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勇者はすべてを論破する -Argus Argues Against All-  作者: 福本サーモン
第1章 旅立ちの理由

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第11話 燻る火種


 焦土と化した畑の匂いが、まだ村に漂っていた。


 村の広場の隅で、ミーアがアルガスの腕に残った火傷の跡に最後の治癒魔法をかけていた。


「<ルクス・サナ>……はい、これで大丈夫だと思います」


 優しい光が肌を包み、数秒後には赤く腫れていた痕跡がすっかり消えていた。


「……ありがとう」


 アルガスが短く礼を言うと、ミーアは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにふわりと微笑んだ。


 その様子を少し離れた場所で見ていたエリスが、思わず声を上げる。


「ちょっとちょっと!なに普通にお礼言ってんのよ! さっきまでの私への扱いと全然違くない!?」


 アルガスは涼しい顔で腕を確かめ、淡々と返す。


「適切な治療に感謝して何が悪い。見ろ、傷一つ残ってない」


「うぐ……!」


 エリスはぐぬぬと唇を噛みながら、拳を握りしめる。そんな彼女を尻目に、アルガスはさっと外套を羽織る。


「こ、この野郎……!」


 今にも魔法を暴発させそうなエリスを見て、ミーアは慌てて首を振りながら口を開いた。


「いえ、エリスさんがすぐに冷やしてくださったおかげです……! あの時の対応がなかったら、こんなに綺麗に治せなかったと思います!」


「……そ、そうよね!やっぱり私がいなきゃダメなのよ!」


 エリスが胸を張ると、グレオが横から茶々を入れる。


「はいはい、全員偉いってことでいいじゃねーか。……んじゃ、えーと、集会所だっけ?」


「ああ。状況説明を求められている」


 アルガスが頷き、四人はゆっくりと焼け跡の村を歩き始めた。


***


 村の集会所――と呼ばれる、木造の小屋。年季の入った木造の床板が軋む中、アルガスは真っ直ぐに村人たちを見据えていた。


「……森の奥でリーフボアの群れを発見したため、これを討伐しました」


 淡々と告げるその声には、確信があった。だが、報告の最後に続いた一言が、部屋の空気を一変させた。


「しかし、そこはサラマンダーの縄張りであり、餌場を荒らされた彼らが怒り、村を襲った……というのが、今回の顛末です」


 瞬間、押し殺していた怒声が噴き出す。


「つ、つまり……やっぱり、あんたたちのせいじゃないか!」


「どうしてくれるんだ! 畑が、ほとんど燃えてしまったんだぞ!」


 怒りと不安が入り混じった声が、次々とアルガスへ向かって投げつけられる。その中で、彼はただ一歩も引かずに立ち尽くしていた。


「ち、違うの、こいつは悪くない!今回は……私が早とちりして――!」


 耐えきれず立ち上がったエリスの声も、動揺の波に飲み込まれそうになる。しかしその瞬間、鋭く切り裂くような声が空気を引き裂いた。


「待て、エリス」


 アルガスの声は冷たいわけではなかった。だが、すべてを支配するような“重さ”を持っていた。


 彼は集まった村人たちを見回し、感情を排したまま、静かに言葉を紡ぎ出した。


「何か勘違いをされているようですね。我々は、村長からの依頼――『ボアの討伐』を遂行しただけです」


「そ、それは……!しかし……!」

 なおも食い下がる村長に、アルガスは鋭い視線を向けた。


「もちろん、それで全ての責任を逃れるつもりはありません。ですが、問題の『本質』に目を向けていただきたい」


 言葉と同時に、集会所の空気が冷えたように静まる。


「リーフボアは本来、森の草木の実や根を食べて生きる存在です。そして、それを捕食するサラマンダーが生態系の頂点にいる。自然界では、ごく当たり前の『均衡』です」


「ところが、村が森を大規模に開墾したことで、その均衡が崩れました」


 彼の視線は、誰か特定の相手ではなく、『場』全体を射抜いていた。まるで、村という存在そのものを対話相手にしているかのように。


「餌を失ったボアが畑へと現れ、そしてそれを『害』として排除していった。その結果、ボアを捕食していたサラマンダーまでが村に現れた」


 静寂。空気の動きすら止まったような時間の中で、誰もが息を呑んでいた。


「――問題の根本は『森林を切り開きすぎた』ことです」


 集会所の空気が、ぴたりと止まる。


「本来共存すべき自然と人間の境界を壊したのは、村の側にも原因があります。我々の行動は結果的に引き金を引きましたが……今回のことが無くとも、将来的にサラマンダーの襲来は起こり得たでしょう」


 どこからともなく、小さく唾を飲む音が聞こえた。


 先ほどまで怒声を上げていた村人たちは沈黙し、硬直したまま、誰も言葉を返せない。


「お、おい……アルガス。また言い過ぎてんぞ」


 グレオがぼそりと呟くが、アルガスは表情を変えず、次の言葉を紡ぐ。


「現実的な解決策を提示します」


 それは、責めるための言葉ではなかった。責任を共に負い、次に進むための言葉だった。


「まず、森の一部を再生させましょう。開墾した土地をいくつか放棄し、自然の回復を待つことです」


「次に、畑の周囲には防護柵や監視設備を設け、魔物の侵入を防ぐ。これによって、再びサラマンダーが現れても初期対応が可能です」


 アルガスは沈黙する村人たちを前に、淡々と言葉を続けていく。


「そして、サラマンダーの個体数については、冒険者ギルドに討伐依頼を出すなどし、管理を行うこと」


「……そのためには、村の体制と予算も変える必要があります」


 ざわ、と空気が揺れた。


「そ、そんなの……できるか?」


「無理だろ……」


「もともとあった柵は焼け落ちちまったし……防護柵なんて、金も手間もかかるぞ……」


「魔物の個体数の管理なんて、どうやって……?」


 ざわつく村人たちの声を背に、村長が一歩前に出て、重い声で口を開いた。


「……あんたの言っとることは、正しい。だがな……こんな小さな村じゃ、できることに限りがあるんじゃ」


 アルガスは小さくため息をつき、腰の鞄から一冊の帳面を取り出した。


「……村だけでの対処が難しいなら、王都への支援要請を。陳情書の書式や提出先はまとめておきます」


 帳面にペンを走らせながら、アルガスは続ける。


「私の名を使えば、王国側も無視はできないでしょう。すぐに政務庁から調査班が派遣され、資材や人手の支援も期待できます」


 村長の動きが止まる。


「陳情書……?『名を使う』って……あ、あんた一体……?」


 ざわざわと周囲が騒ぎ出す。


「何なんだあの人?王都の役人か?」


「難しいこと喋ってるし……なんか偉い人なのか?」


「いや、それにしては若くないか……?」


 その視線を感じながら、アルガスは嫌そうに顔をしかめ、口を開こうとする――だが。


 ほんの一瞬、言葉が喉の奥で止まった。


(……言うべきだ。だが、こういう場で名乗るのは――)


 その逡巡を見逃さなかったのだろう。

 ミーアが、そっと前に出た。声は少し震えていたが、はっきりと響く。


「こ、こちらのアルガス様は……ルクシス教会に認められた、勇者です……!」


 一瞬の静寂。


 そののち、集会所が爆発したようにどよめく。


「勇者様……!? 勇者様が、うちの村に……!?」


「ひぃ!? 勇者様のお言葉だったのか!? い、今の全部書き留めろ!!」


「た、大変失礼いたしました……!」


 村人たちは一斉に頭を下げたり、膝をついたり、中には感極まって泣き出す者まで出始めた。


 人々の熱狂の中、アルガスはそっとミーアのほうを振り向き、目を細めて呟いた。


「……ミーア、どういうつもりだ」


 問いは冷たくはなかった。だが、わずかに困ったような色が滲んでいた。


 ミーアは肩をすくめて、小さく息を吸った。


「す、すみません……! でも……ご自分で名乗るの、嫌なのかと思って……」


「…………」


 アルガスは黙ってミーアを見つめたまま、ふと目を伏せた。


「……まあ、間違ってはいないが」


 彼はうんざりした顔で、天井を見上げた。


「しかし……さっきまで人の提案を飲まなかったくせに、肩書きを知った途端これか……」


「そりゃあ、そういうもんなんじゃねえの?」


 肩をすくめながら、グレオが笑った。


「ま、でも……村、助けてやれたな」


「……腑に落ちない……」


 ぼそりと呟くアルガスの横で、エリスはようやく緊張をほどき、そっと安堵の息を吐いた。


 ミーアは小さく微笑んでいた。困りながらも、どこか、誇らしげに。


***


 焼けた村の夜は静かに更けていく。


 けれど、アルガスの胸にはまだ小さく燻るものがあった。


 ――自分は、剣も魔法も得意じゃない。

 誰かを鼓舞するような華やかさもない。

 そんな自分が、よりによって『勇者』に選ばれてしまった。


 教会が求めたのは、民衆の前で光を纏い、理想の象徴として振る舞う『勇者』だった。

 だが、自分はそれを拒んだ。


 名声ではなく、理屈で世界を動かしたい。

 剣でなく、正しさで未来を切り拓きたい。


 ――だから、自分にできるやり方で、勇者の使命を果たしていく。その覚悟をしたはずだった。


 けれど同時に、心のどこかで引っかかっている。


 『勇者様』と呼ばれるたびに、胸の奥に違和感が刺さる。

 本当は、ふさわしくないのではないか。

 それでも、肩書きに価値を感じてしまう人々のために、それを使ってしまう自分は――


 ――偽善か、それとも覚悟か。


 答えは、まだ出ない。


 名を呼ばれ、頭を下げられるたびに、自分の中にある矛盾がまたひとつ、火種として積もっていく。


 その火はまだ、燃え上がらない。

 けれど、確かに心のどこかで――燻り続けていた。


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