第30話 英雄の背中と見えない敵
魔物の討伐報告に行く道すがら、エリスが人々の歓声を思い出しながら、呆れたように呟いた。
「それにしても随分と勇者が好きね、この街の人たち。ラグスノールじゃこんなに注目されなかったでしょ」
「それもそのはずです。このエルミナは、先代勇者リュート様の生まれ故郷なんです」
ミーアが指差した先には、広場の中央にそびえ立つ巨大な像があった。
剣を高々と掲げ、大盾を構えた男性の像。その表情は、どこか慈悲深さと威厳を兼ね備え、足元の魔物は完全に踏み伏せられている。像全体には、長きにわたり語り継がれてきた伝説の重みが刻まれていた。
「リュート様は200年前に、当時君臨していた魔王を討伐したとされる勇者です。この街では『光の守護者』として語り継がれていて、勇者信仰がとても強いんですよ」
「なるほどな。それでやたら『勇者』が歓迎されてるわけだ」
グレオが頷きながら像を見上げる。
「それに、現在教会で使われている暦――『輝暦』は、リュート様の誕生年を基準にしているんです」
ミーアが付け加えると、エリスが即座に反応した。
「私、あの暦嫌いなのよね。いつもギルドの報告書は大陸暦に修正してるし」
「そういや、いつもわざわざ変えてたな。なんで嫌いなんだ?」
グレオが首を傾げる。
「なんか嫌!」
「ええ……?」
エリスの雑な返答に、グレオは困惑した表情を浮かべたが、彼女はさらに続けた。
「宗教色強すぎるのよ!月の名前が十二聖人由来とか、信仰押し付けすぎでしょ。1月2月でいいじゃない!?ほんと、実務妨害よ!」
「確かに、大陸暦の方が実務には便利かもしれませんね……でもルクシス教の影響力は大きいですから……」
ミーアは控えめに同意しつつ、どこか居心地の悪そうな顔をしていた。
「しかも、アルガスのせいでまた暦変わるんじゃないの?やっぱり面倒ね」
「誰も変えるなんて言ってないぞ」
エリスの愚痴に、アルガスは心底うんざりしたように返した。
「おっ、アルガスが魔王を倒したら、『論暦』とかになるかもな?」
グレオが冗談めかして茶々を入れると、エリスも面白がって言葉を乗せる。
「今、論暦22年ってこと?それなら使ってあげてもいいわよ」
「ふざけるな」
アルガスが鋭く言い返すが、皆肩を震わせて笑いをこらえていた。
「ま、そんないかにも『勇者』な英雄の像があると、現代の勇者様は肩身が狭いわね?」
エリスがアルガスを見やりニヤリと笑うが、アルガスは無表情で言い返した。
「悪かったな、勇者らしくなくて」
「暦は置いといて、お前の故郷にもこういう像を立てたらいいんじゃないか?」
グレオが像を指差しながら尋ねる。
「……勘弁してくれ。さあ、冒険者ギルドへ急ぐぞ」
一行の足音が広場を離れる中、アルガスだけが一瞬足を止めて像を振り返った。その視線は冷静さを装いながらも、どこか曖昧な色を宿している。
「勇者らしさ、ね……」
剣と盾を掲げ、圧倒的な正義の象徴として語り継がれるその姿――自分には遠すぎる理想のように思えた。だが、そう感じた瞬間、心のどこかで小さな苛立ちが芽生える。逃げるように視線をそらし、フードを深く被り直す。
彼は小さく息を吐くと、踵を返して仲間を追った。
広場の勇者の像はただそこに立ち、変わらぬ威容を誇っていた。
***
エルミナの冒険者ギルドで、水路の魔物討伐を報告したアルガスたち。
「この巨大な魔物――アクアバイターは、人を襲う凶暴な生態で知られています。これまで何匹も確認されていましたが、今回はなかなか人を回せず……本当に助かりました!」
「アクアバイター……そんな名前だったのか」
グレオがつぶやきながら腕を組む。
「エリスさんが即黒焦げにしちゃいましたから、良く分からなかったですね」
ミーアが控えめに微笑むと、エリスは肩をすくめた。
「いいでしょ、倒せたんだから。それに、焦げてた方が迫力出るでしょ?」
「そんな問題じゃないけどな」
アルガスが小さくため息をついた。
「これでやっと水路を安心して使えるようになります。街の皆さんもきっと喜ぶはずです。本当にありがとうございます!」
受付嬢は感謝の言葉とともに深々と頭を下げる。その笑顔に、グレオは自信たっぷりに腕を組みながら胸を張った。
「だろ?こういう時は俺たちに任せておけばいいんだよ!」
しかし、アルガスは報酬袋を受け取っても表情を緩めず、険しい顔のままだった。
ギルドを出た後、アルガスは通りを歩きながら低く呟いた。
「……やはり、妙だな。あの魔物の発生が偶然とは思えない」
「何でだ?」
グレオが肩越しに問いかけると、アルガスは視線を前に向けたまま答えた。
「水路の幅や深さを考えれば、あの魔物の大きさは明らかに不自然だ。あれほどの体格を維持するには、大量の食糧が必要だが、周囲の生態系を見る限り、それを補う環境はない」
「……よく見てんなあ」
グレオが感心したように呟く。
「それに、アクアバイターは希少種だ。それが複数匹いるなんて……自然発生では説明がつかない」
「つまり、どこからか持ち込まれたってこと?」
エリスが腕を組みながら推測を述べると、アルガスは小さく頷いた。
「その可能性が高い」
「もしかしたら……ラグスノールのように、魔術でおびき寄せたのかもしれません」
ミーアも難しい顔で言葉を継ぐ。
アルガスは険しい表情を浮かべたままミーアを見やり、小さく頷く。
「あるいは、それ以上に悪質な手が加えられているかもしれないな……」
その不穏な言葉に、エリスとグレオも表情を引き締めた。
「……まずは引き続き、魔物被害の情報を集めよう」
アルガスの提案に、大きく頷くグレオ。
「了解!今度はもっと突っ込んだ情報を持ってきてやる!」
「あんた、また酒場行く気?飲みたいだけでしょ?」
エリスが眉をひそめながら冷たく言うと、グレオは即座に否定するように手を振った。
「酒がないと話なんて盛り上がらねえだろ?昨日も隣の親父が飲みながら『水路で変な光を見た』とか言ってたんだよ!」
「変な光?」
アルガスが眉を寄せる。
「そうそう。その親父、酔い潰れちまって続き聞けなかったんだよな。昼間だったから良く見えなかったってよ」
「……そういう情報は早く言え」
アルガスは懐からメモ帳を取り出し、素早く内容を書き加えた。メモを閉じると、彼は軽くため息をついて呟く。
「まあ、酒場での情報収集も視野に入れるか……目立たなそうな店はあるか?」
「おおっ!やる気出てきたじゃねえか!」
「ははーん。アルガス、さては……割とイケるクチね?」
エリスがニヤリと笑うと、アルガスは少し呆れたように答えた。
「冒険者やってれば、酒付き合いの大切さは嫌でも身に染みてるよ」
「よーし!昨日飲み歩いた筋の、一本裏手がいい感じだったんだ!早速行ってみようぜ!」
グレオが勢いよく先導しようとする。
「ちょっと待ってください!」
ミーアが慌てて手を挙げた。
「あの、普通に街の人にも聞き取りをした方がいいですよね?それにまだ昼間ですし……!」
「酒場も街の情報が集まりやすい場所だ。行く価値はあるだろう」
アルガスは冷静に答えると、少し気遣うような声で続けた。
「ああ、無理はするな。別に飲みたくないなら、飲まなくていいんだぞ」
「大丈夫です、飲めます!」
「……え?」
アルガスは怪訝な顔をする。
「ミーア、そういえばこの前も普通にワイン飲んでたわね。もしかして……」
エリスが意地悪そうに続けると、ミーアは少し恥ずかしそうに笑った。
「……イケるクチです」
「何このパーティ、酒飲みばっかりなの?」
エリスは呆れたように呟いた。
「いいだろ!酔っ払いほど面白い情報引っ張れるんだぜ!」
グレオが楽しげに答える中、一行は街の賑わいの裏に潜む真実を探るため、再び足を踏み出した。




