第9話 襲撃事件の謎を追え
グレオとミーアは、ソルバン商会の商人とともに、魔物襲撃があったという現場へと向かっていた。ラグスノールの豊かな麦畑が途切れた場所に広がるその荒れ地には、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。
「ここです。あの日は突然のことで、荷物もほとんど奪われてしまい……」
商人の一人が震える声で説明する。現場には壊れた荷馬車の残骸や散乱した木箱の破片、乾いた血痕が点々と残されていた。
「ひでえもんだな……大丈夫か、ミーア?」
「は、はい。大丈夫です」
ミーアの表情は固かったが、それ以上の決意が見て取れた。
「しかし、こんな有様じゃあ……もうろくなもんは残っちゃいねえか」
グレオがため息混じりに地面を見渡していると、何かがちらりと目に入った。近くに落ちていた紙切れだ。
「ん? なんだこりゃ?」
グレオはそれを拾い上げた。紙は薄汚れており、ところどころ破れている。かすれた文字が断片的に残されているものの、内容を読み取るのは難しそうだ。
「何か書いてあるが……さっぱりわからねえな」
彼は紙を回転させながら、文字列を睨みつけるように見つめた。
「少しお待ちください……この紋章、カロンド商会のものですね」
同行していたソルバン商会の商人が、紙の端に浮かび上がった紋様を指差して確認する。その声には驚きと不信が滲んでいた。
「カロンド商会は襲撃されていないという話でしたよね?どうしてこんな所に……?」
ミーアは不安げに首を傾げる。
「これって、カロンド商会が襲撃に関わってる証拠ってことか?」
グレオは紙切れを指で揺らしながら問いかけた。
「それは……証拠とは言えないかと思います。これだけでは確定できません」
ミーアが静かに首を振った。彼女の声には慎重さが滲んでいる。
「そうか……でも、これで怪しいってことくらいは言えそうだ。アルガスに見せりゃ、何か分かるかもな」
グレオが紙切れを畳むと、ミーアはふと顔を上げて商人に話しかけた。
「あの……襲撃があったとき、何か変わったことや気になることはありませんでしたか?」
その質問に、商人は少し驚いた様子で考え込み、やがて言葉を紡いだ。
「そういえば……魔物がまるで何かに導かれているようでしたね。一直線にこちらへ向かってきたのを覚えています。普通ならもっとばらけて襲いかかってくるはずなのに……」
その言葉に、グレオは腕を組み、険しい表情を浮かべた。
「魔物が誘導されてた、だと? そりゃどう考えても普通じゃねえ」
彼はミーアに視線を向け、力強く言った。
「紙切れも証言も、アルガスに持ち帰って突き合わせようぜ」
ミーアも頷き、小さな声で答える。
「はい……これが何かの手がかりになればいいのですが」
***
アルガスとエリスは、商業連合の記録室の中で膨大な帳簿や記録の山に埋もれていた。その部屋はほの暗く、棚には古びた革表紙の書類が無数に並んでいる。埃の匂いが鼻をつく中、2人はカロンド商会の動向を追っていた。
「護衛雇用の記録が多すぎるわね。これだけの人数を雇うなんて、ただの商会の規模を超えているわ」
エリスが帳簿を覗き込みながら指摘する。その声には警戒心が滲んでいた。アルガスはページをめくりながら冷静に言葉を継ぐ。
「それに、一部の記録が曖昧だ。特定の取引内容や資金の流れが意図的に隠されている」
「こんなにも不自然なのに……なんで今まで誰も指摘しなかったのかしら?」
エリスが眉をひそめながら呟く。
「バートラム会長の話では、カロンド商会はラグスノール最大規模の商会だ。街の経済の中核を握っている。その影響力を考えれば、表立って批判するのは容易ではないのだろう」
アルガスは視線を帳簿に落としたまま、淡々と答える。
「つまり、力がありすぎて誰も手を出せなかったってことね。嫌な感じ」
エリスが肩をすくめながらため息をつく。
「その牙城を崩すためには、決定的な証拠が必要だな……」
アルガスは帳簿を閉じると、机に肘をつきながら低く呟く。その眼差しには鋭い光が宿っていた。
***
ラグスノールの中心部に位置する宿屋。ソルバン商会が手配したその宿は、清潔で落ち着いた雰囲気が漂い、豪華ではないが旅の疲れを癒すには十分だった。アルガスたちは簡素な一室に集まり、それぞれの調査結果を持ち寄って議論を始めた。
「襲撃現場をいくつか回ったが、特にこれといった特徴はなかったな。地形的に魔物が集まりやすい場所でもねえし、何か仕掛けがあるわけでもない。まあ……気になることがひとつあるとすれば、これだ」
グレオは持っていた紙切れをテーブルに置いた。
「襲撃現場で見つけたんだ。端にカロンド商会の紋章が入ってる」
「これだけでは、証拠にならないとは思いますが……ただ、商人の方から、魔物が誘導されているようだったというお話も聞きました」
ミーアが紙をじっと見つめながら控えめに言った。
「どうだ?手がかりにはなりそうか?」
グレオが険しい顔で問いかける。ランプの光が、彼の眉間の皺をさらに濃く見せていた。
「少し待ってくれ……」
アルガスは椅子から身を乗り出し、紙切れを慎重に手に取った。彼の瞳が紙の細部を丹念に追い、その表情は一層鋭くなる。
「……なるほど、これは暗号だな」
低く漏らしたアルガスの言葉に、一同の視線が彼の手元に集中する。
「暗号?」
エリスが身を乗り出し、興味深そうに紙を覗き込んだ。その声には、緊張と期待が入り混じっている。
「断片的だが、文字列の一部が規則的に配置されている。襲撃に関する情報だとすれば証拠になりそうだ……解読してみよう」
アルガスは紙切れをテーブルに置き、そばにメモ帳を広げる。ペンを取り出すと、時折何かを呟きながら文字を書き連ねていく。その動作は冷静そのもので、集中した横顔には確かな自信が漂っていた。
「こっちは、カロンド商会が雇っている傭兵の数が異常なことと、資金の流れが怪しいってことくらいしか分からなかったわ」
エリスは椅子に座り直し、報告した。だが、その声には明らかな焦りが滲んでいる。
「証拠がこれだけじゃ、とても――」
彼女は言いかけて言葉を止めた。視線をアルガスに向けると、彼は紙とメモに集中しすぎて、エリスの言葉が耳に入っていない様子だった。
「ねえ、アルガス。話聞いてんの?」
少しだけ声を荒げたエリスの問いに、アルガスは顔を上げ、軽く首を傾けた。彼の瞳がようやく彼女に向けられるが、その奥にはまだ解読に集中していた痕跡が残っている。
「すまない、聞いていなかった。何だ?」
「……こんな調子で、3日後の連合議会に間に合うのかって言ってんの」
エリスは腕を組み、椅子に深く背を預けた。焦燥を隠そうともしない声には、どこか呆れが混じっている。
「決定的な証拠が足りないのは事実でしょ?このままじゃ、連合議会で追及どころか門前払いよ」
アルガスはペンを置き、テーブルの上で指を組みながら、短く息を吐いた。
「確かに、時間はあまり残されていない。それに、これ以上『外部』から探るのは限界だろうな」
その静かな言葉に、エリスが視線を鋭くした。
「……じゃあ、どうするのよ?」
アルガスは彼女を一瞥し、再び紙切れに視線を落とす。
「明日、カロンド商会の本部に直接乗り込む」
アルガスは静かに、しかし決然とした口調で言い放った。
「おっ、殴り込みか?」
「殴り込んでどうする。調査だ、調査」
身を乗り出すグレオに、すかさずアルガスの制止が入る。
「ですが……いきなり行っても、追い返されてしまうのではないですか?」
ミーアが恐る恐る尋ねる。その不安げな瞳が、ランプの光を受けて小さく揺れた。
アルガスは一瞬目を閉じ、考えるように短い沈黙を挟んだ。そして、ゆっくりと顔を上げ、三人を見渡す。
「問題ない、手はある」
その一言には揺るぎない確信が込められていた。
「よし!じゃあ、大丈夫だな!」
グレオが大きな声で笑い、拳をぐっと握りしめる。そんなグレオを見ながら、エリスは呆れたような声で呟く。
「何が大丈夫なのよ。いや、まあ……こいつなら、大体何とかするんだろうけど……」
「……分かりました。私も、お力になれるよう頑張ります」
ミーアはおずおずと微笑み、深く頷いた。その顔にはまだ不安の色が残っているが、それ以上に、彼への信頼が見て取れる。
アルガスはそれぞれの表情を一度確認すると、メモをしまい、静かに立ち上がった。
「皆、今日はもう休んでくれ。明日からが本番だ」
その声は低く落ち着いていたが、どこか緊張感を含んでいる。宿屋のランプの光が静かに揺れ、彼らの決意を照らし出していた。その外では、夜風が麦畑を揺らす音が微かに聞こえていたが、それはすぐに静寂に飲まれていった。




