウエダのスイングアームだぜ⁉ナナハンキラーも真っ青よ!」
綾のテールに肉薄しながら叫ぶ。いくら改造を施していてもヨンフォアがRZに勝てるフィールドは皆無と言っていい。しかし、洋介の卓越したセンスと旧いマシンをあえていたわらない走りの前にはそんなことは問題では無く、さらに新型のレーサーや最新スポーツとも張れるのだ。
そしてそれは洋介だけでは無く、背後の3人も綾も同じなのだ。
「おい真子ぉ、オメェいつも凛イジメてんワリに峠じゃあ随分控え目じゃあねーかぁ‼」
「うるさいぞリーゼント馬鹿!そっちこそ大物気取る暇があればその鬼ハンで私の前に出てみなさい…!そんだけの度胸があればだけどなぁ…⁉」
「ほぉ〜⁉てめー、ゆっくり俺を知る必要があンな⁉」
「な⁉小癪なぁ!」
最後尾…とは言ってもかなり接近しているが…旭と真子はお互いを罵り合いながらも仲良く競争していた。
そしてついに峠を登りきると、開けた場所から紫の空が見えてきた。
「…‼」
完全な日の出まであと数十分…残り少ない時間。下り区間に入って、綾はさらにアクセルを捻った。
クァァァァァォァア‼
「へ…!紫に染まった峠で限界バトル?上等‼」
洋介も綾に続いてアクセルを開けた。が、下り区間のストレートで凛のマッハがヨンフォアを抜いた。
「言っただろ⁉峠じゃ俺のマッハは負けないぜ⁉」
そして瞬く間に綾達はコーナーに吸い込まれて行った…
「…‼」
綾は1人思い出していた。
彼の…デイトナを操る彼との思い出を…
「綾、パワーバンドはいかなる時も外しちゃダメだよ!」
「2ストは高回転の美味しい所を使わなきゃ!」
「ほら!外からいかれちゃうよ⁉」
「僕は負けない…どんなレーレプも最新スポーツも…デイトナと僕なら負けないよ」
「そうだなぁ…綾が僕に勝てたら…」
「約束だよ!綾が勝てたら、僕から…」
私は…あんたより速く走れるようになったのかな…
あの時の約束…間に合わなかったけど…
クァァァァァォァア‼‼
今…全力でこの峠を攻めて…あんたに勝つよ‼
「………‼」
クァァァァァォァア‼
「あいつ…!またペース上げてきやがった⁉」
「オイオイ…!下りのペースかよこれ!」
ひらりひらりと舞う蝶のように、RZを走らせるその様を見て凛と洋介が恐怖した。
知らない道というのもあるが、峠の下りはワンミスが文字通り命取り…知らない道ならばなおさら、洋介達はペースを上げられない…
しかし目の前の綾はまるで限界を知らないような走りをする。
「本当…不思議だよっ…!」
高速コーナーを全開で駆け抜けながら綾が呟いた。
「なんだか実際に…!あんたが目の前を走っているような気すらしてきた…!」
彼女の目の前には誰もいない…ただ薄紫の空が映し出すモノクロのような世界が広がるだけなのだが…しかし綾には見えていた…
四角いテールが、挑発するように揺らめくのが…!
「直樹…!あんたに勝って…約束を守ってもらうからね‼」
真白いRD400が、目の前を走っていたのだ…!
「な、なぁ凛ちゃん⁉」
「なんだよ⁉降参かぁ⁉」
綾の後ろを走っている洋介が、肉薄してくる凛に言った。
「なんかさぁ…綾ちゃんのライン取りがおかしくねぇか…⁉まるで誰かを抜きに掛かったり食らいつくような走りだ…アタマの走らせ方じゃあないぜ⁉」
「言われてみれば…」
綾の走らせ方が変わった…
先ほどよりさらに過激に攻めているのはわかるが、ライン取りがどうにも前車を抜く時のような進入や挙動があり、ちょくちょくの修正まで行っている…
「…⁉」
前を行く彼の、S字の切り返しのミスを綾は見逃さなかった…ほんの少し流れ気味に低速コーナーに進入したRD400
のインにフロントタイヤ一本分RZ350を割り込ませる!
低速コーナーを抜けると、そこは複合コーナーになっていたようで短いストレートが待ち構えていた。
「入ったぁ…!」
加速競争でRZの水冷エンジンが咆哮した…!
隣のマシンに並びかけ…コーナーに飛び込んで行く。
ついに…綾は洋介達には見えないトップを走る彼を抜いた…!
「あれ?」
峠の麓の信号で停まっていた先頭の圭太が、ミラーに揺らめく光がポツポツと現れた。
「綾さん達だね」
「もう公園までは近いし、みんなで一緒に行きましょ?」
信号が青に変わる…由美はギヤをローに入れる。
一斉に走り出すと、綾のRZ350がスッと圭太に並んだ。
RZに装着されたFXにも似たキャストホイール…彼の忘れ形見は今も回っている…
一同は公園に着いた。すでに空は紫から黄色に変わり、日の出も間近だ。
「さて…」
ホークⅡから降りて日章コルクを被ったままの玲花が辺りを見回す。
「なぁ綾、その夢の中で出てきた彼氏はなんつったんだ?」
「…あそこ」
綾の指差す先をみんなが目で追う…
明るくなってきたとは言え、まだ完全に日の登っていないと海を照らす公園のシンボル…灯台だ。
「あの灯台の下に降りた所の岩場に、直樹は来いと言った…」
「なぁなぁ…」
「どうしたの?」
綾の説明を聞いて、凛が震えながら紗耶香の肩を掴んだ。
「圭太から聞いた話だとさ…その、こ、ここでその、直樹って奴が…」
「…えぇ、直樹はここで殺された」
綾が言って、灯台に歩き出す。
「あれから1年…昨日、あれ以来久しぶりにここを訪れた。私は怖かった…ここに来たら、嫌でも直樹が死んだ事実を突きつけられるからね…」
一歩一歩、近づいて行く…
「昨日、サンパチさんや圭太…玲花に会って…何かあるかも、とは思っていたけど…復讐前に勇気を出してここに来たら、やっぱりあんた達がいた…」
彼の遺したものを確かめたくて…
「本当…直樹が合わせてくれたのかなって…ありがとう、みんな」
「綾さん…」
圭太が何か言おうとしたが、すぐに由美の声に遮られた
「あ!日の出よ!」
「あ…!」
圭太も水平線に目をやる…そこには美しい太陽が顔を覗かせていた。
「眩しいですねぇ!写真写真!」
「おー…綺麗なもんだなぁ…」
「あっくんあっくん!日の出だよ⁉」
「わり…美春…24時間起きてると…目が死ぬ…」
「おにーちゃんミサワ…?」
「おぉ!この輝き!まさにあたいのバブⅡのカラーと一緒だ‼」
「お前のは富士日章だろうが…」
「綺麗…」
それぞれが日の出を眺めながら、思い思いに口を開く。その中で…
「…どうかしら?彼の遺したモノは見つかりそう?」
真子が綾にたずねる。
「どこ…どこにあるの⁉」
綾は岩場を覗き込む。しかしこのゴツゴツした岩場に何があるのか…それは大きいのか小さいのか…カタチのあるモノなのか無いモノなのか…それすらも分からず、綾は探し続ける。
「…?あれは…」
一際大きな岩の上に、何かがある…
綾は近づいてその四角い何かを取った。
「綾さん!ありましたか⁉」
辺りを一緒に探していた圭太達も近寄って来た。
「わからない…ただコレって…」
「…指輪入れ…だね」
美春が言うと、綾は手を震わせながら上蓋に手を掛けた…
「みんなも見てて…?これが直樹の遺したモノなら…コレを見つけられたのはあんた達のお陰だもの…」
「綾さん…」
目があった圭太が頷く。みんなも頷くと息を飲んだ。
彼女の愛した彼の形見…そのケースを、ゆっくり、ゆっくり…上に開いた…!
「わぁ…!」
「綺麗な指輪だぁ…♪」
由美と美春が息を飲んだ…
デザインこそシンプルながら、美しいシルバーリング…それもペアで出てきた。
「本当に出てきました…!奇跡ですよ!」
翔子がはしゃぐ。
「亡くなってからも綾さんを想い続けていたんですね…ロマンチックです」
紗耶香が直樹のその想いに感動している…
「ねぇ…でもこれってまさか天国からのプロポーズなのか⁉」
玲花が綾に言った。
「いや…これは」
綾が指輪を手に持った…
リングの内側には『A&N』のイニシャルと…
「これ…東京にあるブランドのマーク…」
由美が言った…それは有名ブランドの指輪だったのだ。
「てことは…」
「もともとは直樹って奴が持ってたんだべな…」
洋介と旭が言った。
彼が綾に渡す筈だった指輪は…大男率いる暴走族に襲われ、その拍子に失ってしまったものだったのだ…
そして、彼は命を落とした…
綾は二つの内のひとつ…小さい方のリングを左の薬指に填めた…サイズはピッタリだ。
「うぅっ…やっぱり…あんたの手で填めて欲しかった…」
涙ぐみながら、薬指に填めたリングを撫でた…
彼女は泣いた…海に向かって…彼に向かって泣いた…
空からは陽が登り、寂しさで冷え切った心を優しく温めるように綾に降り注いだ…
今回で60回目の投稿になります!
これからも、旧車物語をよろしくお願いします!