第16話 ミーアの反撃
数年前――某所にて。
ネイヴァスは薄暗い部屋の中、机を挟んで『誰か』と対峙していた。
「この術式を有効に使うんだな。魔物を呼び寄せるのに最適だ」
その男は無造作に羊皮紙を机に置いた。ネイヴァスは視線を落とし、それを凝視する。
「術者は三流を選べ。魔力操作に長けた者ほど痕跡が残りやすい……まあ、私ほどになれば隠蔽すら造作もないがね」
薄ら笑いを浮かべるその男を、ネイヴァスはじっと見つめる。
「……この痕跡、本当に追えないのですか?」
不安を隠しきれずに尋ねるネイヴァス。しかし、男は鼻で笑った。
「心配性だな。こんな微弱な残留魔力を追える者など存在しない。神に愛された――いや、神そのものが祝福した特別な術師でもなければな」
皮肉げに言い残し、男は椅子を引いて立ち上がる。
「安心しろ。道具は使い捨てに限る。だが――お前は違うだろうな?」
最後にそう告げると、男は闇に溶けるように去っていった。
***
そして現在――ラグスノール商業連合議会
「ネイヴァスさん。私からも、少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ミーアの発言により、議場は再びざわめきに包まれた。
「ほう?」
ネイヴァスは余裕の笑みを浮かべたまま、軽くうなずく。
「どうぞ、何なりと」
ミーアは一歩前へ進み、アルガスの隣に並んだ。アルガスは、困惑の表情で彼女を見つめる。
ミーアは小柄な体を精一杯伸ばし、毅然とした態度で問いかけた。
「そちらの魔法陣について、随分とお詳しいですね?」
ネイヴァスは即答する。
「ええ、商売柄、古い術式や暗号技術については多少の知識があります」
ミーアは一瞬言葉に詰まるが、すぐに立て直して続ける。
「では……アルガスが『魔物を誘導する魔法陣』と言ったのに、貴方は『魔物を呼び寄せる魔法陣』と表現しましたよね? 似ていますが、意味は異なります」
その指摘に一瞬ネイヴァスは眉を上げるが、余裕の態度を崩さなかった。
「同じことですよ。表現の違いです。揚げ足取りはやめていただけますか?」
ミーアは表情を引き締め、さらに問い詰める。
「魔法陣の残留魔力についても触れていましたよね? 商人である貴方が、なぜ今ではほとんど使われない記述式魔法の特性に詳しいのですか?」
「……取引先に魔術師もいますし、業務上、魔法に関する基本的な知識は押さえています。それ以上の意味はありません」
ネイヴァスは冷静に即答した。ミーアは口をつぐみ、一瞬視線を泳がせる。
「無理だ、ミーア。魔法陣の使用者が分からなければ、カロンド商会と結びつけることは……」
アルガスが小声で嗜める。しかし、ミーアは引かなかった。
「……ミーア?」
その瞳には今までにない光が宿っていた。
その視線を正面から受け止めつつ、ネイヴァスは余裕の表情を崩さない。
(彼らに決定的な証拠はない。このままなら押し切れる……!)
勝利を確信したネイヴァスが、笑顔で宣言する。
「さて、議論を進めたければ、魔法陣の魔力を解析してからお願いいたします」
それは議論を終わらせる一言――の、はずだった。
ミーアは手にした羊皮紙をそっと撫でた。震える指先を抑えつつ、心の中で呟く。
(少し……足りないけれど。アルガス様ならきっと……)
小さく息を吸い、覚悟を決めた瞳でネイヴァスを見据えて口を開いた。
「はい。では、解析結果をお話ししますね」
「…………は?」
「…………え?」
ネイヴァスとアルガスが思わず声を漏らす。それは、先ほどまでの白熱した議論を行なっていた時とは打って変わった――間抜けな声だった。
ミーアは手に持っていた羊皮紙を掲げる。その瞳には確かな決意が宿っていた。
「この魔法陣に残された残留魔力を解析しました。そして、全ての魔法陣について、使用者の魔力波長が貴方の商会で雇用している魔術師、マクレン・ハワード氏と一致することを突き止めました」
ミーアは冷静な声のまま、さらに続ける。
「さらに魔法陣の発動時期は、襲撃事件の日と一致しています」
議場が静まり返る中、グレオが驚きの声を上げた。
「マジかよ!? 解析って、いつの間に?それにエリスは絶対無理って――」
「ちょっと黙ってなさい! 邪魔!」
エリスがグレオの口を押さえながらも、目はミーアに釘付けになっていた。
「でも、本当にやったの? あんな微弱な魔力を……解析なんて、正気?」
「……はい」
ミーアは少し恥ずかしそうに振り向きながら答える。
「こういうの……得意みたいです」
「ったく……昨日はこれやってたのね……!やるじゃないの……!」
エリスは呆れたようにため息をつくが、その口元にはわずかに笑みが浮かんでいた。
「マクレン・ハワード……!?」
アルガスが目を見開き、傭兵名簿と帳簿の記録を思い返す。
「マクレン氏は数年前からカロンド商会に雇われ、継続的に報酬を受け取っていることも確認済みです」
ミーアは持っていた帳簿を机に置き、断言した。そして、アルガスの目を見て力強く言う。
「証拠は、ここに。あとは――アルガス様なら、勝ち取れるはずです」
アルガスはそれに頷き返すと、ネイヴァスに向き直る。その目には、再び強い光が宿っていた。
「ネイヴァス殿。あなたの商会に所属する術者が魔物を呼び寄せる術式を使用した。この事実をどう説明しますか?」
ネイヴァスは額に浮かんだ汗を拭うこともできず、視線を泳がせた。
「そんな馬鹿な!その術式は……いや、そもそもあの残留魔力が特定できるはずが……!」
ネイヴァスは机に手をつき、声を荒げた。だが、その声にはすでに自信の欠片も残っていない。
「あれを解析できる者などいないと……!」
取り乱し、叫ぶネイヴァスは、ミーアを見て何かに気づく。
「勇者と共に行動する……ま、まさか……神の……『託宣の神子』……?」
「マルクス氏を呼んでいただければ、実際に魔力波長が合致することをお見せできますが、どうされますか?」
ミーアは冷静に、畳み掛けるように説明する。ネイヴァスは明らかに動揺し、声を詰まらせた。
「な……何かの誤解だ!魔導師の個人的な行動であり、商会とは無関係だ!」
「今、あなたは言いましたね。『魔力を解析できる訳がない』。なぜそんなことが言い切れるんです?それに、今までの証拠の数々……言い逃れできるとお思いですか?」
アルガスの冷静な声が議場に響く。
ネイヴァスはさらに追い詰められた表情を浮かべながら必死に反論する。
「しかし、それが私の指示だという証拠はない!」
アルガスは机に手をつき、低く響く声で口を開いた。
「ラグスノール商業憲章、第16条――代表責任条項」
重く、冷たい空気が議場を包む。誰も息をする音すら立てない中、アルガスは静かに続けた。
「『商会は所属する契約者の行動について責任を負う。』」
重い一言が響き、議場の空気が一瞬で凍りつく。誰もが息をのむ中、アルガスはその鋭い眼光を突き刺した。
「商会内で行われた犯罪行為である以上、責任は――商会長である貴方にある」
その言葉に、議場は再びざわめき始める。疑惑の視線がネイヴァスに注がれ、低い怒声が飛び交い始めた。ネイヴァスの余裕の表情は完全に崩れ、彼を取り囲む空気は冷たく変わっていった。
「……そんな馬鹿な話が通ると思うな……!」
声を震わせながらも、ネイヴァスは背後に視線を送る。
(まだだ……まだ逃げ道はあるはずだ……!)




