第27話 ルクシス教会エルミナ支部
エルミナの街で盛大な歓迎を受けたアルガスたちだったが、パレードの終点で待っていたのは教会からの使者だった。
「勇者アルガス様、ご到着を心よりお待ちしておりました」
白い法衣に身を包んだ男が、深々と頭を下げながら声をかけてくる。
「ルクシス教会関係者一同、あなた様をお迎えできることを心より喜んでおります。大司祭様も首を長くしてお待ちです。支度金のご用意と重要な伝達事項もございますので、ぜひ教会へお越しくださいませ。」
アルガスは眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌そうな顔をする。
「……これから宿を探す予定だったんだが」
「ですが、大司祭様の強いご希望でして……どうか、少しのお時間をいただければと」
使者は低姿勢を崩さず、礼儀正しい態度で答える。アルガスは深々とため息をつき、仲間を見回す。
「どうせ断れないんだろう。仕方ない、行こう」
不承不承ながら教会へ向かうことになったアルガスの様子に、グレオが怪訝な顔をして問いかけた。
「おいアルガス、お前……教会と仲悪いんだろ?なんでこんなに歓迎されてるんだ?」
エリスもそれに続く。
「そうだったわね。街の人に歓迎されるのは分かるけど、教会まで持ち上げてくるなんて……何か裏があるんじゃないの?」
横で歩くミーアが少し困ったような表情を浮かべながら答える。
「実は教会には派閥がありまして……。王都では保守派が強いですが、エルミナでは改革派が主導していて……アルガス様とは意見が近い部分があるんです」
「保守……?改革……?」
グレオが首をかしげると、アルガスが簡潔に説明した。
「伝統を守ろうとするのが保守派、変えようとするのが改革派だ」
ミーアは補足するように続けた。
「保守派にとって、『勇者』は神の遣いなんです。伝承通りの振る舞いをアルガス様に求めていて……」
「だが、それは人々のためじゃない。教会の威信を保つためのものだ。僕がそこを指摘した結果、中央教会とは関係が険悪になった……それだけだ」
アルガスは吐き捨てるように言い放った。
「ですが改革派の方々は、アルガス様の理念を支持してくださっているんです。エルミナ支部を率いるローデン大司祭様もその一人で、神聖評議会でもアルガス様が活動しやすいように働きかけてくださいました」
ミーアが丁寧に説明するが、アルガスは眉をひそめたまま反応しない。
「つまり……この街の教会はアルガスの味方ってことか?」
グレオが確認するように言うと、アルガスは肩をすくめる。
「正確には、保守派よりはマシってだけだ。結局、彼らも自分たちの目的のために動いているに過ぎない」
うんざりした様子の彼の後ろから、神妙な顔でエリスが声をかけた。
「……アルガス」
「何だ」
「……花輪、取らないの?」
彼は一瞬動きを止め、震える手で頭の花輪を外した。
「……もっと早く言えよ……!」
***
一行は広々とした応接室に案内された。静謐な雰囲気が漂う部屋の中で、彼らが腰を下ろすと、国庫からの支度金が差し出される。
アルガスはそれを受け取ると、即座に立ち上がった。
「もう用は済んだ。街へ戻って宿を取るぞ」
「おやおや、そう急がないでください」
部屋の奥から現れたのは、淡い金髪と知的なメガネが特徴の若い男性だった。洗練された身なりに柔和な笑みを浮かべているが、どこか鋭い雰囲気を漂わせている。
「もうすぐ大司祭様の準備が整います。少しお待ちいただけないかな、アルガス君」
「あなたは……確か王都の教会にいた……」
記憶を辿るアルガス。
「セドリック司祭……?」
ミーアが驚きの声を上げた。
「おや、ミーア君?また会えるなんて……ルクシス様のお導きかな」
セドリックは少し目を丸くした後、微笑みながら歩み寄り、ミーアに目礼をする。
「お久しぶりです。異動先って、エルミナだったんですね……」
「ああ、お陰で中央のお偉方の顔を見なくて済んでいるよ」
困ったように笑うセドリック。
「君は、勇者とともに歩むことにしたんだね」
柔和な微笑みを浮かべながら語りかけるセドリックだったが、ミーアは少しバツが悪そうな顔をした。
「はい。ただ……なりゆきといいますか、ええと……教会は、辞めたんです……」
「えっ?」
目を丸くするセドリックだが、すぐに目を細めた。
「……そうか、色々あったものな」
セドリックは一行に向けてにこやかに微笑む。
「君たちの活躍は聞いていますよ。ラグスノールでは悪徳商会を追い詰め、多くの人々がその勇姿に感謝したと」
「……別に、結果的にそうなっただけです」
アルガスは冷静な声で返答する。
「ご謙遜なさらず。素晴らしい功績ですよ」
セドリックの物腰の柔らかさに反して、言葉の端々に何かを探るような気配が感じられた。
その時、神官が部屋に入ってきて告げた。
「セドリック様、大司祭様が勇者様をお呼びです」
「分かりました。では皆さん、お連れしましょう」
***
荘厳な広間に通されたアルガスたちは、エルミナ支部を統べるローデン大司祭と対面した。ローデンは白い法衣に身を包み、柔和な笑みを浮かべている。その頭部は滑らかな光沢を放ち、威厳を感じさせた。
「勇者アルガス殿、ご一行の皆様、ようこそエルミナへ。この街の民たちは、あなた方の到来を心待ちにしておりました」
ローデンはゆっくりと頭を下げ、深い敬意を示した。
「ご挨拶ありがとうございます。ですが、正直なところ、この歓迎には大変困惑しています。我々はただ、なすべき事をなしているだけですので」
アルガスは軽く会釈を返しながら、冷静な声で答えた。
ローデンは微笑を崩さず、視線を横に向ける。
「その慎ましい姿勢が、まさに勇者殿たる所以。ですが、この機会に、ぜひお願いしたいことがあります……セドリック司祭」
名を呼ばれたセドリックが一歩前に出た。彼は薄い微笑を浮かべ、整った物腰で話し始める。
「7日後、ここエルミナでは『聖光の儀』が執り行われます。この街の繁栄と安全を祈る重要な儀式です。もし可能であれば、アルガス殿にもご参加いただきたいのです」
「聖光の儀……?」
アルガスが眉をひそめる。
「はい。この儀式では、勇者殿に聖典の一節の朗読とそのお志を示す演説、さらに魔力の奉納をしていただきます。聖典朗読の練習を経て儀式の内容を理解していただく他、装束の調整も必要ですので、準備期間を3日ほど――」
「お断りします」
アルガスは即答した。
セドリックの微笑がわずかに固まる。だが、すぐに表情を戻して続けた。
「勇者殿、慎重にお考えください。この儀式は、この街の人々にとって非常に重要です。あなたが参加することで、彼らに希望を――」
「『希望』とは便利な言葉ですね。ですがそれは、単なる儀式で継続できるものとは思えません」
アルガスは冷静な声で言葉を重ねた。
「一時的な安心感は与えられるでしょう。しかしそれは、実際の魔物被害を止める具体的な行動には及びません。この儀式に時間を費やすというのであれば、他に優先すべきことがあるのでは?」
セドリックは静かに頷きつつも、一歩も引かない。
「勇者殿のおっしゃる通り、儀式そのものが魔物を撃退するわけではありません。しかし、あなたが『ここにいる』という事実が、人々にどれほどの安心を与えるか――それは計り知れないものです」
アルガスは冷ややかな視線を向けた。
「その理屈で言えば、私は『勇者』という名を掲げ、ただ立っていればそれで十分ということですか?」
その言葉に、セドリックは押し黙る。
「私はただの象徴ではありません。『あまねく民に光をもたらす』――それが私の使命です。そのためには、まずこの街に巣食う魔物の被害を抑えなくてはなりません。それを後回しにして、信仰の安定を目的とした儀式に参加するなど、本末転倒と言わざるを得ません」
セドリックはわずかに表情を曇らせながらも口を開いた。
「確かに、勇者殿の使命は重要です。しかし、この儀式を通じて得られる信仰の安定は――」
「信仰の安定のために、勇者を利用すると?」
アルガスの声は冷静だが、言葉の一つひとつは刃のように鋭い。
「司祭殿、私は教会のためではなく、人々のためにここにいるのです。あなた方が勇者を使って教会の権威を高めようとするなら、それは私の使命とは相容れない。――申し訳ありませんが、この話はこれ以上聞く価値がないように思えます」
セドリックは一瞬だけ息を止めた。そして、その後ろに立つローデン大司祭が、穏やかな声で話を引き取った。
「……セドリック司祭、それ以上は結構です。無理強いをするつもりはありません。勇者殿の考えを尊重しましょう」
ローデンの微笑は崩れず、静かな威厳を保っている。
「ただ、もしご心変わりがありましたら、いつでもお声がけください。準備を整えてお待ちしております」
「必要ありません」
アルガスはローデンを見据えたままそう言い残し、背を向けた。
***
「予想通りだったな」
広間を出たアルガスは、低い声で吐き捨てるように言った。
「結局、改革派も変わらない……勇者を都合の良い駒として扱っているだけだ」
グレオが彼を見ながら苦笑を浮かべる。
「いつにも増してキレッキレだったな、アルガス。あの司祭さん固まってたぞ」
「言いたいことは分かるけど……言い方ってもんがあるでしょ?」
エリスも呆れ顔で苦言を呈した。
「僕は事実を言ったまでだ」
そう言い捨てて、アルガスは足早に出口へと向かう。
その様子に他の三人は顔を見合わせた。グレオは軽く肩をすくめて歩き出し、エリスとミーアもそれに続いた。
その時、背後から柔らかな声が響いた。
「ミーア君」
その声に、ミーアは思わず足を止めて振り返る。そこには柔和な微笑みをたたえたセドリックの姿があった。
「セドリック様……」
ミーアは丁寧にセドリックに向き直り、頭を下げた。
「先ほどは、アルガス様がすみません」
「いやいや、構わないよ。彼がああいう感じなのは、中央で見て知っていたからね」
セドリックは苦笑する。
「それよりも、ミーア君。……旅は、辛くないかい?」
彼は少し首を傾げながら問いかけた。ミーアは微笑みながら返答する。
「はい。みなさんがいるので大丈夫です」
「そうか、少し逞しくなったようだね……。けれど、何かあればいつでも頼ってくれていいからね――どんなことでも、だ」
セドリックの柔らかな声に、ミーアは少し戸惑いながらも短く頷いた。
「気をつけて。光の加護があらんことを」
「セドリック様も……光のご加護を」
ミーアは軽く会釈すると、足早にアルガスを追いかけていった。
セドリックはその様子を、目を細めながら見ていた。少し傾き始めた西陽が、彼の眼鏡に反射していた。




