第26話 勇者と騒がしい街
エルミナの街は陽光に照らされ、まるで祭りの日のように活気づいていた。大通りには色鮮やかな装飾が施され、人々が列を作って歓声を上げている。
街の中心を歩くアルガスたちは、すっかり注目の的だった。
「勇者さまだ!」「アルガス様がいらっしゃったぞ!」
興奮気味の人々の声が次々と飛び交い、道の両側には子供から大人まで、手を振る人々が溢れていた。
しかし――その中心にいるアルガス本人は、ひどく疲れた顔をしていた。
「……エルミナ (Elmina)は、フォルセリア王国中央部の山間に位置する人口約8万人の観光都市である[1]。湖のほとりに広がるこの都市は、その美しい街並みと数多くの景勝地で知られ、「湖の宝石[2]」とも称される。縦横に巡る水路が街の特徴であり、その景観は訪れる人々を魅了――」
「こらこら、どっかから引用してる場合じゃないでしょ!?」
生気のない顔で呟くアルガスに対して、魔術師のエリスが横腹を軽くつつき、眉を吊り上げる。
「……現実逃避ですね」
その後ろから、治癒術師のミーアが苦笑しながら呟いた。
「……何なんだよ、これは」
ため息をついた後ぼそりと呟いたアルガスの表情は、完全に仏頂面だった。
「だから、あんたの歓迎パレードだって。教会からの通達にも、街の入り口にも書いてあったでしょ」
隣を歩くエリスが、少し呆れたような口調で答える。
「誰がこんなものを望んだんだ……」
「あんたじゃないのは分かってるわよ。でも、勇者なんだから仕方ないでしょ」
「そもそも、なんで僕たちが来るタイミングが分かって……」
一瞬逡巡した後、彼はハッと気づく。
『エルミナには、3日もあれば着くでしょう』
ラグスノール出発時に、自身がそう伝えた相手は……。
「そうか、バートラム会長……!くそ、あの野郎……ッ!」
「あの人ただの敬虔な信徒っぽかったから、悪意とか無いでしょ。あと、あんたキャラ崩壊してるから落ち着きなさい」
一人憤慨するアルガスに対し、エリスは呆れたように呟く。
アルガスは重々しくため息をつき、視線を足元に落とした。
「これじゃあまるで見世物だ……勇者の使命じゃないだろう……」
「その見世物が街を盛り上げて……なんだっけ、『光をもたらす』になるんじゃないの?割り切りなさいよね」
エリスは軽く肩をすくめ、まるで教師のように嗜める。
一方、少し離れた位置を歩くミーアは、困惑しつつもどこか浮き立つような表情をしていた。
「こんなに大勢の人が……アルガス様を歓迎してくれるなんて……」
目を輝かせて周囲を見回す彼女の姿は、まるで初めて祭りに来た子供のようだった。修道院育ちで元神官見習いの彼女には、珍しい光景なのだろう。
「ミーア、あまり周りを見てると転ぶぞ」
アルガスがちらりと視線を向けて注意する。
「は、はいっ!」
ミーアは慌てて足元を見直すが、その顔には微かな笑みが浮かんでいた。
「でもアルガス様、この前みたいに知名度ゼロじゃなくて良かったですね!」
「ゼロでいいんだよ……!」
ミーアの少し辛辣な発言に、肩を震わせながら返すアルガス。
そして、一行の中で最も騒がしいのは――
「いやーすげえ!こんなでっかい旗まで作ってくれるなんて、俺たちも有名になったな!」
剣士のグレオだった。
彼は通り沿いの店に手を振ったり、近くの子供とハイタッチをしたりしながら、完全に祭りを楽しんでいる。
「おいおい、あそこの酒場のオヤジ、さっき特大の肉出してくれるって言ってたぞ!今日の夕飯は期待していいな!」
グレオは大声で話しながら、何度も笑顔で周囲に手を振る。
「君はもう少し控えめにしろ……!」
アルガスが低く怒ったが、グレオは全く意に介さない。
「なんだよ、いいじゃねえか!せっかくの祝い事だぞ?お前ももう少し楽しめよ!」
「誰が楽しむか……」
アルガスの顔には明らかに疲労の色が滲んでいた。
「アルガス様……流石にもう少し、市民の方に反応してあげては……?せめて笑顔の一つでも……」
「仏頂面の勇者って噂になるわよ?」
「別に、それで構わないが」
アルガスの返答に、ミーアは困ったように微笑み、エリスは呆れたようにため息をついた。
その時、小さな女の子が人混みをかき分けて一行の前に出てきた。手には、色とりどりの花で作られた花輪を持っている。
「ゆ、ゆうしゃさま……これ、どうぞ!」
アルガスは目を細めてその子を見下ろした。彼女の顔には緊張と少しの恥ずかしさが混じり、けれどその手はしっかりと花輪を差し出している。
「……僕に?」
アルガスが低い声で尋ねると、女の子は小さく頷いた。
エリスが彼の背中を小突いて笑みを浮かべた。
「さあ、受け取りなさいよ。断ったら泣かせることになるわよ?」
アルガスは一瞬だけ逡巡したが、ため息をついてしゃがみ込んだ。
「……ありがとう」
彼はぎこちない笑顔で花輪を受け取り、自分の頭に乗せた。黒い髪と鮮やかな花々の対比は、意図せずとも彼の顔立ちを際立たせていた。
その様子を見た女の子は、ぱあっと笑顔を咲かせた。
「ゆうしゃさま、にあってる!」
無邪気な声が響き、周囲の人々から拍手と笑いが起こる。
アルガスはすっと立ち上がると、エリスを睨みつけながら怒りに震える声で囁いた。
「……これで、満足なんだろう?」
「ええ、大満足よ。勇者様」
エリスは口元に手を添えて目を逸らし、肩を振るわせながら答えた。
グレオはその様子を見て声を上げて笑った。
「おおっ!花飾りつけたアルガス、ちょっとは様になってるじゃねえか!」
「うるさい」
アルガスはそう言いながら、手で花輪を少し直した。その仕草は、どこか恥ずかしそうで、けれどほんの少しだけ柔らかさを帯びていた。
「ふふ……とってもお似合いです」
ミーアが控えめに笑うと、アルガスは軽く眉を寄せた。
通りの熱気の中、花輪をつけた勇者を先頭に、一行はゆっくりと進んでいく。どこまでも賑やかなエルミナの街を歩きながら、アルガスは頭に乗る花の重みを、少しだけ軽く感じていた。
***
しかしパレードを進んだ先、一行の視線の先に見えたのは――
荘厳な教会の前、白い大理石の階段と高くそびえる尖塔の下に、静かに佇む白い法衣の男だった。
「あれは……」
アルガスの足がふと止まる。パレードの終点で恭しく頭を垂れる姿は、この喧騒のなかでまるで静止した時間を纏うように見え、異質な存在感を放っていた。
アルガスの顔に浮かんでいた疲労の色が、さらに濃くなる。
「……教会の使者か。また、面倒なことになるな……」
低く呟くその声は、街の賑やかさの中に掻き消えていった。




