第14話 ラグスノール商業連合議会
朝日が街を照らし始めた頃、アルガスたちはラグスノールの商業連合本部へと向かっていた。整然とした街並みの中、穀倉地帯の繁栄を支える重要な議論が行われる場へと足を運ぶ彼らの表情には様々な感情が入り混じっていた。
「ミーア、朝飯はちゃんと食ったか?」
「え……?あっ、はい!グレオさんがくださったパン、食べましたよ。柔らかくてとても美味しかったです」
「な!あれ、美味かっただろ?宿の近くの広場の店でさ、結構人気らしいんだ。他にも串焼きの屋台とかあってさ、会議が終わったら食べに行こうぜ!」
たわいもない会話が続く中、エリスは少し前を歩きながら、険しい顔つきで小さく息を吐いた。
「緊張感のない奴……」
背後の2人を一瞥すると、アルガスは低い声でエリスに話しかけた。
「……昨日、ミーアはどうだった?」
エリスは小さく肩をすくめ、声を抑えて返答する。
「私が部屋に戻って、少ししてから帰ってきたわ。でも、どこに行ってたかははぐらかされた」
「……そうか」
アルガスは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに前を向き直った。
ラグスノールの中心に位置する重厚な建物。商業連合の本部には、街を支える有力な商会の代表や使者たちが次々と訪れていた。アルガスたち一行が職員に案内され建物内を進み、議場へと到着する。中に入ると、大勢の商人たちが中央の円卓を取り囲む形で座っており、それぞれが談笑したり書類を整理したりしていた。
視線が一斉にアルガスたちに向けられる。会場の緊張感が一段階高まるのを、アルガスは肌で感じ取った。
「アルガス様、こちらの席へどうぞ」
職員に案内されたのは、中央の円卓だった。そこは重要な人物が座る席であることが一目で分かる場所だ。アルガスは静かに頷き、ゆっくりと席に着く。その動きには、わずかな迷いも感じさせない。
そして他の3人は彼のすぐ後ろの席に通された。ミーアは席に着くとすぐに帳簿を開き、視線を落とした。彼女の、ページの端を指でなぞる仕草には、迷いと同時に何かを決意したような力強さがあった。その様子を見てエリスは口を開きかけたが、何かを察して前に向き直った。
アルガスの隣には、ソルバン商会のバートラム会長が座っていた。彼もまた、この議会に重要な利害関係を持つ人物の一人だった。整然とまとめられた白髪混じりの頭と、真剣な表情が目を引く。
「アルガス殿、来ていただき感謝します」
バートラムは穏やかな声で短く挨拶をし、わずかに視線を送ってきた。アルガスは軽く頷き、その視線を受け止める。
「お力になれれば幸いです」
小さな言葉を交わしただけだったが、その間に確かな信頼が行き交った。バートラムの目には、彼が何としても状況を打開しようとしている意志が見て取れた。
やがて、議長を務める初老の商人が席から立ち上がり、ゆっくりと開会を宣言した。
「これより、緊急議会を始める。議題は物流ルートにおける魔物襲撃問題と、それに関連する諸課題だ」
商業連合の職員が現状の説明をする中、カロンド商会の代表ネイヴァスはどっしりと椅子に座り、余裕の笑みを浮かべていた。その表情には、自信と威圧感が同時に漂っている。
「そして本日は、王国からの特使である勇者アルガス殿がこの場に招かれています。アルガス殿、この問題に関するお考えを伺いたく存じます」
商人たちの視線が一斉にアルガスに注がれる。
アルガスはゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。鋭い視線を一瞬だけ商人たちへ走らせた後、静かだが力強い声で口を開いた。
「まず、これだけははっきりさせておきます」
アルガスの声は低く冷静でありながら、その言葉には断固とした意志が込められていた。
「ラグスノールで発生している物流問題――魔物の襲撃は、単なる偶然ではなく、意図的に引き起こされています」
議場に緊張が走る中、アルガスはさらに続けた。
「これまでの調査において、現場の証言からも『魔物が誘導されているようだった』という声が多く上がっています。そして、その背後にはカロンド商会が関与している可能性が極めて高い」
一瞬、議場が静まり返った後、ざわめきが広がる。驚愕と戸惑いが混ざり合った商人たちの声が、波のように議場を満たす。
そのざわめきの中で、ネイヴァスが冷笑を浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
「面白い。勇者殿がどれだけ鋭い理論を持ち込むのか、興味深いものだ」
その声には明らかな挑発の色が含まれていた。
アルガスは動じることなく、冷静な目でネイヴァスを見据えた。
「では、順を追って説明しましょう」
***
アルガスは護衛雇用記録を取り出し、語り始めた。
「まずはこちらをご覧ください。これはカロンド商会の護衛雇用記録です。他商会と比較して、その規模は明らかに異常です。傭兵や出所不詳の者まで含まれており、その数は通常の商会の数倍にも上ります」
ネイヴァスは淡々と答える。
「何か問題でも?護衛を多く雇うのは、商会として当然の判断です。我々の規模を考えれば、より多くの護衛を必要とするのは自然なことではありませんか?」
アルガスはその言葉を否定せず、一瞬頷いて後ろのグレオに指示を出す。
「地図を」
「ほらよ!頼むぜ、アルガス!」
グレオが差し出した地図を受け取って広げながら、アルガスは再び語り出す。
「確かに、商会を守るために護衛を雇うのは当然ですね。では、次にこちらの地図をご覧ください」
彼は地図を指し示しながら話を続けた。
「これはカロンド商会の物流ルートです。このルートを見ると、襲撃が発生した地域を完全に避けています。事前に情報を得ていたとしか考えられません」
アルガスは、鋭い声で畳み掛ける。
「そして、襲撃を受けていないにもかかわらず、カロンド商会は多数の護衛を雇用し続けている。この点について、説明を求めます」
ネイヴァスは少し肩をすくめ、冷静に答えた。
「因果が逆ですよ、勇者殿。我々が雇った護衛が優秀だからこそ、襲撃を防げているのです。物流を守るために事前に調査し、安全なルートを選んだまでのこと。それを疑惑だと断定するのは、少々短絡的ではありませんか?」
アルガスの冷静な反論が続く中、議場の空気はますます緊張を増していった。
「確かに、護衛の雇用や安全なルートの選択は商会の自由です。しかし、問題はその動きが不自然に『的確すぎる』という点にあります」
再び後ろに指示を飛ばすアルガス。
「例の書簡と、昨年度の会計帳簿を頼む」
彼の指示に従い、エリスが資料を渡す。
「冷静にね、勇者様」
「君に言われたくないな」
エリスの軽口に少し口元を緩ませつつ、アルガスは前に向き直って書簡を示した。
「カロンド商会以外にも、いくつか被害を受けていない商会があります。この書簡にはそれらの商会代表との不審なやりとりが記載されています。そして、物流の混乱が深刻化していた時期に、これらの商会間で異常な規模の取引が行われていました」
ネイヴァスは落ち着いた声で返答する。
「物流が混乱していたため需要が高まり、結果として取引が活発になっただけです。市場原理を理解していれば当然の結果でしょう」
ネイヴァスが冷静に言い切ったその時、アルガスの隣に座るバートラム会長が、重厚な声で口を開いた。
「ならばネイヴァス殿。物流が混乱していた時期に、なぜカロンド商会だけが継続的に安定供給を維持できたのか。説明していただきたい」
その一言に、商人たちの間で再びざわめきが起こる。バートラムの声には、単なる疑問ではなく、確かな追及の意志が込められていた。
「我々ソルバン商会を含む多くの商会が、物流混乱による損失を受けている。それにもかかわらず、カロンド商会の取引量は増加し、利益が伸び続けた。この点について、納得のいく説明を求めます」
バートラムの冷静かつ的確な指摘は、商人たちの注意をネイヴァスに向けさせた。
ネイヴァスは一瞬、表情を硬くしたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。
「もちろんです。我々は需要予測に基づき、早期から対策を講じていたに過ぎません。その結果、物流混乱に備えた在庫を持つことができ、安定した供給を実現できたのです」
アルガスは、その隙を逃さず、冷静な声で畳み掛ける。
「それならば、その『対策』とやらの具体的な記録を提出していただけますね?在庫を補填した記録や、予測に基づく具体的な計画書を」
議場の商人たちは、一層の緊張を感じ取りながらネイヴァスを見つめた。その目は、カロンド商会の動きに疑念を抱き始めていた。
これを機に、アルガスは畳み掛ける。
「さらにもう一点。記載が曖昧な契約内容と資金の動き、カロンド商会の在庫記録を照らし合わせた結果、これらの取引において『実在しない商品』が数多く取引されていたことが明らかになっています」
議場の商人たちが息を呑む。
「実在しない商品……?」
その言葉に反応したのは、議長席の隣に座っていた一人の商人だった。その眉間には深いしわが寄り、険しい表情が浮かんでいる。
「それはつまり、架空の商品を利用して資金を動かしていたということか?」
「その通りです」
アルガスは頷き、視線をネイヴァスに向けた。その目には冷たい鋭さが宿っている。
「つまり、カロンド商会は架空の取引を利用して利益を操作し、それを魔物の襲撃による混乱に紛れ込ませていた可能性があります。そして、その資金の一部が――」
「待っていただきたい」
アルガスが言葉を続けようとした瞬間、ネイヴァスが手を挙げて遮った。その動きはゆったりとしているが、その目は鋭く、完全にアルガスを見据えている。
「勇者殿、あなたはまるで裁定官のように私どもを断罪しようとしているようだが、その根拠がまだ弱い。『可能性』で語られては、商人たちも納得できまい」
ネイヴァスの声には自信が満ちている。それを受け、商人たちの間からもざわめきが広がった。
「そうだ。証拠が揃わない以上、推測で動くべきではない」
「確実な裏付けがないなら、単なる風評被害ではないか?」
そんな声が飛び交う中、ネイヴァスはさらに続ける。
「『実在しない商品』とおっしゃいましたが、それは単なる『先物取引』ではありませんか? 未来の供給を見越して資金を動かすのは、商業の基本です。勇者殿には、この分野は少々難しいかもしれませんね……」
その言葉に、商人たちの間から小さな笑いが漏れた。アルガスはわずかに眉を動かしたが、表情を崩さずに応じた。
「先物取引ならば、それに付随する契約書や保証書が存在するはずだ。それらの提出を求めます」
アルガスは淡々と告げると、視線をネイヴァスに固定した。その静かな言葉には、疑念ではなく確信に近い響きがあった。しかし――
「もちろん、契約書はございます。ただ、それを公開する義務はありません。なにしろ、これはあくまで我々と取引相手の間で交わされたものですから」
ネイヴァスの返答は的確だった。議場の空気は彼に有利に傾き始めていた。
アルガスの後ろで、グレオが困惑したように呟く。
「ええと……途中から何言ってるかさっぱり分かんねえけど、大丈夫なんだよな?」
「ネイヴァス、口が達者すぎるわ……全部、切り返されるなんて……!」
エリスの視線はネイヴァスに向けられていた。その瞳には苛立ちと焦りが浮かんでいる。
グレオはそんなエリスをちらりと見て、ぽつりとつぶやいた。
「えっ、やばいのか?……いや、でもアルガスは平気そうだし……大丈夫、だよな?」
そんな2人の横で、ミーアは帳簿を見つめながら、小さく息を吐いた。震える指を止めるように強くページを押さえる。その瞳には迷いと、どこかで覚悟を決めた色が揺れていた。




