第22話 山越え二日目の出会い
朝陽が山々の稜線から顔を出す頃、アルガスたちは昨日の野営地を後にした。昨夜の焚き火の匂いがまだ衣服に残る中、彼らは険しい山道を再び歩き出す。
道中、時折姿を見せる小型の魔物を倒しながら、一行は慎重に進んでいった。
「結構歩いたな……でも、まだ山の半分か」
グレオが額の汗を拭いながら呟く。
「本当に山越えで丸二日かかるんですね」
ミーアが疲れた声を漏らすと、エリスが笑いながら肩をすくめた。
「そりゃそうよ。平地と違って歩きにくいからね」
険しい道のりを経て、日が傾き始める頃、一行はようやく予定していた野営地にたどり着いた。昨日と同じように周囲を確認しながら、野営の準備に取り掛かる。
風にそよぐ木々が揺れ、鳥のさえずりが遠くに響く穏やかな時間。しかし、その静けさの中で、グレオはふと足を止めた。
「なんか、あっちにいるな」
「えっ?音も何もしないですが……?」
ミーアが耳を澄ませるが、周囲は平穏そのものだった。
「出たな、野生の勘」
エリスが腕を組みながらからかうように笑う。
「野生じゃねえよ」
グレオはムッとした表情で反論する。
「……たぶん、誰か襲われてる」
アルガスはその言葉を聞き、冷静に頷いた。
「こういう時のグレオの感覚は当てになるからな。行こう」
アルガスの言葉に従い、一行は林を抜ける。
その先に広がっていたのは混乱の光景だった。2体の巨大な鳥型の魔物が、3人の冒険者を襲っている。
「スカイヴァルチャーか!厄介だぞ……!」
空を舞う魔物を見上げながら、剣を構えたグレオが呟く。
その魔物――スカイヴァルチャーは漆黒の羽を広げ、翼を大きく振り下ろしながら獲物を狙っていた。鋭い嘴と爪が何度も冒険者たちを掠め、彼らの防御を少しずつ削っていく。
「魔術師様の出番だな……エリス!まずは一体落とせるか?」
アルガスの声に、エリスが即座に反応する。
「了解!」
エリスはロッドを振り上げた。
「風魔法に求められるのは、速さと鋭さ!お手本見せてあげるわよ!……<ウィンド・アロー>!」
鋭い風の矢がスカイヴァルチャーの片翼を貫き、鳥型の魔物が甲高い鳴き声を上げながら地面に叩きつけられる。
「初級魔法でも、使い手次第ってね」
ロッドをくるくると回しながら、得意げに言うエリス。
「分かってはいたが、なんか癪だな……」
アルガスは呟くが、すぐにミーアに目を向ける。
「次、ミーアいけるか?」
残ったスカイヴァルチャーが羽ばたいて距離を取ろうとした瞬間、ミーアが杖を構え、詠唱を始めた。
「<ウォーター・ブレード>!」
詠唱は前回の特訓の成果か、見違えるほど早くなっていた。水の刃がもう一体の魔物に直撃し、撃墜した。
「おおっ、ミーア!詠唱早くなったんじゃねえか?」
グレオが感心したように笑うと、ミーアが照れながら返した。
「はい、初級魔法ならなんとか……!」
撃墜した敵をアルガスとグレオが念のため仕留めると、辺りには静寂が戻る。冒険者たちはその場に崩れ落ち、息を荒げながらも安堵の表情を浮かべた。
「ありがとうございました、助かったっす……」
ミーアが回復魔法を施し、彼らの傷は次第に癒えていく。治療が終わると、剣士らしき男が感謝の言葉を述べながら立ち上がった。
「俺はライナー、こっちは魔術師のカイン、レンジャーのエイミーです。ラグスノールの冒険者ギルド所属で、エルミナまでの護衛依頼の帰りだったんすけど……」
「魔物に襲われて半壊してたってわけね」
エリスが片眉を上げて彼らを見下ろす。
「はい……装備もかなりやられて、戦うのがやっとでした」
ライナーは頭をかきながら苦笑した。
「まあ、無事なら良かった。今度からは地形を考慮して装備を整えろ」
アルガスが淡々と告げると、ライナーは慌てて頷いた。
「はい、肝に銘じます……! ところで、皆さんは……」
言いかけたカインの視線がふと止まった。そして、驚きに目を見開いた。
「ま、まさか……あなたは!」
その視線はアルガスに向けられ――と思いきや、彼の後ろに立つグレオへと向けられていた。
「もしかして、王都のSランク冒険者……『巨撃の剣士』グレオさんっすか!?」
「え?ああ、俺?……そうだけど」
グレオは戸惑いながらも、やや得意げに答える。
「すげーっす!会えるなんて光栄です!」
「握手してください!」
次々に握手を求められ、グレオは困惑しながらも応じる。
「じゃ、じゃあ……そちらの魔術師の方は……『戦場の爆炎』と評されるエリスさん?!」
「えっ、私そんな名前ついてんの?……いや、まあ悪くないわね」
エリスは咳払いをしながらも、どこか満足げな表情だった。
「冒険者になって半年でAランクに上り詰めた稀代の天才……憧れてます!」
カインは感動した様子でエリスを見つめている。
ライナーたちがグレオとエリスの周りで騒ぐ中、アルガスは一歩下がった位置で様子を見ていた。
「お二人、そんなに有名な冒険者だったんですね」
ミーアが感心したように呟く。
「ああ、実力は確かだからな」
アルガスが頷いたところで、エリスがふとアルガスを指差した。
「ねえ、あんたら。この人のこと知ってる?」
「いえ」
「知らないっす」
ライナーとカインが即答すると、エリスは吹き出して笑った。
「あんた、どんだけ知名度無いのよ!」
「知名度のために勇者やってるんじゃないんだよ」
アルガスは眉をひそめた。
「えっ……ゆ、勇者様……?!」
エイミーが驚愕の声を上げる。
「そうよ、あのひょろいのが勇者よ。世も末ね」
エリスがひそひそと耳打ちすると、アルガスはすかさず返した。
「聞こえてるぞ、爆炎女」
***
その後、合同で野営を行うことになり、一同は焚き火を囲んで腰を下ろした。
「あの、グレオさん。俺たちしばらくCランク止まりで……もっと強くなりたいんすけど、どうすればいいですか?」
ライナーが焚き火越しに尋ねる。
「おお?うーん。そうだなあ……飯食ってちゃんと寝て、鍛えてたら強くなるぞ!」
「うーん、この筋肉バカ」
「グレオさん、そればっかりですよね」
エリスとミーアが呆れたように呟く。
アルガスはライナー達をじっと観察し、口を開いた。
「……君たちの戦い方、もう少し改善できるぞ」
「えっ?」
ライナーが驚きながら振り返る。
「まず、弓を使っていた君」
アルガスはエイミーに目を向けた。
「今使っている弓、見たところ中距離用だな。威力はあるが、魔物相手だと間合いを詰められやすい。それなら短弓にして手数を増やしたほうが連携もしやすいだろう」
「そ、そうなんですか?」
「それと位置取り。魔法使いの君は後方にいるのは正解だが、詠唱中に動かず止まっていたな。詠唱中の位置を把握されたら、集中的に狙われる危険がある。詠唱しながら横移動する訓練を積むべきだ」
「なるほど……」
「あと剣士は、仲間を守ろうとして動きすぎだ。大振りな動きは魔物相手だろうと読まれる。君はもっとカウンターを狙う意識を持つべきだ」
アルガスは手を振って補足した。
「ま、余計なお世話なら忘れてくれ」
「いえ!めちゃくちゃ参考になります!」
「さすが勇者様ですね!」
ライナーたちは目を輝かせながらメモを取り始めた。
「いや別に勇者は関係ないけどな……」
アルガスは呟きつつ、焚き火の炎を見つめた。
焚き火を囲む輪の中で、ミーアがふと興味深そうに口を開いた。
「あの、アルガス様。昨日の魔法理論もそうでしたけど……一体どこからその知識を?」
「そういやそうね。ラグスノールでも、やたら商会のことに詳しかったし」
エリスも問いかけるような視線を送る。
アルガスはしばらく黙った後、少しだけ目を逸らしながら答えた。
「……戦術書、魔法理論書、それらの原著論文、法体系の解説書、経済学の基本論、商業契約の分析書、物流管理の実践マニュアル、貿易史の記録……あとは、軍律と条約集、それから各国の法典関連書籍とかかな……」
「……多いです!!」
ミーアが思わず声を上げる。
「いや、むしろその程度じゃ足りない。特に経済面は、地域間交易の関税や利権構造、税法の変遷を押さえておかないと商業連合みたいな組織は読めない」
アルガスはあっさりと続ける。
「……ええ……?」
ミーアは目を丸くし、エリスは呆れ顔で肩をすくめた。
「アンタさ、勇者やってないで学者か教師やった方が良いんじゃないの?」
その様子を見て、グレオは大笑いした。
「昔からそんな感じだったけど、磨きがかかってんな!」
「お二人は旧知の仲なんですか?」
カインが驚いたように声を上げる。
「おう、昔からこいつとは腐れ縁よ。ずっと理屈ばっかりこねてた奴だけど……いつの間にか論破する力だけは最強になってやがる」
「……褒めてるのか、それ?」
アルガスが顔をしかめる。
「もちろん褒めてるって!」
グレオが朗らかに笑う。
そのやり取りを聞いていたエリスが、焚き火の炎を見つめながら呟いた。
「親御さんも、アルガスみたいな理屈野郎を育てるの大変だったでしょうねえ」
何気なく放たれたその言葉に、アルガスの表情が一瞬曇る。
「……親、ねえ」
その消え入りそうな声に、エリスの目が驚きと焦りに見開かれた。
「え、何?私……地雷踏んだ?」
アルガスはすぐに顔を上げ、いつもの冷静な口調で返した。
「いや、君の親御さんの方が苦労してそうだなと思って。冷静さには欠けるし、口を開けば嫌味ばかり。魔術の才があっても、これじゃあな……」
「言うわね……このポンコツ理屈バカ勇者……!」
エリスがむっとして言い返すが、アルガスは眉一つ動かさない。
「そういうとこだよ」
軽口の応酬に、一同から笑い声が漏れる。その笑い声が焚き火の音に混じり、静かな山の夜に広がっていった。




