◇閑話:食卓を囲む夜
夕暮れが酒場の窓を淡く染める中、賑わいの中の奥まった席で、アルガスたち四人は素朴な夕餉を囲んでいた。
木製の皿には煮込み肉と温野菜、パンとスープ。冒険者向けの腹を満たすメニューだが、誰も特に文句は言わない。旅立ちを目前に控えたこの夜、彼らの空気はどこか柔らかく、けれどまだ不器用だった。
「一人で魔物燃やしまくってる女がいるって聞いたから、勧誘してみたらよ。強ぇのなんの」
グレオが骨付き肉を手づかみで頬張りながら、笑い混じりに話す。
「それが……エリスさんだったんですね?」
ミーアが柔らかな笑みを浮かべて尋ねた。
「そうそう。気付いたら魔物が灰になってて、思わず笑っちまった」
「ま、別にソロでもやっていけたけどね」
エリスは肩をすくめてワインを口にする。
「こいつが壁として優秀だから、楽させてもらってたわけ」
「そりゃどーも」
グレオは口元をにやけさせながら、肉をかじる手を止めずに軽く眉を上げた。
「ていうかさ」
ふと思い出したように、エリスがアルガスを指差す。
「なんでウルフ大討伐の時の私のミス、知ってたの? あんた、あの現場にいなかったわよね」
「冒険者ギルドで大討伐の報告書を読んだ。討伐参加者、魔物の配置、魔法の行使タイミングと巻き込み事故の件、すべて載っていた」
アルガスは淡々と答える。
「え? あれ確か、こんな分厚い紙束じゃなかった?」
エリスが指で示しながら、思わず眉をひそめた。
「そもそも大討伐だけじゃなく、ギルドの報告書は普段から目を通している。討伐記録、護衛失敗例、依頼中の事故……知っておくべき情報は多いからな」
そう語りながら、アルガスは皿の端に寄せた温野菜をフォークで一つ刺し、ゆっくりと口に運ぶ。その動きには、特に味わうでもなく、習慣のような静けさがあった。
エリスが若干引いた表情で呟く。
「暇なの?ってか、あれ読む人いるんだ……」
「一日あたり、多くとも百件だ。そんなに手間じゃない」
「いや手間だわ!!」
エリスが即座に突っ込み、グレオまで吹き出した。
「じゃあ、俺が書いた適当な報告書も読んだのか? この前なんか、『魔物出てきた、ぶっ飛ばした、帰った』とかで提出したぞ」
グレオが笑いながら椅子の背にもたれる。アルガスは彼を指差しながら、諭すようにミーアに話しかけた。
「こういうのは、冒険者として非常に悪い例だ。参考にするなよ」
「は、はい。気をつけます……」
ミーアが小さく頷いた。
「いやいや!今日絡んできた、ああいう奴らこそダメな冒険者だろ!」
グレオは笑いながら反論する。
「は? 私のこと?」
エリスが目を細めると、グレオは手を大袈裟に振った。
「違う違う、その前のチンピラどもだよ!なあ、アルガス?」
わずかな笑いと軽口が交差する中、アルガスはグラスの水に口をつけながら、ふと視線を窓の方へ向けた。
外はすでに、夕暮れの朱を手放しつつあった。
王都の街並みが、しだいに深い群青に沈んでいく。石畳の通りには灯火がともり始め、行き交う人々の姿がぼんやりと揺れて見えた。
空には月が顔を出し、細く白い輪郭を描いている。どこか、冷たく、静かな夜の気配が忍び寄っていた。
その夜の闇に引かれるように、アルガスの思考もまた、徐々に内へと沈んでいく。
(グレオがいると踏んでこの酒場に来たが……まさか、こんなに順調にメンバーが集まるとは)
ゆっくりと視線を戻す。
テーブルには湯気を立てる皿、軽口を交わす三人、そして……まだどこか、互いに距離を測るような空気。
(グレオは、相変わらず考え無しで直情的だな。それでも、冒険者として名を馳せて、腕も、名声も、実績もある――そして、あの面倒見の良さを、僕は利用した)
自分に言い聞かせるように思考を重ねるが、胸の内にはどこか釈然としない感覚が残る。
(こんな僕を今でも『友人』と呼ぶのは……何も考えていないのか、それとも――)
視線をちらとエリスに向ける。彼女はパンをちぎりながら、グレオに毒を吐いていた。
(エリスは――事前の評価よりも遥かに優秀で、なおかつ想像以上に破天荒だった。魔術の才覚は疑いようがないが、自信と衝動のバランスが不安定すぎる)
考えながら、アルガスは手の中のスプーンをゆっくりと皿の縁に戻した。湯気の消えかけたスープから、かすかに香草の香りが立ち上る。
(……この旅に同行したがった理由は何だ? 高尚な探究心か、退屈凌ぎの気まぐれか。それとも、ただ力を誇示したいだけか?)
そして、隣の席でスープを静かに口に運ぶミーアの姿が目に入る。
(ミーア……正直、再会するとは思っていなかった。あの託宣の日以来、彼女の存在はずっと遠いものだと思っていたが)
窓の外はすっかり夜の帳に包まれ、街灯の明かりがかすかに酒場の床を照らしていた。
(少し……らしくないことを言ったかもしれないな。だが、教会で会った時と比べて、どこか覇気がない。彼女の微笑みの裏には、『隠している何か』がある……気のせいだろうか)
スプーンの音が一瞬止まり、ふと、グレオがアルガスに話しかけた。
「なあアルガス、どうだよ。久しぶりに『仲間』ってやつも、悪くないだろ?」
不意を突かれたように、アルガスは目を瞬いた。
「あ、ああ……」
そう返しながら、視線を落とす。
(仲間……か)
パンを噛みながら、その言葉の意味を反芻する。
(今のこの三人を、僕は本当に『仲間』だと思っているのか?)
頼れる剣士。天才肌の魔術師。そして、未熟ながら芯のある癒し手。
戦力としては申し分ない。だが、『仲間』――そう断言するには、何かが足りなかった。
(いや、違うな。足りないのは……僕のほうか)
どこか、自分だけが線を引いているような感覚。
踏み込むことも、寄りかかることも避けている自分に、アルガスは気づいていた。
「……なんか、今ちょっと感慨深そうな顔してた?」
エリスが茶化すように言うと、アルガスは表情を崩さず、淡々と返す。
「……そういうわけじゃない」
「ふーん、そういうことにしといてあげる」
ミーアが静かに笑みをこぼしたのを、エリスはちらりと見て、少しだけ眉を上げた。
夜は、静かに深まっていく。
四人の旅路は始まったばかりだったが、その食卓には、確かに――小さな『灯り』がともり始めていた。