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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ジョーカー・ワイルド
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20. 星の数ほど白魔たち

 空の青さは透けるシルクを広げたみたいにワントーン淡くなり、夏にはなかった形の雲が薄く広がっている。櫛の歯状に屹立する岩山も、メノウ色のマーブル模様を巻く木星も、輪郭を柔らかくして穏やかだ。

 少し離れていた間にアダマス本土には早い秋が顔を覗かせていた。

 岩山に囲まれた馬蹄形の湾には石柱が密集する。それを支柱にして石板を敷き詰め建設された空中都市には草木がなく、季節の移ろいを感じ取るのは難しい。

 それでも空には映っている。

 製紙事業を監督・統括するラウー・スマラグダス空軍大佐は、桐花が提出した紙を入念に検分している。強度、硬度、平滑性、重量、寸法。チェックを待つ間に執務室の窓から空を眺め、桐花は秋の気配を拾っていた。急に、ずいぶん長くこの世界にいるような気がした。

「いいだろう。期限まで一日と十六時間四十一分で完成だ」

 秋空に栗ときのこの炊き込みご飯を回想してゴキュリと喉を鳴らしていた桐花は、三拍遅れて我に返った。

「また日本食か。今度は何だ」

 ラウーに頭の中を読まれる頻度が高くなっている。

「読心ではない」

 ほら読んでる!

「読むのは表情や仕草だ。蓄積した経験があれば難しくない。心が読めるのであれば、おまえが思い浮かべた献立まで言い当てられるはずだ」

 製紙の追い込みで疲れた心身からは返す言葉も出てきやしない。疲れてなくても出て来ない。

「日系人村をボル・ヤバル基地近隣へ移転させるため、稲作に適した土地を調査させている。同時に前女王の植え付けた差別意識を払拭しなければ経済発展の障害だ。移転計画が実現すれば比較的容易におまえの胃袋も鎮圧できるだろう」

 暴れる妖怪胃袋みたいな表現しないで欲しい。

「何でも与えると言っているはずだ。おにぎりが食べたいと一言私に相談すれば、事態は混乱しなかった。おまえは要求に偏りがありすぎる」

「樹脂問題が解決してほんとよかったよねー」

 言葉は時に人を傷つける。ラウーの場合、無言も神経に致死傷を与える。鼻歌まで追加して話題をそらした。

 樹脂問題は釈放の日にあっさり解決した。月天が松ヤニに代わるものをくれたのだ。

 ラウーと月天を聞き分ける賭けで、月天は負ければトカの望みをかなえてあげると約束していた。レオン副官から樹脂問題を愚痴られ、ラウーの拘束で暇だったという月天は望みは樹脂と勝手に解釈、数種探してきてくれていた。

 その中の一つが完璧な紙を作り上げた。

 おかげで日系人村樹脂調査が目的をひとかけらも達成せずに終了した失態を責められずに済んだうえ、製紙事業も軌道に乗りそうだ。

 ラウーの指が製紙手法の最終報告書をめくった。

「松ヤニの代替品名が記載から漏れている」

 話題をそらしたつもりが、なんという墓穴。

「あっそれは書類のミスじゃないです。代替品は企業秘密っていうか、どうでもいいっていうか、現場に任せたいというか気にしないで下さい」

 絵文字が使えるなら語尾にハートマークを奮発したつもりでにっこりしてみせた。

 もちろんハニートラップ不適任者のレッテルを貼られた笑顔じゃ騙せなかった。企業秘密を社長に秘匿できる社員がいるわけもない。

 城塞の一角に陣取るラウーの執務室は機能性に満ちていた。インテリアと誤解した絵は指名手配犯一覧で、オブジェと思ったのは作りかけ人体模型で、来客用に見えた椅子は拘束具つきだった。とっても実用的な部屋だ。

 おもむろに立ち上がりL字形の机を回ってくるラウー・スマラグダス大佐兼軍医は、拘束椅子に座らせた婚約者で生の人体模型を作りそうな据わった眼をしている。

「シェラックです」

 さっさと白状しておいた。報告書に素早く書き足した。

「シェラックとは何だ」

「さっきは代替品名しか聞かれなかったと思うんだけど」

「ここにはまだ自白剤という痛覚に負担のない尋問方法はない」

「シェラックは樹脂と似た性質を持つ物質で、カイガラムシの体の表面の分泌物ですっ。生態系が前の世界と少し違うみたいで配合率に試行錯誤したけど樹脂よりはうまくいって、それにレオン副官が」

 レオン副官がすこーし協力的になったのだ。無罪放免になった日から。ただしあの日は挙動不審だった。

 固執は固執だッ! とか、意地を貫かれたのだッ! とか呟きながら歩き回った挙句、水ッ! と叫んで浴びるように飲み始めた。水差し一本分を飲み干したあと諦め顔で、現実で埋め立てますと言った。陰湿さが低下した。

 水で悟っちゃうなんてヘレン・ケラーか。

 意味不明な儀式でレオン副官は何かを吹っ切ってくれたらしい。悪霊を聖水で切り離したのかもしれない。吹っ切った割には時々思い出したように睨まれるんだけど、とにかく製紙事業は順調に運んだのだった。

 桐花が補佐役の態度軟化とセルフ悪魔祓い疑惑とチームワーク改善を熱く語っている間、ラウーは眉間をつねるようにしてずっと顔を伏せていた。話が終わっても伏せていた。

 以前から聞きたかった疑問を口にしてみる。

「ねえラウー……それって笑ってるポーズなの?」

「違う。失笑している」

 誰か、この人にも聖水を。

 確かに虫皮紙がイヤで取り組んだ製紙が虫の分泌液で完成するなんて皮肉、失笑モノだけど! だから報告書にも書かなかったんだけど!

 シェラックは前の世界で食品や医薬品に利用されてて、知らずに口にしてたと思ったら吹っ切れちゃったんだ!

「次は活版印刷だねー。どんどん知識の受け売りしちゃうから」

 人体模型が完成したら目を異色に塗ってやると密かに誓ってから、再び話題転換を試みた。

 ラウーと月天を聞き分ける賭けでは、ダルジ少将から製紙・印刷・図書館事業への全面的協力までも勝ち取っていた。資金、資材、人材、用地、全てが今まで以上に迅速かつ豊富に回る。本を作れる日が確実に近付いているのを感じて、桐花は嬉しくなった。



「たとえカイガラムシの体表分泌物の配合比率だとしても」

 話題転換に乗ってやる気遣いが欠如してるのに、なんで軍みたいな大組織で出世できるんだろう。

「おまえの創意工夫が介入している。零細な創意工夫も、雨粒が大河を成すように文明の滋養となる」

 完全なる受け売りではないと慰めてくれてるのか、工夫が雨粒並みにちっさいと叱咤してるのか。ラウーの眉間は押さえすぎてほんのり赤みを帯びている。後者に決定。

「活字の鋳造はすでに進行中だ。この紙に適した印刷インクを選定しろ」

「カイガラムシの体表分泌物が配合された紙に適したインクですね」

「原稿リストを用意した。しばらくは政府刊行物でフル稼働になる。その間におまえの書店に置きたい本の翻訳を進めておけ」

「カイガラムシの体表分泌物が配合された紙でできた本ですね。……書店?」

 紙よりフラットな口調で自虐に努めてたのに、たった一単語に釣り上げられた。

 ラウーの腹の立つ指はようやく眉間から離れ、机の上から数枚の書類を引き寄せている。

「ジョージ・タイラー文化基金からの出資が決定した。書店の管理者にはおまえを任命する」

 それはあの妖木老兵タイラーおじいちゃん? 基金なんていつの間に。帰国しちゃったのに決定って誰が? 書店って、書店って……書店!?

「舌に焼印を押されたいなら大口を開けたままでいろ。書店の標章デザインはレオン副官と日系人の協力で決定済みだ。活版印刷による出版物の検印にも使用を予定している」

 頭がスパークしてても、誰かのおかげで処罰的文言は聞き取れる耳ができている。焼肉は好きだけど自分のタンを食べるのはイヤなので顎を押し上げ、手動で口を閉じた。

 書類束が一枚後ろに送られる。ラウーの手元に現れたデザインに見入った。

 柏餅みたいに広く丸い葉は豊かで、絵の下半分をどっしりと支えている。そこから真っ直ぐ天へ伸びる三本の花房には、すずらん風の愛らしい花が咲き誇っている。

 桐花紋という名称を知らなくても、桐花の生まれた国ではあまりになじみ深い紋章だ。五百円硬貨、パスポートの顔写真ページといった身近な場所に溢れていた。

 けれど国家や陸地が造り変えられたこの世界では見かけなくなったものだった。

『おまえはおまえの作った紙に姿を留めるだろう』

 製紙事業に出発するときのラウーの言葉をようやく理解した。紙に似顔絵でも描いてくれるのかと思ってた。

「受け売りだと遠慮して、おまえは要求しなさ過ぎる。書店名を決める権利をやる」

「うう、ありがと、ひっく、は、『白魔書店』にする。ううう」

 桐花がたっぷり三回しゃくり上げる間、心臓に障る沈黙が続いていた。ようやく沈黙を破ったのは、沈黙より心臓に悪い低い声。

「権利をやるとは言った。だが人類の比類なき文化遺産である書籍を扱う場に、豪雪災害の化身の名は不向きだ」

 確かに怪しげな魔術本専門店みたいだけど! 本の代金に魂削られそうな名前だけど!

「いい名前だもん! ひくっ、だって、白魔が訪れた後には春が来るんだよ。うきゅ」

 ラウーの異色の瞳みたいに。兵でありながら知の時代を望む二人の白魔は豊饒の茶色の大地、瑞々しく芽ぐむ新緑の春を内包してる。

 だから泣いてしゃくり上げてるときにキスされたら噛んじゃうってば! それにキスするならせめて書類をどっかに置け! 新婚じゃなくてワーカホリックのパフォーマンスになってるぞ!

 と脳内抗議したところで気付いた。執務室には二人きりだ。作りかけ人体模型は人にカウントしなくていいと思う。

「ギャラリーいないよ」

「私に不都合はない」

 大アリだと思うんだけど。

 コンコンコンと遠慮がちなノックがして音源を探せば、隣室とのコネクションドアだった。おっとり賢そうなタレ目の青年副官が顔を出す。

「トーカさまの護衛候補の方がおみえです」

「通せ。おまえの護身は私の保身と同義だ」

 護衛? という疑問は即座に読み取られていた。おまえが人質になると私が迷惑だ、とおっしゃってるんですね。こっちだって真意は読めるんです。

 タレ目副官は眉尻まで垂らして、ほっとけない困り顔をした。

「それが、大佐のご友人を名乗る男性も一緒で……」

「いるのかラウー!」

 隣室の奥から、ご友人を名乗る男性らしき声が響いてきた。

「おまえ俺に黙って結婚するなんてひどいだろ! 慰謝料としておまえと同じ目をした妹は俺にくれー!」

「妹本人の了解を取る方が迅速確実じゃない? そして、やだ」

「うっわ、兄が兄だけに妹もひどいな! でも、くれ」

 ぎゃーぎゃーと続く騒がしさを壁越しに眺めるラウーの表情は、対照的に静穏だ。どんな事態も頭脳と度胸で迎撃する自信と、遠くない知の時代を見据えた理念に満ちている。

 この人の隣にいたい。

 視線を感知したのか振り向いたラウーは心を読んだみたいに、頷くような柔らかい瞬きをした。


ここまで読み進めてくれた皆様、ありがとうございました。お疲れ様でした!

読書欲を満たす一片になれたとしたら嬉しいです。星をいくつか送ってもらえると、心のエサとして大喜びで食います。


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