第2話 剣士グレオ
酒場の騒がしさが戻った中、二人は隅の席につく。
アルガスは相変わらず背筋を伸ばし、水の入ったグラスに手をつけない。対するグレオは、豪快に椅子の背もたれに肘をかけながらも、どこか目を光らせていた。
「理屈っぽいのは相変わらずだな、アルガス。でも……ちょっと、やりすぎじゃねえか?」
「そうか?」
アルガスは先ほどのやりとりを思い出しつつ、涼しい顔のまま言う。
「……あれくらい言っといたほうがいいだろ。ああいう手合いは、徹底的に言葉で叩いておかないと、すぐにまた絡んでくる」
グレオは苦笑を浮かべつつ、手元のグラスに視線を落とす。
「お前もなかなかやり手だよな。……討伐の方は、調子に乗って失敗したこと何度もあるのに」
アルガスは、その言葉にぴたりと動きを止めた。だが、すぐに冷静な声で返す。
「全てを開示する必要はないからな」
「へえ?」
「彼らには、反論する余地があった。だが、情報を持っていないからできなかった。それだけの話だ」
グレオは喉を鳴らして笑った。
「……どうせ、さらに反論が出てきても、叩きのめす準備してたんだろ?」
「さあ、それはどうだろうな」
アルガスはわずかに口元を緩めた。しかし、すぐに冷静な表情に戻る。
「……で、何の用だ?」
「なんだよ。久しぶりに会った友達に、用が無いと話しかけちゃいけねえのか?」
グレオは呆れたように言いながらも、どこか懐かしげに目を細めた。
「……半年ぶり、か?」
「いや、君に無理やり連れ出されて、銀嶺亭で飲んだ夜から――十一ヶ月と三日ぶりだ」
アルガスは何気ない口調で返したが、無駄に正確な数字は、彼がその日を忘れていなかった証でもある。
「あれっ、そんなに経ってたか? 悪ぃ悪ぃ!」
グレオは苦笑しながらグラスを傾ける。悪びれてはいないが、どこか照れたような調子だった。
アルガスは少しだけ息を吐いてから言葉を続ける。
「裏路地まで追いかけてきておいて、何で忘れてるんだ」
「忘れてたわけじゃねえよ。そんなきっちり覚えてるのお前だけだっての」
グレオは肩をすくめつつ、苦笑まじりに返す。アルガスはそんな彼をじとっと睨む。
「それに、毎回誘い方がしつこいんだよ」
「お前が逃げるからだろうが」
「逃げてない。用があっただけだ」
「へえ? 偶然だな、三回連続で『用があった』んだっけか」
「……君はそういうとこだけ記憶力がいいな」
「『だけ』って言うな!」
二人はわずかに目を合わせ、同時にふっと笑った。
「今日もせっかくとっ捕まえたし、ゆっくり飲みたいところだが……そんな場合じゃねえか」
「……ああ」
アルガスは僅かに頷く。
「『勇者』に選ばれたんだってな」
「ついこの間な。国王との謁見も済ませて……旅に出ることになった」
アルガスの声はいつも通り淡々としていたが、言葉の端にわずかな決意が覗く。
「……北の果て、魔王城へ」
言葉にするだけで、空気がわずかに重くなる。酒場の喧騒も、どこか遠くの出来事のように思えた。
「じゃあ、俺を連れていけよ」
グレオの言葉に、アルガスはわずかに目を細める。
「『強い奴』、探してるんだろ?」
軽く投げたように見せかけて、その実、重たい言葉だった。冗談に逃げない、真っ直ぐな視線。アルガスは少しだけ間を置いて、静かに問い返す。
「……自薦とはずいぶん自信があるな。君が適任だと主張する理由は?」
グレオはにやりと口角を上げる。その顔は、どこか昔を思い出させた。
「俺の腕はお前が一番知ってるだろ。パーティ組んでたんだから」
「5年前の話だろう」
「さっきのチンピラどもの情報を持ってるなら、俺の活躍を知らない訳ねえよな? 俺はあの頃よりも強ぇ」
グレオはそう言いながら、拳を軽く鳴らした。
「お前に必要なのは、俺みたいな腕っぷしの強い奴だろ?」
アルガスはわずかに考え込む素振りを見せる。そして、ふと目を伏せ、試すように口を開いた。
「例えば――」
「ん?」
「敵が四方から攻めてきて、こちらの布陣を崩そうとしている状況だとしよう。さらに、その中の一体が増援を呼ぶ動きを見せている場合――君ならどう動く?」
グレオは一瞬だけ考え込む素振りを見せるが――
アルガスは、その顔を見た時点で、すでに答えを察していた。
「簡単だ。全部まとめて叩き潰す!」
その即答に、アルガスはわずかに目を伏せ、ため息混じりに返す。
「……出たな、脳筋の十八番」
「それでこそ俺だろ?」
アルガスは表情を崩さないまま言葉を続ける。
「だが、全てを相手にするのはリスクが高い。特に増援が来れば状況はさらに悪化する。まず、仲間を呼ぼうとしている敵を――」
「待て待て、俺に作戦は無理だって知ってるだろ」
アルガスはしばらく黙り、やれやれとばかりに眉をひそめる。
「無理だから諦める? 戦士のセリフとは思えないな」
グレオは肩をすくめて笑う。
「だから、お前がいんだよ。お前が考えて、俺がぶっ飛ばす。それが、一番手っ取り早えだろ?」
「……それは責任の押し付けだ」
「信頼の証ってやつさ」
「……調子のいい奴だな」
「ああ、でもお前もまんざらでもなさそうだ」
アルガスは小さく、しかしどこか呆れたように、微笑んだ。
「まったく……変わらないな」
その笑みは、ほんの一瞬だったが、グレオの目にはしっかりと焼き付いた。
「いいだろう」
アルガスは椅子から静かに腰を上げる。
「旅の間は、必ず僕の指示に従え。それが守れるなら……僕の“仕事”に付き合ってもらおう」
「おう! 任せとけ!」
グレオは即座に立ち上がり、迷いなく手を差し出す。その勢いは、やはりグレオらしかった。
アルガスは、わずかに目を伏せながらも、その手をしっかりと握り返す。
「……よろしく頼む、グレオ」
「おう、こっちこそ!」
二人の手が、短く力強く、交わった。
それは、かつての仲間が、再び共に歩み出す瞬間だった。
***
そんな矢先だった。
酒場の扉が勢いよく開き、ローブ姿の女性がずかずかと踏み込んでくる。栗色の長髪が軽く揺れ、鋭い視線が店内を走る。その瞳が、まっすぐにグレオを捉えた。
「グレオ! あんた、いつまで飲んでるのよ! 今日の夜、ミーティングするって言ったでしょ!?」
大声に、近くの客がびくりと肩をすくめる。グレオは「あー……」と頭を掻きながら、気まずそうに振り返った。
「エリス、悪い。ミーティング、ナシだ」
「はあ? どういうこと!?」
「……こいつと旅に出ることになった。昔のよしみってやつでな」
グレオが苦笑混じりに親指でアルガスを指す。
エリスはその指先をたどって視線を移し――アルガスと目が合った。
一瞬だけ、無言。
彼女はその琥珀色の瞳を細めると、再びグレオに食ってかかった。
「いやいや、何勝手に決めてんのよ! 一緒に依頼をこなしてたってのに、突然こんな奴に鞍替え? 冗談じゃないわよ!」
「……悪い。でも、お前なら一人でもしっかりやれるだろ?」
「そういう問題じゃないのよ……!」
そのやり取りの外から、アルガスは静かに彼女を眺める。
「……エリス、か」
最近、グレオと頻繁にパーティを組んでいるという魔法使い。その実力は冒険者たちの間でも評判になっている。
アルガスの視線に気づいたのか、エリスは彼を一瞥すると、わざとらしく鼻を鳴らした。
「ああ、コイツが前に言ってた奴ね? 一ヶ月前に、神サマに選ばれた『勇者』……」
さらに彼女はアルガスの目の前に立ち、じっと観察した――まるで獲物を値踏みするように。
「なんていうか……普通ね。冒険者にしてはヒョロいし……細身の剣一本に軽鎧? 上質なものってわけでもないし」
エリスは彼の周りをぐるりと回りながら続ける。
「魔力もあまり感じないわね。そんなんで、魔王討伐なんてできるわけ?」
彼女の声が店内に響くたび、周囲の冒険者たちがちらりと視線を向ける。一部は面白がるように酒を口にしながら囁き合っていた。
「お、おいエリス……やめとけって」
たまりかねたグレオが、止めに入る。
「何よ、本当のことでしょ? ああ、それでグレオが護衛するってことなのね?」
「いや、護衛じゃなくてだな……」
くすくすと笑う声と、興味混じりのざわめきが、店内の空気にじわじわと広がっていく。
アルガスが静かに口を開くのを、誰もが少しだけ待っている――そんな気配さえあった。
「なーんか気難しそうだし、グレオとつるむタイプには見えないのよね……。でも、こんなのが『勇者』ってのも、ある意味面白いし……」
エリスは腕を組んでしばらく考え込んでいたが、突然その手を打ち鳴らした。
「よし、決めた! 私もついていってあげるわ。私がいれば、魔王なんてあっという間に消し炭よ!」
彼女は得意げに笑い、胸を張った。
しかし、アルガスは冷静だった。彼女をじっくり観察し、静かに口を開く。
「あいにく、君をパーティに迎える予定はない」
「……は?」
エリスの笑顔が凍りつく。それと同時に酒場の空気も張り詰めた。
「……聞こえなかったのか? 君みたいな奴は要らない、と言ったんだ。この――自信過剰女」
彼女の眉間に、一瞬にして深い皺が刻まれた。