第24話 過去と現在と
――左……?いや、正面だ……挟まれる!
――俺が道を切り開く。アルガス、指示をくれ!
――くっそ……!血が……血が止まらねえ!
――アルガス、お前魔法使えるだろ……!
――無理だ!こんな傷、治せるわけないだろ!?
――おい、グレオ!目開けろ!……おい!!
***
「グレオ!!!」
叫びと共に、アルガスは飛び起きた。
身体は冷たい汗でびっしょりと濡れ荒い息が止まらない。心臓が不規則に跳ね、喉の奥が焼けるように乾いていた。
5年前――パーティが崩壊したあの日の記憶が、再び彼を襲っていた。
「……大丈夫か?」
隣で寝ていたグレオが、眠そうに目を擦りながら起き上がった。
「わ、悪い……起こしたか」
「……あの日の夢か?」
グレオの問いに、アルガスはゆっくりと頷いた。
「あ、ああ……久しぶりに見た……昨日、話したせいかな……」
額に張り付いた髪を掻き上げ、震える息を無理に整えようとする。だが、胸に残ったざらついた痛みは簡単には消えなかった。
「気に病むなって、何度も言ってるだろ」
グレオは肩をすくめ、アルガスをじっと見つめた。
「あれは俺たちの判断ミスだ。でも、結局お前の指示で生き残ったんだ。今更悩んだって何も変わらねえよ」
その言葉は優しさに満ちていたが、アルガスは俯いたまま、か細く呟いた。
「それでも……あの時、もっと考えていれば、君もあんな怪我せずに済んだはずだ」
声を震わせながらも、アルガスは続ける。
「……だから僕は……もう二度と同じ失敗はしないって決めたんだ」
その瞳には強い自責の色が宿り、拳を固く握る。そして、右手の甲に刻まれた『勇者の証』の紋様を押さえつけるように、静かに力を込めた。
「僕が勇者に選ばれた以上……僕は理論で全てを制し、どんな状況でも完璧な判断をしてみせる」
そう誓うように呟くアルガス。その横顔を見ながら、グレオは大きく息を吐いた。
「……好きにしろよ」
グレオは寝袋に再び転がり込む。
「俺は、お前がどういう考えで動こうが、『必要とされたなら着いていく』って決めてんだ。だから、勝手に背負い込みすぎんなよ」
その投げかけられた言葉に、アルガスは一瞬だけ目を見開いた。
「……ありがとう」
その呟きは小さかったが、静かにはっきりと響いた。
「見張り、替わってくる」
アルガスはそう言うと、剣を腰に下げ、テントを出る。
外は夜明け前の冷たい空気に包まれていた。空には淡い青と橙色が混ざり始め、鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。
(背負いすぎるな、か……)
アルガスは自嘲気味に笑い、夜露に濡れた草を踏みしめて焚き火へ向かった。焚き火の隣では、ライナーが座ったまま船を漕いでいる。
「ライナー、交代だ」
肩を軽く叩くと、ライナーは目を覚まし、慌てて頭を下げた。
「す、すんません!……あれ?でも、俺の当番は朝まで……」
「いいから、テントで寝てこい。ラグスノールまで長いだろう」
アルガスが静かに告げると、ライナーは感謝を込めた視線を送りながら、テントへと戻っていく。その背中を見送ると、アルガスは消えかけた火に細い木をくべた。
彼は足元に置かれた剣の柄に軽く触れる。冷たい感触が、心を落ち着かせた。
(もう二度と……失敗はしない)
そう心に誓いながら、アルガスは空を見上げた。
***
朝日が山間に差し込む頃、アルガスたちは荷物をまとめ、助けた冒険者たちとの別れを迎えていた。
「本当に助かったっす!アルガスさん、グレオさん、エリスさん、ミーアさん!」
ライナーは深々と頭を下げた。隣のカインとエイミーも並んで礼をする。
「おかげで命が助かっただけじゃなく、戦い方についてもたくさん学ばせてもらいました。俺たち、これからもっと強くなってみせます!」
「おう、根性だけはありそうだな」
グレオが大きく肩を叩くと、ライナーは笑いながらうなずいた。
「今度会った時は、もっと腕を上げておけよ。じゃないとまた助ける羽目になるぞ」
「その時は、俺たちが助ける側になります!」
「言ったな?」
グレオとライナーは拳をぶつけ合い、互いに笑い合った。
「みんな、無事に戻れよ」
アルガスの静かな言葉に、ライナーたちは力強く頷き、歩き出した。去り際に、振り返ったライナーが大声をあげる。
「勇者様たちも、絶対に魔王を倒してください!」
彼らの背中が木々の向こうに消えていくまで、アルガスたちはその場で見送っていた。
「……魔王を倒すのが目的では無いんだが……まあいいか」
アルガスがぽつりと呟くと、ミーアが微笑む。
「魔物被害の原因を調査して、まず交渉……ですよね?」
「ああ」
アルガスは荷物を背負うと、振り返って言った。
「僕たちも行こうか」
***
エルミナへ向けて、山道を下るアルガスたち。朝日が差し込む山肌を背景に、足元に続く石ころだらけの道を踏みしめて進む。空気は冷たいが、徐々に陽光が身体を温めてくるのが心地よい。
「あいつら良いパーティだったな。次会う時はきっと、もっと強くなってるぜ」
グレオが肩の荷物を揺らしながら口を開いた。
「頼もしかったですよね。私たちも、負けてられませんね」
ミーアが柔らかに微笑む。疲れた表情もどこか安らいで見えた。
「ねえ、アルガス」
不意にエリスが声を上げ、先頭を歩くアルガスに問いかける。
「あんたさ、冒険者ランクいくつなの?」
歩を緩めないアルガスは、ちらりとも振り返らない。
「ねえってば」
「知ったところで何も変わらないだろう。そもそもランク制度自体が……」
「あっ、こいつ隠してるな!?答えなさい!普通にパーティ組む時は必須事項でしょ!」
アルガスはしばらく無言を続けた後、深い息を吐きながら渋々答えた。
「Eだよ」
「いー……?えっ!?Eランク!?」
エリスの大声が山間に響く。鳥が驚いたように木々の間を飛び立った。
「えっ……私と同じですか?」
ミーアの呟きに、グレオが口を挟む。
「ミーア、駆け出しでひとつ上がってるのか?実戦経験少ないって言ってたよな?」
「最初からです。持っている資格を伝えたら自動昇格だと言われて」
「治癒は重宝されるからね……じゃなくて、こっちよこっち!」
脱線した話に流されそうになったエリスだったが、即座にアルガスを指差して喚いた。
「あんた、あれだけ偉そうに私の失敗をこき下ろして、リーダー面してたくせに、実はEランク!?舐めてるの!?」
エリスが詰め寄るが、アルガスは足を止めることなく、淡々と答えた。
「こうなるから伝えたくなかったんだよ。嫌ならパーティ外れてもらって構わないぞ」
エリスは腕を組み、鼻を鳴らしながら答える。
「いまさら抜ける気なんてないわよ。こんな面白い旅、続けなきゃ損じゃない?」
「……そうか」
相変わらず、振り返ることなく答えるアルガスだったが、その声には少し安堵の色が感じられた。
「それにしても、Eランク冒険者が勇者に選ばれるってどういうこと?」
「それは選んだ奴に聞いてくれ」
「神じゃん。ミーア、今度聞いといてよ」
エリスの無茶振りに、ミーアは苦笑しながら返答する。
「私は神託を受け取っただけなので……それはたぶん無理かと……」
***
一行が小休憩を取っている間、グレオがアルガスに声をかける。
「おい、何でランク下がってるんだよ。俺たち、一緒にCまで上げただろ?」
グレオの問いに、アルガスは顔を伏せたまま答えた。
「弱いから依頼をこなせなくて、自然と下がった。それだけだよ」
「お前なあ……。ちゃんとパーティ組めよ、一人で背負い込むんじゃなくてさ」
アルガスは何も言わない。グレオはしばらく彼を見つめていたが、肩を叩いて静かに言った。
「この旅が終わったら、また一緒にやろうぜ」
アルガスは少し間を置いてから、小さく答える。
「……考えとく」
そのやり取りを少し離れたところで聞いていたミーアが、声をかけた。
「アルガス様」
「何だ?」
「同じEランク同士、頑張りましょうね」
彼女の微笑みは柔らかで、どこか暖かい。それに対してアルガスは苦笑しつつため息をついた。
「君は少なくともCランク、いやBランク相当だろう……?」
「でも、私のランクはEランクですから」
ミーアの困ったような笑顔に、アルガスは呆れたように肩をすくめたが、その表情はどこか和らいでいた。
***
山道をさらに進んだ先、アルガスが指差す方向に湖畔の街が見えてきた。日の光に照らされ、街全体が静かに輝いている。
「あれがエルミナだ」
アルガスの声に、一行は自然と足を速める。
「今日中に山を下れるだろう。もうひと踏ん張りだ」
その言葉に背中を押されるように、仲間たちは新たな目的地へ向かって歩き出した。




