第21話 山越えの特訓
次の目的地エルミナに向けて、険しい山道を進むアルガスたち一行。日が傾き始めた頃、彼らは予定していた野営ポイントに到着した。背後にはこれまでの険しい道のりが広がり、前方には濃い緑の木々と小高い丘が続いている。
「思ったより早く着いたな」
アルガスが冷静な声で呟いた。
「よし、野営の準備だ!」
グレオは大声を上げると、大きな荷袋をどさっと下ろし、薪集めに向かおうとした。しかしその瞬間、エリスがふと足を止めた。
「……ん?」
視線の先には、小柄な魔物が茂みから顔を覗かせていた。丸っこい体に細長い尾を持ち、どこか間の抜けた顔つきをしている。
「いいこと思いついた」
エリスは口元に笑みを浮かべ、ロッドを取り出す。
「<アース・バインド>」
地面がざわりと動いた次の瞬間、無数の蔓が魔物を絡め取り、締め上げた。
「はい、捕獲完了っと」
「何してるんだ?」
アルガスが声を上げて振り返ったが、エリスは蔓でぐるぐる巻きにされた魔物を指差し、得意げに笑う。
「予定より早く着いたんでしょ?暇つぶしよ。この魔物を使って魔法の特訓をしてもらうわ。アルガス、ミーア、あんたたちの力を見せてみなさい!」
「おお、いいじゃねえか!やってみろよ!野営準備は俺に任せとけ!」
グレオは『特訓』という響きにテンションを上げ、笑顔で声を上げる。
しかし、アルガスは腕を組み、冷たい目で魔物を見つめた。
「無駄なことを……あの魔物は人を襲わない。倒す意味がない」
「屁理屈こねてないでやりなさいよ。あいつは作物を荒らす害獣なのよ。一番強い魔法を見せてみなさい」
エリスは完全に楽しそうだった。
「エリスさん……最近、理論武装が冴えてますね」
「あんたがそれ言う!?」
ミーアが感心したように呟くと、エリスはすぐに振り返って言い放つ。ミーアが曖昧に笑うと、エリスは少しむっとしながらも前に向き直りロッドを振った。
「いいから始めるわよ!まずはアルガスから!」
仕方なく荷物を下ろしたアルガスは、やや不満げに手を構えると詠唱を始めた。即座に魔力が指先に集中し、風の矢を形作る。
「<ウィンド・アロー>」
矢は魔物に向かって飛んだが、その威力はお世辞にも強いとは言えなかった。かすかに当たった魔物は、目をパチパチさせただけで特にダメージも受けない。
「はあ!?弱っ!」
エリスが叫び、額に手を当てる。
「しかも一番強いのって言ったよね!?何で<アロー>打つかなあ?初歩の初歩じゃないの!」
「これしか使えないんだ」
アルガスは淡々と答える。
「なんで一つしか使えないのよ!……せめて剣を媒介にしなさいよ。収束するから威力が上がるわよ」
「魔力が低すぎて、剣を媒介にすると弾かれる」
「弾かれる……?えっ、そんなことあるの!?」
エリスは口に手を当て、心底信じられないという顔をした。
「装備による底上げもできないってこと!?こいつほんとに『勇者』!?成長の見込みがないわ!」
エリスは頭を抱え、地面にしゃがみ込む。
「なんでこんなボロクソに言われなきゃいけないんだ」
アルガスは腕組みしながら苛ついた声で呟いた。
気を取り直したエリスは立ち上がり、言う。
「次、ミーア!行きなさい!」
ミーアは驚きながらも、慎重に杖を構え、詠唱を始めた。しかし――
(長いな……)
(長いわね……)
その詠唱は丁寧すぎるほど丁寧で、一語一語がまるで歌を紡ぐかのようだった。
「<ウォーター・ランス>!」
だが、発動された魔法は圧倒的だった。無数の水の槍が空間に生まれ、渦を巻くように魔物へ向かって突き刺さる。その衝撃で魔物は粉々に砕け、周囲の土まで抉られていた。
エリスとアルガスは、その威力に目を見開き、呆然と立ち尽くす。
「つっよ……」
アルガスが思わず声を漏らす。
「えっ……強くない?<ランス>ってこんなに威力出る?」
エリスも信じられないという風に呟いた。
「なんで戦闘で使わないのよ?」
ミーアは恐縮しながら答える。
「私、詠唱が遅くて……属性魔法は特に、実戦ではほとんど使えないんです」
「……確かに、57.24秒もかかっていたな」
「細かいな……」
アルガスが顎に手を当てながら冷静に指摘すると、エリスが半目で睨みながら突っ込んだ。
「詠唱を早くするにはどうすればいいんですか?」
ミーアが不安げに尋ねると、エリスは目線を泳がせながら、手を動かす。
「ええ?っと、そらあれよ、詠唱中に……魔力をこう、ぎゅーっと細くして……」
「ぎゅーっ……?」
ミーアが眉根を寄せて首を傾げていると、アルガスが横から口を挟んだ。
「理論の方が分かりやすいか?」
アルガスは木の枝を拾って、手頃な大きさに折る。
「詠唱式では、魔力の回路を通す際に位相調整が必要なんだ」
そう言いながら彼はしゃがみ込み、地面に図を描き始めた。
「ウェルズ回路の動作を最適化し、MOC回路で魔力の余剰を循環させる。このとき、魔法陣の形成速度は回路間の魔力量調整に――」
「ああああああ!やめなさい!それを言い出したらドツボにはまるのよ!」
エリスが髪をかき乱しながら叫ぶ。
しかしミーアは彼の横にしゃがんでじっと聞き入っていた。そして、解説の合間にふと手を挙げて質問した。
「あの……それなら、MOC回路と補正値のバランスが悪い場合はどうなりますか?」
アルガスは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに目を細めて木の枝を軽く振る。
「ああ、いい質問だ。もし補正値がずれると、魔力の流れが滞って形成速度が低下する。それを防ぐためには回路の調整に加え、補正値を詠唱中に動的に調整する必要があるんだ」
「なるほど……!じゃあ、この動的調整は魔力制御をどう――」
ミーアの目は輝き、次々と質問を重ねる。アルガスもその全てに答え、どんどん話が盛り上がっていった。
「……なんか、魔法って大変なんだな」
様子を見に来たグレオが呟く。
「普通は、あんな理論までいちいち考えないわよ……あの理屈バカだけだって」
エリスは呆れた顔で呟いた。
「いや、ミーアも同類か……まあ、理解に繋がるならそれでいいけど……」
エリスの目線の先には、立ち上がって杖を構えるミーアと、それを見守るアルガスの姿。
「アルガスもねえ……あれだけ理解してるんだから、魔力さえあれば良い魔術師になれるのに……勿体無い」
エリスの呟きは、山から吹き下ろす風に消えていった。
夕日が差し込む野営地。魔物を相手にした特訓を終えた一行は、次なる冒険へと向けて準備を進めていた。焚き火がゆらゆらと揺れ、静かな夜が訪れようとしていた。




