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勇者はすべてを論破する -Argus Argues Against All-  作者: 福本サーモン
第1章 旅立ちの理由

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第7話 揺れる炎、揺れる心

 夜の静寂が森を包む中、焚き火の小さな炎がちらちらと揺れていた。野営地では一行がそれぞれ眠りにつき、寝息のリズムが時折耳に届く。


 アルガスは焚き火の隣で膝を立て、剣を傍らに置いたまま見張りに立っていた。ふと焚き火に目をやると、手元にあった薪を一本手に取る。静かに薪を炎にくべると、火がパチパチと弾ける音を立てた。揺れる炎の光が彼の瞳に映り込み、冷たい闇の奥に一瞬だけ暖かな光を灯した。


 彼の横顔は感情を感じさせない無機質な影を帯びているが、遠くを見つめるその視線にはどこか深い思索が漂っていた。


 その時、背後から柔らかな草を踏む音が聞こえた。アルガスが振り返ると、ローブを羽織ったエリスが現れた。


「へえ、勇者サマも見張りとかやるんだ」


 エリスが挑発的な笑みとともに、近づいてくる。アルガスは彼女を一瞥すると、焚き火に向き直った。


「……当たり前だろう。僕だって冒険者だ」


「女には声かけずに、グレオと交代で?お優しいことで」


 エリスはふっと鼻で笑い、焚き火の向かいに腰を下ろした。腕で膝を抱え込んだまま、アルガスをじっと見つめる。


「優しさじゃない、信用の問題だ」


「あら?あの子のこと、結構信用してるのかと思ったら、そうでもないの?」


 アルガスはわずかに目を細める。


 燃えさしの火がパチ、と音を立てた。


「……君はどうなんだ」


 エリスは肩をすくめる。わざとらしく、だがその目は鋭い。


「いや、ミーアってさ……ぶっちゃけ怪しくない?」


 短い沈黙が二人の間に横たわる。遠くでかすかな夜鳴き鳥の声が響き、森の奥深くからは風が木々を揺らす音が聞こえる。


「怪しい、とは?」

 アルガスの低く抑えた声が夜の静寂を切り裂く。


「まず、あの子って本当に『託宣たくせん神子みこ』なの?教会はあんたを勇者として認めたけど、神子のことは一切公表してないじゃない?」


 エリスは焚き火をじっと見つめたまま、その言葉を慎重に選ぶように語った。


 アルガスは少し黙った後、自分の右手の革手袋を外し、炎の明かりにさらした。


 その甲には、星を模ったような紋様が刻まれている。冷えた夜風にさらされた手はわずかに白く輝いていた。


「何、それ?」

 エリスの声には微かな驚きが混じる。


「一ヶ月前、教会でミーアから神託を聞かされた時に浮き上がった。……『勇者の証』だそうだ」


 アルガスは無表情のまま淡々と答える。


「へえ……『勇者の証』、ね」


 エリスは手を膝に置き、紋様をじっと見つめる。アルガスは手袋を指先から静かに引き直しながら、きっぱりとした口調で言った。


「ミーアは『託宣の神子』だ。それは間違いない」


「……なるほどね」


 エリスは肩をすくめ、皮肉めいた笑みを浮かべる。


「正直、あんたが『神サマに選ばれた勇者』だってことも疑ってたから……そこも含めて、いちおう信じてあげるわ」


 アルガスは特に反応するでもなく、指先の開いた革手袋を馴染ませるように、拳を軽く握る。エリスは少し表情に影を落として続けた。


「で、あの子が本当に『託宣の神子』だとして……あんたの『勇者の証人』なわけよね。でも、教会は黙ってる。宣伝しない。しかも本人は教会を飛び出して冒険者やってる――なんで?」


 アルガスは無言のまま。エリスはさらに追い打ちをかける。


「あんたは信じてるってんなら別にいいわよ、それでも。でもね、一緒に旅してるんだから、何かあったら私たちまで巻き込まれるのよ」


「ちょっとは疑ってくれないと、困るのよね」


 アルガスは顎に手を当て、焚き火越しにエリスを見据える。


 一拍の沈黙の後、静かに言った。

「……『疑っていない』と、僕が一言でも言ったか?」


 エリスは一瞬だけ言葉に詰まる。そして、呆れたように笑った。

「……性格悪いわね」


 アルガスは肩をすくめると、静かに、だがどこか深い考えに沈むような声で呟いた。


「確かに、教会からの追っ手が無いのは気になっている。彼女の教会を出た経緯が嘘か、教会が何か企んでいるか……」


 炎の明かりに照らされた彼の表情は硬く、その目は遠くを見据えているかのようだった。焚き火の弾ける音だけが二人の間にしばしの沈黙を作る。


 やがてエリスが立ち上がる。焚き火を見下ろす彼女の顔には、微かな苛立ちと諦念が混じっているようだった。


「しばらく様子を見るしかないわね。何かあったら、その時考えればいいわ」


「……けど――」

 一瞬、焚き火の炎が大きく燃え上がる。

「本当にヤバそうなら……私、容赦しないからね」


「……ああ」


 アルガスは短く頷いた。


***


 エリスは寝床に向かおうと数歩進んだが、途中で立ち止まり、振り返る。その動きはどこか迷いを孕んでいた。


「ねえ……もうひとつ聞いていい?」


「なんだ」


 アルガスが焚き火に目を戻しながら答える。炎が彼の顔に揺らめく影を映し出している。


「昼間の戦い見てて思ったんだけど……あんたさ、弱くない?」


 その言葉に、アルガスは眉ひとつ動かさず、焚き火を見つめ続けていた。ただ、わずかに火の揺らぎに反応するように、目が動く。


「グレオと比較するのはどうかと思うけど、それにしたってさぁ……」


 エリスは腕を組みながら、目を細めた。焚き火越しのアルガスを探るように見つめる。


「確かに、僕は弱い。それがどうした?」

 アルガスは炎を見つめたまま、静かに言った。その声には微かな自嘲が混じっていた。


 エリスは呆れたように声を上げる。


「いや、認めるの早すぎでしょ!? お得意の反論をしなさいよ!」


「否定する理由がない」


「そうやって冷めた顔で言うの、カッコつけてるつもり?」


「事実を述べただけだ」


 アルガスは炎をじっと見つめ続ける。その瞳にはどこか空虚さが漂い、焚き火の光に反射して鈍く輝いていた。


「僕は剣も魔法も不得手で、戦闘ではほとんど役に立たない。虚勢を張ったところで何か変わるわけじゃない」


「でもあんた、勇者でしょ? 剣や魔法で魔物をやっつけて、人々の希望になるのが普通じゃないの?」


 エリスの声には苛立ちが滲んでいる。


「そのお小言は何度も聞いたよ」


 アルガスは淡々とした口調で続ける。


「僕は、自分が勇者らしくないことをよく分かっている。だからこそ、教会から『勇者らしい振る舞い』を求められたとき、断った」


 アルガスは焚き火を見つめながら言った。炎の明かりが彼の横顔を撫で、薄い影を作り出す。


 エリスは少し首をかしげた。その目が一瞬だけ揺れ、何かを思い出すように、あるいは興味を引かれたように表情が和らぐ。


「……へえ?」


 ひと呼吸置いたあと、彼女は一歩、また一歩と焚き火へと近づくと、しゃがむようにして腰を下ろした。


 ローブの裾を軽く払って膝を抱えると、エリスは再び焚き火越しにアルガスを見つめる。


「一体、何をやらされそうになったの?」


 彼は一瞬目を閉じ、わずかに眉を寄せた。記憶の中から引っ張り出すように、静かな声で語り始めた。


「各地を巡礼し、儀式で剣舞を披露し、勇者として民衆の前で称えられる――それが、教会の求める『勇者らしさ』だった」


「っ、ふふっ……」


 エリスの口から笑いが漏れる。アルガスは彼女を睨みつけた。


「僕で想像するな」


「いや……ご、ごめん……」


 エリスは肩を震わせながら謝る。彼女の呼吸がおさまると、アルガスは再び口を開いた。


「……僕がそんな振る舞いをしたところで、ただの空虚な人形だ。せいぜい、教会の威信が高まる程度だろう」


 エリスはしばらく焚き火を見つめ、考え込むような表情を浮かべていた。そして不意に苛立ちを抑えきれない様子で口を開く。


「でも、それならなおさら矛盾してるでしょ?『勇者らしい振る舞い』を拒否するなら、勇者って肩書きごと捨てればいいじゃない」


 その言葉は鋭く、焚き火の音がそれを受け止めるように一瞬静まった。アルガスは黙り込んだまま、炎の揺らめきを見つめている。やがて低い声で答えた。


「……僕は、その肩書きを捨てるつもりはない」


 その一言は、焚き火の音よりも重く響いた。エリスは少し驚いたように目を見開く。


「どうして?」


 彼女の問いには、挑発ではなく純粋な疑問が込められていた。アルガスは一度目を閉じ、長く静かな息を吐き出した。そして、焚き火を見つめたまま低く語り始める。


「僕は……剣も魔法も、まともに扱えない。ただの凡人だ。けれど、僕を信じてくれた人がいた。僕の言葉や理論を……勇者がもたらす『光』だと言ってくれた。その言葉を、裏切るわけにはいかない」


 エリスはじっとアルガスを見つめていた。その瞳には、焚き火の揺れる光が映り込み、微かな動揺が浮かんでいるようにも見える。


「それって……」


 言いかけた言葉を飲み込むエリス。二人はしばらく無言のまま炎を見つめ続ける。静かに口を開いたのはアルガスだった。


「僕にとって『勇者』は、飾りとして民衆の称賛を受ける存在じゃない。ただ、自分にできることをやって、真に求められる使命を果たす。それだけだ」


 その言葉には、微かな迷いと、それを超える確固たる覚悟が込められていた。焚き火の炎が一際強く揺れ、二人の顔を明るく照らす。


「お飾りじゃなく、自分にできることをやる、ね……」


 ぽつりと呟いた声は小さく、夜風に溶けて消えていった。エリスは焚き火を見つめて黙り込み、その瞳には遠い記憶が蘇る。


 脳裏に浮かんだのは、幼き日、暖炉の前で聞いた祖父の声。


 『――エリス……お前にならできる。この魔術を完成させておくれ……。私の……夢を……』


 彼女の瞳がどこか憂いを帯び、焚き火の光を反射して揺れる。


 エリスはしばらく焚き火を見つめていたが、ふいに息を吐いて笑った。

「……なーんか、軽く雑談するつもりだったのに……真面目な話にされちゃったわね」


 彼女がわざと肩を竦めると、アルガスは淡々と返した。


「僕はただ、君の問いに答えただけだ」


「はいはい、勇者サマの正論いただきました〜」


 エリスは腰に手を当てながら、ふっと笑って立ち上がる。そして、やや挑発的な口調で言葉を続けた。


「ま、それにしても――弱すぎね。使命を果たす前に、その辺でくたばるんじゃない?」


 アルガスは眉ひとつ動かさずに応じた。


「危険を冒すつもりはない。そのために、綿密に準備している」


「なら、不測の事態にも備えときなさいよね。たとえば――魔法の扱いとか」


 エリスはひょいと顎を上げると、にやりと笑って言い放つ。


「風魔法、使えるんでしょ? 私が指南してあげよっか?」


「必要ない」


 即答。


 エリスは眉を寄せて睨みつけた。


「はぁ? なんなの? 人がせっかく――」


「僕はすでに風魔法の基本行使はできているし、戦術的な運用に問題はない」

 アルガスは淡々と続ける。

「君の指導を受けることで、何が改善されるのか、具体的なメリットがない」


「いや、メリットって……! 絶対、私のほうが上手いんだから――」


「上手いことと、必要かどうかは別問題だ」


 バッサリと言い切るアルガスに、エリスも負けじと言い捨てる。


「ほんっと面倒くさいわね! せいぜい、その理屈で生き延びるのね!」


 エリスは顔を赤くしながら踵を返し、乱暴に草を踏みしめる音を響かせた。

 その背中にアルガスが静かに声を投げかける。


「……必要だと判断したら、そのときは……頼む」


 その言葉にエリスの足が一瞬止まる。

 小さく、だがしっかりとしたため息を吐くと、肩越しに一言だけ返した。


「……地獄の特訓、用意しておいてあげる」


 再び草を踏む足音が夜に溶けていった。


***


 エリスの姿が見えなくなると、アルガスは再び焚き火へ視線を戻した。炎が静かに揺れ、夜の静けさに同調するかのように小さく弾けた音を立てた。その炎の光が、彼の紫の瞳を一瞬だけ強く照らした。


 そっと手を伸ばし、薪を一本拾う。


 火にくべられた薪はじわりと炎を広げ、その明かりは暗闇をわずかに押し返した。


 「光をもたらす、か……」


 アルガスは小さく呟くと、ゆっくりと目を閉じた。


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