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勇者はすべてを論破する -Argus Argues Against All-  作者: 福本サーモン
第1章 旅立ちの理由

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第9話 葉陰の静獣たち

 昨晩の雨が畑の作物にきらめき、コルニス村は静かな目覚めの中にあった。だがその静けさは、どこか張り詰めた気配を孕んでいた。


 アルガスたちは、村長に案内されて畑の縁に立っていた。土は深く掘り返され、並んでいたはずの作物はめちゃくちゃにされている。雑にかじられた野菜の残骸が、土の上に散らばっていた。


「この足跡は……」


 アルガスがしゃがみ込み、指でぬかるんだ土をなぞる。四つ足の足跡が重なり合い、地面には混乱した痕跡が刻まれていた。


 背後からグレオが覗き込み、即答する。


「こりゃ、ボアだな。蹄の跡がはっきり残ってる。掘り返し方も荒い」


 村長が身を乗り出し、語気を荒くする。


「やはりボアか……! 最近、村の周りでよく見かけるんじゃ。幾度となく退治もしておるが、まったく減らんのじゃ!」


 エリスが眉をひそめ、呆れたように肩をすくめた。


「村人で退治してるの? そんなの、危なくて仕方ないわね。武器も防具もろくにないんでしょ?」


 アルガスは立ち上がり、土の上に浮かんだ痕跡をじっと見つめながら答える。


「足跡の大きさからして、小型のリーフボアだろう。成体でも体高は腰ほどしかなく、凶暴性も低い。村人でも十分に追い払える相手だ」


 ミーアが隣で驚いたように呟いた。


「でも、あの襲われた方の傷……かなり鋭くて深かったですよ?リーフボアって、そんな攻撃を……?」


「いや、できないはずだ」


 アルガスは静かに首を横に振る。


「リーフボアは草食性で、基本的に臆病だ。人間に対して攻撃的になることはまず無い。ましてや、あの傷……まるで肉食獣に噛まれたようだった」


 場がしんと静まり返る。疑念と不安が、朝の空気をじわりと濁らせていく。


 グレオが腕を組んで唸った。


「襲われた人は、魔物の姿を見てねぇのか?」


「森の縁を歩いているとき、背後から襲われたらしい。時刻は夕暮れ。薄明かりで視界も悪く、魔物の姿は確認できなかったと」


 アルガスは言いながら、ふと畑の全体へと視線を送る。そして、足元の地面に目を留めた。


「これは……?」


 彼は再びしゃがみこみ、ボアの足跡とは別の、わずかな窪みを指でなぞる。だが、すぐに顔をしかめた。


「別の足跡がある。だが……上に重なるリーフボアの足跡と、昨晩の雨とで判別できないな」


 その言葉に、エリスが小さくため息をつく。


(……まーた、慎重ぶってるのね、こいつ。確かに理屈はすごいけど、それだけじゃ何も変わらない。迷ってる間に、どれだけ行動できたか分かってるのかしら)


 彼女の心に、熱を帯びた思いが渦巻く。


(でも結局、あんたは『私には判断させない』って目をしてる……。だったら――)


 腕組みをする指先に、無意識に力がこもった。


 そんな中、村長が苛立ちを抑えきれない様子で声を張り上げた。


「とにかく、畑が荒らされて村人が怪我をしとるのは事実なんじゃ! このままでは、安心して暮らせん……!ボアでもなんでもええ、さっさと退治してくれんか!」


 アルガスは立ち上がり、少しの間、土の色と空の光を見比べるようにして考え込んでいたが、やがて頷いた。


「……まずは、リーフボアの住処を探します。それが本当に無関係か、あるいは裏に何かあるかを確認するためにも」


「森の奥か?」


 グレオが身を乗り出す。


「ああ。畑と森の間は行き来がしやすい。目撃証言も多く、獣道も確認されている。可能性は高い」


 アルガスは短く告げると、踵を返して歩き出した。


「行こう」


 エリスとミーアがその後ろに続き、グレオが殿を務める。森の縁からは、しんと静まり返った緑の帳が彼らを迎え入れていた。


***


 森の中は思いのほか明るく、陽光が斑に差し込んでいた。雨上がりの湿気はもう消え、空気はどこか乾いていた。


「なあ……昨日、雨降ってたよな?」


 グレオが周囲を見回しながら、後ろから声をかける。


「ああ」


 アルガスは無造作に答える。


「なのに、この乾き具合。森の中なのに、地面もそれほどぬかるんでないし……。まあ、その分、歩きやすくて助かるけどな」


 グレオはぐいっと肩を回して笑った。


 そんなやりとりを聞きながら、エリスがふと思いついたように言った。


「こういうところ、弁当でも持ってきてたらピクニックっぽくて良かったかもね」


 ミーアがきょとんとした顔で振り返る。


「ピクニック、ですか?」


「そうそう。ほら、あの岩山のとことか登ってさ。上から景色見て、サンドイッチでも食べながら――なんか、ちょっと楽しそうじゃない?」


 エリスは冗談めかして笑うが、ミーアは少しだけ真剣に考えるような顔をして、「なるほど……」と小さく呟いた。


 アルガスは黙々と歩きつつ、目はあちこちを観察し、時に足元、時に枝先へと視線を移す。


(鳥の鳴き声が少ない。小動物の気配も――静かすぎる)


 葉擦れの音が妙に鮮明に聞こえる。


(それに……下草が少ないな)


 湿った地面に、かつては生えていたであろう食用植物や低木の葉が、まばらになっている。土の露出が多く、ところどころ掘り返された痕跡さえあった。


(森の際まで畑を拡張した影響か……開拓によって、ボアたちの餌となる草根や実が減っている)


 葉陰に残る古い嚙み跡や、木の皮を削られた痕が、その事実を物語っていた。


(だから、彼らは畑に降りてきた――あくまで、生きるために)


 ボアの行動としては筋が通っている。群れをなして、人里に接近し、畑を荒らす。


(だが……それにしたって、人を襲うか……?)


 アルガスの眉間に、わずかに皺が寄る。昨日見た傷の記憶が脳裏をかすめた。


(餌不足が彼らを極限まで追い詰めていたとしても、人間に牙を剥くには……何かが、足りない)


 その『足りない何か』を確かめるように、アルガスは再び前方の森の奥を見据えた。


***


 やがて、一行は少し開けた窪地に出た。


 周囲の木々が途切れ、やや低くなった地形に、草を食む茶色い影がいくつも蠢いている。


「おっ、いたぞ」


 グレオが声を上げ、指差す先には、数頭のリーフボアが群れていた。丸っこい体に、葉のような背毛が揺れている。体長は人の腰ほど、小柄でどこか愛嬌のある外見だ。


「十頭ほどでしょうか……思っていたよりも、可愛らしいですね……」


 ミーアが杖を握りしめながら、ぽつりと呟く。


 アルガスは目を細め、群れの動きを観察していた。


「少し様子を見よう。どこから来て、どう動くか……この群れが本当に――」


「よーし、じゃあ全部やっつければいいのよね?」


 声と同時に、エリスがローブの内側からロッドを取り出し、前に出た。


「おい、待て!」


 アルガスの声が鋭く飛ぶ。だが、エリスはロッドを構えて足元の魔法陣を構築していく。


(何が、『待て』よ。待ってる間に、手が届かなくなるのは……もう御免なのよ!)


 彼女は即座に詠唱を終わらせ、ロッドを振り抜いた。


「<フレイム・オーブ>!!」


 炎が唸りを上げて飛び、窪地の中央で爆ぜた。煙と焦げた匂いが瞬く間に広がり、リーフボアたちは悲鳴のような鳴き声を上げて逃げ惑う。しかし半数は直撃を受け、倒れ伏していた。


「勝手に動くな! というか、発動を止めろ!」


「倒せばいいんでしょ? 数も把握できたし、被害の原因も分かったんだから――」


 アルガスの怒声を無視して、エリスは次々と火球を放つ。窪地はあっという間に炎の海と化していった。


「はい、これで全滅。依頼達成ってね〜」


 エリスが満足げにロッドを下ろすが――その表情を無視して、アルガスは無言で前へ進み、火が燻る窪地へと降りていった。


 その背中には、明らかな不快感が滲んでいる。


「あーあ、お前なぁ……」

 グレオは呆れたように呟くと、アルガスの後に続いた。


「な、何よ……」


 エリスは少し気まずそうに視線をそらしつつ、ミーアと共に窪地に降り立つ。


 そしてアルガスは、焼け焦げたボアの死骸に目を落とし、無言でしゃがみ込んだ。そして、土に残る無数の足跡に指を這わせる。


「……おかしい」


「何がよ? ボアは全部焼いたじゃない」


 エリスがロッドを軽く振りながら、怪訝な顔で言う。


 アルガスはゆっくりと首を横に振った。


「これは……単なるボアの住処じゃない」


「はあ?」


「この足跡……深さと並び方が違う。ボアよりもはるかに重い獣がここを通っている」


「……え?」


 アルガスは周囲の木々に目をやる。葉の端が黒く焦げている。だが、それはエリスの炎が届かなかった部分にまで及んでいた。


(……焼けているのは、魔法の着弾点から離れた場所。火の周り方も不自然だ)


 彼の眉がわずかに動いた。


「この焼け方、魔法の火じゃない。別の熱源だ」


 鳥も、小動物も、一切いない。


 静寂の森。その中心に、かすかに残る、鱗と爪の擦れるような痕跡。


「……サラマンダーだ」


 振り向いた彼の声は低く、だが刃のような鋭さを帯びていた


 風が止まり、空気が異様に乾く。


「サラマンダーって……あの火を吐くトカゲみたいな中型魔物か? あれ、確か……」


 グレオが記憶を辿るように呟く。


「ああ。普段は岩場などでおとなしくしている。縄張りにさえ近づかなければ人間を襲うことはまずない。だが――怒らせれば、周囲一帯を焼き尽くすほどの炎を吐く。知能も高く、餌の在処を熟知しており、縄張りの巡回もする」


 アルガスは低く続けた。


「ここは、サラマンダーの『餌場』だ。ボアが集まるこの地形を利用していたのだろう。畑を荒らしていたのはボアだが、村人を襲ったのは――そのボアを追いかけてきた、サラマンダーだ」


 ミーアが息を呑む。


「なら、私たちは……その餌場を勝手に焼き払ってしまったってことですか?」


「……ああ」


 重い沈黙が流れた。


(うそ……これ、私……やっちゃった?)


 エリスは思わずロッドを見下ろし、焦げた地面に視線を落とす。


(こんなの、ただの焼き払って終わりって話じゃ――なかったの?)


 その瞬間、地響きと共に森の奥が爆ぜた。


 地面が震え、乾いた木々が倒れ込む。熱風が一気に吹き抜け、遠くの梢が赤く染まった。


「村へ戻るぞ!」


 鋭い指示と共に、アルガスは駆け出した。地面を蹴る音が、森の静寂を切り裂く。


「ええっ?!ここで迎え撃たないのかよ?!」


 剣の柄に手をかけたグレオが、素っ頓狂な声を上げる。


「見通しが悪い! ここでは全てを捉えきれない!――村の防衛が最優先だ!」


 振り返らずに叫ぶアルガス。その声に、グレオは舌打ちをひとつ。


「……ちっ、了解! 二人とも、行くぞ!」


「はいっ!」


 ミーアは慌てて駆け出しながら、反射的に後ろを振り返った。


「エリスさん! 急ぎましょう!」


「わ、分かってるってば!」


 ロッドを握り直し、エリスも足を踏み出す。揺れる火の気配が、すぐ背後に迫っていた。


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