3. 想い出話
ど、ど、ど、ど、同棲!?
その言葉のもつ大人な響きに焦る。
……って私は大人なのか。
いやいや、夕方までは大人だったかもしれないけれど、今はすっかり未成年なのだ。
「ユカコ、どうする?」
「どうする、って?」
「今からだと10時過ぎるけど、実家に帰ることもできるよ」
『実家』って、私の家のこと?
峰崎くんが微笑んだ。
でもその笑顔は痛々しくて……
実家に帰る、イコール峰崎くんと一緒にいることを拒否する、ってことになっちゃうんだ。
そんなこと、私にできるはずがなかった。
心を落ち着かせるために、ふーっと長く息を吐いた。
「峰崎くんがよければ、ここにいたい。私がいつも過ごしてた通りにしたいの。そのほうが記憶が戻る気がするし」
峰崎くんは同じ笑顔のままだったけれど、痛々しさが取れて心底嬉しそうに見えた。
はあー、つくづく7年後の私が羨ましーい。
峰崎くんをこんな、しあわせそうな笑顔にしてあげられるなんて!
「今日は大変な一日だったし、早めに寝ようか。明日、結婚式について説明させてくれる?」
そうだ、結婚式!
急にワクワクしてくる。
「私、ウェディングドレス着るの? それとも白無垢?」
「ははっ、もちろんウェディングドレスだよ」
そこ、『もちろん』なんだ。
私の希望は7年経っても変わっていなかったらしい。
お皿もお鍋も峰崎くんが洗ってくれている間に、ドレスを試着したときに撮ったという写真を見せてもらった。
「きゃー、きゃー、ステキなウェディングドレス!」
気にしている二の腕を隠してくれるロールカラー。
そして、腰から下の左サイドには縦フリル。
まさに私の理想のドレスだった。
そして写真でじっくり見ると、私の顔は7年分、大人っぽくなっていた。
メイクもしているからなんだろうけど、あらら? けっこう美人じゃない?
しあわせいっぱい夢いっぱいみたいな笑顔……
このとき、どんな気持ちだったんだろう?
胸に手を当ててみても、残念なことにそこは空っぽだった。
✼••┈┈┈┈••✼
「ユカコ、おいでー」
そ、そうだよね……
同棲してるんだから、ベッドは1つ、だよね……
先にベッドの右側に入った峰崎くんが、右手で毛布をめくって待ってくれている。
左腕は私の(であろう)枕の下でまっすぐに伸ばしている。
こ、これって、もしや腕枕ってやつですか?
夢のようなシチュエーションのはずが、いざ目の前で待ち構えられると足が動かない……
「あっ、そっか。ごめん」
峰崎くんがパッと左腕を引いた。
「ユカコにとっては、今日初めて会話した男だもんな。何にもしないから、おいで」
そう言うと、峰崎くんはベッドのさらに右側に詰めてくれた。
ようやく私は動けるようになった。
「……し、失礼します」
おずおずとベッドの左端に寝ころんだ。
「こっちこそ、ごめんね」
「ぜーんぜん」
お互い、天井を向いている。
「このまま記憶が戻らなかったら?」
「いいよ。俺だけ強いままニューゲームみたいなもんでしょ。俺もユカコが初カノだったから、」
「えっ、そうなの?」
「そうだよ。だから、慣れるまではどうしていいか、よくわかんなくて。デートの度に毎回緊張してたし。ちょっとカッコ悪かったかも……。2巡目ならもっとスマートにやれるはず」
「すっごく意外」
だって、いつも落ち着きがある峰崎くんが、だよ?
私とのデートに緊張していたことがあるなんて……
「ねえ、私たちが初めて会話したのって、私が登校中に転んだときだったんでしょ? そのときのこと教えて」
「あー、あのときのこと……」
峰崎くんの声はだいぶ眠そうになってきた。ゆっくりで、くぐもっている。
「雨の日、ユカコが傘さして俺の前を歩いてたんだ。そしたら、いきなりだったよー。スコーンって滑って。で、ユカコの傘が俺の目の前に落ちてきて……」
「うん、うん、それで? ……峰崎くん?」
「……はっ! 俺、一瞬寝そうになった」
きっと峰崎くんにとっても長い一日になっちゃったんだろうな。
私のお母さんから電話をもらって病院に駆けつけてみたら、私がこんな状態になってるし……
「ええっと、どこまで話したっけ? そうだ、傘だ、傘。傘を拾ったんだ。それが話すきっかけ。あと、制服のスカートがずぶ濡れになっちゃってたから、俺の部活用タオルを貸したんだよ」
「わっ、ジェントルマンだ」
「7年前と同じこと言ってる。タオルぐらいのことで、『峰崎くん、紳士だあ』って見つめてくるから焦ったなー」
うわー。記憶を失っていても、そのときの自分の様子が目に浮かぶ。
「付き合い始めてからユカコに話したんだけど、あのときにはもう好きだったから、ドキドキだったよ」
えっ、今さらっとスゴいこと言わなかった?
「タオルは後日洗って返してくれたんだけど、それにお礼のメッセージカードとお菓子もついてた。お菓子は流石に食べたけど、タオルはずっと使えなかったなー」
峰崎くんが、峰崎くんらしからぬ可愛いことを言っている。
「私のこと、好きだった?」
「うん、好きだったよー。入学して割とすぐぐらいから……」
「ほ、ホントに? 私もずっと好きだったの!」
あっ、興奮しすぎてポロっと口が滑った!
私、告っちゃった!!
「それも、ユカコから聞いて、知ってる……」
それからすぐ、峰崎くんの規則正しい呼吸が聞こえてきた。
あ、あれ? 私はこんなにドキドキしてるっていうのに……
「み、峰崎くーん?」
1度だけ名前を呼んでみたけれど、返事はなかった。
私は眠れるかな?
変な時間帯に1時間ほど深ーく眠ってしまったし、そして何より、すぐ真横に峰崎くんがいるこの状況で……
でも、ドキドキしていたのは最初の5分ぐらいだった。
峰崎くんの息遣いに耳を澄ませているうちにリラックスしてきた。
これから先ずっと峰崎くんがいてくれる。記憶が戻っても戻らなくても……
次第に手足が重くなってきて、いつの間にか私も心地よく眠っていた。
✼••┈┈┈┈••✼
図々しくもたっぷり寝てしまった。
目が覚めると、先に起きた峰崎くんがお握りを作ってくれていた。
大きなお握りだった。梅とじゃこがいい塩梅の。
遅い朝食のあと、峰崎くんは進行予定表を使って、私たちの挙式と披露宴の流れを説明してくれた。
「お昼前に式場内のチャペルで挙式して、お昼から披露宴なんだ。細かいことも含めて全部決めてあるし、明日は式場の人が誘導してくれるはずだからそれに従えばいいよ」
峰崎くんが、びっしり書き込まれた予定表の1番上を指し示した。
「まず挙式なんだけど、これは簡単だよ。牧師さんに何を聞かれても、『はい、誓います』って答えるだけだから」
ふむふむ。
「あっ、でもバージンロードを歩くには注意が要るかも。試着したときに長い裾を踏んじゃって、すごく歩きにくそうにしてたから」
「えっ、そうなの?」
あれって父親の腕を取ってしずしずと歩いてるイメージだったけど、ドレスの裾を気にしながら歩くものなのかー。
でも、バージンロードを歩いた先に、新郎である峰崎くんが私を待っていてくれるなんて、むふふ……
ん!? ってことは、だよ?
「ち、誓いのキスってするの?」
「……うん、する」
「私、ファーストキスなんだけどー! それをみんなの前でするの!?」
「式場の人が言ってたんだけど、おでことか頬とか、あと手の甲とか、口以外にするカップルもいるんだって。俺たちもそうしようか?」
「で、でも……」
結婚式に夢見る夢子ちゃんなのだ、私は。
新郎にベールアップしてもらって、唇にキスしてほしい!
あー、でもやっぱり恥ずかしいっ!
「俺だって親や上司の前でキスするのって抵抗あるし、無理しなくてもいいよ」
ど、どうしよう……
無意識のうちに目線が峰崎くんの口元にいった。
「それとも今から練習してみる?」
「練習でファーストキスなんて、もっと嫌ーっ!」
「そ、そっか。ごめん。キスしてほしいのかと勘違いした」
それって、もしかして私が峰崎くんの口を見たから?
暗黙の了解でそういう意味になっちゃうの?
きゃー、大人の世界って怖い!
「じゃあ、どうする? おでこ? 頬?」
「ほ、保留でお願いしますっ! ぎりぎりまで考えさせて……」