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出遅れたあの子

作者: 宮野ひの

 幼稚園生の一花(いちか)は、絵を描くのが好きだった。紙に大きな丸を描いたり、ヘビのようなジグザグを描いたりすると、白い余白が段々と無くなる。自分の絵でいっぱいになるのが好きだった。お母さんに絵を見せた時も「すごいね」と一言褒められるのが、くすぐったくて好きだった。


 ある日、一花が通っているひまわり幼稚園では、絵の具を使って絵を描くことになった。テーマは特にない。一人ひとりが好きなものを描いて良いということだった。


 一花はワクワクしていた。何を描こうかな。かわいい女の子を描こうかな。犬や猫も良いかも。一つに決められなかった。


 周りの友達を見てみると、早速絵を描いていた。白い紙に赤色の絵の具でリボンを描いたり、一面青色にしてみたり、とても楽しそうだ。


 一花は出遅れてしまった。まだパレットも手に取っていない。友達が先に行動するのを見て、反射的に「ずるい」と思った。何で私のことを待っていてくれないの。今から絵を描こうとする私の気持ちはどうなるのと、イライラが止まらなかった。


 かろうじて絵の具をパレットにまで出したけど、一向に描く気持ちが湧き上がらない。友達はのびのびと自由な絵を描いている。どんどん時間だけは過ぎて行く。一花はハラハラと焦る気持ちになった。


 絵の具を筆に取って、黄色いバケツに入った水でサラサラと洗う動作をのんびり繰り返す。なんで最初の一筆が描けないんだろう。


 そこで「どうしたの?」と実習生の綾先生が声をかけてきた。水色のエプロンを付けていて、にっこりと笑顔だ。長い髪を二つ結びに分けている。手には白い紙を持っているのが見えた。


 園児でもなく担任でもない綾先生は、一花からすると人見知りの対象だった。ひまわり幼稚園にずっといる人ではないとわかっているからこそ、甘えるのも勇気がいる。


 何も言わない一花。綾先生は困った顔をした。無言の間が広がる。


 しびれを切らしたからか、綾先生は「……ちょっと、貸してほしいな」と一花に一声かけた。


 ちょっと、貸してほしい? 何を?


 よく見ると、一花の絵の具バケツを指していた。四つの穴には、それぞれ水が入っている。右上から順に、絵の具をといた紫色をした水、黄色い水、水色の水、透明の水が入ってあった。


 これを? 何に使うんだろう。


 一花は不思議に思ったけど、すぐに「良いよ」と答えた。


 幼稚園児で、親以外の大人に簡単なお願いをされて「嫌だ」と即答できる人は少ないだろう。


「ありがとう」


 綾先生は一花にお礼を言うと、持っていた紙を数回折り、バケツの水に軽く付けた。全部ではなく、角部分をゆっくりと。まずは黄色い水の中に入れている。


 ……え?


 その次に水色をした水。最後に紫色をした水に紙を付けた。


 綾先生が持っていた紙はカラフルになった。色がきれいに混ざって、マーブル模様になる。


 一花は、ずるいと思った。そんな短時間で良いものが作れるなんて。ずるい。


 一方、一花はまだ絵を描けずにいる。後から来た実習生にも遅れを取ってしまった。


「えー!すごい」

「かわいい!」

「綾先生、どうやってしたのー!?」


 他の園児たちが絶賛している。一花は、悔しいという気持ちを心から味わった。


 そして一花は「先生はお姉さんだから仕方ない」と言い訳をして、自分の心を守った。


 早く絵を描く時間が終わらないかな。早く、担任の優子先生が私のことに気づいてくれないかな。一花は真顔で綾先生を見つめながら、早く早くと心の中で繰り返した。早く早く。


 時間は一向に過ぎる気配がない。


 そうだ。


 絵を描けばいいんだ。


 夢中になっている時は、時間が過ぎるのが早い。一花は早速、筆を取り、パレットの絵の具を力任せにぐちゃっと付けた。


 やってやる。


 涙目になっている自分に気付かないふりをして、一花は背筋を伸ばして、最初の一筆を描いた。

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