第33話 信仰の虚像
翌朝、アルガスたちは前日集めた情報を元に水路の調査を再開した。朝のエルミナは、陽光に照らされ美しく輝く水路と市場の喧騒で賑わっている。しかし、一行の表情にはどこか疲れの色が浮かんでいた。
「勇者様だ!」
「アルガス様、本当にありがとうございます!街が救われました!」
「聖光の儀、楽しみにしています!」
通りを歩くたび、群衆が集まり声を掛けられる。子供たちが駆け寄ってくる光景も微笑ましいはずだが、アルガスは顔をしかめたままだった。
「……すみません、今は急いでいます」
彼は何度も低く断り、群衆の間を縫うように進む。それでも足止めを食らい、一行はやむを得ず路地裏に入り込むことにした。
薄暗い路地に入ると、喧騒が遠ざかり、ほっとしたような静けさが訪れる。
「ふう、なんとか抜けたわね」
エリスが額の汗を拭いながら息をつく。
「歓迎されるのはありがたいですけど……最近、人の数が増えてきてますよね」
ミーアが控えめに言った。
「街なかの『勇者様歓迎』の横断幕も増えてんな。討伐した魔物の話が広まってるせいだろうな」
グレオは苦笑しながら肩をすくめた。
「でも、そのせいで調査の時間を取られるんじゃ、全くの逆効果だわ」
エリスが呆れたように溜息をつく。
「人々の信頼を得られるのは良いことです。でも、こうまで注目されると……」
ミーアは困った顔をしながらも、街の人々への申し訳なさを滲ませた。
アルガスは黙ってフードを深く被り直し、低く呟く。
「この二日でここまで目立つのは、完全に計算外だった。……初日から間違えたな」
「間違えた?」
ミーアが首を傾げると、アルガスは苛立ちを隠さずに答える。
「パレードだよ。あんなものが無ければ、ここまで注目されることはなかっただろう」
「ねえ……最初からあれ、教会が仕組んだんじゃないの?あんたを『みんなの勇者様』にして身動き取れなくする作戦とか」
皮肉っぽく笑うエリスの言葉に、ミーアがハッとする。
「確かに……パレード自体は教会の主導でしたし……。街中の歓迎ムードがさらに盛り上がったのが教会からの働きかけだとしたら……」
アルガスは小さく頷き、険しい表情を浮かべた。
「ああ、教会の力を甘く見てはいけない。彼らが指示すれば、街の人々はそれを疑うことなく受け入れる。特にこの街のように、信仰が深く根付いた場所ではな」
「けど、街の人たちは純粋に喜んでるだけじゃねえのか?教会が動いてなくても、魔物を倒したお前を歓迎するのは普通だろ?」
グレオが肩をすくめて言う。
「それはそうだ。しかし、教会がその流れに便乗し、利用していないと断言できるか?」
アルガスは冷静に言葉を続ける。
「仮に僕たちを祭り上げて動きを封じることが目的なら、彼らの計画は着実に進んでいる。そうでなければ、ただの偶然だが……僕は偶然なんて信じない」
アルガスはそう言って裏路地を歩き始めた。フードの奥の彼の瞳には、疲労と不信感が僅かに宿っていた
***
一行は路地裏を抜け、人通りの少ない場所へ移動した。街並みは相変わらず美しく、観光客や住民たちの賑わいが続いている。
「魔物被害や病気の話が出てるのに、こんなに呑気でいられるなんてね……」
エリスが呆れたように言う。
「観光都市だからな。不安を抱えていようとも、表向きは賑やかになる」
アルガスが冷静に答える。
「確かに街並みは綺麗だし、飯は美味いし、湖とかも観光名所なんだろうけど……そんなに観光しにくるもんか?」
グレオが首を傾げると、アルガスは短く答えた。
「ここの観光戦略にも、教会が絡んでいるんだ」
「え?教会が?」
エリスが怪訝な声を上げる。
「宗教の観光利用だよ」
アルガスはフードの奥から淡々と説明する。
「この街には、教会が誇る観光名所がいくつもある。煌びやかな大聖堂や静謐な修道院、街外れの『聖者の墓所』……水路沿いに点在する『十二の祈りの小礼拝堂』なんかもあったか」
「……おいおい、なんだよそれ。聖堂とか礼拝堂とかって……神聖な場所だろ?観光名所にするなんて神様に失礼じゃないのか?」
グレオが驚いたように言うと、アルガスは冷静に続けた。
「そういう考え方を嫌う人間も多いだろうな。けれど、改革派の教会にとってはむしろ合理的な方針なんだ。信仰を経済に直結させることで、教会の財政を安定させている」
「私はそういうの結構アリだと思うわよ。ねえ、『十二の祈りの小礼拝堂』ってどんな所なの?」
エリスが興味を引かれたように問いかけると、アルガスは指を地図に滑らせながら説明した。
「湖から流れる水路沿いに並ぶ、十二聖人の名前を冠した礼拝堂だよ。本来は巡礼のための場所だったが、今では水路クルーズの名所だ。夜には各礼拝堂がライトアップされているらしい」
「わあ……思ってたよりもバチバチの観光地だったわ……」
エリスは遠い目で呟く。
やりとりを聞きながら、ミーアが静かに呟いた。
「確か、エルミナ支部では数年前に聖堂の大改修が行われたと聞きました。『天使の塔』という尖塔を建設したり、礼拝堂の装飾を一新したとか……」
「それも、完全に観光客向けってことよね?」
エリスが呆れたように眉を上げる。
「理にはかなっている。信仰を維持するための資金が必要なのも分かるし、観光で街の経済を活性化させる効果もあるだろう」
アルガスは冷静に言葉を続けた。
「だがその結果、信仰そのものがイベント化し、本来の目的が歪められていく危険性がある」
「そして、そこで便利なのが僕――『飾り物の勇者』だよ。儀式に引っ張り出せば、祈りの象徴として客寄せに使うのに打ってつけだからな」
自嘲気味に説明するアルガス。
「俺たちも街の観光資源扱いってわけか。もう開き直って、観光大使でもやるか?」
「誰がやるか」
グレオが苦笑しながら言うと、アルガスは冷ややかに返す。
「改革派って、保守派と何が違うのか良く分からなかったけど、そういうことね」
エリスがため息をつく。
「煌びやかな儀式を見せて観光客を呼ぶ。信仰っていうより、完全に商売だわ」
「宗教を利用して経済を優先させる改革派。そりゃ伝統を重んじる保守派と対立するのも当然だ」
アルガスは短く頷いた。
「しかし、調査の妨害を企てているとなると……また話が変わってくるな」
アルガスは視線を遠くに向け、険しい表情を浮かべた。
「謎の病や魔物被害が続くのを教会が完全に把握していないとは考えにくい。……むしろ、何らかの意図が絡んでいる可能性すらある」
一行は歩を進める。煌びやかな街並みの中、アルガスの冷静な分析がさらなる緊張感を漂わせていた。




