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第3話 魔術師エリス

 酒場でエリスと対峙しながら、アルガスは思考を巡らせていた。


(事前に調べた情報からすると、彼女はグレオと組んで高難易度の依頼をいくつもこなしており、実力は申し分無い。こちらから頭を下げてパーティ入りしてもらいたいくらいだが――)


「へえ……この天才魔術師エリス様が『要らない』と。どういうつもりで、それ言ってんのかしら?」


 エリスの声音には笑みが混じっていたが、瞳の奥はまるで試すように冷たく光っていた。カウンターの奥にいた老マスターが、一瞬だけ手を止めてこちらに視線を向けるほど、空気が張り詰める。


(この高圧的な性格が懸念点だ。こういう自信家は……一度、『折る』)


 作戦を確定させたアルガスは、一度息を吐いた後、口を開いた。


「君の実力は評価している。だが、冷静さを欠いた行動は、チームにとって致命的だ」


 彼の言葉には微塵の躊躇もなかった。エリスは目を細め、声を低くして問い返す。


「冷静さを欠く? それ、具体的にどういうこと?」


 アルガスはまっすぐ彼女を見据えた。


「三ヶ月前のウルフ大討伐――広範囲魔法で味方が巻き込まれた件を覚えているか?」

「三ヶ月前……?」


 エリスは眉をひそめ、記憶を探るような仕草を見せた。そして、ハッとした表情になる。


「あ、あれは……囲まれて、色々と大変だったからで……!」

「そう、状況が複雑だった。それこそ、冷静さが求められる場面だ」


 アルガスは間髪入れずに言葉を重ねた。


「その時、敵を一掃することに集中するあまり、君は仲間の位置を確認しなかった。それが結果的に、味方の負傷につながった」


 言葉は鋭く、的確だった。酒場の喧騒が遠のき、まるでその場に冷たい霧が立ち込めたかのような静寂が流れる。


 エリスは思わず口をつぐんだ。言い返そうとした言葉が、喉の奥で詰まる。悔しさと恥ずかしさが入り混じった表情が、一瞬だけその整った顔に浮かんだ。


 しかし、すぐに顎を上げると、いつもの強気な口調で応じた。


「……いいわ。私の実力を見れば、嫌でも認めるでしょ」

「おいおいエリス。ここじゃ流石に――」


 グレオが止める間もなく、彼女は右手を掲げた。


 その刹那――空気が震え、凍りついたかのように重くなった。周囲の笑い声も途切れ、冒険者たちは思わず会話を止めて彼女の動きに視線を集めた。


 エリスが深く息を吸い込み、指先を軽く動かすと、掌に魔力が凝縮されていく。


 青白い球体がふわりと浮かぶ。紅蓮の火、蒼の氷、翠の風、紫電、漆黒、白光、褐色の大地――八つの魔力球が、一糸乱れぬ軌道で彼女の周囲に展開した。


 まるで計算された軌道を描く彗星のように、それぞれの魔力が互いに干渉することなく、美しく回転を続ける。圧倒的な魔力にも関わらず、空間は暴れない。酒場の空気が、ただ静かに震えていた。


 冒険者たちの間から驚きと興奮の声が漏れ始めた。


「す、すげえ……! ありゃ、全属性魔法か!?」

「しかも、あれだけ緻密に……!」


 周りのざわめきに、エリスは少しだけ目を細めて言い放つ。


「制御不能な魔力なんて、ただの暴力と同じ。美しくなきゃ、魔法じゃないわ」


 やがて彼女は魔力球を一つずつ指先で弾くように消していく。火、氷、雷、闇……一つ、また一つ。


 残ったのは、淡く銀緑に揺らめく風属性の魔力球、ただ一つ。


「……見てなさい」


 その言葉とともに、彼女の指が軽く動いた。


 次の瞬間。


 ――ヒュッッ!


 鋭い風の刃が、空間ごと引き裂くような速度でアルガスの方へ放たれた。その軌道は、まるで“線”のように精密だった。紙一重の距離でアルガスの頬をかすめ、数本の黒髪だけを正確に切断して宙に舞わせた。


 ぴたりと止まる風。騒がしさは一切ない。ただ、静かに、恐ろしく正確に放たれた魔法。


 その一撃に、アルガスはほんの一瞬だけ――目を見開いた。


 冷静さの仮面を一瞬だけ破ったその視線。エリスは胸を張り、勝ち誇ったように言い放つ。


「――私の魔法が危険だと思った? 残念ね。今の、『絶対に頬をかすめる』ように調整して撃ったんだけど?」


 周囲から驚きとざわめきの声。


 アルガスは無言のまま、頬を指でなぞる。指先に血は付着せず、切られた髪が一筋絡まっているだけだった。


「……なるほど。確かに、制御は完璧だ」


 しかし次の瞬間、視線を鋭く戻す。


「だが――僕が問題にしているのは、魔力の制御じゃない」


 その一言で、場の空気が再び張りつめる。


「問題なのは、その場の空気も、目的も無視して『見せつけること』を選んでしまった君の判断だ。……それが、『冷静さを欠いた行動』だと言っている」


 エリスの目の奥が、わずかに揺れる。アルガスは続けた。


「力の精度ではなく、その力をどう使うかという『選択』の部分に、君の危うさがある」

「うっ……」


 エリスは唇を噛み、視線を伏せた。だが、握り締めた拳の指先がわずかに震えていた。アルガスはさらに続ける。


「今回の旅は、単なる魔物討伐ではない。この国の――いや、世界の命運を左右するかもしれない重要な任務だ。些細なミスが命取りになる」


 エリスは俯いたまま、声を絞り出す。


「そ、それでも、私は……!」


 拳をぎゅっと握りしめたエリスの肩が、小刻みに震えている。酒場の冒険者たちは二人のやり取りに注目していたが、誰一人として口を挟む者はいなかった。


 その時、グレオが大きな手を振りながら間に割って入った。


「おいおい、二人とも落ち着けよ」


 グレオはエリスに軽く目配せをしてから、アルガスの肩をポンと叩く。


「なあ、アルガス。エリスはあんな言い方してたけど、本気でこの旅に参加したいんだ。パーティなんだからさ、欠点は補い合えばいいだろ? 俺とお前だってそうじゃねえか?」


 陽気な声に、エリスが驚いたように顔を上げる。グレオは微笑みながら続けた。


「それに、お前の言う『冷静さ』だって、旅の中で鍛えればいいんじゃねえか?」

「鍛えれば、か」


 アルガスは顎に手を当て、少し考え込む。その間、エリスは心なしか不安そうに彼を見つめていた。


 やがて、アルガスは静かに息を吐いた。


(……やはり、試して正解だったな。彼女の魔法は制御も練度も見事だが、それ以上に――感情に流されやすい傾向が強い。今のやり取りで、それを自覚できたかどうか)


 彼はエリスを見据え、淡々と告げる。


「分かった、認めよう。君の力は必要だ――だが条件付きだ」


 エリスが身を乗り出す。


「条件?」

「旅の間、冷静さを欠いた行動を取った場合――その責任は君自身に取ってもらう。どういう形であれ、な」


 一瞬の逡巡の後、エリスは力強く頷く。拳を胸の前に握り、まるで決意を形にするようだった。


「いいわよ。約束する!」


 アルガスは、その眼差しを真正面から受け止める。


 だが、不意にその視線を逸らした。


「なら……手始めにアレからだな」

「『アレ』って?」


 アルガスは、首を傾げるエリスの背後を見やった。


「さっきの魔法騒ぎのせいで、酒場のマスターがすごい形相で睨んでいる。謝罪しておくことだ」

「あっ……」


 エリスは一瞬固まり、それから勢いよく振り返る。


「マスター、ごめん! 何も壊してないから! いや、そういう問題じゃないわよね!? と、とにかく、今のは――!」


 慌ててカウンターの奥へ走っていくその背中を見ながら、アルガスとグレオは顔を見合わせ、肩をすくめた。



***


 外が暗くなり始めると、酒場は一気に混み始めた。


 今日の成果を祝ってグラスを掲げる者、仲間と報酬の分配をしている者、そして次なる依頼を求めて掲示板を真剣な眼差しで見つめる者たち。賑やかな笑い声、足音、グラスの音――それらが混ざり合い、いつもの喧騒が戻ってくる。


 だが、アルガスたちのテーブルだけは別世界のように、落ち着いた空気に包まれていた。アルガスは静かに椅子に身を預けながら、エリスへ話を振る。


「君の評判は聞いていたが、全属性の魔法を扱えるとは知らなかったな」

「全属性って、そんなにすごいのか?」


 グレオがきょとんとした顔で尋ねた。


「ああ。一つの属性をまともに扱うのに十年はかかると言われている」

「えっ、じゃあ……もしかしてエリスって、八十歳ぐらいなのか?」

「そんなわけないでしょ!?」


 困惑の表情になったグレオに、エリスはすかさず突っ込みを入れた。


「……なぜそこまで魔術を極めたんだ? 普通の魔術師なら、得意な二、三属性に絞るものだろう」


 アルガスの純粋な疑問に、エリスは肩をすくめて答える。


「特に理由なんてないわ。ただ、昔から色んな魔法に興味があっただけ。せっかく魔法が使えるんだもの、全部使えた方が面白いじゃない?」

「……その好奇心だけで、ここまでの成果を出したのは見事だな」


 アルガスが感心するように呟くと、グレオが思い出したように口を挟む。


「けどエリス、普段は炎ばっかり使ってるよな? この前の討伐だって、派手な火柱で全部燃やしてただろ」

「直感的に使いやすいのよ。一番威力が出るし、見栄えもいいし。討伐に向いてると思わない?」


 エリスは悪びれる様子もなく笑う。


「……魔物討伐に慣れた、剛腕の剣士と天才魔術師か。敵への対処は問題なさそうだな」


 アルガスは少し考え込むように呟き、目を伏せた。そのままふと思い出したように顔を上げ、エリスに問いかける。


「そうだエリス、治癒魔法は使えるか?」


 彼女はわずかに眉をひそめて答える。


「初歩的なのは使えるけど……正直、得意じゃないわね。私、火力重視だから」


 アルガスは頷き、今度は隣のグレオに目を向ける。


「一応聞くが……グレオは?」


 彼は自信たっぷりに胸を張り、豪快に笑った。


「俺は、魔法はてんで使えねえ! アルガス、お前は少し使えるんだろ? 」

「……ささくれを治せる程度だぞ。そんな腕で何をどうしろと言うんだ」


 アルガスは遠い目をしながら短くため息をついた。


「今回の任務は長丁場だ。万全を期すためには、回復の専門家が必要だな」


 アルガスは静かだがはっきりした口調で言い切った。そんなアルガスを見て、エリスは腕を組み、考え込むように首をかしげた。


「冒険者で回復専門なんて珍しいわよ。教会に行って探すのが一番手っ取り早いんじゃない?」

「教会……か」


 アルガスは一瞬だけ目を伏せ、表情をわずかに曇らせる。それに気づいたグレオは、怪訝そうに眉をひそめた。


「どうしたんだ? 神託で選ばれた勇者なんだから、教会も全面的に協力してくれるだろ?」


 アルガスは手元に視線を落とすと、低い声で呟いた。


「『神託で選ばれた』のは事実だが、教会が僕を支持しているかどうかは別問題だ。少なくとも、円満な関係ではない」


 その言葉に、エリスが身を乗り出して問いただす。


「なによ、それ。答えになってないわよ。教会と何か問題でもあったの?」


 アルガスは珍しく返答に詰まり、目を逸らした。


 そんな時、掲示板の前に立つ少女の姿が目に入った。淡い色のローブがかすかな光を反射し、どこか儚げな印象を漂わせる。しかし、その瞳はまるで全てを見透かすかのように静かな光を宿していた。酒場の喧騒の中で、彼女だけが切り離された存在に見えた。


 アルガスは目を細め、静かに椅子を引いて立ち上がった。


「あの子は、神託の時の……なぜここに……?」


 低く呟いたその声には、戸惑いと驚きが混じっていた。エリスとグレオが驚いたように彼を見上げる中、アルガスは少女の方へゆっくりと歩き出した。


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