2. 毒を制せない毒でした
アダマスに印刷機がないわけじゃない。
版、インク、紙を載せた台に上から圧力をかけることで、紙にインクを移す。デカいハンコと同じ原理だ。平圧印刷機と呼ばれる。
ハンコは手の圧力で十分だけど、印刷物の面積が大きい場合は広い圧盤を使って均等に強い圧力をかけなきゃいけない。極太ネジを使ってぐいぐい締め上げる。
桐花の世界では、これを発明したのは15世紀のドイツ人グーテンベルクだ。器械の構造はブドウ絞り機から思いついたらしい。アダマスでこれを作ったのはなんと、新兵時代のラウーらしい。口頭での軍の伝達事項が伝わる遅さ、不正確さにイラッとして一晩で製作し『あとは好きなように改良しろ』と軍の総務部に叩きつけたらしい。
器械の構造は拷問器具を改造したらしい。
ブドウ絞り機と拷問器具では、絞られるのが赤い液体という点では一緒だけれど、絞られてしまうモノが違いすぎる。そういえばアダマスの平圧印刷機はギロチン台に似ていなくもない。
いずれにしても『圧力をかけて』印刷し、それを通じて情報を知らせる、これが報道を『プレス』と呼ぶ由来らしい。
桐花が百科事典から写してきたのは円圧印刷機だ。圧力をかけるパーツが板ではなく筒になっている。台と、台の上に固定されたローラーのあいだを版が通る。圧力をかける部分が平面から線に減る。だから面積の広い印刷物だって楽々、時間も短縮できちゃうのだ。
さらに、これまでは石を彫って作っていた版を、一文字一文字を組み上げて作る活版に移行させる。印刷物の幅も量も増えちゃうのだ。
軍の新聞も大幅増刷できる。気をよくしたダルジ総統のポエム欄も新設予定らしい。アダマス文化のためにやめて欲しい。
「太市さん、やっと捕まえた! おかえりなさい!」
「うわ。ああなんだ、円周率14ケタ」
太市は日本人村出身の鍛冶職人兼細工師だ。総督の息子、ダルジ少将に銃器製造の腕を買われて、日本人村の保護と引き換えにアダマス軍に従事している。
太市の所属する科学技術部の宿舎で待ち伏せしてると、深夜になってやっと帰ってきた。待ち時間にやっていた百科事典の翻訳に没頭してしまい、視界の隅に小汚い塊がフラついてると思ったら、それが太市のツナギだった。慌てて紙やインクびんを片付ける。
「桐花です。久しぶり、目が死んでるね」
「なんで嬉しそうに言うの……」
「ごめん、日本語で話すの嬉しくて、つい。いつもよりちょっとヨレヨレなだけだよね」
「フォローになってなくね?」
お願いがあるのと切り出すと、太市はベンチに腰を下ろしてくれた。汗やススの入り混じった男くさいにおいがする。
「なに? カルロと円周率暗記対決でもすんの?」
「そんな無駄な時間ない!」
「ひでえ……あいつ、『女史に負けるはずがない』って必死に暗記してんのに」
陰湿副官、カルロ・レオンに円周率で人物評価されたときは小数点以下14ケタまで覚えてやった。けれど、今はもう3.14でいい。無駄な暗記に費やす記憶容量なんて許容しない。あれっどこかで聞いたセリフ。
「銃身の長いの、試作中なんだよね。分かってる、忙しいのは分かってるんだけど、わたしも作って欲しいものがあるんだ」
疲れた顔に、ヘラッと人なつこい笑みが浮かんだ。
「死ぬのは目だけでよくね?」
「大丈夫。人格が伴う肉体なら間違いなく生存です」
「人格ね……俺、人格も死にそう」
勢いよくうなだれて、太市はテーブルに突っ伏してしまった。ゴツンと痛い音がしたが、人格が死ぬと悩まれているときに額の心配をするのはどうなんだろう。
悩みの理由が分かってしまって、桐花はもじもじと姿勢を正した。
「えっと……やっぱり銃を作るの、納得できない? あんな殺生なモンって言ってたね」
「やってるよ」
体勢はうなだれていても、言葉は胸を張っていた。
「日本人村のみんなのためなら、やるよ。男が一度決めたことなんだし。ダルジさんはよくしてくれるしさ。キッチリ作ってやるよ。だ、け、ど、さ……俺が甘いって言われりゃそうなんだけど、拳銃の作り方を教えたら帰れると思ってたんだ。なのに今やってんのは、もっと正確に人の急所を撃てる銃を作ることなんだ。正直、滅入る」
以前はクリクリと動き回っていた太市の黒目は、輪郭がにじんだように鈍い。
桐花はラウーの言葉を思い出す。
『生きたまま死者の世界へ行かれるのを見送るだけです』
ここでも生存の定義が問われてるのかもしれない。人を傷つける武器を作ることで傷つく人がいる、そんな不毛な循環はいらない!
机にドンと乗り出した。
「太市さん、万年筆を作って」
「なにそれ」
武器を捨てろ! 武器ってなに。みたいな肩透かしが。
この世界にないものの品名を言っても通じるわけなかった。すごいぞ、猫型ロボットの未来道具のネーミング。何ができるか、子供も分かる。
数百年前に人類滅亡の危機にさらされたこの地球では、技術水準の頂点は15世紀ごろで、以降はそれ以下あたりで停滞している。主流のペンはつけペンで、頻繁にインク補充の手間がかかる。持ち歩くとなればインクつぼも必須だ。かさばる。
「えっと、万年筆は携帯できる筆記用具で」
「ああ、懐中筆。……俺、鍛冶屋だって知ってる?」
「懐中筆ってなに? そうじゃなくてこう、ペンとインクが一緒になった」
「ああ、矢立」
「矢立って、矢を入れとく装備だよね。今、筆記用具の話をしてるんだけど」
「そっちの矢立じゃない。筆と墨つぼが収納されてて、簡単に持ち運べる……ああもうワケ分かんねー」
そうだった。英語教育を受けてきたのに、英語圏で苦労する理由。言葉が通じても、文化が違えば通じない。母国語同士だって同じ。相手の立場を考えて話すこと、そうすれば逆に、つたない外国語でも通じるのに。
「ごめんね。ちゃんと説明する。うまくいったら、太市さんを銃製造から引き抜けるかも。日本人村保護は継続したままで」
「マジで!」
勢いよく復活した太市のボサボサ頭から、ネジがころんと落ちてきた。
「やる! 俺やるよ! 何をいつまでに作るって?」
軍需産業の中核にいる太市を引き抜いたりしたら、軍への反抗と受け取られるかもしれない。でも、これはラウーが挑み続けてきた聖戦だと思う。援護したい。いつも足を引っ張ってばかりだけど、弁慶も号泣する勢いで。
できるんだろうかという不安を、ネジをそっと髪の中に戻すことで落ち着かせる。用意してきた万年筆の分解図を渡した。
「この図のものを、一週間後までに」
「一週間! ムリ。はは、絶対無理」
言った覚えのあるセリフを言わせている気が。
乾いた明るい笑いを吹き消すように、呟いた。
「銃卒業」
「分かった、やりゃあいいんだろ! 鬼! やってること菩薩だけど、やらせること鬼!」
ちょっとショック。ラウーに毒されているのは自分かもしれない……。
アダマス本土から巨大鳥便で数時間のここ、ボル・ヤバルは亜熱帯の広大な島だ。かつて女王の居城だった宮殿は、ダルジ少将率いるアダマス軍の基地となっている。
宮殿の離れは隔離病棟として使われたため、本部に近接した立地、豪華な造りにもかかわらず忌み嫌われている。おかげで、眺めのいい最上階の部屋を桐花が占有できてしまう。白魔も病魔も食う魔女、という噂は気にしないことにしている。
ランタンを手に、白いしっくいが厚く塗られた階段を登る。今夜は雲が厚くて月が暗い。部屋の奥に大きく切られた窓に、宮殿のキスチョコ形屋根がぼんやり浮かんでいる。薄暗闇をランタンでかき分けながら、ベッドへと進んだ。
「遅い」
「ぎゃああ!」
「指定した就寝時間から二十四分過ぎている。何をしていた」
誰、と聞くまでもない。時計もない暗闇で二十四分を体内で計測できる人が他にいてたまるか。
本土の執務室で別れたはずのラウーがいた。ベッドのヘッドボードに背を預け、足を投げ出して、暗闇で何をしてたんだろう。うん、遅刻時間をねちねちと計測してたんだよね。
ランタンの光に煽られて、茶とヒスイの異色の瞳があやしく燃えている。裸でないときは常に着ている軍服の襟は胸元まで開いている。いろいろと心臓がやばい。
「ごめん、来るって知らなくて」
「妻かつぎレースのテスト・フライトに来た。私の不在に乗じて、与えた睡眠時間を浪費する正当な理由があれば聞いてやる。どこへ行っていた」
ランタンの光が揺れるのは、持つ手が震えているからです。
万年筆はラウーのサプライズ誕生日プレゼントにするつもりだ。しかも間に合えば、作ってもらえれば、の話だ。バラさないほうが賢明と思う。
「夜風に当たってきただけです」
ニコリ。と、どうにか営業スマイルを顔面に押し出すことに成功した。見よ、自営業の娘の熟練した対応力を。
「夜風ならば科学技術部宿舎でなくても吹いている」
知ってるなら聞くなー!
「散歩してただけです」
基地内では護衛なしの単独行動が許されてる。散歩なら軍用犬だってさせてもらってる。
「重い百科事典を抱えてか」
「筋トレも兼ねてたんです!」
「科技部宿舎で何をしていた」
答えるたびに信用がなくなってる気配。ハネムーンにぴったりな亜熱帯の宮殿の、ベッドで待ち伏せされてる状況が、なぜ取調室の尋問の様相なのか。
でも太市との密談を聞かれたわけじゃないらしい。きっと、雲の切れ間で月光が明るくなったとき、科学技術部宿舎から歩いてくる姿を見たんだろう。それくらいでアッサリ話したりしないもんね。被疑者いじめ反対! 断固対抗!
「ラウーこそ、暗闇で何してたの」
「あの印刷機はまだ、質問の回答を絞りだすために使えるか考えていた」
ラウー製平圧印刷機は元拷問器具。
「太市さんと仕事の話をしてただけだから! 絞らないでー!」
赤い液体じゃなかったけれど、朝までこってり絞られた。