第28話 宿屋の夜
夕暮れ時、エルミナの街は観光客と地元民の活気に包まれていた。アルガスたちはようやく宿を見つけ、大部屋に落ち着いていた。
大部屋とはいえ、清潔で広々としており、四人が快適に過ごせる十分なスペースがあった。アルガスは荷物を置き、被っていたフードを脱ぎながら、少し申し訳なさそうに口を開いた。
「すまないな。空いている部屋が少なくて」
「別に?何度も野宿で雑魚寝してきたんだし、これなら全然マシよ」
エリスが気にも留めない様子で肩をすくめる。
「それに観光地ですし、こういうこともありますよ」
ミーアはベッドの端に腰を下ろし、微笑みながら答えた。
一方、グレオはベッドにごろりと転がり、腕を組んでぼやく。
「でもよ、アルガスの顔使えば、もっと豪華な宿とか取れたんじゃねえの?『勇者様ご一行!』とか言われてさ」
「僕の顔を優待券扱いするな」
アルガスは渋い顔をしながら応じる。道中、街の人々の注目を浴びたことが思い出され、彼の肩が小さく上下した。
「教会に頼めば、客室を貸してくれたでしょうけど……それは、だめですよね」
ミーアが控えめに言うが、アルガスは軽く首を振るだけだった。
「まあいいさ。ここはここで居心地が良さそうだしな!」
グレオが笑って言い、空気が少し和らいだ。
***
ひとしきり落ち着いた後、エリスが不意に真顔になって口を開いた。
「ねえ。そういえばあいつ、なんか胡散臭くなかった?」
突然の発言に、アルガスは脱いだ外套を畳む手を止めて眉をひそめた。
「誰のことだ?」
「決まってるでしょ。あのメガネよ!」
「セドリック司祭……だっけ?」
グレオが思い出すように呟く。
「そうそう!腹に何か抱えてそうじゃなかった?あと……なんか妙にミーアに馴れ馴れしかった!」
その言葉に、ミーアは驚いたようにエリスを見た後、困ったように口を開いた。
「セドリック司祭は、私が中央教会にいた時の上司でしたから……」
「上司?」
グレオが興味深げに顔を向ける。
「はい。私が教会を出る直前に異動になられて。たぶん、教会内の騒動に巻き込まれたんだと思うんですけど……」
「上司というには、なんというか、その……距離感が……」
エリスか眉を寄せて言葉を選びながら呟く。
「修道院にいた頃から、よく気にかけてくださっていたんです。私が神官見習いになれたのも、あの方の推薦があったからです。ただ……」
「ただ?」
エリスが促すように聞き返す。
「とても優秀で頼れる方なんですが……昔から、何を考えているのか分かりにくい方で。時折、誰にも言えない何かを抱えているような、そんな雰囲気があったんです」
少し顔を伏せがちに話すミーアに、エリスは意外そうな顔をした。
「なんだ。てっきり、『セドリック様は胡散臭くないですよお!』とか言うかと思ってたわ」
「……私って、そんな風に見えてるんですか?」
ミーアは呆れたように呟く。
「いやいや、エリスの冗談だ。おいエリス、ミーアにその手のは早いだろう」
グレオがすかさずフォローを入れたが、ミーアは笑う。
「大丈夫ですよ。分かってますから」
「本当に強くなって……」
エリスが感心したように頷く。
「エリスさんが精神的に未熟で、こういったコミュニケーションしか取れないのは分かってます」
「急に辛辣ね」
ミーアが微笑みながら発した言葉に、一瞬で真顔になるエリスだった。
***
グレオが腕を組み、天井を見上げながら呟く。
「あの司祭さん、普通にいい人そうに見えたけどなあ」
「教会の上層部なんて、腹の探り合いの応酬だろう。本性を出しているとは思えない。それに――」
アルガスは荷物を整頓しながら返す。
「彼は、ミーアが『託宣の神子』だと知っているのだろう?」
ミーアは、少し考え込むようにしながら答える。
「そうですね。私が神託を受けたのは、セドリック司祭が導師を務めた礼拝中で……大司教様への取次など、色々動いて下さいました」
「ならば、注意するに越したことはないな。彼がどういう立場で僕たちを見ているか、慎重に見極めるべきだろう」
アルガスの言葉に、一同は黙り込む。
「まあとにかく、明日は聞き込みだ。それに備えて、あとは自由にしてくれ」
彼は話題を切り上げるようにそう告げる。
しかし、その直後――
「よーし!じゃあ、飯だ!肉出してくれるって言ってた酒場行こうぜ!」
グレオが突然ベッドから飛び起き、拳を突き上げた。
「外に出るのは御免だ」
アルガスが即答し、エリスも頷く。
「疲れてるし、ここの食堂でいいわ」
「私も、もう動きたくないです……」
ミーアも控えめに続ける。
「なんだよ、みんなノリ悪いな……俺一人で行ってくる!」
勢いよく立ち上がったグレオは荷物を肩に掛けると、早くも部屋を出て行こうとする。
「えっ、本当に行くんですか?」
ミーアが心配そうに尋ねるが、グレオはもう部屋の外だった。アルガスは苦笑しながら答える。
「大丈夫、あいつもちゃんと考えてるから」
「ちゃんと……ですか?」
ミーアは少し疑わしそうにアルガスを見つめるが、彼は淡々と続けた。
「ああ。ああいう時のグレオは、食欲を満たすついでに情報も仕入れてくるんだよ」
「そうそう。意外とちゃっかりしてんのよ……ついで、だけどね」
エリスが半笑いで同意すると、遠ざかるグレオの声が廊下に響いた。
「待ってろ、肉と酒ーっ!!」
「……本当に大丈夫なんですか?」
ミーアの小さな声に、アルガスは肩をすくめて答えた。
「ちゃんと手土産を持ってくるさ。……たぶん」
エリスが立ち上がり、伸びをしながら言った。
「手土産が肉じゃなきゃいいけどね。さて、食堂が空いてるうちに行こうかしら」
「アルガス様も行きましょう?」
「……残っている保存食で済ませるつもりだったんだが」
「だめですよ。ちゃんと温かいものを食べないと」
ミーアが微笑みながら説得すると、アルガスは小さくため息をついて立ち上がった。
「分かったよ。……じゃあ、行こうか」
そんな中、グレオは鼻歌混じりで夜の街へ消えていった――きっと肉と情報を求めて。




