第20話 ラグスノールからの旅立ち
ラグスノールの朝は、豊かな穀倉地帯を照らす陽光と共に始まる。アルガスたち一行は街の門前に立ち、旅立ちの準備を整えていた。背後にはソルバン商会の馬車が待機し、荷物が積み込まれている。
「もう発たれるのですね……」
ソルバン商会の会長バートラムが、どこか寂しげに一行を見つめる。
「各地の魔物被害の調査をしないといけませんので」
アルガスは淡々と答えた。その声には迷いのない決意が込められている。
「ですが、わざわざ山を越えてエルミナに行く必要があるのですか?」
バートラムは一縷の望みを込めて問いかける。
「魔物被害の報告は増えていますからね。エルミナも、その先のティルヴァランも含めて、早急に確認が必要です」
アルガスは答えながら、馬車へと視線を向けた。
「麓までの馬車も手配していただきましたし……エルミナには、3日もあれば着くでしょう」
バートラムはしばらく言葉を飲み込むようにしていたが、やがて諦めたように小さく息をついた。
「ネイヴァスは黙秘を続けています。ですが、ラグスノールに平和を取り戻せたのは皆さんのおかげです。感謝しています」
「それは会長の協力あってこそです」
アルガスはそう言って微笑んだ。
バートラムはふと目を細めると、軽く笑みを浮かべて言った。
「勇者殿は商人の素質がおありでは?論理的で、冷静で、人の心を掴む話術もお持ちです。もし冒険者を辞める日が来たら、うちの商会にいらしてはいかがです?」
「……遠慮しておきます」
アルガスはそう答え、冗談交じりの口調で続けた。
「商人の駆け引きには向かない性分ですので」
そのやり取りにエリスが吹き出した。
「向いてそうだけどね。取引相手を全員、理論で蹴散らして追い詰めそう」
「やめてくれ」
アルガスは呆れ顔で手を振った。
「道中、お気をつけて。光のご加護がありますように」
バートラムの祈りの言葉を背に、一行はラグスノールを後にした。
***
馬車の車輪が石畳を転がる音だけが響く中、エリスが口を開いた。
「ネイヴァス、黙ってるのも無理ないわね。あの小物っぷりじゃ、自分で全部仕切る度胸なんて無さそうだもの」
「誰かに指示されていただろうな。あの魔術を使って混乱を起こし、どこかに逃げる算段だったのなら……近隣の街に手がかりがあると睨んでいるんだが……」
アルガスは腕を組みながら答えた。その目は、すでに次の一手を考えているようだった。
「絶対に黒幕はいるわ。あんな高度な記述式魔法の作成なんて、かなり高位の魔術師じゃないとできないし」
「エリスはできるのか?」
グレオが尋ねる。
「かなり専門的だから無理よ。やっぱり、教会か魔術師ギルドかしらね……もしかすると魔王の可能性も?」
「教会も……怪しいんですか?」
ミーアが困った顔をしてエリスを見た。
「教会が無関係だと断言するのは難しいな。ミーアを追いかけてこない点も不自然だ」
アルガスはミーアに目を向ける。
「出る時に手紙を置いてきたので、それで納得したのかと……」
「律儀ね……」
エリスが皮肉っぽく笑う。
「しかし、それくらいで『託宣の神子』が出奔するのを許すのか?」
アルガスの疑問に、ミーアはしばらく沈黙した後、ポツリと呟いた。
「中央教会は、私にはあまり興味がないようで……」
「興味がない?」
エリスが怪訝な顔で聞く。
「私は見習い神官で、権力もなく、能力も低いですし……神託で選ばれた勇者も、ちょっとアレで……」
その返答を聞いたアルガスの顔が固まる。
「アレで悪かったな……!」
「うわ、ミーアがエリスみたいになってるぞ」
「流れが私より辛辣だわ……!」
「教会から見ると、ですよ!」
困ったように笑うミーア。
「とにかく、教会の旗印とするには、私は期待外れなんです」
「……なるほど。民衆を扇動できる『勇者』はまだしも、求心力の低い『神子』は特に必要としていないと……」
気を取り直したアルガスは、頬杖をつきながら呆れたように呟く。
「そういえば、あの魔法陣の魔力を解析できたのも、『託宣の神子』の力なのか?」
グレオの疑問に、ミーアは首を傾げて答える。
「うーん、どうなんでしょう。伝承には、あまり神子の力は記載されていないんですよね……それに、あんな解析をしたのは初めてで……」
「ベタだけど、そういう能力って狙われるんじゃないの?」
エリスのその言葉に、アルガスの眉がわずかに動いた。
「なら、なおさら1人で動くのは控えるんだな」
「はい、気をつけます」
ミーアが微笑みながら答えると、アルガスは窓の外に視線を移す。会話が途切れた馬車の中で、彼はただ遠くを見つめていた。
***
遠く北の果て、魔王城。
黒雲が渦巻き、雷鳴が轟く。荒涼たる大地の上にそびえ立つ漆黒の城。その玉座の間に、魔王が静かに佇んでいた。
「魔王様……『勇者』が現れ、ここを目指しているとのことです」
報告に来た部下は、顔を伏せたまま、ひどく緊張した声で伝える。
「そうか……」
魔王の低く響く声が、玉座の間全体を揺らす。
その顔には笑みが浮かんでいた。その笑みには、喜びと哀愁、そして何か果てしないものが混ざり合っている。
「楽しみだ……ここは、静かすぎるから……」
魔王は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。外に広がる雷光を見つめるその瞳は、不思議なほど澄んでいた。
魔王はその景色を見つめながら、何かを深く考えているようだった。
そして、一言、静かに呟く。
「待っている、勇者よ――」
その言葉と共に、雷鳴が轟き渡り、魔王城の暗闇が深まっていった。
***
アルガスたちを乗せた馬車は、山の麓で止まる。その先には険しい山道が続いていた。
「ここからは徒歩ですね」
小さく呟いたミーアに、エリスが怪訝そうに問いかける。
「なんかミーア、荷物大きくない?」
「えっ、そうですか?」
「本当だな、重かったら持つぞ?」
グレオが心配そうに声をかける。しかし、ミーアは背荷物を支え直しながら、少し嬉しそうに微笑んだ。
「大丈夫です!」
そんなやり取りを見て、アルガスは少しだけ口元を緩ませる。
旅の始まりには軽い荷物しか持たなかったミーア。だが今は、しっかりとした装備を背負っている。それは彼女が仲間として認められ、自信を持ち始めた証のようにも見えた。
アルガスは、目の前の山々に視線を戻す。
「エルミナへの道は簡単じゃない。けど、僕たちは必ず辿り着く。この旅の意味と――その先にある答えを見つけるために」
彼の言葉に、一行はそれぞれ頷き、山道へと歩を進めた。
この山を越える旅は、彼らに力を与え、絆を深めさせるものとなる。
ラグスノール編、完結です。まだまだ旅は続きます。
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