第6話 襲撃と救助
昼の日差しが馬車の帆を柔らかく透かし、車内には温かな明るさが満ちていた。窓の外には緩やかな丘陵地帯が続いており、遠くには廃れた風車小屋が影のように佇んでいる。
規則正しい車輪の音が小刻みに響く中、アルガスたちはこれから向かうティルヴァランへの行程について話し合っていた。
「で、ティルヴァランまではどのくらいかかるんだ?」
グレオが座席の背もたれにどっしりと身を預け、のんびりと尋ねる。彼の大剣は壁に寄りかかり、時折揺れるたびに鈍い音を立てていた。
「単純計算で……7日ほどかかるな」
アルガスは手元の地図を指でなぞりながら答える。その声は落ち着いているが、視線は鋭く、何かを考えているようだった。
「えー、そんなにかかるの?」
エリスが手元の魔術書から顔を上げ、退屈そうに肩をすくめた。
「ずっとこの馬車で行くんですか?」
ミーアが尋ねる。彼女の小柄な体が座席に深く沈み込み、杖を大事そうに抱えている。
「いや、この馬車は途中のラグスノールまでだ。そこからは山道を三日かけて、北のエルミナへ。さらに馬車を拾って二日、ってとこだ」
アルガスは地図を指差しながら説明する。
「道中の街でも、魔物の被害状況や地元の噂を集める必要がある。それに、戦闘に備えて装備を整える時間も確保しなければならない」
地図を畳んだ彼の声には、周到な計画を感じさせる冷静さが漂っていた。
「ただ移動するだけじゃ済まないってことね」
エリスが皮肉っぽく呟いたその時、突然馬車が大きく揺れた。
「た、大変です! 魔物です! 前方に群れが!」
御者の叫び声が響き、車内の空気が凍り付いた。
***
アルガスたちが馬車を降りると、目の前には牙を剥いたウルフの群れが立ち塞がっていた。森の茂みから次々と現れるウルフの目はぎらぎらと輝き、狂気に満ちている。その側には壊れた荷馬車、倒れ込む商人たちの姿があった。護衛らしき人々も必死に応戦しているが、数の差に圧されている。
「早速きたな。どうする、アルガス?」
グレオが大剣の柄を握りしめ、険しい顔で問う。その目には普段の陽気さはなく、戦闘の緊張感が宿っていた。
「救助が最優先だ」
アルガスは即座に指示を出す。
「グレオ、正面を抑えろ。エリス、グレオの援護を。ミーアは怪我人の治療だ」
「了解!」
答えるや否や、グレオは地面を蹴り、一気にウルフの群れへと突撃した。大剣が空を裂き、鈍い音を立ててウルフの体を叩き斬る。血しぶきが飛び散り、怯むウルフたちにさらに追撃を加える。
一方、アルガスとミーアはうずくまる商人たちの元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか? すぐに治療します!」
ミーアが震える手で杖を構え、詠唱を練り上げる。
「<ルクス・サナ>!」
ミーアの魔法が発動すると、穏やかな光が傷ついた商人を包み込む。傷は徐々に癒え、痛みに歪んでいた表情が少しずつ和らいでいく。
「またウルフが増えてるみたいね」
エリスは周囲を見回しながらロッドを構えた。
「周りを燃やすなよ」
アルガスも剣を構えながら、エリスに軽く注意する。
「燃えたら、自分で消すから大丈夫……よっ!」
いたずらっぽく笑みを浮かべたエリスが、勢いよくロッドを振り上げた。
「<フレイム・オーブ>!」
火球が唸りを上げて、敵陣へと放たれる。その間にも、グレオは鋭い斬撃を次々と放ち、群れの中心を押し込んでいく。
アルガスも剣を振り、近づいてきたウルフの脚を正確に斬りつけた。その刃は腱を捉え、ウルフの動きを鈍らせる。だが、体勢を崩しただけで、完全には止めきれない。
彼はすかさず後退し、息を整えながら敵の次の動きを計る。
(……やはり、火力が足りないな。敵の数も多い……ならば……)
そう呟くように、心の中で素早く冷静に分析すると――
「エリス! 風魔法で広範囲を吹き飛ばせ!」
アルガスの鋭い指示に、エリスはロッドを構えたまま眉をひそめる。
「ええ? できるけど……威力低いわよ?」
「いいから、やれ!」
エリスはしぶしぶ詠唱に入る。その声が戦場に響き渡り、緊張感を一層高めた。
「ミーア、応急処置で十分だ。補助魔法を!」
「は、はい! わかりました!」
ミーアは立ち上がり、補助魔法の詠唱に入る。その間にアルガスが振り返ると、彼女の背後にウルフが迫っているのが見えた。
「ミーア、後ろだ!」
叫びながら駆け寄るアルガス。しかし、間に合わない――その瞬間、エリスの詠唱が完成した。
「<テンペスト・エンブレイス>!」
ロッドを振り下ろしたエリスを中心に風が炸裂し、ウルフを巻き込みながら吹き飛ばしていく。アルガスは転倒しかけたミーアを抱き寄せ、地面に伏せた。
「すみません……!」
震える声を漏らすミーアに、アルガスは短く応じた。
「問題ない。伏せてろ」
ウルフの群れが怯む中、アルガスは素早く周囲を見回す。
(ウルフ種は、群れに必ず統率者がいる……それを潰せば瓦解する!)
彼は目標を捉えると、鋭い指示を飛ばした。
「グレオ、9時方向! 群れの親玉だ!」
群れの奥に鎮座する巨大なウルフは、一際大きな体躯と冷酷な赤い目で威圧的な存在感を放っていた。
「あれか! 任せとけ!」
グレオが大剣を肩に担ぎ、地を蹴って突撃する。その姿はまるで突き進む砲弾のようだった。
「ほらほら、猛獣のお通りよ!ワンちゃん達!」
エリスは笑いながらロッドをくるりと回す。空中に浮かぶ火球が一斉に爆ぜ、魔物の包囲を崩した。
グレオは、前に立ちふさがるウルフを薙ぎ払いながら、一気に親玉の間合いへと踏み込む。
親玉のウルフは一瞬身を低くし、空気を裂くような突進を仕掛けてきた。それはただの野生とは思えぬ、まるで『狩りの戦士』のような洗練された動き。
「……チッ、速ぇな!」
グレオは紙一重で体を捻り、大剣を逆手に構える。
地を蹴ると同時に、踏み込み――
「ぶった斬るッ!!」
刃は雷鳴のごとき唸りを上げて――ウルフの首筋を、斜めに切り裂いた。
一瞬、時間が止まったかのような静寂が訪れる。親玉のウルフが地面に崩れ落ちると同時に、残ったウルフたちは一斉に逃げ出し、森の中へと消えていった。
グレオは大剣を肩に担ぎ直し、軽く息を吐いた。
「はっ、逃げ足だけは早ぇな!」
***
ミーアが商人たちの治療を終えると、深い感謝の言葉が飛んだ。
「本当にありがとうございました……。命を救われました」
「まだ完全に治ったわけではありませんので、安静にしてくださいね」
ミーアは柔らかく微笑む。その目には、少しだけ自信が戻っているようだった。
グレオは荷馬車の下に潜り込み、壊れた箇所を確認していた。アルガスはその近くにしゃがみ込み、声をかける。
「どうだ? 修理できそうか?」
「車軸は折れてねえから大丈夫だ。あとはここを補強すりゃなんとかなるな。エリス、そこの板取ってくれ」
「そんな突貫で、街まで持つの?」
数枚の木材を渡しながら、エリスが怪訝な顔で聞く。
アルガスは立ち上がりながら、近くにいた商人に声をかけた。
「皆さんは、王都へ行かれる途中だったのですか?」
「いえ、ラグスノールの商会に戻るところでした。積荷が少なかったのは、不幸中の幸いです」
年配の商人がため息をつきながら答えると、アルガスはさらに尋ねた。
「このルートはよく通られるのですか? こうした襲撃は、これまでにも?」
「通りますが……私の荷馬車が襲われたのは初めてです。ただ最近、ラグスノール近郊では荷馬車が魔物に襲われる事件が増えていて、商会からは注意するように言われていました」
商人の言葉には、後悔と恐怖が混ざり合っていた。
「なるほど……」
アルガスは顎に手を当て、目を細めながら遠くの森を見つめた。思考を巡らせた後、アルガスは再び商人に向き直る。
「我々もラグスノールへ向かっています。護衛を引き受けますので、道中の安全はお任せください」
アルガスの声は冷静だが、芯のある響きが商人の不安を包み込むようだった。商人は一瞬驚き、それから頭を下げた。
「おお……ただの旅の冒険者とは思えませんな。ありがたく、頼らせていただきます!」
そのやり取りを横で見ていたミーアが、そっとアルガスを見上げる。
まるで、『名乗らなくていいのですか?』と問いかけるような、優しい視線。
だがアルガスは、彼女の視線には気づいていながらも、何も言わずに目を逸らした。
ミーアは小さく目を伏せ、それ以上は何も言わなかった。
***
修理が済むと、商人たちが乗り込んだ荷馬車はラグスノールへと進み始めた。アルガスたちも馬車に乗り込むと、再び車内の座席に腰を落ち着けた。
戦闘で張り詰めていた空気が少しだけ和らぎ、車輪がゆっくりと石畳を踏みしめる音が再び耳に届く。
グレオは大剣を壁に立てかけると、座席に深くもたれながら大きな伸びをした。
「いや〜、さっきの戦いはスカッとしたな!久しぶりに全力で体を動かした気がするぜ!」
「ま、急な襲撃の割にはいい連携だったんじゃない?勇者様の指示も、なかなかね」
エリスがロッドの手入れをしながら軽く笑う。彼女の態度には余裕が感じられるが、その視線には戦闘後の高揚感がまだ残っていた。
「ええと、私……ほぼ見てただけで……すみません……」
ミーアは杖を抱えながら、ぽつりと言葉を漏らした。
「何言ってんだ。ミーアがいなかったら、商人たちの治療はできなかったぞ」
グレオがミーアの肩を軽く叩いて励ます。
「そうそう、治療も立派な戦力よ。ちゃんと休んどきなさいよ」
エリスが肩をすくめながら言った。2人の言葉に、ミーアは少しだけ安堵の表情を浮かべる。
「ありがとうございます。でも、私……ただの『足手まとい』だって思われたくなくて……。だから、強くなります。絶対に」
車内が柔らかな雰囲気になると、グレオが腕を組み直して問いかけた。
「それで、アルガス。さっきのウルフの襲撃はどう見るんだ?」
アルガスは地図を見つめながら答えた。
「今の所、特に魔王との直接的な繋がりは感じられないが……。ただ、ラグスノールで襲撃事件が増加しているという話は気になる。単なる活動期というだけでは片付けられないかもしれないな」
「少し前に、ウルフの大討伐があったのですよね? あれから、こんなに増えるなんて……」
ミーアが不安げに口を開いた。
「生態系が崩れている可能性もあるな。異常繁殖による群れの分裂、食料不足による住処の移動……」
アルガスが顎に手を当てながら淡々と分析を述べる。
「腹ペコわんちゃん達だったってこと?」
エリスが肩をすくめて軽口を叩く。
「エリスじゃあるまいに」
グレオが笑い混じりに茶化すと、エリスはロッドをひょいと動かし、小さな石を飛ばした。
「痛てっ!」
石がグレオの額を正確に打ち、彼は思わず頭を押さえてうめき声を漏らす。
ミーアは横で慌てたように手を宙に彷徨わせ、治癒魔法をかけようとするも、苦笑するグレオに制止された。
アルガスは、そんなやり取りに目もくれず、静かに続けた。
「……だが、背後に魔王の影がある可能性も捨てきれない。ラグスノール、エルミナ、ティルヴァラン――各都市でもっと詳しい情報を得るしかないな」
「つまり、今は深く考えずに前に進むしかないってことだな」
グレオは額をさすって笑うと、大きく伸びをする。
「まあ、それも一理あるわね」
エリスは呆れたように苦笑しつつも、少し肩の力を抜いた。
夕日が山並みを染める頃、一行は馬車を降り、野営の準備を始めた。夕陽に照らされる彼らの影が、次なる旅路への期待と不安を静かに映し出していた。




